第3話 コンセプトってなんぞ
結局、来夏がエロゲーと出会った詳しい経緯は分からないままだった。問い詰めようとしても、相も変わらず能面のように変化の乏しい表情で「乙女には秘密がつきものなんです」と戯れ言で流す始末。これはいくら聞いても無駄だなと悟った俺は、いい加減横道に逸れすぎていた話題を戻すことにした。
「不本意ながら師を引き受けたからには、師匠らしく弟子に道を示すとしようか」
「不本意と言われると、私としても不本意なのですが」
「いいから黙って話を聞きなさい」
「はぁ」
「まず、エロゲー……というか、ADVというジャンルの紙芝居型ノベルゲームを製作するには、プロット及び、大まかなシナリオが先に完成している必要がある」
「ほほぅ。その心は?」
「プロットすらできてない状態で、そのゲームで使う絵や音楽の発注なんぞできんだろ」
「そうなのですか?」
「具体的にどんなシーンのどんな素材が必要になるのか、ライター以外のスタッフが分からないんだから当然だ。たまに同人なんかのゲーム製作で、シナリオライターと同時に絵師やら音楽やら募集するところがあるが、ぶっちゃけ時間のロスだ。ライターがシナリオ考えてる間、他のスタッフはやることがないからな」
「ふむふむ。となると、実際にプロの製作現場もまずはシナリオを用意してからということでしょうか?」
「ん~……」
言葉に詰まった俺は頭を掻いた。別に金田一探偵のごとくフケは飛び散っていないはずだが、来夏は微妙に嫌そうな目をしている。
「プロはその限りではないな」
「プロの場合は違うんですか?」
「プロの場合は、シナリオが完成していないプロット段階や、場合によってはプロットすらできていない状態の曖昧な指示程度でも、絵や音楽が担当の他スタッフはなんとかする」
「おお、それはすごいですね」
「慣れという物は恐ろしいからな。どんな場面でも使えそうな汎用的な素材を用意したりとかな。まぁ、あくまでも時間と予算が限られた現場で、プロならば無茶を通すことができるってだけさ」
「むぅ」
「それに、きちんと作るならプロだろうとアマだろうと、まずはシナリオからってのは基本だ」
「なるほど、奥が深い」
深いのか?
この「奥が深い」という台詞は、来夏の口癖なのだろうか。
「んじゃ、プロでなくてドが付く素人の来夏は、まずはシナリオを完成させようか」
「了解しました。しかし……」
「しかし?」
「私のシナリオと設定は、一切合切を師匠によってダメ出しされてしまったのですが」
「ああ、そうだった」
あれはひどかったな。ノートの束に一瞬目をやると、俺は内心で溜め息をついた。
「来夏のはアレだ。物語の基本となるコンセプトはなんだ?」
「コンセプト、ですか?」
「そうだ。小説だろうとゲームのシナリオだろうと、コンセプト……つまりその話を通して読者やユーザーに、作り手側はどんな概念を伝えたいのかってのが必要だ」
「コンセプト」
来夏は噛みしめるように呟いた。
「一般的に、ゲームには必ずコンセプトがある。たとえばエロゲ……もとい、ADVのゲームでは『ヒロインが怪物』だとか『登場キャラが殺し屋』だとか、そういう風な、ユーザーに対してのアピールポイントだよ」
「うーん?」
首を傾げる来夏。今の説明ではまだ分かりにくいのだろうか。ならば、もうちょっと噛み砕いて伝えよう。
「来夏ってゲーム機は持ってるか?」
「全く持っていませんが」
「え?」
「なんですか? 持ってないといけませんか?」
それが何か問題でも? という感じの来夏。
家庭用のゲームを例に挙げてコンセプトを説明しようと思ったのだが、これでは不可能だ。
「えーと……。それじゃあ、友達の家でもどこでもいいから、テレビを使ってゲームをしたことは?」
「ああ、それなら何度かあります」
よかった。それすらないと言われたらどうしようかと思った。
「三國志が舞台の、大量に襲い来る敵をバッタバッタとなぎ倒すアクションゲームを知ってるか?」
歴史シミュレーションのゲームで有名な会社が作った、アレ。孔明がビーム撃ったりするアレ。
「一応は。私は友人がプレイするのを横で見ていただけですが」
「そうか。まぁ、知っているのならそれでいい。なら、あのゲームのコンセプトとは、来夏はなんだと思う?」
「む」
来夏は文字通り一言だけ発すると、少しだけ俯き加減で考え込んで言った。
「爽快感、でしょうか?」
「ん、正解。あのゲームは大量の敵を単騎で倒すことによって得られる爽快感がコンセプトだな」
なお、三國志が舞台である某アクションゲームの正式名称に関しては、大人の都合により伏せさせていただきます。あしからず。
「なんとなくコンセプトというものが私にも分かってきました」
「そいつは重畳だな。なら、来夏はどんなコンセプトのゲームを作りたい?」
「以前の設定を全て捨てるのは惜しいので、無敵で素敵で最強の主人公による圧倒的なカタルシスをコンセプトにしようかと」
「そうか……」
そんなにあの黒歴史設定の主人公が惜しいのか。ならば、今はあえて何も言うまい。
「じゃあ、とりあえず来夏に宿題を出そうか」
「宿題とは、どのような?」
「次に会うまでにシナリオのプロットを用意し、それとは別途物語のオープニング部分を、パソコンのテキスト形式で五キロバイトほど書いてくること」
「オープニング部を書いてくるのは構いませんが、プロットとはどうすれば?」
「ん、そこからか。そうだなぁ」
どう説明すればいいのやら。
「プロットは物語を全十話で完結すると考えて、起承転結で分割するような感じといえば……分かるか?」
「ふむん、そうですね」
「いきなり全部理解しろとは言わないので、大体イメージとして掴めたならそれでいいぞ」
「なら、なんとなくは」
「そうか。まぁ、実践第一ってことで頑張ってやってみてくれ」
「はい、了解です師匠」
力強く頷いた来夏だったが、動作とは反比例してその声に抑揚はない。なんとも不思議な娘さんである。キャラ作りしているわけでもなさそうだし、なんだかなぁ。
「そろそろ夕方だし、来夏は帰った方がいいな」
「そうですね。もういい時間ですし、これ以上遅くなると家の者がうるさいですので」
壁の時計はすでに午後六時を回っている。年頃の娘さんがいつまでも独身男の家にいるのは、世間体が悪い。ご近所さんから通報されたくはない。俺はポリスメンが怖いのだ。
「帰る前に師匠、あそこの物をお借りしてもよろしいでしょうか?」
「ん、どれ?」
「あの棚のです」
立ち上がった来夏が指さしたのは、部屋の隅にある俺のコレクションが並べられた棚……の一コーナーにある漫画付近だった。
来夏を座ったまま見上げていると、なんだか負けた気分になってきたので俺も立ち上がる。
「来夏って漫画は持ってないのか?」
「一冊も持っていませんが」
「あれ、そうだっけ。最近の少女漫画がどうのってさっき話した時に、持ってるって言ってなかったっけ」
「あくまでも友人に借りて何冊か読んだことがあるというだけです。私の家はゲームも漫画も禁止でしたから」
「それは……またひどいな」
なんとも前時代的な話である。いくらなんでも今時、そこまでやるとは躾が厳しいというレベルを超えている気がする。
「貸すのはいいが、家の人に見つかったら怒られないか?」
「そんなヘマはしませんよ。そもそもエロゲーだってバレないようにやってますので今更です」
「そうか。ならば遠慮はいらん。好きなだけ貸すから、棚の物はどれでも持って行け」
「では、遠慮なく」
来夏はストラップやキーホルダーといった、飾り気の全く無い学生鞄の中へと棚から取った漫画を次々に入れていった。俺はその様子をしばらくの間ぼんやり眺めていたが、やがて来夏の鞄が漫画によって膨れだした頃に、
「その辺にしといたらどうだ? 鞄が破裂するぞ」
と言って止めようとしたのだが。
「大丈夫だ、問題ない」
「問題だよ!」
この娘は本当に謎だらけだ。
「なぁ来夏」
「なんですか師匠。見ての通り、私は借りる漫画の選別に忙しいのですが」
「来夏はどこからそういうネタを仕入れて来るのか教えてくれないか?」
「ネタと言いますと?」
「イシャはどこだ、とか、大丈夫だ問題ないとか。そういうの」
「無論、ネットで覚えました。意味はよく分かりませんでしたが、流行っているそうなので」
ネットが元凶か! 漫画もゲームも持ってないくせに、おかしいとは思ったんだ。だから来夏の言うネタは妙に変な方向に偏っていたんだな。
「ふむん。こんなものですね」
来夏はごっそり棚から漫画を取り終えると、満足したように宣言した。手に持った鞄は妊娠したかのように膨れあがっている。設定資料集であるノートの束も回収済みのようだ。
それを見て、ふと思い出したのは過去の想い出。学生時代、面倒くさがりな俺は学校の机に教科書をまとめて置いていた。夏休みに入ると全て持って帰る必要があったために、鞄はあんな感じに膨れたっけなぁ……などとノスタルジックに昔のことをつらつらと思い浮かべた。
「では師匠、お邪魔しました」
「おう」
玄関を出たところまで見送った俺だが、そこではたと気付く。
「家まで送った方がいいか?」
「は? なぜですか?」
「不思議そうに言うなよ。なんか傷つくだろ」
これでも俺の心は繊細なんだよ。そう、たとえるならば思春期の中学生のごとく。……さすがにそこまでではないな、うん。
「最近物騒だし、来夏さえ良ければ送ろうかと思っただけだよ」
「おお、なるほど」
来夏は何か重大なことに気付いたかように言う。
「なるほど。これが話に聞く、送り狼というやつですね」
「全然違うわ! まるで俺が下心から送るみたいに言うなよ!」
「はぁ、それはすいませんでした」
来夏は謝罪するが、変わらぬ表情のままではさっぱり申し訳なさそうには見えない。難儀な娘である。
「時に師匠」
「なんだね、弟子よ」
「師匠はお強いのですか?」
「肉体的な意味で?」
「肉体的な意味で」
「普通くらいだな」
「なるほど、普通ですか」
「うむ」
「そうですか」
「そうなんだ」
普通の何が悪い。俺はあくまでも一般人である。来夏のノートにあった設定集の主人公みたく、実は鍛えるのが趣味だったり、暗殺者の家系だったり、実家が武術の道場だったりは決してない。
「師匠が私に対して心配していただくのはありがたく思います。ですが、私はこう見えて少々武の道を嗜んでおりますので」
「え、そうなの?」
「はい。子女の嗜みとして、薙刀と合気をいささかばかり」
なにこの子。超ハイスペックすぎる。最近の子女には武術がデフォルトで装備されているのか? もしかしなくても、この子俺より強いのではないのか?
目の前の制服姿を見る限りではこんなに華奢で細身なのに。これで俺より強いとか詐欺だ。
……それはそれとして。
「いくら来夏が腕に覚えがあるといっても、もう遅い時間だし一人で帰すのはなぁ。家の前までとは言わなくとも、せめて家の近くまでは送るよ」
こちらにも、一人の男として矜持があるのだ。風が吹けば飛びそうなちっぽけなものではあるが、男には意地がある。
「いえ、私にはこれがありますから」
俺の意地など知ったことかとばかりに、来夏が制服の懐から取り出したるは、これまた鞄と同じく飾り気のない素の状態な携帯電話だ。
携帯電話──それはボタンを押すだけで電話やメールができるという、文明の利器である。もちろん、俺も持っている。来夏から押しつけられたアドレスと番号も登録済みだ。
「携帯がどうした?」
「ですから、こうします」
今時の若者らしく、慣れた手付きで携帯を操作する来夏。どうやら電話をかけているらしい。
「あ、ガトウですか。私です」
携帯を耳元に近付け、喋り始める来夏。通話相手はガンダムでも強奪しそうな名前だった。俺の脳裏に、バリトンの効いた低い声で喋るオールバックの軍人の姿が浮かんでくる。
「ええ、そうです。迎えに来てほしいのですが。場所ですか? 場所はアパートで、詳しく言うと──」
来夏が喋っている間、俺は完全に手持ち無沙汰になってしまった。通話を横から邪魔するほど子供でもないし、やることがない。
茜色に染まった空を見上げながら、飛んでいくカラスを眺める俺。俺も鳥になりたい。鳥は自由だ。鳥……鳥といえばカラアゲ。カラアゲ食いたい。
「ああ、腹減った」
晩飯は何を食おうか。冷蔵庫の中、残り物あったっけな。あ、ケチャップ切れてたから買っておかないと。
と、頭の中が食に染まりかけたその時だった。
「師匠、来ましたよ」
「え、何──」
何が、と問おうとした俺の声はけたたましいエンジン音によって掻き消される。
俺達の前には、素晴らしいテクニックでドリフトを決めた高級車が、タイヤから土煙を上げて立ち止まっていた。
GWのんびりしてたら投稿遅れました。
一応、10日から2週間前後を毎回の投稿予定にしているのですが、今回は遅れすぎてしまいました。
次は予定通りに投稿したいです。