第2話 黒歴史、そしてテンプレート
俺は目の前に散らばっている、計六冊のノートを一箇所にまとめて片付ける。
来夏は無言で俺に対して「ノートを隅々まで読んでくれ」とプレッシャーをかけてきたが、無視。一冊読むだけでも数時間かかりそうなのに、全部読んでたら日が暮れてしまう。いや、一冊だって読むのは嫌だけれども。
そういえば、時間と言えば今は何時なのだろうか。
ふと部屋の壁に掛けてあった時計に目を向けてみれば、午後五時過ぎを示していた。
──いかん、このままグダグダしていると話が進まない。
「来夏、ちょっとそこに座りなさい」
「師匠。私はすでに座っておりますが」
「……む」
なるほど確かに。来夏は姿勢正しく、背筋をピンと伸ばして俺の対面で正座していた。
「えーと、その……そこに座りなさいという言葉は、真面目な話をする時の枕詞のようなものなので、実際に座っていても心構え的な物をアレするというか、なんというか。まぁ、いいから座りなさい」
「はぁ、分かりました」
俺が強引に押し切ると、来夏はわざわざ一度立ち上がって再度腰を下ろした。スカートが皺にならないように、伸ばして整えてから座っている。適当にあぐらをかいているだけの俺と違って、なんとも上品なことだ。
「ん。では話を戻そうか」
「了解です」
「この設定集やらの話だが──」
俺は言葉をそこで句切ると、膝元に積んであるノートの束を指で軽く叩いた。
「神様のうっかりミスで死んだ主人公が異世界に行くって、なんだそれ」
うっかり属性のある神様ってどんな神様だよ。全知全能だからこそ、神と定義される存在なのではないのかと。
「でも師匠、私がネットで見た小説は、みんなそうやってプロローグを書いてましたよ。神様のミスから異世界に行くのは、いわゆるテンプレだとか」
なるほど、テンプレ……テンプレートね。
「あのなぁ……それは悪い意味でのテンプレなんだよ」
「悪い意味、ですか?」
「そう、その通り」
俺は頷く。
「本来、異世界物にテンプレと呼ばれる物があるとすれば──魔法で召喚されるのがそれに当たるかな」
「なんと」
「他にも、宇宙空間でワープに失敗した末に、とかな」
「ふむん。SFですか」
「別に剣と魔法の世界や、超科学溢れるスペースオペラじゃなくたっていい。異世界ってのは、その名の通り『今いる場所とは異なる世界』を指すんだし、たとえば子供の目線からだと、隣町に移動するだけでも異世界への冒険みたいなもんさ」
「なるほど、奥が深い」
深いのか?
来夏は相変わらずの顔で、表情筋を一切動かさずに何度も相づちを打つ。
「要するに、一言で異世界に行くにしてもそれだけ出てくるのに、神様のミスがどうのとか言うのは書き手の怠慢なだけなので、きちんと動機付けしろって言う話だな」
「さすがは師匠。感服しました」
来夏もようやく分かってくれたようだ。無表情でこちらを見つめる瞳の奥に、どこか尊敬の色が見える……ような気がしないでもない。
にしても、神様のうっかりミスで転生か。神様の介入や夢オチは、物語を書く上で安易にやってはいけない代表格なんだけどなぁ。
実際、来夏の持って来たノートのような話はネット上には氾濫している。恐らく来夏は「周りがそう書いていたので、それが正しいやり方」だと誤認してしまったのだろう。
「あと、ついでに言うと来夏の設定では神様ってのも存在がよく分からんな」
「何がでしょうか? 神様は神様なのでは?」
「いやいや。神様といっても、ヤハウェなのかアッラーフなのかゼウスなのか。唯一神なのか多神の中の一柱なのか、それとも便宜上神と名乗っているだけの生命体なのかとか。曖昧に神とだけ書かれてもさっぱり分からんじゃないか」
「ああ、なるほど。確かにそれはそうですね。私は神とだけ書いておけばそれで全てが解決すると思ってましたが、そうでもなかったんですね」
「ま、そういうことだな。今後は楽して安易に神様なんか出さないように」
「肝に銘じます」
「あ、もちろん神様の代わりに作者を登場させて同じようなことさせるのも無しだぞ。そんなことは言わなくても分かってるだろうとは思うけども」
「…………もちろんですよ」
おい、今の間はなんだ。
「来夏……」
梅雨時の俺の部屋の湿度のような、じとっとした視線を来夏に向けてやる。
「むぅ」
来夏は口を横一文字に結ぶと、まっすぐに俺を見返してきた。負けてたまるかと、俺もじっと来夏の目に視線を絡める。来夏もまた、俺の目を見つめ続ける。
しばらくの間、来夏と俺とで互いの目線が交錯したまま時が過ぎていった。
こうなったからには、先に目を逸らした方が負けだ。それに、女子高生とガンを飛ばし合う機会なんて、滅多にないに違いない。これもまた経験だ、と自分に対してよく分からない言い訳をしながらも、俺は来夏から目を離さない。
──むむ。改めてこうして見てると、来夏って睫毛が長いな。全体的に小顔なのに目はクリっとして大きくて、それでいて鼻筋はすっきり。陶磁のような白い肌にはシミ一つなく、切り揃えた艶のある黒髪は姫カットにこれでもかとマッチしている。無言で正座をしているだけなのに、どこか凛とした雰囲気を醸し出す気品のある佇まい。これぞまさに大和撫子。
今は制服なんぞ着ているが、これで和服に着替えでもしたら京都の老舗旅館のパンフレット辺りでモデルでもできそうな顔立ちの美少女だ。
それに俺の気のせいかもしれないが、なんだかいい香りもする。
いや、気のせいではないな。鼻に意識を集中してみると分かったが、これは柑橘系の匂いだ。シャンプーか、それとも香油の香りだろうか。
どちらにしろ、すぐ側にいる女の子からいい香りがするという状況は大変役得である。
これでもうちょっと来夏の愛想がよければなぁ。常に無表情なせいで、外見も相まって日本人形そっくりだ。もし夜中に出会ったら子供なら泣くんじゃないか?
と、そんなとりとめのないことを思っていたら、来夏の方が先に目を逸らした。
どうせなら頬でも染めながら目を逸らしていれば可愛気があるのだが、案の定表情は一切変化していなかったので内心は不明のままだ。
「お、目を逸らしたな。俺の勝ちだ」
「師匠の馬鹿」
「馬鹿で結構」
「馬鹿の師匠」
「単語を逆にしただけなのに、なんか腹立つな!」
日本語とは、かくも難しい。
「女性をじろじろ見るなんて、不躾ですよ師匠」
「女性って言われてもな」
まだ成人すらしていないくせに、ませたことを言うやつだ。
「もしかして、子供扱いされていますか、私?」
「実際子供だろうに」
「私、子供じゃありません」
「子供にしか見えん」
「これでも、脱ぐとすごいんですよ」
「マジで!?」
思わず来夏の胸部辺りに目が行ってしまう。くそ、制服の上からだとよく分からんな。アニメや漫画の制服なんかだと、体の線がはっきり分かるくらいピチピチだというのに。現実はこれだから浪漫がないのだ。
「師匠の助平」
冷たい声でそう言われた。顔に表情がないせいで、普通に言われるよりも余計に辛い。助平扱いされても、それは男の性だ。俺は悪くない。強いて言うなら、俺は男としての本能に従ったまでなのだ。
……それはさておき。
「なぁ、話が全然進まない件についてどう思う?」
「どうと言われましても」
「来夏、閑話休題だ」
「はぁ」
「話を戻すぞ」
「はい、師匠」
ごほんとわざとらしく咳払いする俺。雰囲気作りというやつだ。
「そもそもだな、色々言いたいことはあるが、なんでエロゲーなんて作りたいんだ?」
「今更な質問ですね。一番最初に聞いてくるかと思っていましたが」
「来夏の勢いに押されたんだよ。お前さん、俺が何か聞く前に問答無用でノート出してきたじゃないか」
「そうでしたか?」
「そうだよ」
「なるほど、奥が深い」
どの辺が奥が深いのかは分からないが、来夏はもっともらしく頷いた。
「では、最初から話しましょう」
「そうしてくれると助かる」
「師匠もご存じの通り、私の家は俗に言う名家というやつでして」
「え、そうなの?」
「おや、城戸の家はこの辺りでは有名かと思っていましたが、そうでもなかったようですね」
「ん……ちょっと待ってくれ」
城戸……城戸……。どこかで聞き覚えがあるような。城戸という名前自体はそこまで珍しいものでもないが、来夏が「この辺りでは」と注釈を付けたからには、やはり有名なのだろう。
んん、記憶の底から掘り出してみれば、城戸製鉄って大きな会社があったな。あそこの関連企業は城戸一族というセレブな方々が代々親族経営していたはず。ってことは、もしかして来夏は城戸財閥の関係者か?
「鉄鋼業で有名な、あの城戸? 重工業にも手を出してて、戦前から兵器開発にまで手を出しているというあの城戸?」
「恐らくその城戸かと」
来夏はなんでもないように淡々と答える。
「まぁ、名家と言っても、その辺の家よりも歴史が少々古いというだけですよ」
「ドライなやつだな」
城戸家は歴史を遡れば、明治の時分に子爵を授与されていたとか聞いた覚えがある。来夏が城戸の関係者だとすれば、正真正銘のお嬢様だろうに。
「来夏がうちに嫁に来てくれたら、俺も贅沢ができるのに」
「師匠、貧乏なんですか?」
「金があったら、こんな狭苦しいアパートなんぞに住むものか」
実は、そんな安いアパートに住んでいるにも関わらず先月から家賃を滞納しているのだが、来夏には秘密だ。全ては貧乏が悪いのだ。世の中の富の偏在が悪いのだ。
「で、どうだ?」
「どうだとは?」
「嫁に来ないか?」
「もしかして、私は師匠に口説かれているんでしょうか?」
「その通りだ」
「なるほど」
来夏は、あぐらをかいて座っている俺の頭から爪先までを、ゆっくりと見下ろした。
「フ……」
そして、視線を戻すと無表情のまま鼻で笑った。
「世迷い言は捨て置いて話を戻すと、私は幼い頃から家で厳しく躾けられてきました」
「……そうか」
「華道に茶道、日舞にお琴と、まぁ子女の嗜みとして一通りはできます」
「それはすごいな」
本当に生粋のお嬢様なんだな、こいつ。あまりにも金持ちすぎて、俺のような庶民からすれば実感が湧かない。だからだろうか。目の前にいる少女に対して、そこまで距離間を感じないのは。かといって、俺を鼻で笑ったのは生涯許さんが。
「俺なんか、習い事といえば中学生の頃に親から強引にやらされた書道で初段を取ったくらいだな」
「書道ですか。私も有栖川流なら少々覚えがあります」
「……なんだか空しくなってくるから、話を続けてくれ」
「はぁ、分かりました。……それで厳しく躾けられた私ですが、当然のごとく遊ぶことに関しても制限が付きました」
「厳しい家だな」
さすがは名家。
「ゲームなんてもっての他で、そんな物に触れると頭が悪くなるというのが周りからの言でしたので」
「なんという偏見」
ゲームをすると馬鹿になるという妄言は、一昔前に中年の方々の間で流行った悪質なデマである。当時、ゲーム会社はこの根拠のない風評被害にどれだけ泣いたことか。
「そんな私でしたが、高等学校に進学した折に与えられた物があります。パーソナルなコンピューター。略してパソコンという物です」
「ほほぅ。思えば俺も初めて自分用のパソコンを手に入れたのは、高校の頃だったな」
今となっては懐かしい思い出だ。片っ端からエロサイトを巡ったっけ。男子学生がパソコン使う目的なんぞ、九割がエロだしな。異論は認めない。
「で、親御さんは、勉強目的で来夏にパソコンを買い与えたのか?」
「はぁ。まぁ、勉強目的といえば勉強目的でしょうか」
「どういうことだ?」
「株です」
「……郵便屋さんが使っている原付きで有名な?」
「師匠が何を言っているのか分かりませんが、株式の方です」
「か、かぶしきですか……」
「ええ、そうです。ネットを使った株取引で、今のうちから経済感覚を養っておけと言われまして」
「すさまじいまでの、英才教育ですね……」
「そうなんですか? 私はこれが一般的なのだと思っていましたが」
「んな訳あるかい」
学生時代、それも高校生の頃から株取引するような人間は、世間では一般人とは言いません。
「でも師匠、元手となるお金は五〇〇万程度しか渡されませんでしたし、そこまで大したことはないと思いますが」
「五〇〇万ッ!?」
なんたるセレブ! ふざけんな、ガキに渡す金額じゃないだろう!
「それが何か?」
「五〇〇万円って、おい……。俺の去年の年収の十倍に匹敵するぞ……」
「つまり昨年の年収は五〇万ですか。師匠、どれだけ働いてないんですか」
「放っといてくれ」
働きたくないでござる。
「株の話は置いといて。パソコンを手に入れた私は、そこでエロゲーに出会ったというわけです」
「……ほぅ」
「以上です」
「え?」
「ですから、話は以上ですが」
「なるほど」
なるほど、全然分からん。