第17話 スタッフ募集中
ここは戦いの場である。
ここは天国と地獄の境目である。
もはや退くことすら適わぬ、瀬戸際の時だ。
怒声に罵声、歓声と悲鳴。天井のスピーカーからは大音量で流行りの歌。あらゆる種の騒音が耳をつんざく中、俺は極限まで集中して眼前の液晶画面を見つめていた。
腰掛けた窮屈な椅子が、両足に力を込めすぎたせいで悲鳴のような軋みを上げる。肌を刺すような緊張感が辺りには充満していた。
「来たぜ、確変……!」
欲望渦巻くこの世界で、わずかな生を見い出すために俺は牙を研ぐ。今まさに、己の生存を懸けた大勝負が始まろうとしていた。
「よーし。そのまま勝てよ。絶対勝てよ。とにかく勝てよ。何がなんでも勝てよ。今月の生活費突っ込んだんだからな。負けたら承知しねーぞ」
──だが黄金の鎧を纏った凛々しい騎士は、俺の声援を華麗に無視して、明らかに格下と分かる魔物の一撃であっさり撃沈した。
「おいおいおいおい。冗談だろ。嘘だろ。ここから復活するんだよな?」
もちろん、画面の向こうから返事はない。「くそーッス」と微妙に情けない声を上げ、鎧姿から生身になってしまった青年。なんとか立ち上がろうと四肢に力を込めるも空しく、その場に倒れ伏せる。嗚呼、無情。青年の体は微塵も動かず、起き上がらない。否、起き上がれないのか。
「復活しろ……頼むよ……」
わずかばかりの奇跡を願ったが、無駄だった。すでに画面は通常モードに移行している。潜伏の可能性も皆無。ファッキン! 神は死んだ。現実はいつも非情である。
「ふざけんなチクショウが! 継続率八二%のスペックはどうした!?」
結局その後、わずかな出玉も呑まれてしまい、俺の生活費を賭けた勝負は敗北のまま終了した。
──つまり簡潔に状況を説明すると、パチンコで負けたのだった。
「もう二度と、この店には来ねーよ」
捨て台詞を吐いて店を出る。きっと、俺の背中は煤けていることだろう。
すっかり中身が寂しくなった財布をジーパンのポケットに入れ、換金所へ向かう客に恨みを込めた視線を向けながら、俺はその場を後にした。
「空が青いなァ……」
見上げた空は、どこまでも透き通っていて青かった。夏の日差しが目にしみる。
真っ昼間からパチンコを打った挙げ句、大負けしていては世話はない。こうしてギャンブルをする度に自己嫌悪に陥って死にたくなる。
給料が入るまであと二週間。一日辺り一五〇円で過ごさねばならない計算だが、俺の明日は一体どっちにあるのだろう。
背中を丸めながら自宅へ戻ると、部屋の前には見慣れた人物がいた。
「こんにちは、師匠」
「師匠さん、どうも~」
来夏とまーちゃんだ。まーちゃんは赤を基調としたワンピース姿で、来夏は相変わらずの制服姿だった。紺色のブレザーが見ているだけで暑苦しい。来夏よ、お前は私服を持っていないのか。それとも俺に見せるのが嫌なのか。
「家に来るんなら、事前に一言電話でもしてくれたらよかったのに。待たせただろう?」
「いえ、全然。そろそろ師匠がパチンコから戻ると賀東から報告があったので、ちょうど鉢合わせするよう時間を調整してからきました」
賀東女史は、特殊工作員か何かか? 俺はずっと監視されていたのか? 背中に冷たい汗が流れてきた。
「師匠、どうしました?」
「い、いや、なんでもない。まぁ、外で立ち話もなんだし、入ってくれ」
二人を部屋に招き入れ、冷房のスイッチを入れてようやく人心地がついた。
「それで、今日はどうしたんだ?」
パチンコで負けて荒んでいたせいもあってか、俺は無駄話をせずにすぐに本題を切り出した。来夏は特に気にした様子もなく、
「スタッフを募集したのですが誰も来ません。どうすればいいのでしょうか」
と、即座に返してきた。
「スタッフが来ないって、一人もか?」
「はい。募集サイトを作って一週間にもなるのに、応募どころか問い合わせのメールすら来ません」
「まだ一週間しか経ってないんだし、もっと気長に待ってみたらどうだ?」
「ですが師匠。サイトに設置したカウンターもさっぱり回っていませんし、このままでは何も変わらない気がするのですが」
「ふむ……」
募集サイトの作りが雑すぎたのか、それとも別の原因か。とりあえず、現物を見てみるか。俺は部屋の隅に設置してあるPCの電源を立ち上げると、ブラウザを開いた。
「来夏。そのサイトとやらのURLは?」
「口頭で問答するのは面倒なので、少々失礼します」
脇から顔を覗かせた来夏の髪が俺の頬を撫でる。来夏はそのまま俺に密着しながら、キーボードだけを使って素早く文字を打ち込んだ。
「師匠、完了しました」
サイトを表示させると、来夏はあっさりと俺から離れた。名残惜しいような、それを認めたくないような、複雑な気分だ。
気持ちを切り替えると、俺はモニターの画面に目を移した。
「これは……」
来夏の作った募集サイトは、まずTOPに『サークル・アルカンジュ』と大きなロゴがあり、続いて「ゲーム製作のため、スタッフ募集」と、シンプルに書かれていた。その下には、来夏の設定集から抜粋したらしき異世界ファンタジーの世界観説明が目が痛くなるような白背景一色の中で長々と並べられている。最下層の方には、小さな字で連絡先としてメールアドレスがリンクしてあった。
それだけだった。
俺は無言でブラウザの「戻る」ボタンを押してスタートページ画面に行き、何も見なかったことにした。
「師匠、どうして戻るのですか?」
背後の来夏から非難の声。
「だってなぁ……。今の、ひどいだろ?」
「どこがですか」
「どこって……全部?」
隅から隅まで全部ひどかった。端から端まで駄目だった。
「そんなにひどいのですか?」
「あぁ、ひどいな」
「でしたら、サイトを作る前に、あらかじめ注意点を教えてくれたらよかったのに。師匠は意地悪ですね」
「何を言っているんだ。来夏はスタッフを募集すると決めた後は、俺の話なんて一切聞かずに家を飛び出していったじゃないか」
「そうでしたか?」
「そうだよ」
「ふむん……」
しばらく、沈黙が部屋を支配した。
「……話を戻すぞ。来夏の作ったサークルの名前をようやく知ることができたのはいいが、その話は置いておく」
言ってませんでしたっけと首をひねる来夏をじと目で見ながら、問題点の指摘を開始。
「まずな、スタッフ募集ってなんだこれ」
「なんだこれと言われましても。スタッフを募集しているのですが」
それは分かっている。そうじゃない。
「スタッフを募集するのはいいが、条件を一切書いてないじゃないか」
「条件、ですか?」
「そうだ。募集しているポジションすら書いてないから、下手したらライター希望者のみが大量に応募してきたりするぞ」
「それは困ります」
あまり困ってなさそうな顔で来夏が言った。
そもそも、ライターだけでゲーム製作など、無茶で無謀である。立ち絵のない文字だらけで斬新なノベルゲームが完成してしまう。小説ではあるまいし、ユーザーの想像力にも限界があるので、勘弁してもらいたい。
「来夏の企画で必要なのは、絵師とスクリプターだよな? ライター希望者が大挙して押し寄せて来てもやることがないだろうに」
「師匠のおっしゃる通りです。サブライターは一人くらい来てもいいとは思っておりましたが、私がうかつでした」
殊勝に頭を下げる来夏。分かってくれたのならば、それでいい。
「いいか、来夏。どの役職でも言えることだが、企画側がどれだけのスキルを必要としているのかが分からないと、応募しようがないぞ」
「ふむん。スキルですか」
「そうだ。スクリプターを募集するなら、どんなツールを使ってどのようなゲームを製作するのかが分からないと困るし、絵師を募集したい場合は、それこそ、原画だけ描けばいいのか塗りもやらないといけないのか、背景も必要なのか、その辺をきっちり明記しておかないと」
「なるほど」
「ついでに言うと、サブライターも募集するんなら、最低でも一〇〇キロバイト以上は書ききれる人物じゃないと駄目だな」
一〇キロバイトが約五千文字なので、その十倍。つまりは五万文字は余裕で書ける者ということになる。もちろん、言わずもがな「期限内」に、だ。集団製作の中で締め切りを守れないライターなど、ゴミ以下の存在に他ならない。ライターのシナリオを元にして製作は進んでいくのだから、ライターにとって締め切りを守ることは最重要なのだ。
「かなりの量になりますね」
「そうか? 最低限の量だぞ?」
「ふむん。一〇〇キロバイトも書いたとしても、ライターとしては最低限なのですか」
「ユーザーが一〇〇キロバイトのシナリオを読むのに、平均して約一時間かかると言われている。分岐型のノベルゲームの一ルートとしては、必要最低限の量だな。本当ならその倍は欲しい」
「倍となると、二〇〇キロバイトですか」
「ああ。それくらいあって、ようやく普通のボリュームだな。正直、一時間未満で終わってしまうようなルートだと、短編にしかならん」
「一時間もあれば十分な気もするのですが」
「あのなぁ、来夏。重要なことを忘れてないか?」
「はぁ。なんでしょうか?」
来夏の瞼が、不思議そうに瞬いた。
「来夏の作りたいのはエロゲーなんだろ? エロゲーってのは濡れ場がメインであり、そのシーンは気合を入れて書く必要がある。つまりは──」
「つまりは?」
「シナリオの内の何割かは濡れ場の場面になるんだよ。一〇〇キロバイトしかないシナリオだと、濡れ場以外の部分がほとんど書けなくなってしまうだろ」
「なんと」
そして、更に。
「更に来夏はメインライターだから、サブライターの倍以上の量を書く必要がある」
「……なんと」
よほどショックだったのか、先ほどと同じ台詞なのに来夏の反応は遅かった。やはり気付いてなかったのか。メインライターとは、好き勝手書ける代わりに、担当する部分も多いのだ。
「いいか。一般的なシナリオ分岐型のノベルゲームでは、まず最初に共通ルートと呼ばれる場所を通るんだ」
「そう……なのですか?」
来夏の言葉尻が微妙に疑問系になっていたので、どうやら俺の意図は上手く伝わらなかったようだ。
「共通ルートってのはつまり、複数いるヒロインの好感度を稼ぐ場所だな」
「ほほぅ」
「選択肢によってどんどん好感度が上昇していき、シナリオの区切りまでに一定以上までそれが貯まると、そのヒロインの専用ルートに移行するというわけだ」
「なるほど。理解しました」
他にも商業作となれば様々なシステムがあるが、あくまでもこれは素人の同人製作。オーソドックスな形式として代表的な物を、俺は例に出したまでである。
「理解したのなら分かるな。その共通ルート部を書くのは、メインライターの仕事だ」
「ふむん。予想外に量が多いですね。シナリオライターの作業量を侮っていました」
「ライターは書いてなんぼの役職だからな。慣れてないと厳しいんだよ」
来夏は一応、拙い内容ではあるがノート数冊に渡って書いていたので、量をこなすことについて問題はない…………はずだ。大丈夫だよな?
「さすがは師匠ですね。では、スタッフの募集要項の中身を、もっと詳しく書き直せばいいのでしょうか」
「それだけじゃ駄目だな」
「ふむん。他にもまだ何か?」
「来夏の企画には致命的に足りない物がある」
「致命的……? ま、まさか、そんな」
ふらふらと後ずさりしながら、両手で顔を覆って大げさに嘆く来夏。脳内背景には激しい雷でも鳴っているのだろうか。なんとも芸達者な弟子である。
「何か思い当たることがあるのか?」
「いえ。考えてみましたが、別にありませんでした」
「ないのかよ!」
思わず、来夏の方に向かってツッコミを入れてしまった。肘の角度と手首のスナップがコツだ。
「お、師匠さん。今のナイスなツッコミやね! 関西検定合格やで!」
「まーちゃん、いたのか」
「失敬やなー」
今まで沈黙を保っていたまーちゃんだったが、俺のツッコミのせいで上方魂に火がついたようだ。さすがは関西弁の女だ。ツボを心得ている。
「まーちゃん、静かだったけど何やってたんだ……って、うわぁ!?」
「ふふん。ジャーン!」
振り向くと、どこから見つけてきたのか、まーちゃんの手には巨大なモデルガンが。しかもあれは──。
「前に資料用に買ったM9A1バズーカじゃねぇか! どこから持ってきた!?」
「どこって、そこ?」
まーちゃんが顎で指した先は、扉が全開になった押し入れだった。俺の数々のコレクションが、無残にも盗掘されて散らばっている。
「ほらほら、師匠さん。うち、結構かっこよくない?」
戦争映画に出てくる軍人のように濃緑色のバズーカを構え、膝を折ってこちらへ砲口を向けるまーちゃん。あれは八キロ近い重量があるのだが、全く苦にした様子が見えなかった。
「なぁなぁ。ええ感じやろ?」
ご機嫌な表情でバズーカを弄ぶまーちゃんに、俺は言葉が出ない。
やめろ。そのバズーカは早朝用なんだ。バズーカなだけに。
「確かに格好は様にはなってるが、なんで押し入れ勝手に開けてるんだよ!」
「にひひっ。来夏は師匠さんとベッタリで暇やったから、その間に探検しとったんよ」
悪びれずに笑うまーちゃんの姿に、頭を抱えてしまう。暇つぶしに家捜しなんて、まるで子供のいたずらじゃないか。
「あ、ちなみにベッドの下にはエロ本がなかったのは残念やった」
「お約束まで!?」
「師匠。それで結局、致命的に足りない物とは……?」
「ほれほれー! 逃げるやつは敵やー! 逃げないやつはよく訓練された敵やー!」
「ええい! 人の部屋でバズーカを振り回すな!」
「あの、ですから師匠?」
グダグダだった。
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