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第16話 新サークル

 目が覚めて最初に感じたのは、激しい頭痛だった。


「痛ぅ……」


 思わず額を抑えるが、もちろん効果はない。脳内を直接殴られたような、鈍い痛みだ。


「ああっと、危ない。師匠さん、目ぇ覚めたん? ギリギリセーフやね」

「師匠。おはようございます」


 横たえていた体を起こすと、目の前には俺を見つめる二人の少女の姿があった。正確に言えば、美少女と美女か? 年齢的には同級生らしいので、どちらも少女のカテゴリでもいいか。つまりは、来夏とまーちゃんだ。


 泰然自若と、背筋を伸ばして正座している来夏と違って、まーちゃんはなぜか両手をバンザイした不自然な体勢で、俺から距離を取っていた。先ほどの台詞にあったギリギリセーフとは、どういう意味だろうか。


「……状況が把握できない。俺は寝ていたのか?」


 それとも、気絶でもしていたのか。見事なまでに記憶が飛んでいる。何が何やら、さっぱり理解できない。確か俺は、来夏から渡されたジュースを飲んでいたような……。うーむ。どうしてこうなった。


「その前に、とりあえずお水をどうぞ」

「ん、あぁ。悪いな」


 来夏からコップを渡された俺は、一息にそれを飲み干した。中身は水道水だろうが、ほどよく冷えていて心地よい。コップを置く時に気付いたが、あれだけ乱雑にジュースが置かれていたテーブルの上は、きちんと整頓されていた。結構長い時間が経過していたようだ。


「ふぅ」


 溜め息を吐いた後、頭を二度三度振って、朦朧としていた意識を正す俺。相変わらず頭痛はひどいが、それでも意識だけははっきりとしてきた。


「では、落ち着いたことだし、状況説明を頼む」


 来夏とまーちゃんは、俺の言葉に顔を見合わせた。


「説明って、言うてもなぁ」

「そうですよね」


 なんなんだ一体。


「結果的に師匠さんは役得があったんやから、細かいことは気にせんでええよ」

「そうですね。私から見ても、あれは男冥利に尽きる状況だったと思います」

「むしろ、あれで喜ばないんやったら、うちはショックやわ」

「女としての矜持に関わりますね」


 全く意味が分からない。もしかして俺は、最近の若者と意識が乖離しすぎているのだろうか。これだから最近の若者は……などと、内心で憤慨してみると、それと同時に、俺も年を取ったなぁと寂しい気持ちにもなる。感情とは、ままならないものだ。


「師匠。遠い目をしてどうしたのですか」

「んん? あぁ、すまん。ちょっと過ぎ去った青春に想いを馳せていた」

「はぁ。そうなのですか……青春?」


 納得いかないのか来夏は小さく首を傾げたが、それも一瞬のこと。


「師匠に報告があります」

「なんだ、真面目な話か?」

「えぇ。これ以上なく」


 何の話なんだろう。そして、俺の意識がなかった理由に関しては、状況説明がされないままなのか?


「まーちゃんについてですが」


 来夏の視線が、隣に座るまーちゃんへと移る。視線を受けて頷くまーちゃん。二人の間でアイコンタクトが交わされたようだ。


「この度、私の立ち上げる新サークルのメンバーに入ってもらうことにしました」

「ま、そういうわけやからよろしく~」


 相好を崩したまーちゃんが、俺に向かってピースした。


「新サークル?」

「そうです。師匠には、いの一番に伝えておきたかったので」

「え、何? どういうこと?」

「そういうわけですので、師匠にはディレクターとしてのご指導の方、よろしくお願いします」


 来夏が自然に言い放った言葉は、とんでもない爆弾発言だった。


「おい、そういうわけってなんだ。ちょっと待て。新サークルってどういうことだ。企画を自分で立ち上げることにしたのか? 俺は聞いてないぞ」

「今話しましたので、問題はありませんね」

「いやいや。問題だろう。そんなに簡単に決めていいことではないぞ」

「きちんと考えた末に出した結論です」

「考える期間が短すぎるだろう。まだ一日も経っていないじゃないか」

「女は度胸です、師匠。即決即断こそ、物事を円滑に進めるのです」

「そうは言ってもな」


 来夏の暴走に、頭を抱えてしまう。今の俺はきっと、苦虫をまとめて百匹くらい噛み潰したような顔をしていることだろう。せめて一週間以上は熟慮した上で決めてほしかった。ディレクターとは、思いつきでやれるほど甘いものではない。とにかく、やたらめったら面倒な役職なのだ。


「今からでも遅くないから、考え直さないか?」

「師匠のお言葉に従えないのは心苦しいですが、もう決めたことですので」


 来夏は一貫して自分の意見を曲げようとしなかった。


「だけど、ディレクターはなぁ……」


 と、俺が言葉を濁した時、


「あああああ! もう! 師匠さん!」


 突如、まーちゃんが気炎を上げて俺を呼ぶ。


「な、なんだ?」

「師匠さんも男やったら、細かいことは気にせんと、ガタガタ言わんでええやん! かわいい女の子がこうやって頭下げて頼んどるんやで? 男なら、はい、分かりましたと二つ返事で引き受けるもんちゃうの?」

「いや、別に来夏は頭を下げては……」

「そこはどうでもええの! 返事は『はい』か『YES』かのどっちかや!」 

「それ、どちらも同じ意味じゃないか……」

「ええから、早よ決め!」


 話している内にエキサイトしてきたのか、まーちゃんはテーブルをバシバシ叩き出した。テーブルの上にある空のコップが、極めて局地的な地震のせいで激しく揺れる。


「師匠、どうかお願いします」


 見ると、来夏が深々と頭を下げていた。濡れ羽色の髪が、蛍光灯を反射している。


「ほら、師匠さん。女に恥をかかすもんやないで。男やろ?」


 まーちゃんの挑発するような言葉で、俺の腹は決まった。


「分かったよ。来夏にディレクターについて教授するよ」

「師匠」


 顔を上げた来夏が、目を見開いた。心なしか、俺の名を呼ぶ声が嬉しそうに弾んでいた気がする。


「さっすが師匠さん! いよッ、色男! 憎いね~!」


 まーちゃんは立ち上がって俺の背後に移動すると、背中を何度も叩いてきた。華奢な外見に似合わず、かなりの力だ。非常に痛い。ノリがほとんど体育会系だ。見た目からすると、詐欺のような娘さんである。俺は心の中で、まーちゃんに対して「残念美人」という称号を名付けた。もちろん、本人には永久に秘密にしておく。今後うっかり呼んでしまわないように気を付けよう。


「んで、まーちゃんは来夏の企画にスタッフ入りしたんだよな?」

「そやで~」


 まーちゃんは俺の背後から動かぬまま、そう答えた。


「まーちゃんはゲーム製作の経験があるのか?」

「うんにゃ? さっぱり」

「じゃあ、文章を書くのが趣味とか」

「うちは作文すら苦手やね」


 む、ライター志望ではないのか。


「となると、絵を描くのが得意とか?」

「セザンヌやルノワールは好きやけど、描くのは好きやないなー」


 なんでよりにもよって印象派の名が出てくるのかは謎だが、絵師志望でもないのか。


 では、残るのは……。


「音楽の担当か?」

「ピンポーン、大正解~!」


 まーちゃんが拍手する。


 そうか、音楽担当か。それはともかく──。


「あの、まーちゃん?」

「ん、どしたん?」

「なんで俺の頭に顎を乗せてるんだ?」


 そうなのだ。俺の背後に回り込んだまーちゃんは、何がしたいのか俺の頭頂部に顎を置いている。体がかなり密着してきており、俺の背中からは反発力と弾力のある暖かな肉の感触が感じられる。この感触は……アレだよな。いわゆる、乳的な……というか、乳ですね。さっきから気になって仕方がない。スキンシップが過剰すぎると思うのだが、最近の若い子の間ではこのくらい当然なのだろうか。


「気にせんでもええやん」

「気になるって。仮にも若い娘さんがはしたないぞ」

「まぁ、慣れやね。慣れ」

「慣れってなんだよ……」

「それはまぁ、さっきちょっと……な?」

「な? って言われても、俺には意味不明なんだが」

「そう言わんと、役得やと思って背中の感触を楽しめばええって」

「やっぱりわざとやってんのかよ!」


 俺はまーちゃんを振り払うと、膝立ちのまま急いでその場から離れた。


「ああん。師匠さんのいけずー」


 うらめしそうな顔でまーちゃんが口を尖らせる。まーちゃんの声にどこか残念そうな響きがあったのは、恐らく気のせいに違いない。


 大人をからかって何が楽しいのか。もしも年下が守備範囲外でなければ、襲っていたかもしれんぞ。全く、これだから最近の若者は……って、俺はさっきからこればっかりだな。


「まーちゃん。おふざけは終わりにして、そろそろ話を続けましょう」

「ん、そやね」


 まーちゃんは来夏の元まで移動すると、隣に腰を下ろした。俺に対して、威厳とか尊厳は感じていないのだろうか。来夏の言葉には素直に従うのに。


「では師匠。締まりのない顔を元に戻して、お話を続けてください」

「え?」

「何を呆けているのですか。早く話の続きをお願いします」

「あ、あぁ。分かった」


 なぜか来夏から威圧感を覚えた俺は、背中に冷たい汗が流れるのを感じた。表情も口調もいつもと同じなのに、なぜだろう。


「えっと、話の続きだったな。まーちゃんが音楽担当ってことだが、作曲はできるのか?」

「ん~。たぶん、大丈夫やと思う」

「そうか。何か楽器でもやってたのか?」

「やってたというか、今でもやっとるな。ピアノとヴァイオリンは、割と得意やね」

「ほほぅ」


 さすがはセレブ。金のかかる趣味を習得してやがる。


「親友のためやしね。知り合いのオケに指揮者付きで演奏してもらったのを収録しよう思っとんねん。あ、そうや。どうせやったら、ロンドン・フィルにでも頼んだ方がええかな」

「どんだけ贅沢なゲーム作るんだよ!」


 ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団がBGMを担当するエロゲーって、もはや同人どころか、商業レベルすら超越している。間違いなく、マスコミが大挙して押しかけてくる大騒動になってしまう。


「何かあかんの?」


 まーちゃんは、不思議そうな表情で聞き返してきた。


「分かってないですね、まーちゃんは」


 来夏が、やれやれといった仕草で首を振る。


「師匠はつまり、ロンドン・フィルよりもベルリン・フィルの方が好みだと、そうおっしゃっているのですよ」

「あぁ、なるほど。でも、一応イギリスはうちの母国でもあるんやし、優先したかったんやけどなー。別にベルリン・フィルでも、頼めんことはないんやけど」

「師匠にはきっとこだわりがあるのですよ、まーちゃん」

「こだわりかー。さすがは師匠さんやな」


 全然違います。そんなこだわりは皆無です。


「君達と話をしていると、なんだか頭が痛くなってくるよ俺は」

「師匠。それはただの二日酔いでは?」


 焼酎を呑んでいたのでその可能性もあるが、そうではない。そうではないのだ。


 気安すぎて忘れることがあるが、彼女たちはセレブという名の雲の上の住人である。非常識な言動を聞くと、しみじみとそれを思い出す。


「……ロンドン・フィルもベルリン・フィルも却下だ。お願いだから、せめて普通の安いスタジオでも借りて収録してください。頼みます、この通り」


 返答というよりも最後の方は懇願になってしまった。心痛で潰瘍になりそうな俺の胃のためにも阻止せねば。


「なんやよう分からんけど、師匠さんがそう言うんやったら、そうするわ」


 不承不承といった体で、まーちゃんは受け入れてくれた。よかった。これでエロゲーに有名オーケストラを起用して騒ぎになることは避けられそうだ。


「……話を続けるぞ。まーちゃんが加入したとはいえ、ゲーム製作をするにはメンバーが足りないのは分かっているな?」


 話題転換をして、来夏に振る。


「もちろん。最低でも、他に絵師とスクリプターが必要なのですよね」

「その通りだ。来夏には当てはあるのか? 絵が上手い友達でもいるとか」

「いえ、今のところは当てはありません。まーちゃんはどうですか?」

「ん、うち? 絵の上手い人やったら、画家の知り合いが何人かおるな。みんな個展開いとるから、腕は確かやと思うで」

「あ、画家でいいのでしたら、私にも知り合いがいます」

「……却下だ。その道のプロを呼ぶんじゃない」

「なら、無理やわ」

「残念です」

「お前らは、全く……。じゃあ、どうするんだ?」

「どうしましょうか、師匠? 進退窮まってしまいました」


 来夏の新サークルは、旗揚げ当日に存亡の危機となった。


「……スクリプトは少し勉強すれば覚えることもできるが、問題は絵だな」

「そうですね。私もまーちゃんも、あまり絵は得意ではないですので」


 来夏は設定集に自作の絵を描いていたが、あれはすでに自分の中で黒歴史化しているのかもしれない。


「スチルを全て版権フリーの素材で代用して、それでゲーム製作するってのも手段だな」

「その手段は……嫌です」


 予想通りの返答だ。来夏は、自分考えたシナリオを、できる限り忠実に再現したいからこそディレクターの道を選んだのだろうしな。フリー素材では、どうしてもイメージに合わない部分も出てくるのが嫌なのだろう。仕方ない。版権フリーの素材だけを使ってゲームを作るのも悪いことではないのだが、それはあくまでも最後の手段にしておこう。


「来夏の友人・知人が無理だとすると……。ネットでメンバーを募集してみるか?」

「私が以前ライターとして応募したのと、逆のことをするというわけですか」

「ああ。ネットは広大だ。仲間を集める手段としては、それが一番手っ取り早い」

「ふむん。了解です。では、さっそく自宅に帰ってメンバー募集のサイトを立ち上げてきます。お邪魔しました」


 言うや否や来夏は立ち上がり、ついでとばかりにまーちゃんを引っ張って消えていった。


「あ、ちょっと来夏、腕は引っ張らんとって! 袖、袖が伸びる! めっちゃ伸びとる! びよーんってなっとるやん! あ、師匠さん、お邪魔しました~」


 俺が唖然としていると、玄関の向こう側から、まーちゃんの声が遠く響いた。さすがは来夏。恐るべき行動力である。せめて立ち上げたサークルの名前くらいは、教えてくれてから行ってほしかった。


 ────そして結局、俺が今日なぜ意識を失っていたのか、その理由も闇に葬られたのだった。


第二章完。次回からは第三章です。

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