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第15話 酒と泪と男と女

 気が付くと、まーちゃんこと真亜紗は俺の部屋に上がり込んでいた。呆然としている間に時間が経過してしまったようだ。


「ほっほぅ? ここが師匠さんの部屋なんか~」


 好奇心に蒼い瞳を輝かせ、物珍しそうに辺りを見回す真亜紗。何が楽しいのか、棚の上に並べられたガンプラを嬉しそうな顔で指でつついたりしている。ガンプラと戯れる金髪美人という、違和感たっぷりな光景。まるで秋葉原に旅行に来た、外国人観光客のようだ。


「うち、家族以外で男の人の部屋に入るのって、初めてやわ」

「そういえば、私もそうでしたね」

「来夏もなん? 奇遇やねぇ」

「お互いに初体験を師匠に捧げたことになりますね」

「んま。来夏ったらやらしいんやから」


 きゃいきゃいと、かしましくガールズトークをしていた真亜紗だったが、ふと、何かに気付いたように視線を俺の方に向ける。


「なぁなぁ、師匠さん」

「なんだ」

「気になっとったんやけどな」

「うん?」

「なんかこの部屋、イカの臭いがするような気がせぇへん?」

「失礼なことを言うなァ!!」


 確かに換気は不十分だが、そこまで異臭がする部屋じゃねぇ!


「もう、冗談やって。師匠さんのいけずぅ」

「いけずー」


 来夏が表情のない顔で後に続いた。イラッとした。


「……で。真亜紗さんは」

「ちょい待ち、師匠さん」

「なんだよ」


 俺の言葉は途中で止められた。


「呼び方は、まーちゃんでええって言うたやん?」

「……で、まーちゃんは俺の部屋に何しに来たんだ?」

「何って……。来夏の男を見学に?」


 来夏の男……彼氏という意味か? つまり、俺が来夏の彼氏だと?


「まーちゃん。それは誤解です。師匠とは別にそういう関係ではありません」


 来夏は特に慌てた様子もなく、冷静に返す。確かに来夏とは何もないのだが……。それはそれとして、来夏の落ち着きすぎた反応は少し悲しい気がする。


「うちはてっきり、来夏は師匠さんにフォーリンラヴかと」

「師弟愛は存在するかもしれませんが、異性へ向けるような種の愛情は持っていませんよ」

「ふーん。へー」

「なんですか、その返事は」

「べっつにー」

「もう。まーちゃんはそうやってすぐに私をからかう」

「にゃはは。ま、それがうちの持ち味ってことで」

「そんな持ち味いりません」

「まぁまぁ、そう言わんと」


 俺は口を挟むことなく、二人の会話を聞き流していた。正確に言えば、口を挟まないのではなく、口を挟めないが正しい。若い女子の間で、何を話せばよいのやら。これがジェネレーションギャップというものなのか。


「あ、そうや。師匠さん、コップ出して。人数分お願い」

「コップ?」


 突如、俺に話が振られる。なぜにコップ?


「玄関の方に、お土産持ってきとるんよ」

「コップがいるってことは、飲み物か?」

「そやで。手ぶらで訪ねるんも悪いと思って」

「なるほど。んじゃ、用意してくる」


 ジュースでも持ってきたのだろうか。真亜紗も来夏と同じく金持ちらしいので、きっと高級な品なんだろうな。俺はそんなことを思いながら、台所で三人分のコップと氷を用意して部屋に戻った。


「師匠。テーブルは私が出しておきましたので」

「ああ、ご苦労さん」


 勝手知ったる師匠の家とばかりに、来夏が押し入れから折りたたみ式のテーブルを出し、ティッシュでカラ拭きしてくれていた。そして俺の手から、さりげない動きでコップと氷を受け取り、手早く上に配置する。


「……って、ちょっと待て。なんで来夏がテーブルの収納場所を知ってるんだよ。教えた覚えはないぞ」

「以前部屋に来た時、押し入れの隙間から見えていたのを覚えていただけです」

「……そうか」


 俺の部屋は、いつの間にか来夏に掌握されつつあるようだ。そのうち、俺より詳しくなるんじゃないか?


「はい、これがお土産でっす!」


 ジャーンと口で擬音まで付け加えながら、真亜紗が取り出した物は──。


「酒じゃないか!」


 テーブルの上に鎮座するのは、まごうことなく一升瓶だった。


「しかもこれ……森○蔵か!?」


 ラベルに燦然と輝く漢字三文字。俺のような貧乏人が普段口にできない、プレミアの付く焼酎である。さすがはセレブの手土産。北大路・アレクシア・真亜紗という女、あなどれない。


「俺としては嬉しいんだが、さすがに目の前で未成年が飲酒するのは容認しないぞ」


 ちなみに昼間から酒盛りするという事については、別に問題ない。なぜなら、俺は駄目人間だからである。だが、俺のことはともかく、未成年が飲酒するのは見過ごせない。


「その辺は大丈夫やって。うちと来夏はジュース飲むから」

「そういうことです」


 焼酎の次に出て来たのは、ジュースの山だった。どこから持って来たのか、テーブルの上に次々と並べられていく、色とりどりの缶。ウーロン茶から炭酸入りまで、なんでもござれだ。


「よ、用意がいいな」

「これくらい、お茶の子さいさいやで」


 ふふん、と胸を張る真亜紗。二つの母性の膨らみが、ドレスの上から大きく揺れた。


「師匠。とりあえずはググッとどうぞ」

「あ、あぁ」


 来夏からコップを渡された俺に、真亜紗が愛嬌のある笑みを向けてくる。


「ほんなら、うちがお酌させてもらうわ」


 コップになみなみと注がれていく、森○蔵。ほんのりと香ってくるアルコールの匂いが、俺の脳髄を刺激する。本来これをコップ一杯呑もうと思えば、俺の一日分の食費が飛んでしまう。こんな贅沢をしてもいいのだろうか? 一瞬、コップを持ったまま躊躇してしまう俺。


 ま、別にいいか。タダ酒ほど、美味いものはないと言うしな。こうして脳内会議は約二秒で終了。俺は喉にぶつけるようにして酒を一気にあおった。


「か~~~~ッ! 美味いな、これ!」


 思わず、ほぅっと深い溜め息が漏れる。さすがは森○蔵。清涼感のある後味が素晴らしい。安酒と違って、喉ごしもすっきりだ。胸の奥に染み入るような感覚が心地よい。


「では、まーちゃん。私たちもいただきましょうか」

「そやね」


 来夏と真亜紗も、思い思いにジュースを手に取り、飲み始める。


「やはり、果汁は一〇〇%に限りますね」

「うちは美味しかったら、気にせんけどなー。あ、そや。飲み物だけやなくて、ツマミも持って来るんやった。失敗したわ」

「風情がないですね、まーちゃんは」


 そんな他愛のない話をしている二人だが、女の子だけあって、飲み終えた後に軽く口元を拭く仕草がなんだか色っぽい。


 ……いかん。早くも酔いが回ってきたか?


「まーちゃん。俺にも、ジュースを分けてくれないか?」

「ん、師匠さん、もうお酒はええの?」

「これ以上呑むと、昼間から酔いつぶれてしまいそうだしな」


 それに、森○蔵のような高い酒は、時間をかけてちびちび呑むに限る。


「ふーん。ま、ええわ。来夏、師匠さんにジュース渡したって」

「分かりました。師匠。何がいいですか」

「ん、別になんでもいいよ」

「そうですか。では、これを」


 無数の缶の中から来夏は手元にあった瓶入りのジュースを無造作に選び、蓋を開けた。色から察するに、あれはサイダーの類だろうか。


「師匠。今度は私がお酌します」

「すまんな」


 氷も溶けきって空になっていたコップに、透明な液体が注がれていく。


「おっとっと」


 思わずこぼしそうになるくらいまで注がれたが、そこは来夏の事である。表面張力まで計算に入れてあったのか、ぎりぎりのところで停止した。


「では師匠。グイッとどうぞ」

「おう」


 俺は言われるまま、グイッと一気に飲み干した。


 ────そして、そこから先の記憶がない。





 ジュースを一気飲みした直後、師匠こと安藤竜一は後方へぶっ倒れた。それも糸が切れたマリオネットのごとく、全身を弛緩させながら。


「ちょ、ちょっと! 師匠さん、どないしたん?」

「さぁ?」

「さぁって、あんた……。ああッ!?」」

「まーちゃん、うるさいですよ」

「それどころやないって! 来夏、これ見てみい!」

「これ?」

「師匠さんが飲んどった、ジュースのラベルや!」


 慌てる真亜紗に言われて、来夏が空き瓶に目を向ける。その白地のラベルには「SPIRYTUS」と緑色の字で印刷されてあった。


 ────SPIRYTUS(スピリタス)。ポーランドを原産地とするウォッカの一種であり、九十六度というアルコール度数から、世界最強の酒として知られる蒸留酒である。もちろん、普通は割ってから飲む。


「スピリタス?」

「そや。これはジュースなんかやない。シャレにならんくらいキツいお酒やないの」

「なるほど。奥が深い」

「来夏はマイペースやね……」


 あくまでも冷静な様子を崩さない来夏を見て、真亜紗の方も落ち着きを取り戻してきた。


「スピリタスをストレートで一気飲みするとか、そら倒れるわ。救急車呼んだ方がええかな?」

「ふむん」


 来夏はいつもの口癖を一言つぶやくと、床に倒れている竜一に近寄った。そして、手慣れた様子で呼吸や脈拍を調べる。さながら、その姿は熟練の医師のようであった。


「大丈夫です。しばらく放っておけば目を覚ますでしょう」

「なんや。師匠さん、寝とるだけなんか」


 安心したのか、ほっとした顔になった真亜紗は、目を閉じたまま横たわる竜一の頬を、つんつんとつつきだす。ほど良い弾力が押し返してきて、なんとなく満足した。


「起きひんなぁ」

「すぐに起こしたいのなら、師匠の顔に水でもかけましょうか?」

「それはさすがに、師匠さんがかわいそうやわ」


 思わぬ天然発言に、真亜紗は苦笑する。来夏とは付き合いが長いが、彼女は時々こういう突飛な発言をするのだ。


「よっこいしょ」


 掛け声一つ。何を思ったのか真亜紗は突然竜一の頭を持ち上げ、自らの膝の上に乗せた。


「まーちゃん、何を?」

「見ての通りの膝枕やん」

「そうではなく。なぜそのような行為をするのか聞いているのですが」

「元々ジュースと間違えてスピリタス持って来たのうちやし。師匠さんにお詫びせなあかんと思って」

「ふむん。そうですか」

「どしたん、来夏? なんや目が厳しいで?」

「気のせいです」

「ほんまかなぁ~?」

「もう。まーちゃんはまたからかう」

「にひひ」


 真亜紗はいたずらっぽく笑いながら、竜一の髪を優しく撫でる。膝の上にある重みは、なんだか不思議な感覚だった。


「んん……」


 くすぐったかったのか、それとも違和感でもあったのか。竜一がくぐもった声を上げた。


「お。なんや師匠さん、寝言言うとるで」

「ふむん。何を言っているのでしょうか?」


 最初は不明瞭だったが、竜一の言葉は次第にはっきりとしてきた。


「ウ……お」

「うお?」


 来夏が首を傾げる。


「ウォ……ウォーゼルだって、最初はレンズマンじゃ、なかった……」


 それだけ言うと、竜一は力尽きたのか、また静かになった。


「どんな寝言やねん」

「さすがは師匠。寝言だというのに、奥が深い言葉です」


 呆れる真亜紗と、感銘を受けて頷く来夏。対照的な二人であった。


「ま、師匠さんは置いといて。にしても、医者の真似事まで出来るとは、来夏は多芸やねぇ」

「淑女の嗜みです」


 来夏は当たり前のように言う。竜一が起きていれば「そんな淑女がいてたまるか」と叫んでいたに違いない言葉である。


「ところで、せっかくここで会えたことですし、まーちゃんにお願いがあります」

「なんやの。急に改まって」


 居住まいを正した来夏が、真剣な表情……に見えないこともない、余人からは普段通りの表情としか思えない顔で真亜紗に向かい合った。


「まーちゃんも知っての通り、私は師匠に弟子入りしてゲーム製作をしています」


 来夏の視線が、真亜紗の膝の上で幸せそうな顔をして眠っている竜一を一瞬だけ捉える。


「確か、来夏はエロゲー作っとるんやっけ」

「その通りです。あ、また新作貸してくださいね、まーちゃん」

「もちろん、ええよー。次はどんなジャンルのにしよか?」

「そうですね、次は──って、その話は後日にしましょう。今は、ゲーム製作の話です」

「来夏の方から言うてきたのに。ま、ええわ。それで?」

「はい。実は少し前にシナリオライターとして、とあるサークルに参加したのですが、一方的に指示を出されるだけで、挙げ句の果てに解雇されてしまいました」

「来夏、クビになったんか。大変やったな」

「忌々しい想い出です。探せば、いいサークルは他にも見つかるとは思うのですが、どうにも、私には途中参加というのは肌が合わなくて。ですので、師匠とも話し合って色々考えた結果、いっそ好きにやるためにも、自分で企画を立ち上げて主催しようかという結論になったんです」

「ほぉ~。思い切った判断やなぁ」

「まぁ、その結論を出したのは、つい今し方なんですが」

「なるほどなぁ……って、今さっきのことなんかい!」


 虚空に向かい、真亜紗が手首を振り抜く。本場顔負けのツッコミだ。


「鋭いツッコミですね、まーちゃん」

「いやぁ、それほどでもないわー」

「……話を続けますね。それで、本題なのですが」

「ふんふん」

「まーちゃんには私の立ち上げるサークルで、スタッフの一員になって欲しいのです」


 真亜紗は、目を丸くして来夏を見つめた。


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