第14話 新ヒロイン
来夏の不満も理解できるのだが、現実を教えてやらないとな。
「エロゲーとは、まず第一に見た目で評価されるんだ」
「見た目?」
「立ち絵やイベント絵などの、スチル全般のことだな」
「つまり、絵師の力量が最も大事だと?」
「そうだ。次に音楽、そして画面などのインターフェース、最後にシナリオ。とまぁ、ユーザーの評価基準は順番からすればこんな感じになる」
「それは……ひどくありませんか?」
「だが、これが現実だ」
ライターがもてはやされるのは、あくまでも一握りの売れっ子のみ。商業、同人問わず、大多数のライターはその他大勢の位置でしかない。
「ユーザーの中には濡れ場……つまり、エッチなシーン以外はメッセージをスキップして飛ばす人もいるくらいだし、ライターの価値なんて来夏が思うほど高くはないんだよ。音楽担当の立場がライターよりも上なのは、スチルと同じでユーザーが直感的に判断できるからだな。絵や、ゲームのインターフェースは目で見れば一瞬で理解できる。音楽も耳で聴けばすぐに理解できる。だが、ライターの書くシナリオはある程度読んでみないと何も分からん。分からない物は判断しにくい。よって、ユーザーからの評価は低くなる」
「そんな……」
「同人製作ってのは、当然のことながら商業作よりも質が落ちる……って、これは当たり前だな。作ってるのは素人集団なんだしな。だからプレイするユーザーもシナリオにはろくに期待していない。文章作法守ってて、ある程度読めればいいくらいに思っている人も多いだろうな」
「……そうですか」
来夏はすっかり意気消沈してしまったのか、目を伏せて黙り込んでしまった。恐らく、来夏の中ではシナリオライターとは花形だったのだろう。俺も昔はそう思っていたものだ。現実とは、かくも残酷なものである。
「これで来夏にも、どうしてライターがスタッフの中で最下層なのか、理由が分かってくれたと思う」
「そう、ですね」
ショックから立ち直れない来夏は、どこか返事も投げやりだ。これはフォローしてやらねばなるまい。
「ま、そう気を落とすな。期待されていないポジションだからこそ、いいシナリオを書けば逆にユーザーも驚くってもんだ」
「……ッ! ですよね。そうですよね。なんだかやる気が出て来ました」
「その意気だ。頑張ってユーザーの度肝を抜くようなシナリオ書いてやれ」
「はい、もちろんです師匠」
俺の言葉で元気を取り戻した来夏は、力強く頷いた。現金なものだが、素直でよろしい。
「では、話を続けよう。来夏自身が企画の代表者になってゲームを製作する場合の話だったな」
「よろしくお願いします」
俺はごほんと大きな音を立てて咳払いをしながら、居住まいを正す。来夏が怪訝な視線を向けてくるが、無視。こういうのは、雰囲気作りが大切なのだ。重要な話の前には物々しい咳払いをするのが通というもの。俺の癖みたいなものである。来夏の冷たい視線をスルーして、俺は話し始めた。
「企画の代表者であるディレクターとは、スタッフ内の最高権力者だ。大抵の場合、ディレクターが企画内容の大本を考え、スタッフはそれに沿ってゲームを作ることになる。つまり、ライターと兼任する場合は好きなようにシナリオを考えられるってのがメリットだな」
「ふむん。それは魅力的ですね。自分の考えたシナリオをそのままゲーム化させるには、ディレクターになるのがベストな選択だと思えます」
「その代わりデメリットも大きいぞ。言わずもがなディレクターとは大変なポジションであり、企画の進行からスタッフの作業管理まで様々なことをする必要がある。ゲーム製作全般の知識も必要だし、素人にはオススメできない役職だ」
「う、むぅ」
と、呻きとも溜め息とも判断がつかぬ声を出し、来夏は天井を仰いだ。
できれば、来夏にはディレクターへの道は選んでほしくない。もし来夏がそれを選んだ場合、ライター関連だけでなく、ディレクターとしての作業まで細かく教える羽目になってしまう。それは非常に、非ッ常に面倒くさい。ライターとしてだけでも来夏は半人前で、まだまだ覚えるべきことも多いのに、そこから更に追加で物を教えるとなると、俺の身が持たない。こちとら、その日暮らしの気楽なフリーター家業だが、それでも面倒すぎるのは嫌なのだ。俺が儲かるわけでもないし、過去のゴタゴタから積極的にはゲーム製作に関わりたくないというのもある。
そんな俺の想いを知ってか知らずか、来夏の視線は先ほどと同じく天井に固定されたままだ。一体何を考えているのやら。ついでに俺も天井を見たが、色あせた蛍光灯が淡く白い光を放っているだけだった。そろそろ電球を交換するべきかもしれない。でも、まだしばらくは持ちそうだし、どうするべきか。買い置きの電球はないし、かといって買いに行くのも面倒だと思ってしまう俺がいる。独り暮らしが長いと、どうにも物ぐさになっていかん。
こうして、俺の思考はどんどん脇へ脇へと逸れていく。次第に蛍光灯を眺めるのにも飽きてきたので、今度は視線を別の場所に向ける。見慣れた部屋の無機物と睨めっこしても仕方がないので、自然とその対象は来夏へ。
「うぬぅ」
謎の唸り声を上げる美少女がいた。なるほど、うぬぅと来たか。年頃の子女が出す声ではないな。そのうち「ぬふぅ」などと言い出さないか心配だ。
来夏は見れば見るほど端正な顔立ちである。長い睫毛に、大きな目。鼻筋はすっと通っており、形の良い小さな顎にかけてなだらかなラインが続いている。雪のように白い肌だが、それでいて病的には感じない。まさに深窓の令嬢という言葉がふさわしい少女だ。なんで俺の部屋にいるのだろうかと、ふと考えると不思議で仕方がない。
来夏は天井を見上げてはいるが、俺の方が背が高いので座ったままの体勢でも顔立ちはよく見える。いや、俺の背が高いというか、来夏の背が低いからと言い直すべきか。来夏の正確な身長は分からないが、一七〇センチちょっとある俺よりも頭半分低い。制服の袖から覗く腕や、どれだけ時間経過しても崩れることのない足は、どちらも折れてしまいそうなほど細い。なので、体型はスレンダーと言っていいだろう。胸の方は、本人は脱いだら凄いと自己申告しているが、真偽は不明だ。中身を見せてくれと言うわけにもいかないし、さすがにこればかりは確かめようがない。
しかも、すでに夏真っ盛りだというのに、来夏ときたら未だにブレザー着用だ。彼女の学校には夏服はないのだろうか? いや、来夏のことだ。夏服があってもあえて変更していない可能性もある。クソ暑い中、汗一つかかずに歩いていたくらいだしな。あいつはアフガニスタン辺りで従軍経験でもあるのだろうか。フル装備でレギスタン砂漠を横断してたから暑さに強いとか。
と、その時。来夏の制服の一部分がなぜか小刻みに振動を始めた。
「おい、来夏」
「──え? あ、はい。なんでしょうか」
「なんか揺れてるというか、震えてるぞ」
「は?」
「いや、だから来夏の制服が。腰の辺りか?」
「腰? あ、すいません。私の携帯ですね。マナーモードにしていたので気付きませんでした」
そう言って、制服のポケットから飾り気のない携帯電話を取り出す来夏。手の中で携帯は振動を継続中だ。
「どうしましょうか、師匠。クラスメイトの友達から電話のようです」
来夏の学校は女子校なので、相手は女か。当たり前の話だが、来夏にも友達がいたんだなぁと、俺はぼんやり思った。
「どうしましょうって。別に出ても構わんぞ。俺は気にしないから」
「いいのですか?」
「あ、もしかして男には聞かせられないガールズトークでもするのか?」
「いえ、そういうわけでは。では、失礼して」
来夏は断りを入れると、俺の目の前で電話に出た。てっきり外にでも出て話すのかと思ったが、予想外の行動である。これは信用の証と思っていいのか、それとも相手にもされていないのか、一体どちらなのだろう。
「あ、まーちゃんごめんなさい。出るのが遅れてしまいました」
まーちゃん?
「そうです。そっちの話です。違いますって、あっちじゃありません」
どっちだ?
「────いえ、そういったことでは。ですから、以前話した師匠の家です。うん、知っているのですか? え、もうすでに出た後ですか? そもそも一体どうやって──賀東に聞いた? すぐに着く?」
なんだか雲行きが怪しくなってきた気がする。
「あ、まーちゃん待っ……」
来夏が言葉を言い終える前に、電話は切れたようだ。どこか憮然とした態度で、来夏は携帯を握りしめている。
「どうした? 何か問題でも起きたか?」
「問題と言いますか、なんと言えばいいのやら」
来夏は大きく溜め息を吐くと、携帯を再び制服のポケットにしまった。
「今から、私の友達が家に来るそうです」
「家って……俺の?」
「はい。ぜひ部屋に招待してほしいと」
「今から? すぐに?」
「はい。というか、すでに近くまで来ているそうです」
「……家の前まで、迎えに行った方がいいかな」
「申し訳ありません、師匠。お手数をおかけします」
「追い返すわけにもいかないし、行こうか」
やれやれと、俺は重い腰を上げる。こうして俺は来夏と共に、まーちゃんを迎えに行くことになった。
◇
アパートの前では、夏の日差しが容赦なく辺りを照りつけていた。アスファルトの上には干からびたミミズの姿。通りの向こうでは陽炎がゆらめいている。この状況を一言で言うと、クソ暑い。二言で言うと、とてもクソ暑い。熱湯に浸かったアイスになった気分だ。気を抜くと全身が溶けていきそうな、どこまでも不愉快な感覚が俺を襲う。
「帽子でもかぶってくればよかった……」
ちらりと横目で来夏を見ると、部屋の中と変わらず涼しい顔のままだ。この妖怪娘め。
「ところで、まーちゃんとやらの本名は?」
さすがに俺まで愛称で呼びかけるわけにもいかないので、今の内に聞いておく。
「あ、そういえばまだ言っていませんでしたね。まーちゃんというのは、もちろんニックネームです」
「それは言われなくても分かる」
むしろ、本名だった場合は「マー・チャン」という名の謎の中国人が誕生してしまう。誰だよ。何者だよ。怪しさ大爆発だよ。
「名前は北大路・アレクシア・真亜紗。通称まーちゃん。私のクラスメイトであり、親友です」
親友です、と言った時の来夏の目は優しげに細められていた。来夏でもこんな目をするんだな、と感慨深くなった俺である。それはいいのだが……。
「名前の真ん中にあるアレクシアって何? 外人さん?」
「母親がイギリスの方で、実家が欧州の公爵家と縁戚関係にあると聞いた覚えがあります」
「へ、へぇ……。公爵ね……」
そうだった。気安く接しすぎていて、頭からさっぱりと忘れていたが、来夏の通っている栖鳳女学院は、頭に超が付くセレブ学校だった。クラスメイトも同じように金持ちなのは自明の理。
「なぁ、来夏」
「なんですか師匠」
「まーちゃんとやらは、とってもセレブなんだろう?」
「セレブ、ですか。世間一般的に見れば、そうなると思いますが」
「俺のような貧乏人に、セレブの相手が務まるのだろうか?」
「一体何を言っているのですか、師匠」
来夏の声には棘があった。
「師匠は今までだって、まーちゃんと同じくセレブな私の相手をしてきたではありませんか」
「それもそうなんだが……」
来夏とは師弟関係もあってか、そこまで距離を感じないのだ。見ず知らずのセレブを相手にするのとは、事情が違う。
「どうしたもんかなぁ」
「何を弱気な。師匠は私の師匠なのですから、まーちゃんの前では毅然とした態度でいてください」
「俺は誰が相手でも自然体でいたいんだ。ありのままの俺を見せたい」
「言ってることはカッコイイですが、弱気のまま変わらないってことですよね」
「そうとも言う」
「まったくもう……。あ、来ましたよ」
「え、もう来たのか?」
辺りに響く車のエンジン音。もしや、いつぞやの賀東女史のように、高級車で現れるのか? と思いきや、しばらくして道の向こうに止まったのは普通のタクシーだった。俺ですら利用したことのある、その辺で手を上げれば止まるタクシーだ。来夏の友達は案外庶民的な人物なのか……と、考えたのも束の間。開いたドアからゆっくりと降りて来た人物を見た瞬間、俺の目は驚きに大きく見開いた。
出て来たのは、まごうことなき美女だ。それも、極上の。匂い立つような美貌とは、まさに彼女のためにある言葉だろう。波打つ豪奢な金髪は、水が流れるように肩から滑り落ちている。すらりと伸びた肢体を包むのは、全体を赤で統一した華やかなサマードレス。くびれた腰と対比して、これでもかと盛り上がった豊かな双丘は、周囲に向けて存在を強烈に自己主張をしている。
だが、何よりも目を引くのは、その視線。射貫くような蒼い目は、まるで俺の心の奥底まで見透かしているかのように思えてしまう。
「あ……」
俺が呆けている内に、彼女がこちらに向かって歩き出した。陽の光を浴びて輝く金色の髪を自然な所作でかきあげつつ、迷いなく歩みを進める。アスファルトを叩くパンプスの音が、やけに耳に入ってくる。ただ歩くというだけの行為なのに、どこまでも映える。その光景は、まるで一枚の絵画のようだとさえ思えた。
ほどなくして彼女は立ち止まり、来夏と並び立つ俺に視線を向けた。偶然か、それとも必然か。俺と彼女の視線が互いに交差し、重なった。俺の中で時が止まる。思わず生唾を飲み込む俺に、チェシャ猫じみた笑みを浮かべつつ、彼女はおもむろに口を開いた。
「や。まいどおおきに。来夏のクラスメイトの真亜紗ですー。師匠さんも遠慮せず、うちのことは、まーちゃんってフレンドリーに呼んだってなー」
俺の中で、何か大切な物が音を立てて崩れ落ちていくのが分かった。