第12話 光の速さで歩け
互いに薄味のコーラを全て飲み終えた後。
追加注文して長々と居座るのは(俺の)懐事情的にも少々厳しいので、話の続きは俺の部屋でということになった。せっかくの花の金曜日、略して花金をエロゲー話で過ごすのは我ながらどうかと思うが、話の相手は一応頭に美の付く少女である。パチンコやスロットに興じて時間を潰すよりは幾分か有意義だと自分を納得させる。
そして店を出た帰り道、外は憎たらしいほどの快晴だった。頭上には青々とした空、空。ひたすらの空。雲一つない、日本晴れ。まだ七月は始まったばかりだというのに、すでに猛暑と言っても差し支えがない気温だ。額から吹き出る汗を何度もぬぐいながら、蝉の鳴き声を背にアスファルトの道路を踏み締める。そんな俺に対して、わずかばかりに距離を取って、つかず離れずの位置で来夏が後を追う。俺は「隣を歩けばいいのに」と言ってみたのだが「女は殿方の三歩後ろを歩くものです」と来夏は譲らなかった。さすがは良家の子女である。
ちなみに来夏は、汗だくの俺と違って夏の日差しなど無効化しているかのように涼しい顔だ。一体どういう身体構造なのだろうか。
「師匠は普段、あんなものばかり食べているのですか?」
などと、来夏が唐突に言い出した。俺は歩みを止めず、首だけやや後ろに向けて返答する。
「あんなものって?」
「先ほどの店で食べたような、ジャンクフード全般のことです」
「んー、そうだなぁ。よく食べるっちゃあ、食べるな」
あの安っぽい味が癖になるのである。
「それでは栄養が偏ってしまうと思うのですが」
「そう言われてもなぁ。俺、自炊するの嫌いだから」
自炊した方が安上がりだし、栄養バランスもいいというのは重々承知している。やろうと思えばチャーハンやパスタなどの簡単なレシピくらいは作ることもできるのだが、毎日自炊しようとは到底思わない。
「ふむん。師匠は自炊されないのですか。なるほど、そうですか……」
「丸っきりしないというわけでもないが、コンビニ弁当やジャンクフードの割合が多いのは確かだな」
「外食ばかりだと、いつか体を壊しますよ師匠」
「まぁ、それもそうなんだが」
かといって、自炊は面倒なのである。今まで生きてきた中で体を壊した経験もあるが、それは食事のせいではなく別の理由だ。胃腸だけは割と丈夫だと自負している。
「今後もそんな生活を続けるのですか?」
「そうさなぁ……。まぁそのうち、優しくて美人で色っぽくて料理が上手で金持ちの嫁さんもらって退廃的な生活を送る予定なので大丈夫だ」
ついでに昼間はおしとやかだが、夜になると乱れる床上手なタイプなら申し分なし。どこかにいねーかな、そんな女。
「師匠、師匠」
「なんだ?」
「その『優しくて美人で色っぽくて料理が上手で金持ち』というのは、もしかして私のことですか?」
来夏が自分の顔を指でさす。
「いや、違うな」
だが、俺は即座に否定した。
「どこがですが。全てにおいて条件をクリアしているではありませんか」
納得いかないのか、憮然とした顔──のように見えないこともない来夏。
「来夏は確かに顔立ちも整っているし、金持ちなのかもしれん」
「ふむん」
俺の言葉に照れたのか、いつもの口癖で来夏が場を濁す。
「だがしかし」
「しかし、なんです?」
「来夏には全く色気がない」
「その意見には、異議を申し立てます」
そう言うや否や、来夏は俺の元までつかつかとやって来て、
「痛ぇ!?」
ズボンの上から腿の部分を思い切り指でつねり上げた。
「何をするんだよ」
「師匠の馬鹿」
来夏はすました顔でツンと横を向く。
「そもそも、師匠にそんな優良物件の女性が来てくれるはずがありませんよ」
「何をおっしゃる来夏さん。俺のようないい男の元には、自然といい女が集まるものなのだよ」
「……師匠。今のお言葉は、もしかしてジョークだから盛大に笑えという前振りでしょうか」
「ネタ振りしたわけじゃない!」
「そうですか。……あ、分かりました」
「何がだ」
「ウホ? とかいうやつのことですね」
「そっちのいい男でもない!」
俺はノーマルだ!
なんだか不愉快になった俺は、早足で歩きだすことにした。
「あ、急に速度を上げないでください師匠」
来夏の抗議など知ったことかと更に速度を上げ、どんどん大股になっていく俺。歩いているというよりも、競歩のような感覚だ。
「師匠、待ってください」
「知らん! 光の速さで歩いてついてこい!」
「そんな無茶な」
こうして来夏と漫才のようなやり取りをしつつ、俺はアパートへと帰宅したのだった。
◇
玄関のドアを開けると、狭くて湿度の高い部屋特有の据えた臭いがした。常に換気状態も悪いせいか、全体的に澱の溜まったような空気だ。俺は気にならないが、来夏のためにも消臭した方がいいのだろうか。
などと考えながら、部屋へと来夏を通す。もちろんクソ暑いので冷房を入れるのも忘れない。ああ、ちくしょう。夏は光熱費がかかって仕方ない。それに年々温暖化とか馬鹿じゃないのマジで。もっと根性出せよ地球。お前にはやる気が足りない。
「お邪魔します」
そんな俺の内心を知ってか知らずか、来夏はいつもの定位置とばかりに、適当にあぐらをかいて座る俺の対面で正座をした。背中に鉄骨でも通っているかのような、ピンとした真っ直ぐな姿勢で、俺の猫背とは大違いだ。
「さて、先刻承知の通り来夏は所属したサークルを脱退してきたわけだが──」
来夏の目をしっかりと見ながら話す。磨き上げられた水晶のような瞳に映るのは、俺の顔。
ここからの話は、正直に言えばあまり言いたくない。だらけた俺に似合わずシリアスな内容だからだ。
「ゲーム製作に関わるのをやめるのならば、今が最後のチャンスだ」
「師匠?」
不思議そうな声。なぜそんなことを言うのかと、来夏の目は無言で訴えていた。
「ここから先は来夏がどのような道を選ぶのであれ、途中やめするのが難しくなるからな」
「もちろんそれは分かっています」
「いや、分かってない」
「ふむん?」
「なぁ来夏。お前はなんでそこまでしてゲーム製作がしたいんだ?」
「ですから、師匠。それは、今はまだ──」
来夏の言葉が尻切れになっていく。
「今は答えられない、か?」
「はい。すいません」
「……いいか来夏。ネット上で有志を集めて行うゲーム製作は大抵が無償だ。仮に販売目的で有償として作る場合でも、ほとんどの場合は苦労して完成させた対価に見合った金が手に入る訳じゃない。むしろ、作業量や作業時間なんかを考えると、作るのが馬鹿らしくなってくるほどだ。しかも、しかもだ。同人のゲーム製作ってもんはな。俺の経験上完成するのは二十本のうちの一本」
「たったの、それだけですか……」
「ああ。つまり、完成する確率は五パーセント程度しかないんだ。九割以上が失敗する大博打だぞ。仮に完成させたって、後に残るのはわずかばかりの自己満足のみ。そんな代物にお前は最低数ヶ月、下手すれば一年以上を捧げて……何がなんでも作りたいと思うのか?」
どれだけスタッフの結束が強くても。どれだけ作業を頑張っても。どれだけ途中まで上手く進んでいても。
ほんのわずかな綻びから、企画は頓挫の道を辿っていく。
一度ヒビが入れば、後はもう坂道を転がり落ちていってしまうのだ。
そう、まさに『あの時』のように。
だからこそ俺は──。
「師匠、どうしました?」
「……ん、ああ。悪い。ちょっとぼんやりしていた」
俺は軽く頭を振り、脳裏に浮かんだ嫌な光景を振り払った。
「話を続けるぞ?」
「はい、師匠」
「どんな理由であれスッパリとやめるなら今が潮時なんだ。まだ『製作段階』に入っていない状態だからな」
「私は、そんな簡単に諦めるわけには……」
「そうか。言っておくが、別にここで終わりにしたって俺は来夏を責めたりはしないぞ? 中途半端に製作を続けてからやめても、傷が広がるだけだからな」
「師匠は、その……どうすればいいと思いますか?」
「それを決めるのは来夏だ。俺に聞いてどうする」
すがるように聞いてきた来夏を、一言で切り捨てる。俺が一から十まで全てを決めて来夏に指示しても、何の意味もない。あくまでもこれは来夏のゲーム製作だからだ。
「でも私は……」
「なんだ?」
「いえ……」
それきり押し黙ってしまった来夏を、俺はしばらくの間眺めた。色素の薄い顔をうつむかせ、ぎゅっと両の手を握って葛藤している。俺はただ来夏の答えが出てくるのを忍耐強く待ち続けた。
来夏は何も答えない。
「はぁ」
俺は肩の力を抜くと、溜め息を一つ吐いた。
──やれやれ。こんなことは柄じゃないんだが、少し発破かけてやるか。
何も言わぬ来夏に、俺は挑発するように言葉を投げかけた。
「さぁ、どうする来夏。もうやめるのか? ゲーム製作に懸けるお前の覚悟はその程度のものだったのか?」
「──いえ、違います」
うつむき加減だった顔をキッと上げ、来夏ははっきりと答えた。目は爛々と輝いており、先ほどとはうってかわって覇気に溢れている。
「私は製作をやり遂げます。一度決めたからには、最後までやり通すのが女の筋というものです」
来夏は、はっきりと製作続行を宣言した。これでもう何があろうと来夏の性格上、後に退くことはないだろう。
「女云々は関係ないと思うが、来夏の意思はよく分かった」
「師匠……」
「そこまで覚悟があるなら、俺も腹を据えて協力してやろうじゃないか」
「ありがとうございます。ですが、師匠は最初から協力してくれているのでは?」
「今まで以上にってことだ。正直、人様のゲーム製作なんてもんは面倒だし、金にもならんから俺としては今更深く関わりたくなかったんだがな」
「やはり師匠は──」
来夏が何かを言いかけて止める。
「ん、なんだ?」
「いえ。なんでもありません。気にしないでください」
「そう言われると余計気になるんだが」
「私が気にしないでと言っているのですから、気にしないでください。しつこい男性は嫌われますよ師匠」
「そ、そうか」
なんでそこまで言われにゃならんのだ? 来夏のゲーム製作の目的と同じく、追求せずにいたおいた方がいいようだ。
「師匠がそこまで親身になってくれるからには、私の方も何か恩返しをした方がいいですね」
「恩返しとな?」
「別に部屋に籠もって布を織ったりするわけではありませんよ」
「俺は来夏の正体を鶴だと思ったことは一度もない」
「そうですか。確かに私は白鶴のように可憐で美しい存在ですが、さすがに人間ですので」
さりげなく自画自賛する来夏であった。
「で、恩返しって何をするんだ?」
できれば金が欲しい。まずは金が欲しい。何がなくとも金が欲しい。
「とても素晴らしいものですよ」
「金か?」
ひゃっほぅ!
「お金よりも価値があります」
「なんだそれは? いくら来夏が金持ちだからといって、壺とか名画とかもらっても俺には価値が分からんぞ」
「師匠は鈍いですね。私が今度、師匠とデートをしてあげますと言っているのですよ」
「…………えぇ~」
デートって言われてもなぁ。予想外の報酬だ。
「なんですか、その失礼な反応は。私のような美女とデートできるのですよ。嬉しくはないのですか」
「美女ねぇ」
「異論でもあるのですか」
美女というよりも、来夏は幼すぎて美少女の範疇だからな。十年後なら誘いに飛びつくのだが。
「俺はどうせなら、賀東さんのような本当の美女を紹介して欲し……ぃたわば!?」
目の前に綺羅星が舞う。俺の顎に突然衝撃が走ったのだ。何事かと患部を抑えながら涙目で状況を確認すると、来夏がスナップをきかせた掌底で、俺の顎へと鋭い一撃を見舞っていたのを理解した。
「殴りますよ師匠」
「殴ってから言うなよ! ……まぁいい。ゲーム製作の話の続きだ、続き!」
「師匠の馬鹿」
馬鹿で結構。どうせ俺は馬鹿者だよ。
「今後の来夏はどうするかについてだ!」
「私がどうするかと申しますと?」
「そのまんまの意味だよ。サークルを抜けてきた来夏の次の行動だ。ゲーム製作自体をやめるという選択肢を消してしまったんだから、残る道は二つ」
「二つですか。一つは、別のサークルを探すことでしょうか?」
「その通り。なら、二つ目は分かるか?」
「二つ目……うぅん……」
ファーストフードでの問答時のように、来夏は唸り声を上げて考える。
「分からないか? ヒント出そうか?」
「お願いします」
「二つ目の道とは、来夏自身が企画の代表者になってゲームを製作することだ」
「なんと。そのような道があろうとは。……というか、師匠、それはヒントどころか回答そのものではないですか」
「気にするな」
「はぁ。師匠がそうおっしゃるのならば」
「で、来夏はどっちにする?」
俺は軽い口調で来夏に聞いてみた。ここで来夏がどちらを選ぶのかで、苦労の度合いが変化するのだ。来夏だけではなく、俺に対する苦労でもある。なので、後者の方は、製作素人の来夏にはあまり選んで欲しくない選択肢なのだが……。
「急に言われましても」
「じゃあ、ゆっくり言おう。どーちーらーにーすーるー?」
「そういうボケは結構です」
「そうか」
秘かに自信のあった渾身のネタを流されてしまったので、ちょっとだけショックな俺だった。
「師匠。私がどちらかを選ぶ前にですね。まずはその二つの道の、それぞれのメリットとデメリットを教えてください」
む、そう来たか。勢いだけで選ばず、まずは情報収集からとは、さすがだ。この娘、あなどれぬ。