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第11話 エヌ氏は雑用係

 覆水盆に返らず。一度こぼれ落ちた水は、もはや戻ることはない。だから、起こってしまったことは仕方ないので、今後はポジティブに行こう。


 といった趣旨の話を、俺は喧噪に囲まれたファーストフード店の片隅のテーブルでMサイズのコーラをストローで啜りながら、いつもと変わらぬ制服姿の来夏に話していた。


 週末の昼時ということもあってか、外野の喧噪は相当なものだ。冷房の効いた店内は非常に快適で、ここにいると今が七月だということを忘れそうになる。来夏のところも含め、期末テストの準備期間とやらで授業が半ドンで終わる学校が多いらしく、店は若者で賑わっている。携帯片手に他愛もない話に興じる学生集団を横目に、目の前で姿勢正しく座っている来夏とさっきからしている話はというと……エロゲー関連である。


 周りから時折聞こえてくる「彼氏がどうの」「部活がどうの」「バイトがどうの」という話題からは、明らかに浮いている。俺と来夏の年齢差も相まって、下手すりゃポリスメンに通報されるんじゃないかと、先ほどから戦々恐々だ。仮に職質された場合、果たして来夏は俺はかばってくれるのだろうか? もし見捨てて逃げたら師弟の縁を切ってやる。などと、とりとめのない思考が浮かんでは消えていく。


 なぜ俺がこのような場所にいるのかというと、答えは単純に昼飯が食いたかったというだけである。来夏が家を訪ねてきた時、ちょうど時間帯が昼時だったのでついでとばかりに誘ったという次第。とりあえず適当なセットメニューを二人分注文して席に着いたのだが、名門女子校のお嬢様がジャンクフードなど食すのだろうか? といった迂闊な疑問は席に座ってから気付いた。


 幸いにも、どこぞの漫画やアニメに出てくるブルジョワお嬢様のように「ハンバーガーの食べ方が分からなくて悩む」といったような場面に遭遇することもなく、来夏はその小さな口で上品にハンバーガーにかぶりつき、至極あっさりと食事を済ませたのだった。


「ま、とにかく昨日は残念だったな」


 昨夜、来夏は初めて参加した同人サークルを脱退してきたのだが、その時の鬱憤を晴らすかのごとく、深夜まで俺に携帯で愚痴っていた。


 結果、本来する予定だった反省会は翌日──つまり今日へとずれこんだというわけである。思い起こしてみれば、今まで来夏と会話したのは俺の部屋及び、アパートの前までだけだった気がする。帰り道を送ろうにも、賀東女史が送迎して俺の出番はなかったので、アパートから離れてまでこうやって会って話すのは初めてだ。


「残念というかなんというか……。思い出せば、未だに怒りが湧いてきます」


 と、鉄面皮のまま端正な表情を全く変えずに言う来夏。冷房の風が、来夏の切り揃えられた前髪を優しく撫でる。


「腹が立つこと、この上ないです」


 来夏の表情は変化に乏しい……というか、デフォルト状態のままほぼ固定されいるので、本当に怒っているのか見た目だけでは判断がつかないのが難点だ。もっとこう、頬を膨らませるとか口を尖らせるとか、分かりやすいリアクションをしてほしいものだ。もしも来夏が小説のヒロインだった場合、きっとその本の作者は彼女の描写に苦労することだろう。


「そう怒るな怒るな。今日が駄目でも、明日のためにいい経験をしたと思えばいいさ」

「なるほど。種モミはいずれ成長して大量の米となる。だからこそ今日よりも明日というわけですね。師匠の話は奥が深い」

「なんでそこでミスミじいさんのようなマイナーキャラの言葉が出てくるのか分からんが……まぁいい、飯も食い終わったし、反省会を開始するぞ」

「了解です」


 ちなみにミスミのじいさんとは、名作世紀末アクション漫画「北斗の拳」の序盤に登場する「今日より明日」が信条のモブキャラである。アニメ版ではミスミではなくスミスと名前が変更されていたが、理由は不明だ。そして余談ではあるが、主人公のケンシロウはミスミじいさんの死後に種モミをその墓に蒔いていたのだが、稲の実を土にそのまま蒔いても、水田がないと実らないんじゃなかろうかと、当時の俺は疑問に思った。だからどうしたという話だ。


「まず、来夏が抜けてきたサークルだが、あそこの中で最も悪かった点はなんだか分かるか?」

「ふむん。最も悪かった点ですか」


 顎に手を当て、しばしの間熟考する来夏。時間にして数秒ほど過ぎた後、


「考えてみましたが『全てが悪かった』という印象です。スタッフはグラフィッカーの方を除いて全員最悪でしたし」

「ああ、あのダンディとかいう人だな。あの人だけ言動がまともだったな」


 サークル活動とは、周りのスタッフが脳味噌お花畑の集まりだった場合、まともな人が割を食ってしまう場所なのである。


「スタッフの大半が最悪だったのは確かだが……一番悪かったのはディレクターだ」

「ディレクターですか。逝王という方のことですか」

「そうだ。ゲーム製作ってものは、極論するとディレクター──つまり、企画の代表者が全てなんだよ」

「なんと」

「ディレクターには、ゲーム製作のあらゆる知識が広く浅く求められる。ライターやら絵師やらまで、自分が担当している箇所でなくとも、少なくとも他のメンバーに指示が出せる程度の知識がないと、まとめ役として企画を引っ張っていくことができないからな」

「なるほど」

「あの逝王ってやつは、チャットのログを見る限りではスタッフに愛想振りまくだけで無能の極みだった。ゲーム製作の知識もあまりなさそうだったしな。いくら代表者だからといって、他のスタッフへの相談無しに新しいスタッフを迎え入れるなんて有り得ない行為だし、何より、シナリオが完成してもないのに声優役を呼んだのも最悪だな。その後、スタッフから金を取ろうとしたのはもちろん論外だ」

「ふむん。シナリオの完成前に声優を呼ぶのは、何かまずいのですか?」

「んー、そうだな。では、来夏が声優だと仮定しよう」

「私がですか」


 たとえ話に驚いたのか、来夏の目が瞬いた。


「うむ。来夏が声優だった場合、スタッフとして何を行う?」

「それはもちろん、担当キャラの台詞部に声を当て──あ」


 来夏の言葉が途中で止まる。


「気付いたか」

「はい。肝心のシナリオが完成していない場合、声優役のスタッフってやることがないのですね」

「ご名答。それに以前にも似たようなこと言っただろう? シナリオができていない状況では、他のスタッフに素材の発注ができないと」

「ああ、そういえばそうでした」


 台詞を喋ろうにも、その台詞が書かれてあるシナリオ自体がないのである。これでは声優の意味を成さない。よって、シナリオ完成前──それも企画開始初期に声優を連れてきてしまった場合、下手すると数ヶ月から半年以上の間、何の役にも立たないスタッフが誕生してしまうというわけである。当然のことながら、具体的な仕事のないスタッフは製作において邪魔者以外の何物でもない。声優以外、絵師や音楽などの役職ならば、まだしもライターのシナリオ執筆と平行して別作業することもできるのだが、声優だけはそういうわけにもいかないのだ。


「そもそも、普通の同人サークルではいきなり声優使うなんて贅沢はしないな」

「そうなのですか?」

「ああ。何本かゲームを製作して、ある程度慣れた上でなら分かるが、実績のないサークルがシナリオすら完成してないのに声優連れてきても企画が頓挫するのは目に見えている」

「なるほど。ゲーム製作とは厳しいものなのですね」


 傍目から見てるだけなら、簡単そうな上に楽しそうなんだけどな。いわゆる岡目八目というやつだ。


「やることがないスタッフといえば、ゲーム製作をしているサークルには『雑用係』やら『応援係』やらの名目で、何の技能もないスタッフが結構な頻度で加入してくることがあるんだが──」

「雑用係……。私がサークルを抜ける前、最後に薦められた役職ですね。腹立たしい限りです」

「ん? んん。まぁ、雑用係なんてゲーム製作には必要ないってことだな」

「その通りです。実にその通りです」


 コクコクと頷く度に、来夏の形のよい顎が上下に揺れる。


「雑用係のスタッフってのは俺も今まで何度も見てきたが、そいつらは大抵『雑用』すらせずに毎日『雑談』してただけだったな」


 ただそこに存在しているだけで、真面目に作業をこなしているスタッフのモチベーションを下げる役職。その名も雑用係。


「ですが師匠」

「なんだね弟子よ」

「師匠の話を聞く限りでは、無理矢理押しつけられそうになった私と違って、自分から進んで雑用係になりたがる人が多いようなのですが」

「ん、その通りだな」

「その心は? 雑用など、言い方を変えればパシりというやつですよね。何が楽しいのでしょう」

「ゲーム製作をしている気分や雰囲気だけ味わいたい、かな」

「むぅ。なんだか私にはよく分かりません。気分や雰囲気だけ味わってどうしようというのですか。自分の手でやるからこそ達成感があるのでは」


 来夏は真面目だからなぁ。


「来夏にも分かりやすく解説するとだな」

「ふむん」

「エロゲーも含め、ゲーム製作をしようと思うやつは、学生が多いんだよ。今も昔も、ゲーム製作者ってのは若者にとって憧れの職業の中で上位だしな」


 ゲームプランナーやゲームデザイナーといった横文字の単語が並ぶと、なんだかクリエイティブでかっこよく見えるものだ。


「なるほど。かく言う私も学生ですしね。しかし、それが今の話にどう繋がるのです?」

「まぁ、いいから最後まで聞け」

「はぁ」

「んで、ゲーム製作をしてみたいと思った学生さん──名前をとりあえずエヌ氏としておこうか」

「えぬし?」

「エヌの部分はカタカナで、氏の部分は漢字な」


 こう書くんだと、来夏の前でテーブルに指で文字をなぞってやる。


「エヌ氏、ですか」

「そうだ。エヌ氏だ」


 N君でもN氏でもないのがミソだ。


「そのエヌ氏だが、七月のある日、突然ゲーム製作をしたいと思い立つわけだ」

「まるで私みたいですね。私の場合は、師匠と初めてお会いしたのは七月以前ですけれども」

「そうだな。まぁ、このエヌ氏が七月に思い立ったのには理由がある」

「どのような?」

「それはエヌ氏の通っている学校が、もうすぐ夏休みに入るからだ」

「……ふむん」


 一拍遅れて、来夏から相づちが返ってくる。俺はすっかり氷が溶けて味が薄くなってしまったコーラを一口だけちびりと飲むと、また話を続けた。


「学生というものは、なぜか夏休みに入ると『大きなこと』をやりたがるもんでな。そこで白羽の矢が立つのが──」

「傍目からは手軽にできそうに見えるゲーム製作、なのですね」

「その通り」


 学生の夏休みといえば、一ヶ月かそこら。大学生ですら正味二ヶ月もない。


 本来、同人活動でゲームを作るのには最低でも数ヶ月。長ければ年単位でかかるのだが、未経験の人にはそれが分からないのだ。


「んで、エヌ氏は先日の来夏と同じようにネットで検索して、スタッフを募集中のゲーム製作サークルを発見する。発見するのだが、ところがぎっちょん」

「ぎっちょん?」

「うむ。ここでエヌ氏には大きな問題が発生してしまうのだ。さて、それはどんな問題でしょうか来夏さん?」

「え、と……。問題、ですか。う……ぬ」


 唐突に回答者に指名された来夏は、うんうんと唸りだした。しばらく待ってみたが、どうにも答えが出てくる気配はない。


「師匠、せめてヒントをください」

「ヒントか。ヒントは、エヌ氏はゲーム製作が未経験な上に無趣味ということだな」

「むぅ……無趣味……」

「はい、時間切れ」

「ああっ」


 名残惜しそうな来夏をスルーして、回答に移る。


「問題の答えは、ゲーム製作が未経験で無趣味なエヌ氏には、何のスキルもないということでした」

「ふむん。スキルですか」

「そうだ。そもそもゲーム──この場合はADVの話だが──の製作には代表者である企画統括役であるディレクターを初めとして、シナリオを書くライター、原画を描く絵師、音楽担当の作曲家、そしてゲームを動かすスクリプターという最低でも五つの役職が必要だ」

「五つですか。意外と少ないのですね」

「最低限って言っただろ? もっと細かく言えば、彩色担当のグラフィッカーやら、背景専門の絵師やら、会話ウィンドウや各種ボタン、オプション画面を製作するデザイナーや、スクリプターじゃなくてシステム自体を一から作るプログラマーだって必要な場合もある」

「なるほど」


 最も、ADVの場合は版権フリーの製作ツールを使用する場合が多いので、プログラマーまでかき集める場合は少ないのだが、今は割愛。


「つまりエヌ氏には、ゲーム製作にスタッフとして参加しようにも、この中で担当できそうな役職が皆無だったんだな、これが」

「ふむん」

「絵師をやろうにも絵心はない。ライターをやろうにも文章をろくに書いた覚えがない。作曲もさっぱり、スクリプトを打った経験もない。でもせっかくの夏休みだし、どうしても憧れのゲーム製作に参加してみたい。……となると、エヌ氏の次の行動は分かるな、来夏」

「雑用係としてサークルに入る、ですか」

「正解」


 こうして、雑用係という無駄な役職が目出度く誕生するのであった。まる。


「ちなみにエヌ氏と同じでスキル無しでも、楽観的なやつの場合はライターとして応募してくる」

「なんと」

「ノベルゲームのシナリオライターなんて、キャラ同士を適当に会話させときゃいいんだろ、みたいな軽い気持ちで、ゲームのシナリオどころか小説すら書いたこともないのに応募してくるんだ。更にひどいのになると、PCを所持していないのにライターとして応募してくる者も存在する」

「あの、師匠。PCがないのに一体どうやって製作に参加するのでしょう?」

「いい質問だ。PCがないのにどうやってシナリオを書くのかと問うと、携帯を使うから大丈夫だの、学校の放課後にパソコン室のを借りるだのと戯れ言を抜かす論外な輩も世の中にはいるんだよ。仮にPC無しでスタッフとして参加して奇跡的にゲームを完成させた場合、一体どうやって肝心のゲームをプレイするのか、甚だ謎だがな」


 それと比べれば、先日来夏がチャットで遭遇したアラハバキという中坊ライターは、家族共用の物があるだけまだマシというレベルだ。


「ああ、そういやライターだけじゃなく、絵師志望でもPC持ってないのにスタッフ応募してきたのを見たことあるなぁ」

「なんと。それはさすがに無理がありすぎるのでは」

「そいつはノートに鉛筆描きした絵を携帯で撮影して、それをイメピタにアップロードして原画ですって言い張ってたっけ」


 あの時は衝撃を受けたよ、俺は。


「ライターにしろ絵師にしろ、ひどい話ですね」

「確かにひどいな。だが、俺と最初に出会った頃の来夏の文章レベルも、PC未所持の自称ライターと似たようなもんだったぞ」


 小説だって言ってたのに、中身は台本形式だったしな。


「師匠と出会ったばかりの頃……。今となっては何もかもが懐かしい想い出です」


 来夏は誤魔化すように遠い目をした。まるでガミラス帝国との激戦を潜り抜けて地球に帰還した時の沖田艦長の如くである。その視線が向かう先は、ガラス窓の向こう。つまりは店の外だ。何か見えるのかと俺も視線を追ってみたが、通行人が繁華街を行き交っているだけだった。どうやら本当に誤魔化しただけらしい。


「……ま、まぁ、そういうわけで同人サークルのシナリオライターってのは、初期の頃の来夏レベルのやつらが溢れかえってるってことだ」

「ふむん。なんだか言葉にトゲがあるのは気に入りませんが、師匠のお話はよく分かりました」

「分かってもらえて何よりだ」

「ちなみに師匠」

「うん?」

「私のライターとしての力量は、現在どの程度なのでしょうか」

「力量か……」


 己の実力を把握したいのはいい傾向だが、難しい質問だ。


「うーん。中の下の……そのまた下くらいかな」

「それは……微妙ですね」

「微妙だな」

「むぅ」


 俺の答えが気に入らなかったのか、来夏は八つ当たりでもするかのように自分の分のコーラをストローで勢いよく啜って──その体勢のまま腕が硬直した。


「どうした?」


 来夏はストローから口を離すと、


「……氷が溶けている上に炭酸も抜けていて、とっても味が薄くて温いです」

「……そうか」


 そういうことだった。


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