第7話 現実逃避
スーツの男が携帯を取り出し、冷徹な手際で報告を始めた。
「おい。それより、純」
服部は、LEVI'Sのジーンズを血に染めた少年に歩み寄り、無骨な二本の指をその首筋に当てた。
冷え切った肌に触れる、微かな必死な鼓動。
「まだ、生きてる。だが、救急車じゃ間に合わんな。俺がこのまま病院にぶち込む」
「わかりました。服部さん、また後で落ち合いましょう」
純の返事を聞く間もなく、服部は啓司の痩せた体を軽々と抱え上げ、路地裏に停めた覆面パトカーへ滑り込ませた。
新宿区のビル群が、激しい加速と共に窓の外へと流れていく。
後部座席で痛みと格闘しながら、啓司は流れる空を見上げた。澄んだ冬の空に浮かぶ、規則正しく並んだ高積雲。
一つ、二つ...。
クロスワードのマスを埋めるように、彼は意識の糸を手繰り寄せ、雲の数を数え続けた。
二十個近くを数え終えたその瞬間、張り詰めていた糸が静かに、そして深く途切れた。
まさに、勝負に敗れたポケモントレーナーだ。
新宿区のビル群も、高積雲の流れる空も、すべてが暗転して消えていく。
再び目を開いた時、真っ白な病院のベッドではなく、マクレーンの厨房に立っていた。
ステンレスの清潔な輝きに、使い慣れた三徳包丁の重み。
カラン、コロン——————
聞き慣れたはずのドアベルが、救いの鐘のように鳴り響き、あのお腹を空かせた少女がボロボロのスニーカーを履いて立っていた。
「待ってました」と言わんばかりの歓喜を胸に、彼女のもとへ駆け寄り、少女の瞳を真っ直ぐに見つめて、彼は再び手を差し伸ばす。
少女は、啓司の差し出した救いの手を激しく拒絶し、その瞳に宿るのは、空腹への絶望ではなく、燃えるような憤怒だった。
彼女は小さな指で、ステンレスが鈍く光る厨房を、呪うように指し示した。
啓司は導かれるまま、彼女と手を繋ぎ厨房へと足を踏み入れる。
調理台の上には、場違いな銀色のクローシュが被せられた一皿が置かれていた。
好奇心と、得体の知れない不気味さが混ざり合う中、震える手でゆっくりとその蓋を持ち上げた。
銀色の蓋が、高い金属音を立てて床を転がる。
皿の上に鎮座していたのは、美食などではなく、二枚の人間のものらしき「舌」だった。
それも、包丁で綺麗に切り分けられたものではなく、まるで飢えた獣が、生きたまま噛み切ったかのような、無惨な肉の残滓。
新宿区の辺鄙な店に、啓司の悲鳴にならない絶叫が響く。
警視庁の鑑識官ですら目を背けるようなその光景こそが、彼が「現実逃避」の果てに見つけた、残酷な真実の入り口だった。
少女から一雫の赤い涙が落ち、床に弾けたその瞬間に、啓司の意識は急浮上し、眩い光の中に放り出された。
目を開けると、そこは純白が広がる病室だった。




