第5話 最悪の誕生日
笑っていた男の瞳から、一瞬で光が消え、氷のような真顔に変わり、啓司の脇から冷たい汗が噴き出し止まらなくなった。
(どこでバレた!? 顔が引き攣っていたのか!?)
絶賛、足が震えて気が気じゃない。
猟銃の銃口が、背後から啓司の脊髄をじわりと圧迫する。
獲物を追い詰める猟師にとって、中卒の18歳が必死に吐いた嘘など、雪の上に残された血痕と同じくらい、鮮明で滑稽な「証拠」に過ぎなかった。
(俺にもっと学があれば、まともな嘘がつけたかもしれない。くそっ。もっとクロスワードをやり込んでおけばよかった)
脳内の白地図を埋める言葉が見つからないまま、啓司の視線はカウンターに残された一本の鉛筆に吸い寄せられた。
鋭く削られたHBの芯。
あれを手に取り、この男の喉笛に突き立てるか。
成功するイメージなど一欠片も湧かないし、背後の猟銃が自分の脊髄を粉砕する未来しか見えない。
それでも、指先が微かにピクリと動いた。
18歳の無謀な自尊心と、動物的な殺意が、啓司の中で火花を散らしている。
(何考えてるんだ、俺は。鉛筆一本で無双するジョン・ウィックにでもなったつもりか? 鏡を見てこい。今の俺は、指先すらまともに動かせない、ただのガキだ)
レストラン中に、肌を刺すような緊張が走る。
早鐘を打つ心臓の音が、今にもこの静寂を打ち破って聞こえ出しそうだった。
背後の猟銃男が、背中からターゲットを再設定するように、冷たい銃口を後頭部へと這わせた。
銃刀法の規制が届かない、無法の射程。
退屈だったはずの誕生日は、一発の弾丸で幕を閉じようとしており、男はテーブルに置かれた不純物だらけの皿を指先で弾いている。
「どうせ誰も助けには来ない。嘘をついても何のメリットもないぞ。真実を言わなければ、明日、お前の料理仲間が冷たくなったお前の死体を発見するだけだ」
男の声には、慈悲の欠片もなかった。
新宿署の事件現場のブルーシートが、今度はこの"マクレーン"を覆うことになるのか。
真実を吐いたところで、生きて帰れる保証などどこにもない。
(最悪の誕生日だよ、全く)
だが、啓司の胸を焦がしていたのは自分の命への未練ではなく、あの少女のことだけが気がかりだった。
この「元猟師」たちは、間違いなくあの子を殺す。
あの小さな体で、血の混じった涙を流し、自分の料理を必死に食べてくれた恩がある。
(こうなったら、今俺がやるべきことは一つだ)
LEVI'Sのジーンズのポケットの中で、啓司の拳が静かに固まる。
あの子ができるだけ遠くへ逃げられるよう、一秒でも長く時間を稼ぐ。
"人を導く"という名の運命は、ここで初めて、"誰かのための盾"になることを選んだ。
「すまない。そういえば確かに、一人の客が来たよ」
啓司の声が、静まり返った店内に響く。
猟銃を構えた男たちが、一瞬だけ息を呑んだ。
「あんたのママだったよ」
刹那、沈黙が弾けた。
男たちは顔を見合わせ、腹を抱えて笑い出した。
「はははっ! そりゃあ傑作だ!」
啓司もまた、引き攣った頬で笑いながら虚勢を張った。 男は椅子から崩れ落ちるように笑い、そのままふらふらと啓司に歩み寄った。
そして、親しげに啓司の肩に手を置くと、その耳元で、温度のない声で囁いた。
「お前、面白いな。こりゃあ、『一本』取られたよ」
新宿駅の雑踏の音は、もはや聞こえない。
男の指先から伝わる冷酷な殺意。
耳元で囁かれた直後、啓司の腹部に激しい痛みが走った。18年の人生で一度も味わったことのない、内側から焼き切られるような熱い衝撃。
LEVI'Sにじわりと黒い染みが広がり、カウンターの床に、一滴、また一滴と血が滴り落ちていく。
視界が歪む啓司は、自分を鉛筆で刺した男の感情の欠落した瞳を間近で見て悟った。
こいつらは、鳥獣保護法の範疇に収まるような「猟師」などではなく、きっと動物以外も殺している奴らだ。
レストランのタイルに、啓司の意識が沈んでいく。
新宿区の正午。
壊れた鳩時計が狂ったように扉を開け放つ中、18歳、瀬下啓司の「たわいもない誕生日」は、赤黒い絶望に染まって幕を閉じた。




