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Do Man  作者: 山野 鹿
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第1話 壊れた鳩時計

ホラー要素ありの第1話!

あなたの心に疑問を。

——二月十一日 東京都新宿区——

新築とも古家ともつかぬ、無個性な家がそこにある。


男は一人、持て余すほどの手広すぎる部屋の鏡に向かい、映し出された自分を無言で睨みつける。


それが、たわいもない一日の幕をこじ開ける彼なりの儀式だった。


キッチンに立ち、焼き上げたベーコンエッグを淡々と口に運び、咀嚼の中、今日で自分がまた一つ歳を重ねたことに、ようやく思い至った。


祝う者もいない誕生日の自覚は、胃の腑に落ちる食事よりも味気ない。


食後の習慣として、新聞の片隅にあるクロスワードパズルにペンを走らせ、空白をすべて埋め尽くした自分へのささやかな褒美は、一杯のブラックコーヒー。


瀬下啓司せした けいじ


人を導く人になれ――

名に込められた親の願いを、彼は今も覚えている。


残念ながら今の啓司にそんな高潔な精神など微塵もなかった。


天然パーマの癖毛が、不機嫌そうな面構えによく馴染み、履き古したLEVI'Sのジーンズを腰に引っ掛け、朝のニュースに目を落とすと決まって「警察は何をしてるのかね」と毒を吐く。


それが彼の日常であり、唯一の社会への関わりだった。


クロスワードの全マスを埋め終えた満足感も束の間、啓司は重い腰を上げて仏壇の前に座った。


かつては母に絶やさなかった花も菓子も、今では掃除することすら億劫になり、いつしか供え物の器は空のまま。


指先で埃を払う気概もなく、ただくすんだ鈴を一度だけ鳴らして乾いた音の中で無造作に手を合わせる。


「行ってきます。母さん」

その声は、誰もいない広い部屋に虚しく響いた。


母が交通事故でこの世を去ったのは、啓司が中学を卒業する間際のこと。そしてその死をなぞるように、父親もまた「ちょっと出てくる」という言葉を最後に、家を捨てた。


父が息子に教えた唯一の教訓は、「ちょっと」という言葉の単位には「三年間」という月日も含まれうるという残酷な真実だけ。


父の不在と共に、啓司の高校生活という名の未来は、羽化することのない儚い夢へと消え、この空虚な家で彼が「家族」と呼べるのは、月に一度、生存確認のように顔を出す叔母だけだった。


家を出て鍵を閉めるが、8歩ほど歩いた後に鍵が閉まっているか怖くなって逆戻り。


こんな治安だから強迫性障害まがいの習慣になるのも仕方ないのだ。


バイクで家から3キロ先離れた新宿駅近くのレストランへ働きに行く道半ば、信号を待っているとなにやら人混みで騒がしい。



「一家惨殺だってよ」

「子供まで死んだってさ。こわくなーい?」

「きっとDo Manだよ」

「それおとぎ話じゃーん」

ヘルメットの隙間から滑り込んできたのは、吐き気を催すほど軽薄な野次馬たちの囁きだった。


視線を向ければ、そこには不謹慎な見世物小屋じみた光景が広がっており、物々しい赤色灯を明滅させるパトカーと中を隠すブルーシート。


まるで出来の悪い手品師が失敗したマジックの跡を隠しているかのようだ。


「警察の役立たず」

啓司は内心で毒を吐く。


かつて「日の丸」を掲げ、安全を謳歌した国の成れの果てがこれだ。


凄惨な死すらも、通行人の「こわくなーい?」の一言で消費される退屈なエンターテインメントに成り下がっている。


こんな光景は、もはやこの街の日常茶飯事だ。


驚く価値すらない。


彼はアクセルを握る手に力を込め、アクセル音の不快な轟音で、耳障りな噂話をかき消した。


愛車を停め、啓司は職場であるレストラン「マクレーン」の重い扉を開けた。


研ぎ澄まされた包丁を握り、食材と対峙している時間だけは退屈を忘れられた。


十五時の開店に合わせ、午前中の厨房は仕込みと清掃の戦場となるが、そこに同僚たちの姿はなく、天然パーマで口の悪い啓司と顔を合わせるのを忌避するように朝のシフトを避けていた。


「ちょうどいい。こっちこそ願い下げだ」

独りごちて、啓司は真っ白なコックコートに袖を通す中、静まり返った厨房のステンレスの調理台が放つ冷たい光には他人の無責任な噂話も、パトカーの赤色灯も、ここまでは届くことはない。


開店までの三時間は、啓司にとってこの空白は耐え難いほどに「退屈」という名の澱を溜め込ませる。


彼は誰もいないフロアを無意味に歩き回り、手近なテーブルクロスを劇的に引き抜こうと試みては、グラスの触れ合う音に怖気付いていた。


十八歳の少年らしい悪戯心と人生を諦めた男の虚無が一人の体の中で奇妙に混ざり合っている。


四つの椅子を不格好に並べて即席のベッドを拵え、横たわった啓司の視線の先には、壁に掛けられた古びた鳩時計がある。


針は間もなく、正午を指そうとしていた。


「出るのか? 出ないのか?」

独り言が、高い天井に虚しく吸い込まれる。


カチリ、と機械的な音が響き、時計の小さな扉が力なく開き、期待した主は姿を見せない。


扉の奥に潜んだまま、沈黙を守り続けている。


「期待させやがって」

啓司は短く舌打ちをすると、重い瞼を閉じた。


カラン—————

開店前でドアベルが、場違いに高く鳴り響いた。

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