プロローグ:1803年の英国、その輪郭と階級
1803年の3月は、骨身に染みるような冷たい雨と共に始まった。
病床から起き上がれるようになったパーシバル・シーモア・シャルトンは、
窓辺の安楽椅子に深く腰掛け、灰色に煙る自領の風景を眺めていた。
彼の頭の中には、かつて「日本」という極東の島国で、経済学を学んでいた記憶が鮮明に焼き付いている。
その知識というレンズを通してみると、これまで当たり前だと思っていたこの19世紀初頭のイングランドが、全く異なる姿を見せ始めていた。
1803年の英国と「エスクワイア」という立場
(1803年……ナポレオンとの休戦(アミアンの和約)が破棄され、再び戦争が始まろうとしている、そんな激動の年だ)
パーシバルは、膝の上の毛布を握り締めた。
当時のイギリスは、現代の日本人が想像する「洗練された貴族の国」とは少し趣が異なる。
産業革命の足音は聞こえ始めているが、社会の主役は依然として「土地」を所有する地主層だった。
パーシバルの父ヘンリーは、「エスクワイア(Esquire:郷紳)」という階級に属している。
現代の日本語では「紳士」や「従騎士」と訳されることが多いが、
当時の英国社会におけるこの言葉は、もっと具体的で重い意味を持っていた。
「貴族(爵位持ち)」ではないが、紋章を持つことを許され、広大な土地を所有し、
その土地から上がる「地代」だけで生活する階級。
それが「ジェントリ(地主階級)」だ。
その中でも、治安判事を務められるほどの有力な地主が「エスクワイア」と呼ばれた。
(つまり、僕たちは働かなくても生きていける特権階級の末端だ。
だが、それは『土地』という資産があってこその話だ……)
パーシバルの前世の知識によれば、この時代の経済は驚くほど「土地」に依存している。
シャルトン家が所有する1030エーカー(約416ヘクタール、東京ドーム約89個分)という広大な土地こそが、家族の誇りと贅沢な暮らしを支える心臓部だった。
1ヶ月の現状調査:マナー・ハウスの内側
体力が回復するにつれ、パーシバルは「静養」を口実に、屋敷の中や周囲を歩き回り、情報の収集を始めた。
12歳の少年の好奇心に見せかけながら、その目は鋭く家の構造と運営を観察していた。
「ハミルトン、少し喉が渇いたな。大麦の飲料をもらえるかい?」
「かしこまりました、パーシバル坊ちゃま。すぐにご用意させましょう」
執事のハミルトンは、銀髪を整え、隙のない身のこなしで一礼した。
ハミルトンはこの屋敷の「内側」を支配する責任者だ。
彼との何気ない会話から、パーシバルは家政の規模を把握していった。
屋敷——マナー・ハウスは、この時代の流行であるジョージアン様式の煉瓦造り。
シンメトリーな美しさを誇る2階建ての邸宅には、ハミルトンをはじめとする多くの使用人が働いている。
(使用人の賃金だけで、年間200ポンド以上は掛かってそうだ……。
それに、窓の数に応じて課税される窓税や、使用人の数にかかる税金まである。
この家を維持するだけで、かなりの金が必要なはずだ)
パーシバルは、現代の会計知識を駆使して、頭の中で収支をシミュレーションした。
さらに、彼は屋敷の裏手にある厩舎へと足を運ぶ。
そこには、シャルトン家の「足」であり「富の象徴」でもある馬たちが繋がれていた。
馬丁モーリスと外の世界の情報
「よう、坊ちゃま。もう外を歩いても大丈夫なんですかい?」
声をかけてきたのは、馬丁のモーリスだった。
革のエプロンを締め、馬具を磨く彼の手は、油と馬の匂いが染み付いている。
「ああ、モーリス。馬たちの様子はどうだい? 兄様の乗用馬は元気かな」
「ええ、アーサー様の馬は絶好調ですよ。ただ、最近は街道の噂が物騒でね。
フランスの『ボニー(ナポレオンの蔑称)』が、海を渡って攻めてくるんじゃないかって、
ロンドンから来る郵便馬車の御者が怯えてやがりました」
モーリスとの会話は、貴重な情報の宝庫だった。
当時の情報は、馬に乗って運ばれてくる。
ウィンチェスターに近いこの領地には、港町ポーツマスやロンドンからのニュースがいち早く届くのだ。
(ナポレオンによる英国侵攻……。
歴史上、それは実現しないけれど、当時の人々にとっては恐怖そのものだ。
この不安が、コンソル公債(英国債)の価格を乱高下させる原因になるんだな)
パーシバルは、モーリスが管理する馬の数も数えた。
乗用馬が2頭、4頭立ての馬車を引く馬車馬が4頭、さらに農耕馬が8頭。
馬の維持費は莫大だ。蹄鉄の交換、餌代、馬具の修理。それだけで年間50ポンド以上が消えていく。
ホーム・ファーム(直営農場)の重要性
さらにパーシバルは、屋敷に隣接する「ホーム・ファーム(直営農場)」にも注目した。
シャルトン家の土地1030エーカーのうち、910エーカーは小作人に貸し出され、地代(家賃のようなもの)を得ている。
しかし、残りの120エーカー(約120エーカーの記載だが、内訳としてホーム・ファーム110エーカーと宅地等)は、父ヘンリーが自ら経営する直営農場だ。
(ここが、父上の腕の見せ所というわけか。羊500頭に牛30頭。
この農産物の売却益が、地代に次ぐ第二の収入源になっている)
パーシバルは、病室に持ち込んだノートに、こっそりと日本語でメモを書き殴った。
そこには、自分なりに推計したシャルトン家の「貸借対照表」のようなものが形作られつつあった。
土地資産: 約1000エーカー(価値は計り知れないが、流動性は低い)
(父上は、非常に堅実だ。浪費をせず、余った資金を公債や個人への貸付に回している。
典型的な、そして優秀なカントリー・ジェントリ(地方地主)だと言える。
……だけど、それゆえに悩みもあるはずだ)
一ヶ月の調査で分かったのは、この家が「豊かではあるが、決して安泰ではない」ということだった。
次男である自分に割り振られる遺産は、母の持参金3000ポンドを、兄アーサーを除く自分と妹二人で分けた分——おそらく1000ポンド程度に過ぎないだろう。
1000ポンド。
それだけで一生、ジェントリとして暮らしていくのは不可能だ。
元手となる資金を、若いうちに、そしてこの家が健在なうちに、どうにかして増やさなければならない。
(知識はある。だが、12歳の子供がいきなり投資を始めるわけにはいかない。
まずは父上の信頼を勝ち取る必要がある)
パーシバルは、マナー・ハウスの書斎の窓から見える、父の姿を探した。
そこには、農場管理人から報告を受け、難しい顔をして書類を見つめるヘンリーの背中があった。
「……そろそろ、行動を開始する時だな」
3月も終わりに近づいたある日、パーシバルは病み上がりの体を引き締め、決意を固めた。
彼の目的は、歴史を揺るがす英雄になることではない。
この19世紀イギリスという荒波の中で、慎重かつ堅実に、自分と大切な人々の富を築き上げること。




