第二十一話 嫌がらせのつもりで
最初は、何も変えるつもりはなかった。
意識が切り替わった先で感じたのは、
硬さも冷たさも、見慣れた“壁”だったからだ。
「……場所が変わっただけ、か?」
そう思ったのは、無理もない。
触れられる。
振動が伝わる。
人が近くを通る。
ダンジョンだ。
ただ、それだけ。
だから俺は、
これまで通りのことをした。
ほんの少し、
床を冷やす。
ほんの少し、
表面を滑りやすくする。
露骨じゃない。
気づけば対処できる程度。
いつもの“嫌がらせ”。
――なのに。
「……滑るな、ここ」
声は上がったが、
足は止まらなかった。
転ばない。
引き返さない。
代わりに、
別の人間が前に出る。
「気をつけろ。あとで直す」
直す?
聞き慣れない言葉に、
思考が一瞬引っかかる。
工具が触れる音。
石を叩く乾いた感触。
世界が、
補修されている。
「……は?」
俺の表面に、
何かが塗られた。
滑りが、減る。
冷えも、弱まる。
嫌がらせが、
数分で消えた。
「終わったぞ。続けよう」
声と共に、
足音が再開する。
作業だ。
迷いのない動き。
目的の決まった往復。
「……冒険者、じゃないな」
ようやく、
そこに思い至る。
彼らは探索していない。
警戒もしていない。
ただ、
掘っている。
削る。
運ぶ。
また削る。
世界が、
消費されている。
「……鉱山?」
答えは、すぐに出た。
荷車の振動。
積まれた石の重さ。
一定の作業リズム。
間違いない。
ここは、
ダンジョンでありながら、
職場だ。
嫌がらせを、もう一度。
今度は、
動線の途中を
少しだけ不快にする。
歩きにくく。
疲れやすく。
「……やりづらいな」
文句は出る。
だが――
止まらない。
「交代しろ」
指示が飛ぶ。
別の人間が入り、
作業は続く。
嫌がらせは、
効率を落とすだけだった。
「……逃げないのか」
冒険者なら、
ここで引き返していた。
慎重に判断し、
危険を避けた。
だが、
彼らは違う。
逃げない。
戻らない。
不満を言いながら、
続ける。
「……そういう場所、か」
理解が、
じわじわと広がる。
ここでは、
第一章のやり方は意味を持たない。
嫌がらせても、
人は来る。
滑らせても、
対策される。
冷やしても、
修繕される。
そして、
続けられる。
「……殺せないな」
その言葉が、
重く落ちる。
殺す気はない。
だが、
結果としてそうなる可能性すら、
ここでは許されない。
事故が起きれば、
即座に止まる。
止まれば、
徹底的に調べられる。
原因を探され、
排除される。
この場所では、
目立ったら終わりだ。
俺は、
少しだけ何もせずにいた。
嫌がらせも、
操作も、
すべて止める。
それでも、
作業は続く。
世界は、
俺がいなくても回る。
その事実が、
妙に重かった。
「……ここは、違う」
ダンジョンだが、
冒険者の場所じゃない。
嫌な場所にしても、
誰も逃げない。
なら――
どうする?
答えは、
まだ出ない。
だが一つだけ、
はっきりしたことがある。
嫌がらせでは、意味がない。
世界は、
静かに使われ続けている。
俺は、
その中にいる。
邪魔者として。
それとも――
別の何かとして。
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