第一話 目が覚めたら、俺は壁だった
この作品は、
ダンジョンに転生した主人公が、
最後まで一度も動かず、戦わず、
それでも世界に影響を与えていく物語です。
主人公ができることは、ほんのわずか。
壁として、少し冷たくなったり、
ちょっと滑りやすくなったりするだけ。
最初は軽いコメディ寄りですが、
物語は徐々に
「嫌がらせ」→「影響」→「運営」→「国家」
へとスケールアップしていきます。
バトル無双や派手な魔法はありません。
代わりに、
環境・選択・構造で話が進みます。
「変わった設定だけど、ちゃんと物語が進む話」を
お探しの方に読んでいただければ幸いです。
目を開けた――つもりだった。
だけど、そこには暗闇も光もない。まぶたの裏の黒ですらない。色が存在しない。距離も奥行きも、何もかもが「無い」。
え? これ、どういう状況だ。
俺は――生きてるのか? 死んだのか?
答えを探そうとして、すぐに気づく。
体が動かない。
いや、動かないというより……そもそも「動かす体」がない感じだ。手も足も、肺も、まぶたも、喉も。あるのは考える俺だけ。
思考だけが、妙にクリアで、余計に怖い。
さっきまで何をしていた? 最後の記憶は――。
……いや、そこが霧がかっている。事故? 痛み? 衝撃? 覚えているような、覚えていないような。
「死んだのかもしれない」
そんな結論に飛びつくのは簡単だ。でも、その次の疑問がすぐに来る。
じゃあ、ここはどこだ?
天国? 地獄? それとも、どっかの病院で意識だけが戻った状態? いや、病院なら音がするはずだ。機械音とか、誰かの声とか、息遣いとか。
何もない。
完全に、無。
怖さが遅れてやってきて、胸が締め付けられる……と言いたいところだが、胸なんてものも感じない。代わりに、思考がぎゅっと縮むような感覚がある。
俺は、どうなって――。
そのとき。
――コン、と。
どこからともなく、小さな衝撃。
次の瞬間、世界が「生まれた」。
硬い。冷たい。ざらついている。
触覚だ。しかも俺が触ってるんじゃない。「触れられている」。外側から圧がかかって、そこだけが輪郭を持つ。
世界の一部だけ、極端に鮮明になった。
石の感触。砂の粒。水分のない乾いた冷たさ。表面の細かな凹凸。ひび割れの筋。
俺、石……?
「壁」だ。
ありえない。そんなの、ありえない。だって俺はさっきまで――人間で――。
またコン、と。
衝撃が二回、三回。叩かれている。確かめるみたいに。
叩かれている場所が痛い……いや、痛いというより「削られていく」感じだ。表面が欠け、粉になって落ちる情報が脳へ流れ込む。
俺、削られてる。
焦って逃げようとして、当然、逃げられない。
やめろ。やめてくれ。誰だ。何をしてる。ここはどこだ。
声に出せない。呼吸もできない。音も発せない。できるのは、ただ考えることだけ。
……待て。
考えることしかできないって、地獄じゃないか。
衝撃が止む。
触れられている部分の情報だけが残って、他はまた無に戻る。世界が点滅するみたいに、触れたところだけ現れて、離れたら消える。
触ってる奴が、手を離したのだろう。
すると、世界はまた「無」に戻った。
なにこれ。俺は今、何に転生したんだ。
転生――。
その単語が頭に浮かんだ瞬間、自分で自分にツッコミたくなった。
いやいやいや、転生って。そんなテンプレみたいな。俺、ラノベの読みすぎか?
でも、状況がテンプレの上を行っている。
壁だぞ。
ドラゴンとか、スライムとか、剣聖とかならまだわかる。壁ってなんだ。しかも視界すらない壁って、どうやって生きるんだ。
……生きてるのか?
「死んで壁になった」ってことは、死後の世界の仕様としては相当悪趣味だ。
もう一度、コン。
今度は衝撃が大きい。ドン、と鈍い音がして、触れた場所が広がる。掌だけじゃない。腕、いや、物が当たっている。
槍? 棒? 何かで叩いている。
そして、言葉が聞こえた。
「……ん? ここ、やけに硬くないか?」
男の声。近い。
聞こえる? いや、聞こえているのは、振動が伝わっているからか。壁に当たった音が、俺の意識に届いている。
「ただの石壁じゃねえの?」
別の声。少し高い。若い。
「いや、なんか……嫌な感じがする。ほら、ここ」
コン、コン。叩かれる。ざらつきが増える。表面の小さな欠けが、俺の意識に刺さる。
「気のせいだろ。先行くぞ。罠もなさそうだし」
「罠、なさそう……?」
そこで俺は、妙なことに気づいた。
今、彼らは「罠」という言葉を普通に使った。
つまりここは、そういう場所だ。ダンジョン。迷宮。冒険者。罠。
ファンタジー世界の、あの手のやつ。
じゃあ俺は――ダンジョンの壁?
……いや、待て待て待て。落ち着け。推測が雑すぎる。証拠がない。
証拠がないが、状況はそれ以外に説明がつかない。
「行くぞ、レオン。ミリス、周囲警戒。ガルドは後ろ見てろ」
名前が出た。レオン。ミリス。ガルド。
パーティだ。
彼らが歩き去る。振動が遠ざかり、触れている情報が減っていく。
そして――無に戻る。
静寂。
俺は、一人だ。
いや、正確には壁として固定されているだけで、独りかどうかもわからない。近くに別の壁があるのかも、床があるのかも、天井があるのかもわからない。
わかるのは、触れられた部分だけ。
この世界は、触れられないと存在しない。
……笑えない冗談だ。
もし誰も来なかったら、俺はどうなる? 永遠に無の中で考え続けるのか?
それは、死より怖い。
「……誰か、来いよ」
声に出せない願いを、思考の中で吐き出す。
来てくれ。
叩かないでいい。削らないでいい。触れてくれるだけでいい。
世界があるって、教えてくれ。
――そのときだった。
ごく微かな、違和感。
俺の中に、文字情報みたいなものが流れ込む。
[損耗率:微小]
[構造:石壁]
[階層維持:正常]
……は?
ステータス? システムメッセージ? ゲームみたいな。
理解しようとすると、さらに続いた。
[壁ユニット:固定]
[修復:待機]
[破壊時:消失]
最後の一行だけ、やけに冷たい。
破壊時:消失。
つまり――壊されたら、終わり。
俺は、壁だ。
そしてこの世界は、壁だろうと容赦なく壊しにくる。
笑えない。笑えないのに、なぜか心のどこかが変に落ち着いた。
理由は単純だ。
「ルールがある」
理不尽の中にも、仕様がある。仕様があるなら、そこに穴がある。穴があるなら、つけ入る余地がある。
俺は壁だ。動けない。声も出ない。視界もない。
でも――考えることはできる。
壊されたら終わりなら、壊されないようにすればいい。
そのために、俺にできることを探す。
探して、探して、探して――。
無の中で、俺は決めた。
このダンジョンで、俺は生き残る。
たとえ、壁としてでも。
次に誰かが触れたとき、俺は世界を奪われる側じゃなくて、世界を動かす側に回ってやる。
……まあ、壁が何言ってんだって話だけど。
でも、笑うのは今だけにしておく。
俺の生存は、ここから始まるのだから。
ここまでご覧いただきありがとうございます。
当面の間は、1日に3話を投稿予定です。
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