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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

賢妃の決断

作者: 豊川颯希

「貴方が王になるのです、フリード」

 厳かに、だが有無を言わせぬ口調で告げられた言葉に、フリードはただ頭を垂れた。

「承知しました、賢妃陛下」

 承諾したフリードに王妃は満足げに頷く。賢妃として名高い彼女の瞳はわずかに潤んでいたが、その理由をたずねるような無粋をフリードはしなかった。



 とある不幸な女性の半生を語ろう。

 彼女の名は、側妃マリア。王と婚姻する前は、マリア・ロイツ男爵令嬢と呼ばれていた。

 彼女を不幸と称するのはおかしい、と? なるほど、男爵令嬢でありながら当時王太子であった王に見初められ、王妃にはなれずとも一心に寵愛を受けた彼女はたぐいまれな幸運の持ち主であったと。確かに、一部を除いて大衆にはそう持て囃されていた。つくづく、かの王のやり口には頭が下がる。その悪知恵を国政でも発揮できたのなら、少しはましな生涯を送れたかもしれない。いや、むしろ余計なことをしないうちにとより早く処分されただろうか。

 彼女は、──優秀な側近や王の婚約者であった王妃が唯一王に出し抜かれた悪事の犠牲者だ。

 マリアは、飛び抜けて賢くも、飛び抜けて美しくもない。強いて言うなら少し小柄で、笑顔に愛嬌のあるどこにでもいる娘だった。流行りの恋物語を読んで、身分の高い貴公子の目に留まって結婚し贅沢な暮らしを、と夢想したこともあるかもしれない。しかし、それが絵空事であることをしっかりと理解した、地に足のついた娘だった。

 彼女の不幸のはじまりは、貴族の子息が通う学園に在籍していた際、時の王太子が彼女に目を留めたことだ。側近たちが止めるのも聞かずに王太子は彼女を“最愛”と呼び、一方通行の傍迷惑な想いを“真実の愛”と声高に主張する。彼女ははじめ、何かの冗談だと思って苦笑いで躱していたが──王太子の執着が並々ならぬものと実感すると青ざめた。自分には分不相応だと、必死に断る彼女に王太子はますますのめり込む。王太子に求められているのに応じない彼女を、嫉妬した他人が謗ったり害することもあった。

「婚約者がいる男を誑かす悪女」

「身分を弁えない品のない女」

 彼女から王太子に声をかけたことなど、一度もないのに。潮が引くように、彼女の側から人が離れていった。孤立しながらも彼女が何とか学園の中に立っていられたのは、側近や王太子の婚約者である公爵令嬢──後の王妃が彼女の言い分を聞き、理解してくれていたからだ。いくら王太子といえど、人一人の人生をめちゃくちゃにして良いはずがない。王太子の横暴を理由に彼の早期卒業が視野に入っていた矢先、決定的な事件は起こった。起こってしまった。

 あろうことか王太子は学園の空き教室にマリアを引き込み、その純潔を奪った。

 第一発見者に仕立て上げられたのは、前々からマリアをよく思っていなかった令嬢の一人だ。口が羽毛のように軽いことでも有名だった彼女は「尻軽なあの女が王太子を体で籠絡した」と嬉々として触れ回った。先手をうたれた側近や公爵令嬢が火消しをはかろうにも、既に“事実”は学園中に広まっていた。更に悪いことに、そのたった一度でマリアは孕んだ。王太子は、当時の王の一粒種。直系の誕生は、マリアの尊厳と秤にかけられることすらなく喜ばしいこととされ、マリアは強引に側妃とされた。元より、マリアの実家は弱小男爵家。彼らは黙って娘を王家へ差し出したが、瞳には憤怒の炎が揺らめいていた。不束な娘ですが、よろしくお願いします。本来なら、もっと華やかな場で、明るい日差しの下で、相応しい相手に向けられるはずだった定型句は、硬く冷たい声音で告げられる。王妃──当時は公爵令嬢だった次期王太子妃は、正しくその無念を受け止めた。故に、“母体や胎児に何かあってはならない”と、側近たちと協力しながらマリアの住む離宮から王太子を徹底的に遠ざけた。侍女や護衛など、万が一にも王太子に同調して手引する者がいないよう、王妃の命令に忠実で、誠心誠意マリアに仕える者だけを付けた。望まぬことの連続で、既に心が幽世と現を行き来していたマリアへの、せめてもの償いだった。

 月満ちて、マリアは男子を産んだ。そして亡くなった。元々、心身ともに衰弱していたマリアにとって、出産は追い打ちに過ぎなかった。

「この子を、……この子を、どうか、お願いします」

 それが遺言だったという。

 葬儀で物言わぬマリアと対面した王太子はひどく取り乱し、慟哭した。あれほど盲愛した最愛との別れだ、さもありなんと何も知らない人々は涙を誘われ──その一月後には“最愛を失った心の穴が塞がらない”と女漁りに精を出し始めたのには、失笑すら起きなかった。

 公爵令嬢も側近も、再びの犠牲者は許さない。王太子には息のかかった専門の女をあてがい、時に溺れさせ、政の表舞台から彼の存在感を薄れさせた。政略通り公爵令嬢は王太子妃となり、王妃となり──その頃になると王は最早種馬の役割すら終え、ただ次代が育つまで息をしていればいい存在として、王宮の奥深くに軟禁されていた。

 王と王妃の間に生まれた第二王子が、王太子となった。際立って優秀でも、愚鈍でもない。よく人の話に耳を傾け、民に寄り添える良心を持った彼は、平時であれば良き王となっただろう。

 しかし、時勢がそれを許さなかった。

 隣国の王は、強大な軍事力を背景に侵攻を企てていた。高まる戦の気配に、王妃──事実上の王は決断した。自らの血を引く第二王子ではなく、マリアの産んだ第一王子を次代の王とすると。

 第一王子──フリードは、不世出の天才だった。己が人よりも優れていることに気付くと、それを秘するべきと即座に判断し、行動するほどには。物心つく頃には、フリードは察していた。己がありのままの自分でいれば、国が割れると。

 母の身分は低いが、王とのロマンス(真実を知るフリードからすれば噴飯物で、唾棄すべきものだ)の果てに生まれた優秀な第一王子。

 公爵家という完璧な後ろ盾があり、人望もあるが本人の資質は明らかに劣る第二王子。

 傀儡以下の王が今更出しゃばることはないが、代弁しようとするお節介な輩はどこにでもいる。

 賢く賢くない振りをするフリードを、その本質を見抜いているにも関わらず、王妃は庇護してくれた。学問では自分に遠く及ばないのに、フリードの能力の高さを知っても、弟は無邪気に懐いた。それに、憎い、忌まわしい男の子である自分を拒絶せず、最期の力でフリードの安寧を託す言葉を遺してくれた、母。彼女や彼のためならば、無害な王子を演じることも、それにより軽んじられることも、何の痛痒にもならない。

 このまま臣籍降下して、心優しい弟を支えよう──本気で、そう願っていた。それを、愚かにも隣国は打ち砕いた。フリードのささやかな願いを永遠に叶わないものとした隣国は、今は地図上にない。

 何の瑕疵もない弟を王太子から引き摺り下ろすのは、並大抵のことではなかった。そして、廃嫡された弟は遺恨を残さないため、子を為せない処置を施される。そこまでしなくても、と反対意見もあったが、戦時に懸案事項は少ない方が良いと言う声が大きかった。そう主張した貴族の顔を記憶する。後に、その言葉の代償は払わせた。

 弟は、婚約者がいるにもかかわらず彼女を蔑ろにし、身分の低い男爵家の庶子との恋に溺れ、婚約者に冤罪をかけ婚約破棄を目論んで失敗したとされた。さすがはかの王の血筋、血は争えないと嘲笑した者は全て覚えている。皆、己の軽挙を後悔するような目に合わせた。

「兄上……いえ、王太子殿下。どうか、この国をよろしくお願いいたします──そしてご自愛くださいと、母上にもお伝えください」

 辺境に追放となった弟は、出立の日、秘密裏に見送りに参加したフリードにそう願った。はじめて会った時のような、子供のような、全幅の信頼を寄せられていると分かる屈託のない笑顔で。フリードが頷くのを見届けて、弟は手を振りながら馬車に乗る。その隣には、庶子役だった少女が寄り添っていた。彼女は、王家の影の中でも生え抜きの精鋭と聞いている。彼女が抜けるのは決して少なくない損失だが、王妃もフリードも許可した。

 後年。

 前王妃の後ろ盾を得ながら、フリードは次から次に国難のふりかかる時代を駆け抜けた。国は繁栄し、名君と称され、長く玉座にあった。偉大なる王と崇拝される彼を、後ろから支え続けた者は独りごちる。

「ごめんなさい、マリア。貴女の忘れ形見に平穏な暮らしをさせることもできず、歴史の表舞台に引きずり出さなければならなかったわたくしの無力を、……どうか許さないで」

 マリアは、図書館で本を落としそれを公爵令嬢が拾った縁がきっかけとなり、それなりに親しくしていた娘だった。成績こそ平均だったが、いつも決まった席で熱心に本を読んでいたマリア。生家の事業に活かせるかもしないと、楽しそうに笑っていた。公爵令嬢が気にかけなければ、王太子に目を付けられることもなく──マリアの人生は、きっと全く違っていただろう。

“フリジア様! 御機嫌よう!”

“フリ、ジア様……フリー、ドを、この子を、……この子を、どうか、お願いします”

 まぶたを閉じれば浮かんでいたマリアの顔は、声は、徐々に薄れている。親友の忘れ形見をろくに守れず、我が子さえ切り捨てた自分には似合いの罰だ。最期の時は近い。

 賢妃と呼ばれ、地位も名誉もあった生涯だが──心はいつだって、親友への悔恨に苛まされていた。



 賢妃崩御。

 既に代が代わっていようと、この国で賢妃と呼ばれる方は一人しかいない。

 王──フリードは、大なり小なり悲しみを露わにする人々の中で、一際泣きじゃくる娘に目を留めた。見ない顔だ。侍従にそれとなく聞けば、最近勤め始めた側仕えらしい。元は孤児で、辺境の出だとか。時代が移り、平民の登用も増えているとはいえ、賢妃の側仕えとしては異色の出だ。

「何でも、戦災で孤児となった自分が孤児院に身を寄せられて、手に職を付けられたのは賢妃陛下のお陰だといたく感謝しているとか……そこの院長と賢妃陛下が似ていたのもあるそうですが、不敬ながら本当の祖母のように思って、よく仕えていたようです」

 まさか。その、院長は。

 フリードの驚きを正しく理解しつつ、フリードが無害な王子と思われていた頃から仕えている侍従は無言で頭を下げた。彼がそれ以上口を開かないということは、そうなのだろう。

「そうか……それは、賢妃陛下も、良い側仕えをお持ちになっていたのだな」

 そう穏やかに告げたフリードは、空を見上げる。誰かを迎え入れるような、柔らかな日差しが祝福のようにふりそそいでいた。

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― 新着の感想 ―
幽閉した下半身屑王と口軽女も楽な死に方を許さず痛い目見させて欲しかったところDeath。
きっと義母上や周囲の人々はずっと人をやってたんだろうなぁ…… 見守る為とフリード陛下が「決着」をつけるまでに要らん事をしようとする連中を妨害する為に
誰もが幸せになれた「ハズ」なのに… 良き読了感でした。 ありがとうございます
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