中編「ファーストダンスは鮮やかに」
疾うに使用人は逃げ出しているということで、夫人に手ずから淹れてもらったコーヒーの香を満足げに嗅ぎ、自称陰陽師の土帥門春暁はカップに口を付ける。
「――というわけで、もう手に負えん。悪魔憑き……というやつなんだろう? 聞かされていると思うが、君らの前にも拝み屋だの悪霊払いだの、うさんくさい連中には看てもらっとるんだ。……どいつこいつも匙を投げおってな。その筋で紹介されたのが君というわけだ」
「なるほど、引きこもりのお嬢さんが悪魔に、ね」
「貴方は娘を元に戻せるんでしょうね!? もう限界なのよ!」
中年男女改め依頼者夫妻の話によれば、事の発端は半年も前。
十六になる一人娘がボロボロの恰好で高校から帰宅したのだと言う。
彼女はそのまま何も話すことなく部屋へ引き籠もって不登校になった。
当初は、無理に話を聞き出そうとしたりしなければ、掃除などのために部屋へメイドを入れるくらいは許していたそうだが、一ヶ月ほど前から様子が急変し、人とも思えぬ奇声を上げて暴れるようになったとのことだ。
「ハァ……暴れ方が……どんどん激しくなってるのよ」
「食事などはどうされてるんです」
「以前はメイドが……でも部屋に入ろうとして怪我をさせられてからは誰も……もう二週間くらい食べてないはず。部屋の中どころか扉にも近付けなくて……」
「さもあらん」と春暁は頷き「あの部屋は既に異界と化していますな。調べれば地域の開発からして金神の障り。お宅も狙ったかのように遊行へ向いてなさる。家相は最悪。極めつけにお嬢さんの部屋は丑寅の方角――鬼門です」
ことり……とコーヒーカップをテーブルに置くと、春暁は立ち上がる。
「おい、どこへ行く」
「つまり、どういうことなの?」
「フフ……要するに、この私以外には解決も難しかろう案件ということですよ。幸いにして星辰の位置だけはいい。なんとかしてみせましょう」
秀麗な白面に笑みを浮かべて答えつつ、スタスタと応接間を出てゆく陰陽師の後を追い、夫妻も腰を上げて足早に続いていった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
階段を上り、先ほどいた廊下まで三人が戻れば、小柄な少女に出迎えられる。
「おや、お早いお戻りで」
「そう言えば、ご紹介がまだでしたか。この娘は深山……まぁ、私の助手とでも思っていただければよろしい。待たせましたね、深山」
「期待しちゃいませんけど、アタシには茶の一杯もなしですかね、道士さま」
「フッ、頂いたコーヒーはなかなかのものでしたよ」
「それ差し入れるくらいの気遣いもありませんかって話なんですよ」
そんなやりとりをしながら合流し、二人が奥の扉へ目を向けると、今の今まで鳴り止んでいた騒音が部屋の中よりドン……ドン……と響き始めた。
先ほど空いた扉の隙間からは再び黒い影が滲み出ようとしている。
「常人にも視認できるほど凝った鬼気ですか。部屋の中はどうなっているやら」
「さあ? あれのせいで扉にも近付けませんでしたので何とも」
「ほほう……すると、あれは出てこようとしているのではなく……」
「そ、そうだ。へ、部屋に誰かが近付こうとすると、ああして暴れ始める」
「なるほど?」
と、返しつつも、春暁は躊躇無く歩を進めていった。
「ま、待て! どうするつもりだ!」
「フッ、とにかく部屋に招き入れてもらわなければ始まらないでしょう」
「後のことは玄人に任せて、お二人は離れて大人しくいてくださいね」
なおも何か言おうとする夫妻を制し、深山も広めの廊下を進み出る。
「「いざ鬼気やらいと参らん」」
二人が壊れかけた扉の方へと近付いてゆけば、部屋の中より金切り声が響き、床や壁を叩く騒音も地鳴りと思えるほど激しさを増した。
そして、重油を思わせる粘液めいた影が扉枠の隙間から吹き出してくる。
「疾っ!」
矢の如く飛び出し、それら片手の一薙ぎで吹き散らしたのは深山であった。
その手にはいつの間にか鉄の爪とでも呼ぶべき形の手甲が嵌められている。
吹き飛ばされて小さな破片と化した影は壁に付着してなお蠢くが……。
「行きなさい、式鬼たち」
春暁の放った小さな紙人形が三体、あたかも燕のように宙を舞い、それらを次々と切り裂いてゆく。
「臨 兵 闘 者 皆 陳 列 在 前!」
更に、祭り囃子の太鼓じみた低音を以て早九字の呪言が発せられる。
合わせて春暁の真っ直ぐ伸ばされた指二本――刀印が縦、横、縦、横と九度に亘って鋭く振るわれれば、光の剣閃が影を大きく削り取っていった。
そうして締めにはダン!と片足をひと踏み。
「記紀に倣い、閉ざされた扉に舞を捧げよとの仰せかな? フッ、ご覧の通り、我らのダンスは破邪顕正の舞踏……お気に召すとは思えませんが」
気付けば、扉の外へと溢れ出していた黒い影はすべて細切れにされ、淡く光る粒子となって虚空へ消えていくばかりとなっていた。