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【ショートショート】重い数珠

作者: あずき船

近所の廃寺で、重い数珠なるものを手に入れた。

嫌な事が重なって誰とも会いたくなかった時に、逃げ込んだ廃寺の敷地内で、寺の前に落ちているのを見つけたのだ。

ご丁寧に説明書なるものまで括り付けられており、重い数珠と大きく最初に書かれていた。名前も見た目も絶妙にダサい。

きっと、まだ寺が活発だった頃に売られていたものの売れ残りが、片付けの時にでも転がり落ちたのだろう。

数珠とは、仏教で祈祷する際に使用されるものだと思っていたが、これは仏教徒じゃなくても使える。

説明書によると、ストレスが溜まった時や、嫌な気持ちになった時に、この数珠を手に持つとそんな気持ちがこの数珠に吸収されていくそうだ。

どこでも買えそうな胡散臭いアイテムだが、だからこそ、別に貰って行っても誰も困らないだろう、と有難く頂戴した。

この数珠で、例え思い込みでも、むしゃくしゃした気持ちを少しでも払拭できるのなら儲けものだと思った。

実際に、その場で説明書を取り外して数珠を手に持つと、気持ちが晴れていくのが分かった。プラシーボ効果なのだろうか。

辛気臭い廃寺も、泰然とした風格と趣のある寺に見えてくるから不思議だ。

気持ちが晴れるに伴って、手の中の数珠の重みが少し増した気がした。もしこれが全て思い込み効果なら、私の思い込み力も大したものだ。

何にせよ、嫌な気持ちも綺麗さっぱり払い落とされて、爽やかに弾む足取りで廃寺を後にした。

来るときは耳にかけるだけで何も流れていなかったエアーポッズからは、軽快な音楽が流れていて、口角もさり気なく上がっているのを感じた。


その日から、どこに行くのにも重い数珠を持ち歩くようになった。

私は仏教徒ではないから良く分からないが、見習われても良いくらい、勤勉な姿勢を見せていたと思う。常に数珠が側にあり、定期的に手に持って祈るような真似をする。

実際には持つだけで気持ちは晴れるのだが、せっかくなら形もそれっぽく、と次第に自分のフォームを完成させていった。

毎日、全く嫌な気持ちになる事がなく、常に楽しく過ごせるようになり、日々が輝いた。

唯一困ったのは、感情が吸収されるにつれ、数珠の重みがずしりと増していった事だ。

ある日、鞄に入れて駅まで歩いていたら、鞄が数珠の重みに耐えられず破れてしまった。

また、家でトイレに立った時に、トイレの外からメキメキと何かが折られるような音が聞こえ、用を済ませて出てみたら天板が無残に二つに破壊された本棚が目に入った事もあった。


しばらく経ってくると、それ以上の変化を感じるようになった。

人と話していても、何を言っているか全くわからないのだ。いや、言葉の意味はもちろん分かるのだが、そこに乗って来る感情が全くわからない。

例えば、友人が仕事で失敗をして上司に怒られた、と、ある日仲間内で飲みに行った時に言っていた。何でも、上司の指示に従った上での失敗だったため、怒られるのは理不尽だと。それも、クライアントの前で行われたため、彼らからの信頼も失い居たたまれなかったそうだ。耳まで赤くなり、目は潤んでいた。

私だってもちろん失敗したり、不都合な事や嫌な事があったりするが、その度に数珠を持っていたため、それがどのような感情か分からなくなってしまった。いつしか葛藤というものが想像の中にしか存在しないものになっている。

だから、楽しい以外の気持ちを全く共有できなくなってしまった。

痛ましい顔をして肩を抱き合う友人たちを見ながら、何も感じていない自分を実感し、分かり合えた事で笑いながら晴れやかに酒を追加している彼らの前で、薄っぺらい自分に気づいてしまった。


重い数珠は、もはや自分では持ち上げられないほど重量を増している。

こんなに重くなってしまった。

これが、人間の重みか、と思いながら、このとても有難い数珠を寺へ返品しようと決意した。

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