アメリカンドッグと私
茶色くてまるっこい、棒付きの揚げ物を見ると…実家にいた頃を思い出す。
いつもテーブルの上に置いてあった、二本入りのアメリカンドッグのパック。
発泡スチロールのお皿の上にみっちりと互い違いに並んでいて、しっとりとしたラップで覆われていて。
右下のあたりに値段のシールが貼られていたことは覚えているけれど、いくらだったかは覚えていない。
おやつに食べたり、おひるご飯にしたり、朝ごはんになったり、お弁当になった事もあった。
うちは、やけにアメリカンドッグを買う家だったのだ。
手軽だったのか、親が好きだったのか、理由は定かではない。
気が付いた頃にはもう、アメリカンドッグは日常に欠かせないものになっていた。
親がスーパーに買い物に行った日は必ず、テーブルの上に置かれるようになっていたのだ。
私は、アメリカンドッグが格別に好きだったかというと、そうではない。
どちらかと言えば、中に入っているソーセージはあまり好みではなかった。
ベタベタしている油っこい衣も、あまり好きではなかった。
けれども、食べる事ができるものがアメリカンドッグしかないのであれば、手をのばして口に入れていた。
アメリカンドッグを買って来れば毎回残さずに食べるから、親は律儀に同じものを用意した。
「今日は売り切れてたから、大判焼き買っといた」
「今日は三つ入りのしか残ってなかったから、カステラの耳を買っといた」
「今日はぼたもちしか売ってなかったから、どら焼きを買っといた」
たまにアメリカンドッグ以外のものがテーブルの上にあると、うれしかった。
「今日は青空市の日だからお好み焼き買ってきたけど」
「今日は青空市の日だから三色団子とようかんね」
「今日は青空市にたこ焼きが来てたから買っといたよ」
5と0の付く日は青空市があったので、別のものが食べられて、うれしかった。
あまりにもアメリカンドッグが身近だったからか、出店や屋台などで買うことはなかった。
家に帰れば似たようなものがあるので、わざわざ自分で小遣いを出して買おうという気にはなれなかったのだ。
実家を出てから、ずいぶん長い間アメリカンドッグと縁の遠い生活をしていたのだが。
「あれ食べたい」
娘の一言で、初めて屋台のアメリカンドッグを買ってみた。
揚げたての、アツアツのアメリカンドッグに、ケチャップをたっぷりと塗って食べ始めた娘。
「なんか、思ってたのと違う…」
あまり食が進まない感じだったので、二口ほどかじったアメリカンドッグの続きを引き受けることにした。
…カリッ、サク、サク…じゅわっ。
モグ、もぐ……。
久しぶりに食べるアメリカンドッグは、思いのほか…美味しくて。
大人になったから、味覚が変わった…?
ちょっとお高いやつだったから、グレードが違う…?
作りたてだから油が回っていない?
……。
それ以来、ふと目に着くたびに、スーパーや出店でアメリカンドッグを買うことが増えたのだ。
「お母さんはアメリカンドッグが好きだねえ。まあ、確かに…ウマいけど!」
初回こそ難色をあらわにしたものの、今では娘もアメリカンドッグを好んで食べている。
「これもらってもいい?」
「ひとくちちょーだい!!」
「ちょ!!!それ一口ちゃう!!!ほぼ全部やんけ!!!」
2本入りのアメリカンドッグは、あっという間に品切れになる。
娘も、息子も、旦那も、私も、アメリカンドッグが大好きなのだ。
……いつも一人で二本食べていた時代を思い出しながら、一本も食べられない今の生活もなかなか乙なものだと思う私がいる。
美味いと言っても、美味いにふさわしいカロリーが、ね。
アメリカンドッグは、実家にいるときに一生分食べたから……まあ、いいかってね。
美味そうに食べられているアメリカンドッグを見ながら飲むお茶は…美味しい。
……もう一杯飲もうかね。
私はお湯を沸かすために立ち上がり…頂き物の赤福の封を開けるのだった。