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Epilogue

「ここ、俺のベッドだよな……?」


 寝起き直後の俺が目にしたのは、どういうわけか隣で眠っていた莉世の寝顔だった。


 あどけなさの残る安らいだ表情。

 さらさらの髪は無造作に散っていて、毛先が目と鼻の先にまで広がっている。


 掛け布団は被っておらず、部屋着がめくれてへそまで見えてしまっていた。


 もちろん、一緒に寝た記憶はない。

 俺が寝る前に、莉世は既に自分の布団で寝ていたのを確実に目撃している。


 てことは、ここで寝たのは俺が眠った後というわけだ。


「……酔いが抜けなくて潜り込んできたのか?」


 風呂へ強引に突撃してきた莉世ならじゅうぶんあり得る。

 ……一緒に風呂に入っておきながら同じベッドで寝ることへ騒ぎ立てるのは、何かが違うと思わないでもない。


 それはそれとして、どこからか食欲をそそる匂いが漂ってくる。

 こんな匂いの出どころとなる場所は一つしかない。


 真偽を確かめるべく莉世を起こさないようにベッドを抜け出し、キッチンへ向かい――


「やっぱりか」


 キッチンに並んでいた、俺が用意した覚えのない朝食を目にして納得する。

 所々が焦げている玉子焼き、昨日の残りの生姜焼き、油揚げと豆腐とネギの味噌汁。


 この品々を拵えられる人物は、俺以外には一人しかいない。


 早起きした莉世が自発的に作ったものだろう。

 昨日のことを覚えていての罪滅ぼしなのかは本人に聞かないと定かではないものの、朝食を作ってくれたことには感謝しかない。


「この間まで目玉焼きもちゃんと作れなかったのになあ。成長するもんだ」


 俺は朝食に手間も時間もかけないで、なるべく楽に作ることを心掛けている。

 莉世が作ったと思しきこれらも自分で作るのは玉子焼きと味噌汁だけだし、失敗していても食べるには問題ない。


 玉子焼きはちょっと焦げて巻き方が上手くいかなくても食べられる。

 味噌汁も薄ければ味噌を足せばよくて、逆に濃ければ薄めたらいいだけ。

 生姜焼きは昨日の残りだからレンジで温めて盛り付ければいい。

 米は俺が毎日寝る前に炊いているので問題ない。


 そして、莉世が隣で眠っていた理由も見当がついた。


 早起きをして朝食を作ったはいいものの、俺が起きてから食べようとしたのだろう。

 あと、単に見て欲しかったという線もある。

 だから俺が起きるのを隣で待ち構えていたけど、そのまま寝落ちしてしまった。


 ……こんなところだろうな。


 朝食がなければ寝ぼけて潜り込んできたのかと思ったところだけど。

 前科があるからそう思われても仕方ない。


 昨日の風呂の件とか――


「……やめよう。色々、よくない」


 頭の中に浮かび上がってきた肌色とか、小さな四角い箱のこととかを強引に思考から排除する。

 俺に一切の非がないとしても、それを思い出してしまうのは罪悪感が凄まじい。

 あと、これから莉世と顔を合わせた時に変な反応をしてしまいそうだった。


「とりあえず起きないうちに着替えておくか。朝食を作ってもらったなら脱衣所が込み合いそうだし」


 そんなことを考えながら部屋に戻り、着替えをクローゼットから取っていると、ベッドで莉世が身じろいだ。


「…………ぅ、ぁ」


 微かな呻き声。

 ぎぃ、とベッドが軋み、莉世の上半身が緩慢に起き上がる。


 前髪の隙間から眠気眼と目が合って。


「おはよう、莉世」

「……おはよ、湊」


 寝ぼけているのか、数秒の間を置いて莉世が答えた。


 そして、どうしてだろうと言いたげに小首を傾げる。


「…………早起きして、朝ご飯を作って、湊がいつ起きるか隣で眺めてたはずなのに、どうして私が寝ていて湊が起きてるの? 夢?」

「ちゃんと現実だよ。キッチンに莉世が作ったご飯もあったから、寝落ちしただけじゃないかな」

「ならよかった」


 莉世は胸に手を当てて息をつく。


「でも、ちょっともったいない」

「なにが?」

「湊の寝顔を眺めるの面白かった」

「恥ずかしいからやめない?」

「減らないのに?」

「……他に何もしてないよね?」

「してない。頬っぺた突っついてみようと思ったけど起こすかと思って堪えた」


 ……男の頬を突いて楽しいの?


 これが女の子ならまだ理解できたけれども、この歳でそんなことをするのってバカップルくらいだと思ってた。


「それより、よく一人で朝飯作れたな。すごいじゃないか」

「私もやればできる……って言いたいけど、湊に教えてもらったから」

「俺はきっかけを与えただけ。習得したのは莉世の努力の賜物だ」

「……ん。もっと頑張る。湊より美味しいご飯作れるようになりたい」

「負けてられないな。時臣さんにも機会があるときに振る舞えば喜んでくれるんじゃないか?」

「そうかも。でもやっぱり、一番は湊に食べてもらいたい」


 流れで教えていた俺としては嬉しい話だ。

 一人暮らしだと料理は自分で食べるために作る。

 けれど莉世が……他に誰かがいると、その人のためにも作ることになる。


 俺もバイト以外で久しぶりに料理を振る舞ったのは、莉世を泊めたあの日で――


「……あの日も似たようなメニューだったような」

「気づいた? 湊が私を泊めてくれた日の朝に作ってくれた朝ごはん。湊ほど上手くは作れなかったけど。玉子焼きもちょっと焦げちゃったし」

「あのくらいの焦げ目ならむしろちょうどいい。ちなみに塩? 砂糖?」

「砂糖。湊は甘い方が好きでしょ? 私も好き。好きになった」


 好みの把握までされていたとは。

 でも、莉世も好きならよかったかな。


「早く食べよ。遅刻したくない」

「そうだな」


 一応温め直したそれらをいつものようにテーブルへ並べ「いただきます」と言葉を揃えるも、莉世は箸も持たずに俺の顔をじーっと見つめていた。

 やや緊張した表情。


 俺が食べるのを待っているのか?

 初めて自力で全部作った食事の感想を聞きたくなるのも気持ちはわかる。


 それならと、まずは玉子焼きを口へ運んで――


「美味しい」

「……よかった」


 率直な感想を伝えると、莉世はそれを待っていたかのように表情を弛緩させ、ふにゃりと微笑んだ。


 その笑顔が、あの日のそれと重なる。


「……莉世を拾った日は、まさかこんなに長く泊まるとは思わなかったな。一日泊めて終わりのつもりだったのに、まだ寝食を共にしているんだから」

「私もこんなに長い付き合いになるなんて思ってなかった。てっきりどこかで追い出されるものだとばかり」

「前まではそうだったけど、今は……まあ、とりあえずはいいかって。なんだかんだ、一人より二人の方が楽しいし。嫌なことがないとは言わないけど」

「昨日のお風呂のこととか?」

「自覚があるようでなによりだ。今度は踏みとどまれるともっといいな」

「善処する」


 それはやらない人間の返事なんだよな……と思いつつも、完全に拒絶できないあたり、俺も相当に毒されているらしい。


 会話もそこそこに朝食を食べて後片付けをしたら、準備をして大学へ向かうだけ。


「今日の服は随分と派手だな……?」


 莉世の服装はピンクのオフショルダーブラウスに黒のスカート、黒ニーソまで合わせた、俗にいう地雷系ファッション。

 髪型もそれに合わせたのか左右で結んで、後ろ髪を背に流していた。

 似合う人がかなり限定されそうなそれを莉世は見事に着こなしている。


「世間一般では地雷服とか呼ばれてるやつ」

「それもロリィタ系なのか?」

「微妙に違う。説明が難しいし、知らなくても問題ない」


 なるほど……ファッションは奥が深いな。

 俺も時々莉世の作業とかを見て話したりするけど、男のそれより格段に幅広くて覚えられる気がしない。


「本当は厚底のブーツとかと組み合わせるけど、私はいつものスニーカー。歩きにくいからあんまり好きじゃない」


 さっと莉世がスニーカーを履き、くるりと振り向く。


「いこ」


 何気なく差し出された手。

 それを取って、玄関を出る。


 あの日、莉世を拾って変わったことがあるとすれば。


 それは今の俺が享受している、穏やかで幸せな日常なのかもしれない。

これにて完結になります。

少しでも面白かったと思っていただけたら★を入れて頂けると嬉しいです。

次も遠くないうちに出せたらいいなと思っています。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 2人の関係性がとても良かった。莉世と時臣さんが和解出来て良かった。 [気になる点] あらすじの莉世が一部理世になっていた事。 [一言] 完結おめでとうございます。とても楽しかったです。後日…
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