リックと黄金の神鳥Ⅻ
世界樹の麓の街でプリメラの懇意によって一泊することとなった。
世にも珍しい竜種も人も泊まれる最高級宿、その宿屋に隣接する酒場もただの酒場ではない。竜種を昏倒させるような酒量の酒蔵を完備してある。
竜種が取ってきた獲物を解体し調理できるような大きな調理場もある。
至れり尽くせりだ、エイリーにとってこの宿は何度か経験があるようだが、リックにとっては何もかもが初めての高級感で驚いて言葉が出ない。
「竜は黄金や光るものに目がないが、人間にとってこれらはまた別の価値を持つだろう」
プリメラがそう言って飾ってある宝石の珠、宝珠を適当に手に取って転がしている。
「ああ、傷つけたらいくら払わないといけないのか」
リックがそう言って心配そうにしていると、プリメラとエイリーはそれを聞いて大笑いする。
「リック、この宿にあるものは全部プリメラの所有だよ」
「ええぇ」
驚くリックに対してプリメラは言う。
「これらを傷つけたり盗んだりしたら確かに私も怒るが、この竜王プリメラを止める術を持つ人間などリック、其方しかおるまいよ」
「え、え?」
リックは竜王という存在を知らない、どこかの村や町でそう言った伝承を耳にはするが実在していないと思っていたからだ。
「今日は飲んで行け、エイリー、リック」
プリメラがそう言ってエイリーの目の前に樽を置く。
リックは酒を飲んだことがないため、ほんの少しお酒が入った甘いカクテルを注文する。
「ちょっと待って、リックも飲むの?!」
そう言ってエイリーが止めるが、リックは当たり前にピースサインをする。
「む、リックは酒が飲めないのか?」
そう言ったプリメラを余所にリックはカクテルを飲み干した。
「リックはお酒に弱いんだ」
説明するエイリーとプリメラの目の前でリックの意識が飛ぶ。
「お酒を飲むと生来のリックの気質が理性を壊して出てくるんだ」
うなだれたリックがボソッと呟いた。
「【封牢結界】」
その瞬間、周囲全ての存在がそれぞれ結界の中に閉じ込められた。
口元が緩んだリックが更に紡ぐ。
「【封牢結界・永久ノ剣】」
封牢結界の性質を持った鋭い刃、切っ先から全てが空間を固定した単分子で形成されたの刃、それらがリックの身長よりも大きく伸びて伸びきってより大きな剣を形成する。
「今回は刃物か」
一刀に振り抜かれたリックの剣を封牢結界から抜け出したエイリーが片足で掴んで止めた。
切れ過ぎるためエイリーは装備した爪に魔力を通して剣を止めている。
「これは面白いものが見れたな」
リックがその場に倒れた瞬間、全ての封牢結界が解け、周囲はどよめいている。
「リックはお酒を飲むと夢の中で考え付いた技を試すクセがあるんだ」
「なるほど、面白い小娘だ」
プリメラはそう言って笑っている。おそらくあの刃は使えばプリメラの命にすら届き得る刃だった。
リックを酒場のソファに寝かせ、エイリーとプリメラは樽とジョッキを酌み交わす。
「世界樹の実を発酵させて作った酒だが、味はどうかな?」
問うプリメラに対して、エイリーは顔を上げて言う。
「悪くない」
エイリーは毒素に対して絶対の耐性を持つため酔わないが、その味は甘く濃厚だ。
プリメラがリックの赤い髪を見てエイリーに言う。
「そう言えばエイリー、お前が連れていた人間の幼子も確か赤い髪だったな」
「ああ、エウね。リックはエウのお姉さん」
プリメラがそれを聞いて苦笑し、エイリーに対して言う。
「お前もよく分からんことをする。人間の世話などこの私でも一度か二度あるかどうか」
「今回はリックに故郷を見せてあげようかと思って来たんだ」
エイリーがそう言うと、プリメラは笑って言う。
「なるほど、あの時の」
プリメラはそこまで言っておいてその先は言わない、エイリーにとっての地雷だと知っているからだ。
「ボクにも正しいことかどうか分からない、分からないけどやらなくちゃいけない気がするんだ」
「性分だな」
プリメラはそう言って微笑んで何も言わない。
眠っているリックを見下ろして、エイリーはプリメラに言う。
「プリメラ、ベッドまで連れて行くの手伝って」
「ああ、分かった」
竜王プリメラがリックを抱えてエイリーと部屋まで歩いていく、最高級の客人を持て成すための部屋だ。
一人で寝るには大きすぎるベッドにリックを下ろし、プリメラは言う。
「エイリーはあっちね」
エイリー専用の部屋がある、新しい藁を敷き詰めた小屋のだがエイリーにとってはこれが至上である。
「わー、ありがとう」
「何が用があったら声を掛けてね」
そう言ってプリメラは部屋から出て行く。エイリーは藁を調整して自分の寝床を作り、そのまま座って目を閉じた。
基本的にエイリーは寝なくても活動できる存在だが、精神的な癒しは必要不可欠でプリメラの配慮は単純に嬉しい。
プリメラとしては自身が卵から産まれた頃からエイリーを知っている古い知り合いのようなもの、エイリーに対して全力の歓迎がないはずはない。
昔は竜種の存在も確認されることはあまりなかったのだが、世界が閉じる前になってその存在も明確に輪郭を帯びて台頭したのだ。
もちろん世界樹の樹上は変わらずエルフが居て、更に上にはその国が、更に上には滅びた文明が存在する。
エイリーは元々その世界樹の周辺に勝手に住み着いただけの鳥である。
過去にはそこで神と魔の戦争が起きて癇癪を起こしたエイリーが暴れまわったりしたものだ。
乗り手と出会ってからは多少なりとも落ち着きはしたものの、それでも神を恐れさせもした。
何せエイリーの気が変われば明日、世界が破滅しても何ら不思議ではないのだ。
もちろんルセナもルフィナも同様だが、エイリーは特異点としての格が違う。
単純に強いだけではなく、破壊と再生を際限なく行える点だ。
ただ一つ、エイリーに過ちがあるとすれば、世界樹の周辺を縄張りにしていたのにも関わらずエウやリックの住んでいた村に被害が及んだことだ。
再生させられる命は生きている命だけで、死んだ者が生き返ることなどエイリーには出来ない。
世界の管理者であるマキナにとっては可能だろうが、復活の願いを簡単に叶えるような生易しい存在ではない。
マキナに対してエイリーが出来ることは借りを作らず、弱みを握らせないことだ。
ルセナとルフィナは特異点として発見次第、殺すことが最善策ではあったのだが今回に限ってはリックがそれをしなかった。
エイリーもそれに従ったまでのことだが、今はまだ保留のままだ。
このまま何も起きなければいい、とエイリーは願う。
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朝、見知らぬ高級装飾品で飾られた部屋で目覚めたリックは装備していた腰の双剣の一本を手に取って剣を見つめた。
「【封牢結界・永久ノ刃】」
剣に沿って結界の刃が形成される、どうやら夢ではないようだとリックは刃を見つめている。
リックにとっては波動の力は放出と発散させるよりも停止と固定させる方が得意らしい、結界も刃も原理としては似たようなものだ。
頭が重い、とリックは頭を抱える。
「おはよう、リック」
エイリーの声が近くの部屋から聞こえる。
「あー、おはようエイリー」
リックは展開した刃を解き、腰の柄に剣を納めてベッドの上に立ち上がる。よろよろとベッドから降り、頭を抱えてエイリーの声が響く方に歩み寄る。
「今日は頭が痛いから休もうかな」
リックがエイリーにそう言いながら近寄ると、エイリーは言う。
「ん、そうしよう」
リックは自分の装備である腰のベルトを解きながら部屋を見渡した。
「すごい部屋・・・・」
「ボクの宝物洞窟に比べたらまだまだ・・・・いつかリックにも見せてあげるよ」
見渡すリックにエイリーはそう言った。
宝物洞窟、と聞いてリックは金銀財宝が隠された夢のような洞窟を想像するがこのご時世にそんなことはあり得ないはずだ。真実半分、嘘半分で聞いておこうと外したベルトと双剣二振りの納まった柄を綺麗にベッドに並べた。
履いているレザーパンツを脱ぎ、上着のボタンに手を掛けたところでリックは澄まし顔で下を向く使用人の女性を見つけて開いた口が塞がらない。
「おはようございます、お客様」
「あ、ああ、おはようございます」
そう挨拶を返したリックは、まあ女性だから別にいいかと装備を脱ぐ。
「お手伝いしましょうか」
使用人の女性にそう声を掛けられ、リックは笑顔で言う。
「いやぁ、毒が塗ってあるものもあるから」
使用人は気付いたようにリックの装備を並べられる机を目の前に用意する。
「こちらにどうぞ」
ベッドの上に並べてもいいのだろうが、さすがに悪いかとリックは装備をその机に並べた。
上服から抜き出したクナイを並べ、毒瓶を置き、上着を脱いで下着姿となって太ももと二の腕に巻いていたベルトを外す。
リックの体型は小柄だがエウリュアレよりも背はやや高く胸も少し大きい、とは言っても比べなければ分からないほどだ。
華奢とは言えず、女性らしく肉付きが良く、ほぼ筋肉だ。
「ええと、お風呂は」
リックがそう聞くと、使用人はガウンをリックに着せてリックを案内する。
露天風呂、しかも個人の貸し切りで最高級の洗髪剤まである。この宿の主はプリメラ、竜が人化した女性だった。そういうこだわりもあるのだろう。
短刀をこの露天風呂に持ち込んだリックだったが、人の気配は使用人の女性以外ない。安心して良さそうだ。
湯加減も程よく、人間にとって良い温度になっている。
悪くなさそう、とリックは身体を洗い始めた。
リックが風呂が終わってガウンのまま部屋に戻ると、プリメラがエイリーに会いに来ていた。
「おお、リックちょうどよい、これを」
プリメラが見たことのないおしゃれな包み箱をリックに手渡した。エイリーは既にその包み箱を適当に開けて中身を食べているみたいだ。
「これは?」
「世界樹の実よ、我が管理するモノの中でも群を抜いた一級品よ」
プリメラがにこにこしながらそう説明する。エイリーは既に味わっていて静かに頷いている。
「私が食べてもいいの?」
「うむ」
そう言ったプリメラと、何も言わないエイリーが頷く。
リックは箱を空けて綿のような素材に包まれた世界樹の実を手に取った。
この黄色く、甘い酸味のある果実は人間にとって豊富な栄養を蓄えている。もちろん動物にも竜にも好まれているが一つの実の価値は王都での平均月収と大差ない。エイリーはそれを易々と手に入れてしまう財力を持っているが、乗り手を介して購入できないとぼったくられることもある。
別の入手ルートとしてはプリメラや冒険者が収穫量の一部をエイリーのために保持しているのだという。
「滋養強壮、怪我や病気、酔いなどの状態でさえこの果実を食べればたちどころに改善するのでな、昨夜の詫びに持ってきたの」
プリメラの言葉を聞きながらリックは手に取った世界樹の実に持っていた短刀を滑らせる。
果実の皮でさえもそのまま食べられるほどだが、切り分けて種を別にしておかないとエイリーがそれを好んでいるために捨てるのは勿体ない。
果肉を切り取って食べると、甘さと酸味がほどよく頬に伝わる。
「おいしい」
リックの頭に残っていた酔い覚めの不快感がなくなり、残りはエイリーに渡してリックは身体機能の調整のための柔軟体操をガウンを着たまま部屋の隅で行う。
エイリーがリックから貰った世界樹の実の半分を丸呑みする。
「美味しい!」
そう言ったエイリーとリックの様子を見てプリメラは微笑んでいる。
「とっても美味しかった、ありがとうプリメラ」
リックはそう言いながら柔軟を続けている、どうやら調子が戻ったようだ。
「リックは不愛想だからそこまで喜んだ姿は見せないけど、あれは喜んでる」
エイリーがプリメラにそう言って説明する。
「ふむ」
プリメラが扇子で口元を隠し、リックの様子を観ている。
リックはそこまで感情を表に出さない、ただし完全に無表情というわけでもなく、いつもにこにこしている妹のエウリュアレとは正反対だ。
前の乗り手が暗殺術をリックに継承したのだとエイリーから耳にしたが、これはなかなか逸材だとプリメラは考える。
扇子を閉じ、プリメラはリックに言う。
「リックよ、今日は休むのならこの街に相応しい衣にせねばな」
プリメラが使用人にリックの衣服を用意させる。リックが試しに試着してみると着られる衣装すべてが似合う、元々姿形が良いのだから何でも着れる。
「気に入った服があれば持って行け」
「いいの?」
そう言ったリックは少し嬉しそうだ。エイリーはリックとプリメラのその姿を観て目を細めて和んでいる。リックにとっての休みはエイリーにとっての休日だということでもある。
何もしないままでもエイリーにとっては良い、明日には世界樹の麓から登って世界樹の中層まで駆け上がるので心力を蓄えておくのもいいことだ。
世界樹を登山、いや登樹するにあたって薄くなる酸素もまた必要なものだが、装備一式をプリメラが貸してくれるみたいなので特に問題はない。
そういえば、登るのはいいけど降りる時にはよく飛び下りたりしたものだとエイリーは昔を思い出す。
飛べると思ったのだから飛んでみたらそのまま落下したりしたものだ。
エイリーはよく空を駆けるが、あれは駆けているだけだ。飛んでいるわけではない。
元々は騎乗鳥種という飛べない鳥の仲間で、交配によって生まれた騎乗できる鳥の中でも優秀な種類の鳥、王国では騎士職に与えられるような騎乗できる鳥だ。
一見するとエイリーと他の騎乗鳥種とは区別がつかない。元々は黄色い羽根だったが、後天的な特異点の作用としての太陽のような光が黄金の羽根を作り出した。その黄金の羽根を持つのはエイリーのみであり、エイリーという特異点の鳥にのみ許されている力の象徴だ。
エイリーが試着しているリックをプリメラと眺めていたら、リックはエイリーの視線を感じて言う。
「エイリー、エイリーもこの際装備を整えてみる?」
「ボクの装備はドワーフ製だからそこらの装備より頑丈で壊れないからなあ、あー装備と言えば」
エイリーはそう言って藁の中から立ち上がり、バサッと身震いをして体に着いた藁を払った。
爪先ですうっと空間と空間を繋ぐ小窓を作ると、頭を入れてぬっと剣を取り出して地面にがらんと投げるように置いた。
「この手加減専用のエイリーソードがちょっと曲がってて困ってるくらい」
リックがその剣を観に近寄る。
それは剣というよりかは刃が無く頑丈さだけを求めたような鉄の棒に近い、刃物として斬るというより押しつぶす感じの剣で、柄がほんの少し曲がっている。
「重い、なにこれ」
リックが剣を持ち上げようとしても重く、持ち上げるにしても両手両足でしっかりと持ち上げなければ持ち上がらないほどだ。
「ボクが本気を出す前段階で装備するお試し用の剣、その名もエイリーソードさ」
プリメラがその剣をひょいと片腕で持ち上げ、溜息を吐いて言う。
「この剣が出てくれば必ず決着する。これで何度殴られたことか・・・・確かに曲がっておるな」
「名工の鍛冶師が精錬して鍛え上げた剣なんだけど、つい最近、曲がっちゃったんだよなぁ」
エイリーがそう言ってプリメラの手にある剣を眺めている。
「最近?」
そうプリメラが反応すると、エイリーは言う。
「ああ、ボクと似たような存在に異世界で逢ってさ、顔のない竜だったよ」
「ほう、それはそれは」
そう言ったプリメラが剣を下ろし、エイリーの話を興味深そうに聞き入る。
「あれは実体のない幻に近い竜だった、どんな攻撃をしてもダメージは入るんだけどたちどころに修復されるし、試しに剣でぶった切ってみたら力を入れすぎて剣が曲がっちゃうし」
「ふむ」
戦闘を好む竜種の王プリメラはそれを聞いてつまらなそうな顔をしている。しかし気を取り直してプリメラはエイリーに言う。
「この剣はうちの工房で預かろう、修復に数日かかるが問題ないか?」
「いいの?」
エイリーがそう言うと、プリメラは微笑んで言う。
「このような剣を修復できるなら我々としては誉れだ、なに金はとらん。そもそも元に戻せるかどうかも怪しいが工房の者としては携われるだけでも大喜び出来る剣じゃ」
それを聞いてリックもプリメラに聞く。
「いいの、何から何まで」
「よい、其方等は竜王プリメラの客人、失礼があってはならんからな」
プリメラからすればエイリーに貸しを作るいい機会なのだろう、エイリーも恩を仇で返すことはしない。
「貸しかな」
エイリーがそう言うと、プリメラは笑んだ口元を扇子で隠しながら言った。
「貸しじゃ」
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