終焉の始まり
それは輝く黄金の羽、全ての時間を止める輝ける神鳥。
「イグドラシルフィールド」
発動と共に、神々も魔も周囲の村も森も山も包み込む黄金の波が全ての時間を正常の状態に時間を戻す。
戻し続ける。
傷も怪我も欠損も全て正常な状態に戻り続けるために、争いは苦痛の記憶しか残さない。
神鳥といっても彼は最初から神だったわけではない、今も飛べない鳥のままだ。
空中を蹴って飛ぶ、ただそれだけで神々も魔も争いの中で苦痛だけをその記憶に残す。
双方の戦力が硬直しても神鳥は蹂躙し続ける。
三日三晩その蹂躙が続き、神鳥は急に飽きてどこかに駆けて飛んで行った。
神魔大戦の直前で起きた神話にも残らない御伽話だ。
▼
目覚めた少女は記憶を失くしていた。
自分が誰かも分からずに放浪して、一人の蒼い髪の冒険者に拾われることとなった。
若く聡明で思慮深い男であったが名前も何処から来たかも別れるまでの三年間、男は話すことはなかった。
ただ教えられたことを少女は覚えている。
数の数え方や、話し方、武器の扱い方、肉の捌き方、火の起こし方など、全て独りで生きられるように教えられた。
少女は何も話すことはない男の事を好ましく思わなかったが、見様見真似で男の武器の扱い方だけは模倣していた。
元々素質があったのだろうと思う。
男は少女に戦い方を教えた。
それから三年の月日が過ぎていた。
最後の夜になって、男は少女に別れ話をする。
もう独りで生きて行けるだろう、と男はいつも見せる優しい笑顔で少女に微笑みかけた。
その夜から、男は少女の目の前から文字通り消えた。
「お父さん・・・」
少女の生きる目標は、その日から蒼い髪の男を探すことになった。
王都で冒険者登録をし、少女は晴れて冒険者となる。
冒険者ギルドで依頼を受けて、依頼を達成して、その繰り返しの日々の中で蒼い髪の男を探す。
殺して、殺して、殺し続ける日々だ。
依頼があるのなら、モンスターでも犯罪者でも賞金首なら構わずに斬った。
3年が経ち、少女が16になる頃に初めて少女に通り名が出来た。
“幸運のリック”、その少女が双剣を引き抜いて目の前に現れたら幸運が訪れるという。
巷ではその話で大盛り上がりだ。
「あのリックが双剣を引き抜いて目の前に現れたら幸運だ、みんなおっ死んじまう!」
「ぎゃはははは!」
男たちのそんな話は当の本人の目の前では言わないが、嫌でも耳に聞こえて来る。
そんなリックは最近、よく男に話しかけられるようになったが「蒼い髪の男を探している」と言って相手にすることはなかった。
探しても探しても見つからない、それもそのはずで男は冒険者の中でも暗殺を得意とする暗殺職の人間だった。
その男から暗殺術をきっちり教え込まれたリックだったが、殺し方を教えて貰うことはあっても人の探し方など教わるはずもないのだ。
もしかしたら王都周辺にはいないのかも、と連泊していた宿屋を引き払うとリックはそれから旅に出ることにした。
王都の冒険者ギルドで依頼を受けて旅先で依頼を達成し、違う街で報酬を受け取ってそこで依頼を受けて、また旅先で達成して違う街で報酬を受け取るそんな旅だ。
「蒼い髪の男を知らない?」
そう言った口癖や、依頼の達成率が“幸運のリック”の通り名を冒険者の間で広げる。
彼女はおしゃべりなわけではないし、聞きたいことや知りたいことだけ聞いて一直線でその場所に行く、そのためにいつしか自分自身が女だということで“幸運のリック”に美麗剣士という尾ひれが付いて、更に男の目を引くようになった。
蒼い髪の男の情報をエサに罠に嵌まるようになったが、全員殺さずに制圧して霞のように消えていくためにリックが捕まることはない。
依頼は同じ依頼が続いて安定するわけではないので、その街から次の街まで休止することもある。
大きなお金は冒険者ギルドに預けて、持てる分のお金とお金を少しばかり宝石や宝玉に替えて持ち歩く。
ふと、野営していた夜の森の中で見上げた空を見上げて、彼女は深い溜息を吐く。
「どこにもいない」
探しても探しても見つからない人探しに疲れ果てたが、野営している森の中で焚き木の目の前に一人、眠るわけにはいかない。
「おや」
うとうとしていたところに見知らぬ他人の声が耳に入り、リックは飛び起きて双剣を引き抜いた。
声がした方向を見てみると、女の冒険者が目の前に立っていた。
夜の森で歩き回る冒険者など怪しさの塊でしかない、攻撃するか相手の出方を見て判断しなければならない。
「すまない、道に迷ったようだ」
双剣を持ったリックを目の前にして周囲を見渡す女の冒険者、警戒は継続しているが女の冒険者はリックを警戒している素振りはない、ただリックは警戒が解けないだけだ。
目の前の女の冒険者がただ恐ろしい、恐ろしいのだ。
「あなた、何者?」
リックが声を震わせながらそう聞くと、女の冒険者はニヤリと笑ってリックを見やる。
「へえ、分かるんだ」
その声を発した女の冒険者から目が離せない、リックはあからさまに警戒していたが違うカタチで女の冒険者も警戒をしているみたいだ。
ふ、とリックの中で湧き上がるような恐怖が無くなると女の冒険者はその左手に持っていた締められた兎をリックに見せた。
「ね、これ半分こしよ」
リックは両手に持った短剣を鞘に納めると、座っていた場所に座り直した。
そのリックの様子を見て女の冒険者は持っているナイフで兎を綺麗に捌いていく、その捌きぶりを見てもリックよりも遥か格上の冒険者だということが分かる。
「今のは威圧ね、そういう技もあるのよ」
「初めて見た」
リックがそう呟くと、女の冒険者はリックに優しく微笑んで言う。
「私、マミ。貴女は?」
「リック」
「リック、そう・・・貴女が」
自分の通り名である“幸運”が知れ渡ってからはそこまでリックは先に知られていることを気にすることはない。
「マミさんはどうしてそんなに強いの」
「私、こう見えても支援職が専門なのよ」
マミは兎を捌いて肉にしたものに森で採集して持っていた木の棒を刺す、このままリックが作った焚火で丸焼きにするつもりだろう。
「え、支援職・・・?」
リックはそれを聞いて若干引いている。そんなリックの顔を見てマミは言う。
「うふふ、戦闘はからっきしね」
兎の肉が焼ける音と匂いが周囲を包む、リックは思い出したように自分の持ち物から胡椒と塩の瓶をマミに差し出した。
「これ」
「あら、これはお姉さん頑張って焼かないといけないわね」
マミがじっくり肉を焼きながら、リックの顔をちらちら見て微笑んで言う。
「まあ、強いと言えば強いわ、それなりに仲間と鍛錬したり修行したりしたからね」
「仲間・・・」
そう呟いたリックは単独行動ばかりを好んでいる。教えた人間がそもそもそんな人間だったからか、それとも好んでいる職種のせいかは本人でも分からないところではある。
「まあ、そのうち仲間が必要な場面も出てくるでしょうから、その時にね」
マミはそう言っていい感じに兎の肉の丸焼きを焼く。
リックは目の前で兎の肉を焼くマミに対して気を許したわけではないが、どう足掻いても目の前の人間には勝てないことぐらいは分かる。
蒼い髪の男もリックに似たような殺気を放っていたような気がする。
「マミさん、蒼い髪の男を知らない?」
ふと、リックがマミに聞いてみる。
「んー?」
マミは兎の丸焼きに夢中だ。気を逸らしているようにもリックには見える。
リックが目を細めてマミの顔を伺うと、マミは焼いた肉をナイフで切り分けた後にリックの顔を見てニコニコしている。
マミから貰った肉をリックは肉の油で手がベタベタになろうとも遠慮なく手づかみで食べる。
「蒼い髪の人、会ったことは何度もあるかもしれないけど、リックが知っている人かどうかは私にも分からないわね」
リックはそれを聞いて頷く、探し人を探す上でよく聞く台詞だ。
「会いたいの?」
マミがそう言ってリックと同じように兎の肉に噛みつく、とても美味しいのかニコニコしている。
そんなマミを見てリックは食べながら頷く。
「どうして?」
「私のお父さんだから」
リックの想像する父親の残影が蒼い髪の男ではない、何故だろうと不思議に思うがそういうものだと納得している。
沈黙が続き、食事だけが黙々と進むとマミは食べ終わったリックの様子を見て言った。
「少し手ほどきしてあげよっか」
「む」
リックの動きが止まる。
「でも、マミさんは支援職じゃ」
「平気よ、怪我をしても治せるし」
ちょっと戦ってみたい、とそうリックが言うと、マミは立ち上がって焚き火から離れた場所で杖を構えた。
リックもマミから少し距離を空けて双剣を抜いて両手に携える。
「遠慮は要らないわよ」
マミが杖を構えると、リックは走り出してマミに双剣で斬りつける。
「無感情な顔はいいわね」
リックがよく分からないうちに天地が逆さまになっている。受け身を取ってその場で足払いを仕掛けるとマミは片足を上げてそれを避ける。
避け様にマミが杖を下から上に突き上げる。
リックがそれを双剣で受けると、元の位置まで吹っ飛ばされた。
猫のように着地してリックがマミを見据えると防御したはずなのに鼻血まで出ていることに気づいた。
「ただの攻撃が桁違いの威力」
リックがそう呟くと、マミはニコニコして言う。
「経験の差ね」
どう攻めるか攻めあぐねていると、マミは無詠唱でリックの怪我を魔法で回復させる。
「怪我がなくなった、これが回復魔法」
リックがそう呟くと、マミは自分から距離を作ったままのリックに言う。
「来ないならこちらから行くわよ」
一瞬にして離れたマミとの距離が縮まり、リックの眼前に杖の先が横薙ぎに飛んでくる。
その一撃を寸前で避け切ったリックにマミはその勢いのまま回転して容赦なく左足の回し蹴りをリックの腹部に打ち込んだ。
吹き飛ばされて受け身を取った瞬間に、マミはリックの打撲を回復魔法で癒している。
リックがそのマミに右手の剣を投げると、マミはニコニコしながらそれを避けて柄を握り、追撃するリックの左手の剣に合わせて打ち合う。
「強い」
マミの尋常じゃない強さにリックは驚きながら鍔迫り合いに持ち込んだ左手の剣に右手も添えて力を入れるが、マミは右手で持った剣でリックの左手の剣を抑え込んでいる。
「こうかしら」
ぐっとマミが力を入れると、リックは左手の剣を弾き飛ばされて仰向けの状態になった。
スッと、仰向けに倒れたリックの眼前にマミが杖先を止める。
「負け、た」
リックがそう呟くと、両の目からとめどなく涙が溢れてくる。
「あらあら」
マミがそう言って右手の剣も左手の杖も手放してリックに回復魔法をかける。
リックに痛みはないが、止めどなく溢れてくる涙は止まらない、止められない。
「負けちゃった・・・」
そう呟いたリックをマミは抱き抱えて頭を撫でながら言う。
「大丈夫?痛いところはない?」
「うん・・・」
マミがリックの涙を拭うと、マミはリックに微笑んで言う。
「リック、私みたいに強い相手と戦う時は逃げることだけを考えなさい、逃げられない相手でも追う理由が無ければ追ってこないものよ」
「うん」
リックはそう言って寝てしまった。精神的にも肉体的にも限界が近づいてきたところでマミのような存在と模擬戦闘を行うからだ。
マミは泣きながら眠ったリックを見つめて溜め息を吐いた。
「・・・これで気は済んだ?」
マミがそう言うと、暗い森の中から男の声がする。
「ああ、助かった」
「相変わらず頼み事ばかりするのね」
マミがそう言うと、男は闇の中にいなくなってしまった。
日の出と共に目を覚ますと、リックはマミに抱き抱えられたままだった。
「あら、おはよう」
マミがそう言うとリックはすぐに立ち上がって、自分の武器を探して見つける。
「・・・・」
リックは無口に二つの剣を鞘に納めると、焚き火を砂で消して旅支度を始めた。
「次は負けない」
そう呟いたリックを見てマミは立ち上がり、土ぼこりを払って言う。
「私が知ってる蒼い髪の男は暗殺職の冒険者でよく頼み事をする人だったわ、頼ってばかりでよく誰かを困らせていたの」
リックはそれを聞いて安心したかのようにマミの顔を見て言った。
「たぶん違う人だと思う、お父さんはそんな・・・」
リックが蒼い髪の男を思い出そうとすると、違う男の優しい顔を思い出してしまう。その記憶が現れると頭が痛くなる。
痛みで頭を抱えたリックを見て、マミは言う。
「その頭痛はそのうち快方に向かうから、心配しなくてもいいわ」
私これでも医者なのよ、と続けてそう言って持っている杖を上下にぶんぶん振るマミ。
「また会える・・・?」
リックがマミにそう聞くと、マミは快く頷いた。
「今度は負けない」
負けず嫌いにそう言うリックに、マミはニコニコ微笑んで言う。
「この世界には私より強い人がかなり居るわよ」
それを聞いたリックが驚いた顔をしているが、マミは澄まし顔で続けて言う。
「時に戦いは逃げて生き延びることも重要なの、そこはよく考えなさい」
こくり、と頷くリックにマミは微笑んで別れを告げた。
別れた後にリックは荷物をまとめて背負い、マミが歩いて行った道の逆を行く。
リックは歩きながら蹴られたお腹や、鼻血が出ていた鼻を触って確認するが、どこも傷がない。
「回復魔法、すごかったな」
そう呟いて、リックは森の中を歩いて行く、蒼い髪の男を探して次の目的地へ。
▼
時計塔の街に歩き付いた。
この街には中央に大きな時計塔が立っていて、それを取り囲むように川の水が水路によって流れている。
街の住人にやたらメイド服を着た人間が多いのはリックにも謎だが、しばらくの間リックはこの街を拠点に蒼い髪の男を探そうと計画する。
路銀には困っていないが、まずは必ず街に存在する冒険者ギルドに足を運ぶ。
依頼掲示板を一通り眺めて出来る仕事の量や冒険者の質や数を目で見て確認をし、ギルドの受付で綺麗な宿屋の情報を買う。
聞いた情報から宿屋へと足を運び、一か月分の賃金で宿屋二階の奥の部屋を借りる。
しばらくはそこに住むつもりだ。
水路に水が流れる音だけが聞こえるこの街はとても静かで、うるさかったのは冒険者ギルドにある酒場だけだった。
部屋に入ると荷物を部屋に置いて、すぐに部屋の鍵をかける。
中に誰もいないか確認をし、ホコリのない小綺麗な部屋を見渡して、浴室を見つける。
蛇口をひねると水が出る。
原理はリックにも分からないが水が豊かな土地だからこそ出来ることなのかもしれない。
すんすんと自分の服を匂うリック、しばらく野営ばかりだったので身体と服を綺麗にしたい。
水も綺麗で申し分ない、脱衣所で服を脱いで鞘から剣を一振り引き抜いて一緒にリックは浴室へ。
少し値が張る宿だがリックの稼ぎに比べれば大した額ではない、ここに決めて正解だったみたいだとリックは身体を水で洗う。
「お父さん、どこにいるんだろう」
リックがそう呟きながら持ち込んだ石鹼で泡を立て、自身の赤い髪から洗っていく。
蒼い髪の男と比べて自分の髪は赤く、父親と呼ぶにしては少しおかしいような気がしているのは確かだ。
それよりも記憶の中に現れる優しく微笑む黒く短髪の男がどうしても気になる。
自分の手を引く赤い髪の女の人の顔も思い浮かべてしまうと、頭が少し鈍く痛む。
マミが「その頭痛はしばらくすれば快方に向かう」と言っていたことを思い出し、リックは自分の身を抱えてマミの膝枕を思い出していた。
あれはいいものだ、と再び身体を洗い出したリックが妙に嬉しくなって口元が緩む。
しっかりしなきゃと自分の緩む口元に触れると、確かに口元は緩んでいる。
蒼い髪の男は対峙して教えられているときは無表情で、笑顔を一つも見せなかったのだが食事の時や一緒に歩く時などはリックに微笑んでいた。
そうしてリックが思い出していると、自分が髪を洗ったか忘れて仕方なく再び髪を洗い出した。
風呂から上がり、軽装でベッドに鞘に収まった双剣と共に横になる。
水路の水が延々と音を立てていて小気味が良い、目を瞑ってリックはしばらく眠ることにした。
次の日から三日に一度だけリックは討伐や採集の依頼を受けて時計塔へと入る。
時計塔の中はかなり広く上層と下層に別れていて、深い。
その中にモンスターがかなり湧いていて、冒険者はそれらを倒して素材を持ち帰ったり通貨を拾ったりしている。
この世界ではモンスターを倒すと通貨を得るが、どこからそれが落ちているのか分からない。
ただ一つわかることはこの通貨を拾いながら依頼をこなすことで儲かる、ということだけだ。
通貨が最終的に何処へ向かうのかは分からないが、世の中にはそれに価値をもたらす存在がいるという話をリックは耳にしたことがある。
力あるものがその通貨でしか成し得ないことを成すために多くを求めて湯水のごとく使う。だから通貨には一定の価値が付くし、冒険者がいなければ通貨は街に流通しなくなる。
一言で言ってしまえば謎だらけなのだが、その日暮らしの冒険者であるリックには割とどうでもいいことだ。
美味しいご飯や服、武器、住むところさえあればそこまで気にしないのだ。
国家間の戦争や、王族の嗜みなどに多くが使われることもあるので冒険者が活発にモンスターを処理しなければ国も王族も貧乏となり困窮するみたいだ。
何処かにそれらを牛耳る人間がいる、とそんな話も耳にする。
冒険者が通貨を稼ぐ、街の住人がその通貨を対価にして物やサービスを売る、国や王族が税としてそれらを無限に吸い上げて開発や建造、整備などを行う。
リックが少し考えたら分かることだが、そうなると世の中にお金が溢れてしまうはずだ。
何せモンスターからは無限に湧くのだから。
それはこの世界の謎だろう。
今日もリックは時計塔でモンスターを狩り尽くす、狩っても狩っても無限に湧くし、大物が出たらその場にいた冒険者と協力して倒して素材や通貨、装備を分け合う。
素材は冒険者ギルドで報酬と交換するし、拾った通貨は自分のもの、装備などは冒険者ギルドに隣接した鍛冶屋で素材に換えたり売ったりすることが出来る。
すり減ったリックの双剣も鍛冶屋に頼めば打ち直してくれるし、防具なども自分に合ったものを見繕ってくれたり、補修もしてくれる。
その際に鍛冶屋が使用した通貨が光の中へと消えていくのを何度も観たことがあるが、リックと鍛冶屋はそれがこの世界の謎の解明に繋がる現象だとは露にも思っていない。それが日常だからだ。
リックは軽量化した合成繊維素材の鎧を好む、特に黒色のものだ。音を立てず暗闇に潜んで獲物を狩るので黒を好む、普段着ている服も下着も黒が多い。
目立つ赤い髪は、蒼い髪の男から染めるのを止められている。特に理由はないが、この赤い髪がきっと好きなのだろうとリックは考えている。
武具の調整は本日中に終わりそうだ。
「嬢ちゃん、代わりの剣を二振り持って行け。同じ重さで収まりもいいだろう、明日には仕上げとくからよ」
無口に頷くリック、貸し出された剣とはいえ刃は入っているし使い物にはなる。
街をぐるりと観て回ることにした。蒼い髪の男を探すが、そのついでに観光もする。
市場ではバザーが行われており、色んな冒険者が不用品を並べて売り出していて活気が良い。
人が多い場所では盗みも多いが、リックのように腰に剣を二つぶら下げていると手が届くことはない。ただでさえ猫のように気を張っていて他者から触れられることはない。
売っている物は様々だ。
アクセサリーだったり、使い古した防具だったり、擦り切れた武器だったり、衣服から布切れまである。
観て回るのはすごく楽しいがリックは基本的に無口で不愛想、しかも見るだけで買うことはない。売り手が話しかけるが反応すらない。
あちこちを観て回るがリックが気に入るようなものはない。それもそのはずだ、リックが身に付けている装備は全てが一線を画す一級品の物ばかり、それら全ては蒼い髪の男が選んだもの、バザーに並べられている物を一つ一つを取って見てもリックにとって気に入るものはない。
高級バザー区画へ立ち入ってもリックの眼鏡に適う物はなかった。
「お嬢ちゃんが身に付けているそれと交換しないかい?」
そう売り主から交渉されるも、リックは首を横に振るだけだ。
「おや」
黒髪二つ結びの女の冒険者の客がそう言ってリックと目を合わせる。
すぐにリックはその冒険者から離れて距離を取る。それはリックが声をかけられるまで存在に気付かなかったからだ。
「強い」
リックがそう呟くと、その女の冒険者はニコニコしている。
ふとリックの装備を見た女の冒険者はリックの装備を指差して言う。
「それの持ち主を知ってる、有名人でしょ」
有名人と言われてリックが首を傾げる、探しても探しても見つからない蒼い髪の男の装備だからだ。
「知ってるの?」
リックがそう聞くと、黒髪二つ結びの女の冒険者は思い出したように指を立てて言う。
「蒼い髪の冒険者で、偏屈」
合ってる、とリックは驚きの表情を見せる。
「そ、その人のことを教えて!」
女の冒険者は悩んだように困った顔をしてリックに言う。
「教えていいことと、簡単に教えちゃいけないことがあるからなぁ」
「私のお父さんなの!」
リックがそう言うと、黒髪二つ結びの女の冒険者は首を傾げて言う。
「確かに娘は居たけど・・・あ、あー・・・・・・」
わかったように言った女がリックから距離を取る、リックが不思議そうな顔をして近づくと更に女はリックから距離を取る。
「それじゃ」
黒髪二つ結びの女の冒険者がそう言ってその場から跳躍して目の前から消える。
「逃がさない」
リックもまた黒髪二つ結びの女の冒険者を追いかけるように跳躍した。
本気のリックは尋常じゃなく脚が速い、速いが黒髪二つ結びの女の冒険者もただならぬ足の速さだ。
建物の壁を蹴って、反対の建物の壁を蹴って壁を走るように移動する女に対してリックも同じように移動する。
女が建物の屋上へ飛び乗り、更に違う屋上へと飛び移り、その際に背後を観るとリックが慌てた顔をして追いかけて来ているのを確認する。
「これは逃げられないか」
そう言って、女は屋上から飛び降りて通りの広場へと舞い降りた。風が女を包み、押し上げて落下速度を相殺する。
リックはそれを見て屋上からそのまま飛び降りる。着地の際に足、膝、腰、肩、手、頭を着地点にし、三転してすぐに立ち上がった。
黒髪二つ結びの冒険者はその様子を見て、微笑んでニコニコした表情を見せている。
「まだ高い所からの着地が出来ないのね」
いつの間にか女は杖を右手に持って、リックに振りかざした。
リックはそれを不意にまともに受けて自分の手の擦り傷が癒えているのを確認する。
「回復魔法・・・」
いつの間にか女の右手にあった杖が斧に変わっている。
「コツさえ掴めばそこまで難しいことはない、よく見るといい」
黒髪二つ結びの女の冒険者が斧を振るうと、発生した風が竜巻になってその場所に留まり続けている。
リックがそれを見て不思議そうにしていると、女は澄まし顔で続けて言う。
「今は使えなくてもいいけど、道理が分かれば貴女でも使えるはず・・・えっと」
女が困っている顔をしていると、リックは気付いて自分自身を指差して言う。
「私、リック」
「名前まで似てるのか」
リックは蒼い髪の男の名前を知らない、頭を抱える黒髪二つ結びの女の冒険者の両手にはいつの間にか武器がない、その辺に落ちてもいない。
「あの回復魔法の使い方、マミさんみたいだった」
リックがそう言うと、黒髪二つ結びの女の冒険者は驚いた顔をしている。
「マミさんに会ってるのか」
どうしたものかね、と黒髪二つ結びの女の冒険者は悩んでいる。
リックはただ話を聞きたいだけなので鍛冶屋から貸し出された双剣を抜くことはない、マミという冒険者に出会ってから強弱の差を感じ取れるようになっている。
黒髪二つ結びの女の冒険者は周囲を見渡して、近くのアイスクリーム屋を見つけて歩いて行く。
「アイスクリーム二つ、メロン味と」
ちょいちょいと手招きをして女がリックを呼ぶ。
「どれがいい?」
リックがアイスクリーム屋の看板を見て「同じのを」と言うと、黒髪二つ結びの女の冒険者は料金を店員に支払って、リックに一つを手渡してベンチに座った。
それを見つめるリックに対して、女はベンチに座っている隣をトントンと音を鳴らす。
リックがそれに応じて黒髪二つ結びの女の冒険者の隣に座ると、女は言う。
「私はレイラ。言っておくけど知ってることはあっても教えられることと、教えられないことがあるからね。ちなみに私はマミさんよりも強いから」
リックはそれを聞いて頷いた。
「それで、何が聞きたいの?」
レイラが黙ってアイスを食べている様子を見て、リックはアイスを見つめて言う。
「蒼い髪の男を探してる」
「ふむ」
「私に教えることがなくなったら消えていなくなった」
「ふむふむ」
「名前も教えてもらってない」
「は」
レイラが驚きのあまり手に持っていたアイスを落とした。
リックの手にあったアイスも融けて落ちそうになっていたが、連鎖するように落ちた。
「あいつ、名前も教えなかったの!?」
コクリ、と頷くリックを見てレイラは呆れて頭を抱えて言う。
「理由があるんだろう、それなら名前は教えられないな」
「お父さんの居場所がわかれば・・・・・」
苦しそうに言うリックの顔を見て、レイラは不貞腐れた顔をして呆れながらも言う。
「その人が本当に自分のお父さんなの?」
「よく分からない」
「呆れた」
レイラは広場で遊ぶ子供達を見ている。季節はこれから暑くなるが、まだ涼しい風が流れている。リックのそうした苦しそうな様子を見て溜息を吐いた。そうして思い至り、リックに言う。
「リック、その人はリックのお父さんではない。確かに赤い髪の女の子は居たけど・・・・・」
そう言ってレイラは理解したかのように頭を抱えた。
「そうか、そういうことか」
リックがそう言ったレイラの顔を見ていると、レイラはリックから顔を背けて言う。
「あいつの名前はシック、職業は暗殺職で武器は双剣か、もしくはカタールを使う」
「シック・・・・・」
レイラは目を細めてリックの顔を見ようとはしない、もし目を見てしまうとうっかり全部話しそうになるからだ。
「リック、貴女の前からいなくなったということは彼にとっても貴女にとってもそれは意味がある。それは時間が解決するだろうから、それまでは自由に旅をするなり探し続けるなりするといい。でも」
それは、とレイラは言ってリックの顔を見ると大粒の涙がリックの目から零れ落ちていく、その様を見てレイラは言う。
「時間が経たないとあいつはリックの目の前に現れない」
「どうして・・・・・」
レイラは涙を見せるリックにハンカチを渡して、溜息を吐いて言う。
「あいつは隠れたら見つからない、私でも見つけられない。暗殺職とはいってもそれはピンからキリまでごまんといる。あいつはその職業に対して異質で異常なこだわりがあって、その誇りもある。私よりか弱いけど」
弱いけど、というその言葉にリックが反応する。
「お父さんは強い!」
「え、ええと」
そのリックの豹変ぶりにレイラが驚きを隠せないでいると、リックはレイラに掴みかかって言う。
「お父さんは強い、誰よりも強い、撤回して!」
「はあ」
リックの妙な琴線に触れてしまったとレイラは考えた、考えたのは考えたのだがレイラにとってそれは自分自身のプライドに障る。
「ああ、なるほどそういうことか」
レイラはリックに振り回されながら納得している。リックは異常に固執して偏執しているのだ。父親に対する愛情と情熱がある。言ってしまえばそれはファザーコンプレックス、父親が好きなのだ。
「リックはファザコンなのね」
「ば、馬鹿にしないで!」
顔を真っ赤にしてリックはレイラを突き飛ばして、双剣を引き抜いた。
「私が知りたいことを教えてもらう、レイラは黙ってそれを教えるの!」
突き飛ばされたレイラが立ち上がって土埃を払う、そうして引き抜かれた双剣に近づいてベンチに再び座り直して言う。
「私もここ数年あいつに会ってないから居場所は分からないよ」
それを聞いてリックは向けた双剣を地面に落として泣いてしまった。
「泣くなリック、まだ希望はあるかもしれん」
レイラがそう言うと、リックは顔を上げてレイラの顔を見つめた。
「目の前からいなくなったのなら、いつかは現れるってことだ。何らかの理由があっていなくならざる負えなかったのなら、その理由が解決するなり解消するなりして戻ってくるか、もしかしたら会いに来るまである」
「むぅ」
泣き止んだリックが貰ったハンカチで自分の涙と鼻水を拭く。
「あいつ、女には慕われることはないが懐かれることは上手だな」
そう言って笑っているレイラ、そういえばリックは母親の存在がいないことを思い出してレイラに言う。
「そういえば私のお母さんは・・・・・」
「さっき赤い髪の女の子とは言ったけどあれはそういう連れじゃない、あいつにとって娘みたいなもんだよ」
リックに思わぬ疑念が浮かぶ、わけがわからないと頭を抱えるリック。
「探しても見つからないのなら探さなければいずれ会える。それよりもリック、大切なことはそれまでリックが元気で生きていることなんじゃないか」
レイラがそう言うと、リックは何かを考え始めた。
そんなリックをレイラが見ていると、リックは落とした双剣を拾って鞘に納め、レイラに言う。
「今日は宿に帰って考える」
「おう」
「レイラはまだ街に居るの?」
「いる」
そう、とリックが言うと、レイラは微笑んで言った。
「リック、しばらく私とパーティ組もっか」
▼
森の中を歩くそれは異質だ、緑と木々の色とは裏腹に黄金に輝いている。
のっしのっしと歩くそれは飛べない鳥だ。
飛べない鳥だが決して落ちた木の実を啄むことはない。
遥か大きな大きな樹木の上へと一瞬で移動をし、芳醇な黄色い木の実を啄んでいる。
先ほどまで森の中に居たというのに、それは遥か彼方、雲の上である神樹の枝に立っている。
それは鳴いてみようかと思ったが、野生だった頃の自分を忘れていて鳴き方を忘れてしまっている。
「あーーーーー!!」
とりあえず大声で言ってみたらしい、彼は人語を人語を話す黄金の鳥だ。
その言葉が木霊する。
たくさん、たくさん、木の実を食べる。
そうしていつの間にか森へと降りてきて、自分の領域を散策し続けている。
遠く、遥か彼方に神樹が聳え立っている。
彼はその時が来るのを楽しみに待っている。
▼
レイラとパーティを組んで数日が経った。
彼女は強い、特に攻撃面に於いてはマミよりも更に強い。
リックの攻撃は双剣を用いて何度も斬りつけてモンスターの急所を狙うが、レイラは全て一撃だ。
斧を持てば竜巻を起こすし、鞭を持つこともあれば同じように双剣を握ることもする。
何よりもリックがレイラを見ていて不思議に思うことは、武器の持ち替えだ。
「レイラは色んな武器をすぐに持ち替えてるけど、それどうやってやるの?」
リックの問い掛けにレイラは考えるが答えられない。
「何となく出来るとしか言えないなぁ」
斧、鞭、弓、双剣、杖、手甲、盾、槍、そして剣。
レイラが最後に見せた剣だけが異様に鋭く、恐ろしい。おそらくレイラの主力装備は剣だ。リックはそれを見ただけで感じ取れる。
「リックには出来ないかもしれないから、こういうのは覚えない方がいい。それよりも一つの武器を使いこなして鋭さを増すこと」
レイラはそう言って双剣を取り出して何もない空間で振るう。リックはそのレイラの影に蒼い髪の男、シックを思い出す。
「これはあいつの型だ、見様見真似で真似していたら私にも真似することは出来た。より洗練されていて威力や質は私の方が上だけど、あいつの剣には殺意が宿る。相対する敵を必ず殺そうとしてくる」
リックは双剣を振るうレイラの姿を目に焼き付けている。
そのリックの視線を見てレイラは言った。
「この型にはまだ先がある、奥義みたいなものだね」
「お、教えて!」
リックがそう言うと、レイラは双剣を鞘に納めて言う。
「口で教えることは出来てもリックにはまだ使えない、経験値が足りないんだ。斬った数が足りないのさ」
レイラはリックの武器である双剣を指差した。
「それ、その双剣は切れ味も威力も出来もいい、あいつが使ってた剣だからわかる。恵まれているよ、私やあいつが駆け出しの冒険者をしていた頃は今のリックのレベルでそんな業物は持っていなかった。使えてはいても練度が足りないのさ」
レイラは顎に手を置いて、考えながらにやにやしてリックに言う。
「さてはリックを守るために置いて行ったな」
それを聞いたリックの顔が赤面する。嬉しいのやら恥ずかしいのやら分からなくなったみたいだ。
「もう少しリックが強くなるまでは面倒観てあげる。そこから先はパーティも解散して自由にするといい」
「わかった」
レイラは口でリックに教えることはないが、黙って近くで戦うことで動き方や駆け引きをリックに教えることをした。
リックはレイラの動きを見て吸収する。
相変わらず武器の持ち替えは出来ないままだが、双剣はリックが経験を積めば積むほどに応えてくれる。
リックがこの街に来て二か月経った頃、レイラが一撃でモンスターを葬ったように同じくリックも一撃でモンスターを倒すことが出来るようになった。
レイラの目から見てリックの動きは悪くない、あとは経験だとレイラは判断した。
「リック、今日でパーティは解散だ。さっきの動きは忘れないように」
「ありがとう、ございました」
そう言ったリックは自分が倒したモンスターが灰になって消えていくのを見つめている。
「せっかくだから今日は飲みに行くか、リックも来なさい」
レイラがそう言って鼻歌を歌っている。モンスターを斬ったリックの手がまだ感覚を覚えている。
「なるほど」
そう呟いたリックがレイラを見やると、レイラはモンスターを数体まとめて竜巻に巻き込んで一撃で倒している。
レイラのあの威力や攻撃力は一朝一夕で身に付くものではない、馬鹿げている威力だとリックは改めて思い知る。
杖を翳せば一撃必殺で数体を巻き込んだ威力の魔法を放つ。
鞭の一振りで更に数体を灰に変える。
おもむろに剣を持つと、自分から近いモンスターから真っ二つに斬り分ける。
手甲を装備してモンスターを殴ると、轟音を立ててモンスターが何処かに飛んで行ってしまう。
レイラは異常だ。
リックが思い起こせば蒼い髪の男、シックも武器の持ち替えはしていた。
レイラのように圧倒的なまで武器種の扱いに長けていたわけではないが、扱えるくらいには使えていた。
リックと彼らの違いは“圧倒的なほどに強い”ということだ。
レイラとパーティを解散した夜に、レイラに食事に誘われて連れて来られた先がレイラの家だ。
「一応、うちの旦那にも挨拶していけ」
「え、結婚してたの」
リックが粗暴なレイラが見せない面を見て、そんなつっこみを入れるとレイラは微笑んで言う。
「まあ、御馳走するから」
「お邪魔します」
レイラは酒を嗜みながら、夫が作る料理を今か今かと待っている。そんな状況を観てリックは納得する。
「うちの旦那もリックより強いよ」
「えぇ」
リックが驚いていると、旦那さんはにこにこして料理を作っている。殺気がまるでなければ冒険者という感じがしない。
「で、これからどうする?」
お酒を吞んでいるレイラにそう聞かれ、リックは内々に思っていたことを言う。
「お父さんを、シックを探すのはやめようかと思ってる」
「そうか、それなら家に帰るのかい?」
レイラに聞かれ、頷くリック。
「随分、留守にしてたし帰って家の掃除もしたい、お父さんが帰ってくるのを待っていたい」
「近くに寄ったら会いに行くよ、王都の端の小さな家だろ?」
「うん」
料理が目の前に並べられて、促されるままに食べる。久しぶりに温かいものを食べるリックにとってどの料理も美味しく感じる。
「しかし、あの人に娘がいたなんて驚いた」
レイラの旦那さんがそう言うと、レイラはリックに言う。
「リックのお父さんは“界隈”では有名人だからね、偏屈で馬鹿なお人よしだよ」
「おそらくレイラや僕にも出来ないことをしているんだね」
レイラの旦那さんはそう言ってリックを見て微笑んでいる。
食事が終わり、たくさん話をした後、リックは宿屋に帰ることにした。
別れ際にレイラはリックに真剣な顔をして言う。
「リック、余所から来た冒険者には気を付けるんだ」
「余所から?いつも気を付けているけど・・・・」
リックのそう言った言葉に、レイラは何かを言おうとして固まる。
「いや、それでいい」
「わかった、レイラ。さよなら」
リックは手を振って、笑顔でレイラと別れて自分の宿へと帰って行った。
その日に旅支度を終えて、翌日の早朝からリックは王都を目指して旅立った。
人を探す旅から、帰る旅だ。
▼
『助かったよ』
レイラの耳に聞こえる電子音が遠くでリックの背を見つめるレイラを苛立たせる。
「リックのためにやったんだ、シックのためじゃない」
『情が移ると俺が困るんだが』
電子音の向こうから乾いた笑い声が聞こえる。
「戦うのは嫌いじゃない」
『こわいこわい』
微笑んだレイラはリックの背中が見えなくなるまで見ていた。
気づいたようにレイラは電子音の先の男に言う。
「私に会ったってことは」
『うん、マミさんの経過診断も終わったし、あいつも楽しみしてるみたいだ』
レイラは心配そうな眼差しでリックが歩いて行った先を見ていた。
安堵の大きな溜息ついでにリックの目の前で吸わなかった煙草に火を灯す、どうしたものかと煙を吐いてレイラは煙草を吸い、大きな溜息と共に煙を吐き捨てるのだった。
▼
リックにとってあてのない人探しの旅よりも目的のある帰り道は足の運びは軽く感じた。
途中の街で何のことはない暗殺の依頼を受けた。
妻と子供を殺されたという依頼主は酷く憔悴しきっていて、冒険者ギルドに有り金全てを持ち込んで依頼を受ける冒険者を探していた。
リックはそれを冒険者ギルドの依頼として正式に受けた。
後は殺すだけ、と久しぶりにリックは心を閉じた。
暗殺対象は殺人を行ったというのに何食わぬ顔で自分の宿と色街を行き来していたので、色街へ行って事が済んだ後の夜道を狙うことにした。
背後の死角から音を限りなく消して近づき、首を斬ると血飛沫を上げて男はその場に倒れた。
リックは返り血を浴びずにその場からすぐに距離を取り、倒れている男を建物の屋上から観察する。
(確実に殺した、けど・・・)
感覚に違和感がある。
リックは一言も呟くことをしないで闇の中でひっそりと息を潜める。
おもむろに倒れた男の左手が動き、回復魔法の反応を見せる。
「っ・・・!」
リックはそれを見て両手の双剣をしっかりと握り直し、頃合いを測る。
立ち上がった男はキョロキョロと周囲を見渡している。
ふと、闇夜の物陰から見ているリックと男の目が合った。
「なんだ、女じゃねぇか」
いきなり目の前に男が現れ、そう声を掛けられた。
おかしい、ここは屋上で周囲に足場もないはずなのにおかしい、とリックは疑念を目の前の現象で納得させる。
男は本を片手に浮いている。
魔術、この男は魔術師だ。しかも高位の魔術師でモンスターとの戦闘よりも対人戦闘に長けている。
即時起動型の雷魔術がリック浴びせられる。
「がっ・・・・この」
リックは攻撃を受けている最中に左手の剣を男に投げつけた。
男はその場から消え、目の前から右上方へと姿を現した。
「あぶねぇな、暗殺職が武器を投げたら」
言い終わる前にリックは右手の剣を更に男に投げつけた。
左手と右手の剣はそれぞれの持ち手に鋼糸で繋がっており、リックは左手と右手を引くことで飛刀した剣を引き寄せる。
飛び出して屋上から跳躍し、身を捩って回転しながら二つの剣を手元に引き寄せた。
近くに転移して現れた魔術師の男に不意打ちで左手の剣の斬撃を浴びせたが致命傷ではない。
屋上から地上への着地は手、肘、肩、腰、膝、足で受け身をとり、そのまま移動する。
その移動するリックに雷魔術が浴びせられ、リックは転倒して更に追撃の雷魔術を受けた。
しくじった、とリックがそう思った瞬間にもリックの意識は更なる雷魔術によって刈り取られた。
動かないリックを見て男は鼻唄混じりにリックに近づいていく。
「久しぶりの対人戦闘楽しかったよ」
そう言った男が気を失ったリックの身体を触ろうと手を伸ばした瞬間、男の指が空に舞った。
男の嗚咽と苦悶の叫びが周囲に響く。
「この子に触れるな」
怒りを顕にした赤面するマミが杖を持って立っている。
「ああ・・・マミさん、これじゃ計画が」
そう言って現れた蒼い髪の男がマミを制止させようとするが、彼女は怒っている。
「なんなんだ、なんなんだお前らは」
回復魔法で指先からの出血を止め、男は本を片手に雷魔術を行使する。
マミに何度も何度も雷魔術が降り注ぐが大して有効ではない。
そのマミが男へと歩いていく。
蒼い髪の男は深い溜め息を吐いて気を失ったリックを抱え、その場を後にした。
「お前ら!そうかお前らもアレなんだろ!?俺を殺したら殺人だぞ?いいのか?」
マミが男に対して杖を振りかざすと、それよりも速い速度で剣が男の首をはねた、直後に身体がバラバラになって肉片となり、霞へと消えていった。
「助けない、って最初に言い出したのはマミさんだよ」
そう言ったレイラが剣を空に振って鞘に納める。
「やっぱり無理だった」
そう言ったマミは蒼い髪の男が抱えているリックを見つめている。
「三人も出てくることはないのに、ったく」
蒼い髪の男がそう呟きながらリックを抱えて歩いていると、抱えて歩く体の揺れからか意識を失っていたリックの意識が回復する。
「お父さん?」
その声に蒼い髪の男は立ち止まり、マミとレイラは顔を見合わせた後、何処かに素知らぬフリをして歩いていく。
蒼い髪の男は、リックを建物の壁に下ろした。
「私、頑張ったんだよ」
そう言ったリックに蒼い髪の男は無言で手を当て、眠らせる。
遠くのマミから回復魔法がリックにかけられ、蒼い髪の男はその場から消えるようにいなくなった。
1分もしないうちにリックは目覚めた瞬間立ち上がり、両手に持った双剣を構えて周囲を見渡した。
武器は両手にあるし体も動く、あの男は何処、と何度も周囲を見渡しても暗闇ばかりで人の気配はない。
依頼失敗の報告を冒険者ギルドへ直接足を運んで行くと、何故か依頼主の男がリックに感謝している。
リックは失敗の報告をして報酬の受け取りを拒否すると、魔術師の男の首を依頼主から見せられた。
「おかしいな、あんたのお仲間がさっき持ってきたんだけど」
仲間なんていない、とそう伝えると依頼主は言う。
「蒼い髪の冒険者だったんだが」
それを聞いたリックが自分の周囲を見渡したが、蒼い髪の冒険者なんて居なかった。
受け取った報酬の半分を依頼主に渡して、リックはその場を後にした。
宿屋に戻って、部屋の鍵を掛けて、装備を外して、ベッドに倒れるように飛び込んでリックは言った。
「ふくざつ」
▼
朝陽が昇る前にリックは身に覚えのある回復魔術で怪我一つないため、そそくさと旅支度をし、宿を出て王都を目指して全力で移動する。
何かがおかしい、馬鹿にしてる。
リックは腹を立てている。旅をして、たくさんのモンスターを倒して回って、方々から蒼い髪の冒険者を聞き回って、その挙句に格上の冒険者と戦って何も出来ずに敗北する。
その上、探している人間から守られているとは思っていなかったからだ。
追われているはずだと急に立ち止まり、後ろを振り返って人影を探す。
気配すら掴めない、だけど誰かが見ている。
蒼い髪の男がリックの行く先からリックの後ろ姿を眺めているがリックは気付けない。
「怒ってるです」
赤い髪の少女が蒼い髪の男に言う、男はそれを聞いて溜息を吐く。
「マミさんと接触させたのが悪かったか、でもあれはなぁ」
赤い髪の少女がそれを聞いてつんとして言う。
「おししょーが悪いです」
「むう」
蒼い髪の男がそれを聞いて眉をひそめてリックを見ていると、リックが王都への道をとぼとぼと歩き始めた。
「流石に可愛そうです」
赤い髪の少女がそう言ってリックの前に出て行こうとすると、蒼い髪の男はそれを制止させて言う。
「いい機会だし、この世界の実情を知って貰う」
「いじわるしないで欲しいです」
赤い髪の少女がそう言って膨れていると、蒼い髪の男は遠くからリックを見据えて言う。
「お前は平気だろうが俺は違う、いつ黒化するか分からない。そうなったらお前とあの子とで黒化した俺や他の冒険者を殺し尽くさなければならない、これは必要なことだ」
赤い髪の少女はそれを聞いて俯き、小さく頷いた。蒼い髪の男がそれを見て続けて言う。
「お前は大丈夫だ、中身が元々いないのだから魂は定着しているはずだ。だが俺は・・・」
蒼い髪の男はそう言って、自身の右手を見つめた。
右手は黒く結晶化し、禍々しい塵をその場に落として時折、自身の意志に背き蠢いている。
「俺はプレイヤーだったからな」
赤い髪の少女はそれを見て寂しそうな顔をする。
何がこの世界で起きているのか、不貞腐れるリックは何も知らないまま王都へと歩いて行く。
どうしたものかと蒼い髪の男はそのリックと赤い髪の少女を見ていた。
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