1話 摩天楼の不思議な声①
正月も明けきらない1月4日の朝、駅前もまだ日常を取り戻しておらず席は空いている。
ボクはここのところよく眠れていない。ボクが眠れない理由はある悩みを抱えているからだ。悩みは周りの人たちに打ち明けることができずにいるが、寝不足のせいで勉強や生活に色々と支障がでてきており、解決しないとさすがにまずい。
なぜだろうか、身近な人には相談ができなくても、第三者の方が相談しやすいことがある。教会に懺悔室があることにも納得だ。
そんなこんなでボクはネットで見つけたある業者に悩みの解決を相談することとなった。今日は依頼を引き受けてもらえるかどうかの打ち合わせということで、先方の担当者と駅前のコーヒーチェーン店で会うこととなった。
今日は待ち合わせという非日常イベントのためか、いつも付きまとっている眠気はどこかに飛んでいってしまっているようだ。ボクはよくミスをする人間であると自覚しているため、いつも以上に気を張りつつ、なんとか駅前のコーヒーチェーン店までたどり着くことができた。
ボクは一番奥のテーブル席に座り、アポイントを取った相手を待つことにした。
有名チェーン店とはいえ一人で入るのは初めてだし、知らない人と待ち合わせというのも生まれて初めてのことだ。待ち合わせ時間は9時、あと30分もある。
約束の人物は目印に星形のサングラスというあやしいアイテムを装着してくるらしい。そのためこちらからそのあやしい人物を探さないといけない。
「コーヒーの一杯も注文せずに席に座っていていいのだろうか?」「知人に見られたりしたらなんて言い訳すればいいのだろうか?」「もし来るのがやばい人だったらどうすればいいのだろうか?」
そんなことばかりが気になってしまい時間が長く感じる。顔を覚えられることになんとなく抵抗感があるため、朝の人が少ない店内では気軽に周囲を見回すこともができないでいる。
うつむいたまま待つこと15分、突然女性から声をかけられた。
「あの~すみません。もしかしてK・Uさんですか?」
ボクはびっくりして立ち上ってしまった。何のことかわからず立ったまましばし惚けてしまったが、K・Uについて思い当たり慌てて答えた。
「はィ、そうですッ。」ちょっと声が裏返ってしまった。
声をかけてきたのは赤いコートを着た若い女性だった。大きくくっきりした目が印象的なきれいな人だ。少し明るめの髪はアップにまとめている。そしておでこにピンク色の星形サングラスを載せている。
「驚かせてごめんなさいね。私は株式会社科学調査研究センターの轟です。」そういって彼女は名刺を出してきた。名刺には“株式会社科学調査研究センター 営業補佐 轟里沙子”と書かれている。
「轟って苗字はなんかいかついでしょ?だから私のことはリサって呼んでね。それにしてもK・Uさんが思ったより若くてびっくりしたよ~。高校生?」
「いいえ、中学3年です。」
「中学生!?本名聞いてもいいかな?」
「久世悠です。長く続いていく悠久の“久”に、世界の“世”、そして悠久の“悠”です。」
「じゃあユウくんって呼ぶね。ここ座ってもいいかしら?」
名刺を受け取ってから30秒足らず。コートを脱ぎつつ対面の席に座りきるまでの間にボクに学年と本名を聞き出されていた。これが大人か?これが社会人か?もはやその勢いに勝てる気はしなかった。
リサさんは少し明るめの髪と化粧のせいか、いつも見慣れている同級生の女子たちよりだいぶ大人な印象だ。年上のいとこから類推するに20歳くらいか。身長はボクより少し高いだろうか、いやヒールを履いているから同じ160cmくらいかもしれない。コートを脱いで判ったことだが、体型も同級生たちとは全然違い大人な感じだ。それだけで何かさらに圧倒されていまう。
「この度はご相談いただきありがとうございます。・・・あとわざわざ打ち合わせの機会も作ってもらってありがとね。朝早くて大変だったでしょ?何か飲む?」
話している途中でボクの方が年下だと確信したのだろう、敬語を使うのは途中でやめたようだ。
「・・・朝はいつも通りの時間なので早くないです。飲み物は結構です。」
「そう言わないで何か飲みなよ。私はキャラメルラテを飲もうかな~」
何か飲まないといけないような流れになりつつあるが、この店の飲み物一杯の価格帯は500~800円。中学生が気軽に出せる金額ではない。焦りながらもメニュー表から280円を見つけた。
「・・・ボクはじゃあこのブレンドのショートを・・・」
「中学生なのに渋いのを選ぶね。コーヒー好きなの?」
「・・・ぼちぼちです。」
「あっ!そうか!!ユウくんは中学生だからお小遣いよね。お姉さんがおごってあげるから何でも好きなの頼みなよ?」
「いや、大丈夫です。」
リサさんはいい人そうだが、ボクは人生経験が足りず人を見る目がないことを自覚している。まだ出会って間もない人からおごってもらい借りを作ることは危険だと判断した。
飲み物が来るまでの間、リサさんからは中学校生活のことを色々と聞かれた。多分10歳も離れていないのだが、しきりに「今どきの中学生は進んでるな~」と感心している様子だ。
ようやく飲み物がきた。一口二口飲んだところでリサさんがメモ帳を取り出す。
「じゃあそろそろ相談の件を聞かせてもらおうかな。」
ボクは気持ちを少しでも整えるために一回深呼吸をした。
「そのメールにも書きましたが、夜中に変な声が聞こえてくるんです。」
ボクは悩みについて説明を始めた。
-----------------------------------
その声が聞こえるようになったのは1ヶ月ほど前、昨年12月の初旬だ。
夜、自分の部屋で期末テストに向けた勉強をしていると、低い音が聞こえてきた。
何の音だろうと耳をすます。その音は南側の窓の向こうから聞こえてくるだ。音量も不規則に変化しているようだ。まるで獣のうなり声のようにも聞こえる。
そしてふと気付く。この音は声だ。それも日本語だ。
この声に関して不可解なことはいくつかある。
ひとつは窓を開けると聞こえなくなるということだ。
窓を開けると、冷たい空気とともに町の雑踏が聞こえてくる。あの声は聞き取ることができない。雑踏の音にかき消されてしまっているのかもしれない。
もうひとつは窓の向こうには声のもととなるようなものが何もないということだ。
ボクの部屋は12階建てマンションの10階。調べたところ地上から26mくらいはあるそうだ。
マンションは市街地の北西の山際に建っていて、線路や国道から坂を上った丘陵地帯の最奥に位置する。元々はホテルだったのだが、時代の変化とともに客足が減ったためマンションとして改装したものだ。
そのため見た目はきれいだが、建物の躯体自体は築40年近い。
南東の市街地にはこのマンションと同程度かそれ以上の高層建築物はいくつも存在しているが、地盤自体の標高差が結構あるため、ボクの部屋と同じレベルに達する建物はこの町にはない。
声はいつも聞こえるわけではないが、気味が悪いためヘッドホンをして音楽を聴きながら勉強することにした。
また声は聞こえるときは深夜2時くらいまで聞こえることがある。寝るときにヘッドホンをするわけにはいかないので耳栓をして寝るようにした。
これらの対策をしたはいいが、勉強に身が入らなかったのか、睡眠不足だったのか、もしくはその両者が原因なのか期末テストでは順位を30番以上落としてしまった。
両親や先生に心配されたが、「神経質すぎる」とか「現実逃避だ」などと言われそうな気がして、両親や友達にも相談できずにいた。
何とか自力で解決しようと、インターネットでいろいろと調べたり、相談したりしたがなかなか解決策は見つからない。挙句の果てにはマンションがホテルだったころにこの部屋で自殺した人の怨念が残っているからお祓いした方がよいなどという話までなってしまった。
ボクはオカルト的な話を真に受けるタイプではないが、両親は端から全く信じない人たちだ。念のためお祓いしてほしいというのも難しい。
そして年末に塾で受けた模擬テストも散々な結果となってしまった。そんなどん底の時に見つけたのが「身の回りの不思議な現象、不可解な現象でお困りではありませんか?そんな不思議・不可解を科学の力で解決します。」と謳っていた株式会社科学調査研究センターのサイトだ。
おそらく秋までのボクなら相手にしなかったであろうあやしすぎる謳い文句だが、今の追い詰められたボクにはまるで天からのクモの糸のように感じ、藁にも縋る思いで問い合わせしたのが一昨夜1月2日のことだ。
送った情報は「声に関すること」「住んでいる都道府県」「名前」「メールアドレス」の4つの情報だ。本名を書くのは怖かったのでイニシャルとし、久世悠のY・Kを少しもじってK・Uにした。またメールアドレスも新たに取得したフリーの捨てメールアドレスにした。
それでも翌日の朝には返信があり、近いので直接会って詳細を聞きたいとあった。その後のやりとりを経て場所と日時を決め今現在に至る。
よくよく考えれば詐欺などの犯罪に巻き込まれかねないような危ない真似をしているのだが、声に対する恐怖感、成績が落ちたことへの焦燥感、加えて寝不足であったことから判断能力が低下していたのだと思う。