『世界で一番』の手紙
公式企画『秋の歴史2022』に向けて仕上げた物語です。
世界的名作『レ・ミゼラブル』と、作者ヴィクトル・ユーゴーにまつわる
奇妙で、おかしな話をお届けします。
1862年のある日のことである。
私あてにヴィクトル・ユーゴー氏から手紙が届いた。
氏の傑作、『Les Misérables(レ・ミゼラブル:「ああ無情」)』が我が社で出版されてひと月ほど過ぎていた。
長年、担当編集者である私と氏との間に、手紙のやり取りは珍しいことではない。ただ、ここしばらくは私からの手紙に氏からの返信がなかった。
私は手紙を受け取ると開いて読んだ。
そして、おそらく、私は困惑の表情を浮かべた。
「どうされました?」
私の態度に奇妙なものを感じたのだろう。見習い編集の若者が声をかけてきた。私は無言で手紙を彼に渡した。彼も無言で手紙を受け取ると文面を読んだ。
「何です、これ?」
彼は私がしたであろう同じ表情を若い顔に浮かべた。その手紙は次のようにしたためられていたのである。
『?』 ヴィクトル・ユーゴー
「ユーゴー先生からの手紙は、たったこの一文字だけですか?」
見習いの若者は呆れたような声をあげた。
「ああ。それだけだよ」
私は短く答えるだけだった。私が受け取った、「世界で一番短い手紙」である。
そもそも、ヴィクトル・ユーゴー氏がベルギーにある我が出版社にて『レ・ミゼラブル』を出版する運びとなったのは、ひとえにユーゴー氏の政治的受難の人生によるものだ。
ボナパルト朝支持派の父とブルボン朝支持派の母との間に生まれ、氏の政治的苦悩は生まれたときから始まっていた。
もともと農民出身で、ナポレオンの活躍に伴って出世した父と、ブルボン朝時代に財を築いた資産家出の母。ふたりの間には政治的な不和が生じていたのだ。
母親想いの氏にとっては、夫婦間に確執をもたらしたナポレオンの存在はさぞかし不愉快なものだっただろう。ただ、後年、氏はナポレオン一世を賛辞する詩などを発表しているので、その想いはかなり複雑なものだったと思われる。
ナポレオンの帝国時代が終焉を迎え、王政復古を果たしたルイ18世に詩作を認められると、王国からの庇護のもと、氏は詩人としての名声を博すようになった。
いくつかの大きな不幸に見舞われることはあったが、レジオンドヌール勲章の授与、アカデミー・フランセーズの会員になるなど、氏は名声だけでなく、その地位をも高めていた。
しかし、1848年に起こった「2月革命」から氏の人生に狂いが生じ始める。ナポレオン1世の甥、ルイ・ナポレオンが第二共和政の大統領に就任した際、氏は当初、大統領支持派だった。しかし、ルイ・ナポレオンの独善的な性質を知ると考えを変え、ルイ・ナポレオンを批判する側にまわった。氏はルイ・ナポレオンを危険視していたのである。
氏の予感は、1851年、ルイ・ナポレオンのクーデターという最悪の形で現実となった。ルイ・ナポレオンはナポレオン三世を名乗り、第二帝政が始まった。
第二帝政に反対する多くの者が逮捕され、その数は2万人を超えるとされる。そのうちおよそ1万人が植民地であるアルジェリアに流された。ナポレオン三世を批判してきた氏の身辺も危険となり、氏は我が国ベルギーへと亡命したのである。
私がブリュッセルで氏と面会したのは、氏がベルギーへ亡命して間もないころである。
そのころには氏の名声はフランス国内に留まらず、我が国でも響き渡っていた。当時の私は、出版社でようやく自分の立場を得てきたころだった。まだ若輩者である私にとって、氏との面会は心躍るものであった。
「お会いできて光栄です。ユーゴー様」
私はうやうやしく頭を下げて挨拶した。ブリュッセルの街にあるサロンでのことである。サロンのなかでは比較的小さなテーブルを挟んで、私たちは顔を合わせた。
「うむ」
私の挨拶に、氏は言葉少なに応じた。いかめしい顔つきは頑なな性格を思わせる。軽い冗談など言えないような、そんな緊張感を私に抱かせた。私は臆する自分を奮い立たせるように身を乗り出した。
「これまでの作品は、すべて読んでいます。私はあなたの一番の愛読者なのです」
私は自分の言葉に熱を込めた。それは事実であり、優秀な編集者が何名も勤める我が出版社で、私がユーゴー氏と面会する栄誉を得られた理由でもあった。
「そうかね。君はずいぶん若いようだが、これまでに何を読んだかね?」
氏の言葉は私を試すようなものだが、私はたじろいだりしなかった。
「『エルナニ』は言うに及ばず、『ノートルダム・ド・パリ』、『リュイ・ブラース』。もちろん、『オードと雑詠集』をはじめとする詩集の数々も読んでいます!」
「詩と戯曲、小説ぐらいかね?」
「『ミラボー研究』、『文学哲学論集』などの評論ですか? もちろん読んでいます!」
ここでようやく、氏の口元に笑みが浮かんだ。「そうかね」
さきほどと同じ「そうかね」だが、明るい口調に変わっていた。
「ですから、我が出版社で新作を出させていただけるのなら、それはただ名誉なことだけでなく、非常に……、そう、この上ない幸せです!」
それは偽らざる本音だった。正直なところ、氏には悪いが、氏の政治的不幸は私にとっての幸運であったのだ。
「まだ君のところに任せたいわけではないよ」
氏は冷たい口調で私の勢いを削いだ。「私はまだ、どこで出版するか決めていない」
「そうでしたか……。勝手に思い込んでしまって申し訳ありません」
私は意気消沈してうなだれた。私の浅ましい気持ちを氏に見抜かれたのかと不安になった。
「いや、そう謝るものでもない。私の気持ちはだいぶ君のところへ傾いているからね」
氏の口調は穏やかなもので、私の心に光が戻った。「それでは……」
「いくつか確認したいことがある。私はあのルイ・ナポレオンを許すことができない。あの馬鹿者を糾弾する本を出すことにためらいはないかね?」
氏の質問に、私はすぐ答えられなかった。私が期待していたのは新作の詩集、あるいは小説だったのだ。政治的な評論とは、一番の愛読者である私でさえ二の足を踏む。
「どのようなものをお出しになりたいとお考えなのですか?」
私はおそるおそる尋ねると、氏はかたわらに置いていた鞄から紙の束を取り出してテーブルに置いた。
私はその束に手を伸ばして手元に引き寄せた。それには『小ナポレオン』とタイトルが書かれていた。いかにもナポレオン三世を挑発するような、危険なタイトルだ。
「これを……ですか」
「気に入らんかね?」
「い、いいえ」
私は慌てて紙の束を手にすると、原稿に目を通し始めた。数枚めくったところで私は顔をあげた。さきほどまで私の心は躊躇の気持ちに占められていたが、今は別のものに変わっていた。
「これは、ほかの誰かに読ませましたか?」
「いいや。君が初めてだ」
「では、もう誰にも読ませないでもらえますか?」
「ほう」
氏の小さな目が光ったようだった。「つまり……、君はこれを出版したいと?」
私は強くうなずいた。「これは評判になるでしょう」
後日、『小ナポレオン』は我が社で出版された。
私が予感した通り、強大な皇帝を相手に怯むことのない攻めた内容であるこの本は、世間で大きな評判となった。
もちろん、この時点で未来の評判などわかるはずもないのだが、私の確信めいた態度に氏は心を動かされたようだった。
「そうか……。これから私は亡命者として生きることになる。当然、国からの年給など当てにできないからね。何らかの方法で収入を得なければならない。そこで、すぐに出せるものを用意したわけだ。つまり……、これがいくばくかの生活資金になればと考えているのだ」
私は驚いた。氏から、ここまで踏み込んだことを聞けると思っていなかったからだ。氏が言いにくいことを打ち明けてくれたのは、それだけ私を信用するようになったということだ。私は感激して胸が詰まった。
「どうだろう。今度はこちらにも目を通してもらえるだろうか」
氏は別の原稿の束を取り出して私に見せた。私に断る考えなどあろうはずもない。
「もちろんです。ぜひ」
私はその原稿も手に取るとタイトルに目をやった。
『Les Misères(悲惨)』
原稿をめくった私から、思わず声が漏れた。「これは……、小説ですか?」
「そうだ。まだ書きあがっちゃいないがね」
氏は片手で頬杖をついて答えた。私の反応を探るような目つきだった。おそらく、私は氏の期待する行動をしていたに違いない。私は氏の返事も待たずに原稿を読み始めていたのだ。
――10月のある日、主人公ジャン・ヴァルジャンがミリエル司教の司教館を訪れる。彼は19年もの牢獄生活を送っていたが、ようやく服役を終えて社会に出たのだった。彼が犯したのは姉の子どもたちのために1本のパンを盗んだことだ。もともと数年の刑だったはずが、何度も脱走を企てたため、19年も服役することになったのだ。
長い囚人生活で深い人間不信に陥っていたジャン・ヴァルジャンは暖かく迎えてくれた司教を裏切り、銀の食器を盗んで逃げだしてしまう。しかし、ジャン・ヴァルジャンは憲兵に捕らえられ、司教の前に引き出された。ミリエル司教は、そんなジャン・ヴァルジャンを責めることもなく、むしろ、「その食器は私が与えたのだ」と彼を憲兵から解き放たせ、さらに銀の燭台を与えた。「正直な人間になるために、これらを使いなさい」との言葉とともに。
司教の信念に満ちた行動に、ジャン・ヴァルジャンは衝撃を受ける……。
「……続きは、続きはないのですか?」
読み終えた私の声は震えていた。とんでもない衝撃だ。こんなユーゴーの小説など読んだことがない。これまでとはまるで性質が異なる。これは、厳しい現実に打ちのめされた男の物語だ。そして、その再生が描かれようとしている。冷徹なストーリーに横たわる深い人間愛。そのような小説を氏が書いているというのだ。
「続きはあるが、読ませられるほどの量でもない」
氏の返事は短かった。私は氏に食い下がった。「それでもかまいません! ぜひ、続きを!」
「君は気に入ったのかね、こんな暗い物語を?」
私は首を振った。「あなたが何を懸念して、そうおっしゃるのかわかりません。ただ、私はすでに引き込まれているのです。この物語に!」
氏は頬杖ついていた手から顔を離した。「君は好意的に言ってくれる。しかし……」
「どうしたのです? 何を心配されているのです? これは素晴らしいものではないですか」
氏は小さくため息をつくと顔を横に向けた。まっすぐな私の視線を正視できなかったようだ。
「この物語は45年から書き始めている。もう6年になるか……。何度も中断しているがね。前の作品の評判は散々だった。二度と書く気が起きなくなるほどにね」
評判がさんざんだったというのは戯曲「城主」のことだろう。
1843年に発表されたこの作品はかなりの酷評にさらされた。以来、8年経った今に至るまで、氏は何も発表しなくなったのである。
「もちろん、当時は政治活動が忙しくて本など書いている暇などなかったのだがね。しかし、私はその状況を言い訳に何も書こうとしなかったのだ……」
氏は言葉を切ったが、私は何も言わなかった。無言で続きをうながしたのだ。
「だがね……。簡単に筆を折る心境にもならなかった。いや、なれなかった。筆を折るにしても、何かそれを決断させるほどのものが欲しかった。きちんと私を諦めさせてほしかった。つまり、全身全霊をかけた作品を手掛け、それがまるで評判にならなければ、本当に筆を折るという……」
私は原稿に視線を落とした。この原稿には絶筆の覚悟も込められているのか。無意識のうちに原稿を持つ手が震える。
「私はこの作品を書ききる時間を手に入れたい。そのために、それ以外の本を我慢して出してくれる出版社を探していたのだ。当座の生活資金を得るために。私が確認したいのは、そんな私の我がままに付き合ってもらえるかということだ」
私はかたわらに置いた『小ナポレオン』の原稿に視線を移した。これは当座の生活資金のために出したいということか。しかし、これはそれなりに売れるはずだ。私は頭のなかで損得勘定の計算をはじめた。いくばくもしないうちに私は決断していた。
「ぜひ、この作品の完成を私たちに協力させてください。それまではそれ以外の作品を出版し、あなたに生活資金が入るようにいたします」
「君ひとりの決断で大丈夫かね?」
「もちろん、社主に話を通しておく必要はあるでしょう。ですが、ご安心ください。この『小ナポレオン』は、我が社で喜んで出版させてくれと言うはずですから。もちろん、こちらの作品もです」
私は『Les Misères』の原稿を持ち上げた。
私の言葉に、氏は大いに気を強く持てたようだ。氏の顔から陰鬱な表情が和らぎ、口元には安心したような笑みも浮かんでいた。
「ありがとう。勝手な申し出だと断られることも考えていた。君に出会えて本当に良かった」
氏は私に右手を差し伸べた。私はその手を取ると、力強く握った。
「それは私も同感です。今後ともよろしくお願いします、ユーゴー様」
こうして、氏の作品は我が社で出版する運びになった。社主は大いに喜び、私を氏の専属担当者に据えてくれた。社内での私の株は一気に上がったのである。
氏との会見から、およそ10年が過ぎた。
私は10年で主席編集者となり、それなりに忙しい身分となっていた。それでも氏の担当者は続けている。当然だ。私はあの『Les Misères』を自分の手で世に送り出すために働いているのだ。少々出世したぐらいでこの立場を降りるつもりなどさらさらない。
「主席、小包が届きました。ユーゴー先生からです」
見習い編集者の青年が私の部屋に顔をのぞかせた。私は椅子から立ち上がるとせわしく手招きした。
「そうか、早く持ってきてくれ」
氏は『小ナポレオン』の出版直前にベルギーを離れていた。
はじめは英国領であるジャージー島へ、次にガーンジー島へ移っていた。フランスの隣国であるベルギーでは、自分の身の安全が図れないからというのが理由である。まぁ、もっともな考えである。
それ以来、氏とは手紙などでのやり取りで出版を進めてきた。これまでに出版したいくつかの本はそれなりに評判を勝ち取っていた。それらは大きな収入をもたらしてくれるわけではなかったが、氏がひそかに取り組んでいる大作を書くだけの経済的余裕と時間はもたらしていた。ただ、あの作品が完成するのに、これほどの時間を必要としたのである。
そして、ついに、あの作品の最後の原稿が手元に届いたのだ。作品のタイトルは『Les Misères』から『Les Misérables』に変わっていた。
私は自分の手の動きにもどかしく思いながら小包を開いた。中から氏の最終原稿が姿を現した。待ちに待った瞬間である。私は氏の大作を誰よりも先に読むという、最上級の特権に酔いしれながら原稿を手にした。
私は読んだ。最後のくだりは繰り返し読んだ。そして、私は大いに涙を流した。これ以上にないほどに。これほどの感動を一篇の小説によってもたらされたことに私はただただ感謝した。
気持ちが落ち着くと、私はさっそく氏へ手紙を送った。
『最高でした。この感動は、全世界の人びとも共有することでしょう。間違いなく後世に残る大傑作です!』
私の賛辞に対する返事はそっけないものだった。
『君に満足してもらえてよかった。私は間もなく旅に出るつもりだ。だから、出版するにあたっての細事はそちらにお任せする。ぜひ、いい本に仕上げてくれたまえ』
その手紙を読んだ私は苦笑するしかなかった。
何度かの手紙のやり取りで、氏の性格はかなりつかめられるようになった。
編集者として、著者とは作品の内容について意見することがある。氏とのやり取りも同様だ。そして、その内容によっては激しい対立を生むこともあった。それでも、私は根気よく冷静な文章で説明し、理解を求めた。この場合、手紙という時間のかかる方法が功を奏したようだ。氏からも落ち着いた文章で、それでも自説を曲げまいとする意志のこもった返事を送ってきた。
このような具合で、氏とはなかなか意見の折り合いが見られないこともあったが、しかし冷静で、知性的なやり取りができていたのである。面と向かって議論していれば、私と氏は激しい口論をしていただろう。
こうしたやり取りを10年も続けてきたのだ。手紙だけとはいえ、氏が何に怒り、喜びを感じるのか、私は理解できるようになったのだ。当初は老成した厳格な性格だと思っていたが、意外と子供っぽさも持ち合わせていることもわかってきた。
氏は尊大な態度で、周囲の目など気にもしていない様子を見せるが、実のところ、周りからの評判をもっとも気にする人物なのだ。そのやせ我慢な部分は、さながら、お菓子が欲しいにもかかわらず、「いらない!」と強情を張る子供のようだ。
私が氏からの信頼を勝ち得たのは、そうした部分を踏まえ、氏のプライドを損ねぬよう心掛けてやり取りしてきた結果だと思う。氏のひねくれた性格を理解しなければ、どんな優秀な編集者でも氏ともめるはずなのだ。
だから、氏からのそっけない手紙は、私への全幅の信頼を表しているのだと確信できた。ただ、相変わらずの態度なので思わず苦笑がもれたのである。
私は氏からの手紙を折りたたむと、笑顔でつぶやいた。
「もちろん、最高の本に仕上げます!」
氏から受け取った原稿はすぐに編集作業に回され、版を作り上げ、印刷、そして、製本。完成までに時間はかかったが、しっかりしたいい本に仕上がった。最初の原稿に出会ってから10年。ずいぶんと待たされた気もするが、こうして本を手にするとあっという間だったようにも思える。この本はきっと評判を呼び、大いに売れるだろう。私は結果が出る前から、そんな予想を抱いていた。それには根拠がないわけでもなかった。
この作品が素晴らしいものであることは間違いない。しかし、本の売れ行きは作品の良し悪しだけで決まらないことも事実だ。そこで、私はユーゴー氏が新作を発表するということを宣伝することにした。長い間、氏の小説の新作がなかっただけに、世間の人びとは驚き、そして、大きな関心を持ってくれた。
我が社には多くの問い合わせがあり、「ユーゴーの新作はいつ出るのだ」としつこく尋ねられた。私はその反応に確実な手ごたえを感じていた。世間の関心は非常に高い。しかも、この作品自体が非常に素晴らしいのだ。必ず成功する、と。
私は『Les Misérables』出版直前に、氏にあてて手紙を送った。前評判の高さを知れば、氏も喜ぶだろうと思ったのである。
手紙の返信はなかった。以前の手紙には旅に出ることが書かれていた。ひょっとすると本当に旅へ出て、私の手紙は氏の手元に届かなかったのかもしれないと思った。
『Les Misérables(哀れなる人びと)』が出版された当日は、どの書店でも本を求める人びとで列ができるほどの人気だった。誰もが氏の新作を心待ちにしていたのだ。
「すごいですね。こんなに売れるなんて思ってもみませんでしたよ」
見習い編集の若者は、信じられない表情で報告した。彼は各地の書店からの売れ行きを確認していたのである。
「そんなことを思っていたのはお前だけだ」
私は冷静な態度で返したが、内心では快哉をあげていた。実のところ、評判になるとは思っていたが、飛ぶように売れるとまでは思ってもみなかったのである。
そう。『Les Misérables』はとても売れた。売れに売れた。これまで出版したユーゴー氏のどの作品も凌駕するほどの勢いで。私が思っていた通り、氏はこの作品で後世に名を残すだろう。その栄誉を受ける手伝いができたことに、私は誇らしいと思った。早くこのことを氏に知らせたかった。
私は氏へ手紙を送った。しかし、それに対する返事はなかったのである。
ここで、冒頭の話に戻る。ようやく氏から手紙が届いたわけだが、これを読むかぎり、私からの手紙は行き違いで受け取っていなかったようだ。この奇妙な手紙の差し出しはガーンジー島からではなかった。氏は旅先から手紙を送っていたのだ。
はじめは困惑したが、事態が飲み込めるにつれ、私は自分の口元が緩むのを感じていた。根がまじめな氏は本の評判を知るのが怖くなり、逃げるように島から出たのであろう。この作品が評判にならなければ筆を折るという話は氏と私との秘密だ。仮に、まったく評判にならなくても、素知らぬ顔で執筆活動を続けてもいいはずである。私とて、氏に筆を折るよう迫ることなどするはずがない。氏もそれはわかっているはずだ。
だが、この10年という月日は、氏と私との間に友情と呼べる絆を築かせた。友である私の前で誓ったことを、氏は反故にできない。氏が私からの手紙を待つこともなく旅に出たのは、氏のプライドと意地、同時に恐れと不安で居ても立ってもいられなくなったからだろう。私はそのように推察した。
ところが、氏はせっかく逃げ出したにもかかわらず、やはり結果が気になって我慢できなくなったのだ。ただし、これまで無関心を装っていただけにまともには尋ねづらい。そこで、氏は言い訳めいた文章を書くのを避け、たった一文字だけの手紙を寄越したのである。一文字だけとはいえ、私はそこに氏のバツの悪さと不安、そして、結果を受け止めようとする氏の覚悟をはっきりと感じた。ただ申し訳ないが、結果を知る私にとって、氏の必死さは悲壮感を通り越して滑稽でさえあった。
「こんなのに、どう返事なさるんです?」
氏のことをあまり知らない見習いは私に質問した。私はそれには答えず、笑いをかみ殺したまま、自分の机に向かった。机のかたわらには社名入りの書簡箋がある。私は椅子に座ると、そこから一枚を取り出した。私は異邦の地で審判を待つ氏にあてて、最高の返事を送ることにした。長年の友愛と、『信じられないぐらい売れています!』という意味を込めた、世界で一番短い手紙に対する、世界で一番短い返信である。
私はただ、
『!』
とだけ、返したのである。
ヴィクトル・ユーゴーと出版社との間で交わされた、一文字ずつの手紙。未確認だが、ギネスに「世界最短の手紙」として記録されているらしい。一応、実話ということだ。
ちなみに、この物語の元としたのは、R・L・リプレー著、庄司浅水訳による『世界奇談集2―ウソのような本当の話―』(河出文庫)に掲載されている話である。リプレーは1949年に死去しているが、後年のケネディ暗殺(1963年)を予言するような話も残しており、興味深い本である。
今回、「手紙」で歴史小説とお題をいただいて、真っ先に浮かんだのは「エムス電報事件」と、このエピソードである。「エムス電報事件」は世界の地図を塗り替えるほどの大事件につながるので、物語としてはこちらのほうが面白いが、小説にするにはスケールが大きくて期日までに間に合わない。それで、こちらを物語化することにした。
「世界で一番短い手紙」というエピソード自体は単純に面白いが、個人的には疑問に思っていた。『レ・ミゼラブル』のようなマジメな作品を書いたユーゴーにしては、このエピソードは稚気やユーモアを感じる。僕自身が抱くユーゴーの固いイメージとつながらないのだ。そこで、このエピソードが生まれた背景を自分なりに「でっちあげ」てみることにした。このエピソードの詳細を知る資料が現存するのかわからない。つまりは、まったくの空想による嘘っぱちである。
ただ、この物語のほんの一部分でも、特に、ユーゴーと出版社との間にたしかな信頼関係があったという部分だけでも、虚構でなく真実であったらと思う。