53.恋情
落ち着いたあと、着替えて眼鏡と手袋をした先生と腕を組んでカフェに行くことにした。
シックで落ち着いたお店に着くと、お客さんは全くいなくて、年配の男性店員が「お好きな席へどうぞ」と促すだけだった。
大きな窓際のテーブル席に、先生と向かい合って座る。窓には雪が舞う姿が見てとれた。
「コーヒーは飲めますか?」
「ミルクと砂糖があれば······」
コーヒーはかつてお母さんがよく飲んでいた。私には苦くて、でも一緒に飲みたかったからミルクも砂糖もたくさん入れて飲んだ思い出がある。
アロイス先生は私にトーストサンドとたっぷりのカフェオレを頼んでくれた。
「先生は食べないんですか?」
「昨日少し飲み過ぎましたからね」
苦笑いしながら、先生はコーヒーをブラックのまま口につけた。
カリっと、トーストサンドの端を齧ると香ばしいパンの味が広がる。食べ進めたらなかからチーズやベーコンが出てきて色んな味が一度に口に出来て嬉しい。
「美味しいです~、はあ」
カフェオレと交替で口にすると苦いのと美味しいのが交互に味覚を刺激してさらに食が進んだ。
私の様子を微笑みながら先生は見ていた。
「ニーナは年越しはどうされるのですか?故郷に戻りますか?」
「いえ、寮で過ごします」
「······挨拶くらいはなさったほうがよいのでは?」
「死んでる人に挨拶してもしょうがないので」
カリカリとトーストサンドの端を食べきり、私はもごもごと口を揺らしていると、アロイス先生はその様子を少し見てから目を伏せた。
「先生は、知ってて聞いてくれたんでしょう?」
無言のまま、先生は眉尻を下げた。
私のお母さんはもういない。魔法学校に入学前に事故で亡くなった。他に家族なんかいなかったから、お母さんがいなくなって、家も故郷も家族も無くなった。
私は思わず笑った。
「何だか先生のほうが寂しそうですね」
「ニーナは、寂しくないのですか?」
「私にはアロイス先生がいるから」
カップを手にとり、まだたっぷりと入っていたカフェオレを一口飲んでからカップを両手で持った。
「先生が、私の家族になるっ言ってくれたから。だから私の帰る場所はもう昔の故郷じゃない。先生がいるところです」
真っ直ぐに先生を見て伝えた。
一度、瞼を閉じた先生がゆっくりとまた開く。変わらず美しいアメジストの瞳を。
「······ユーリ・ブラウエルに言われたことを覚えてますか?」
「植物園のことですか?」
「ええ、そうです。私はあなたの親でも保護者でも無い。ただの教師に過ぎない。貴女の未来を奪わないと言ったのに、与えると言ったのに、私は貴女の将来を勝手に制限しようとしました」
「制限も何も······将来をどうするかなんて私が決めることですよ?そもそもまだ何も決めてないですけど」
「その通りです。決めるのは貴女だ。なのに、私はそれに口出ししようとした」
「口出ししたらダメなんですか」
「貴女の人生に大きな影響を与えるのは確かだ」
アロイス先生は斜め下に俯いて、ポツリと呟く。
「でも私は貴女を手放せない」
私はカフェオレを一口含みながら黙って先生の話を聞く。
「貴方が自由に未来を語りたくとも、自由な恋を選びたくとも、私はそれをきっと阻止してしまう」
「先生······」
「貴女の枷になるのをわかってて私は繋いだ。貴方が好きだから」
先生は酷く辛そうに言う。
「貴女を離してはあげられないんです。愛しているから」
泣くかと思ったけど、アロイス先生はぐっと堪えてこちらを見た。
真っ直ぐ見つめてくる瞳に窓から雪の光が反射して、とても美しく煌めいた。
私は両手で頬杖をついた。不思議と笑いが込み上げてきて口角があがる。
人差し指で、先生の頬をつん、と突っついた。
「先生ってば、意外と物覚え悪いんだから」
ニコニコと笑みが零れ、アロイス先生の表情が困惑する。
「私、言ったはずですよ?先生が望むなら、手錠で繋いでも、搾取されて殺されてもいいよって」
「先生は心配性だから、何度でも言ってあげる。私は先生の役に立ちたいの」
先生の漆黒の髪を梳くとサラサラと揺れた。
「先生の役に立つには傍にいないといけないんでしょ?」
頬を撫でてあげるとほんのりと温かさを感じる。
「先生が喜んでくれるなら何でもしてあげる。私の命もあげる」
ポタリと、私のものではない水滴が手に落ちた。
「枷になって繋いでください。逃げたら追いかけて。離さないでください」
なんて美しい泣き顔なの。私が見惚れてるとも知らないで、そんな綺麗な顔を向けて。
「お酒をたくさん飲んだのはそのせいですか?」
「みっともないところをお見せしました。すみません」
「みっともないなんて思ってません。セクシーだとは思いましたが」
「植物園に就職希望するかなんてまだ分かりません。先生とのおうちにネモフィラを植えるのに失敗したらユーリを頼るかもしれませんが」
「ネモフィラ・・・」
「私の優先順位は先生が一番なので。先生と暮らしてネモフィラの育成に失敗したら、育成方法を学ぶために植物園にいくかもしれません」
「私は、行かせたくない」
「じゃあ行きません。これが私の決めた選択です。私が決めた答えです」
「そんな、簡単に決めたら・・・」
「簡単じゃないですか。私には先生以上に大切なものなんて無いんだから。優先して当然でしょう?」
アロイス先生は涙を拭かず、頬を触っていた私の手を握った。
「ニーナ。私はきっとどこか病んでいるのかもしれない。繋いで欲しいという貴女に、私に殺されてもいいと言う貴女に、どれだけ心が歓喜しているか。私の恋情は人のそれとは恐らく違う。それでも貴女は、私の傍にいてくれますか?」
「離れる気なんてありませんよ」
アロイス先生の頬と手の熱を感じたまま、私は笑う。
ねえ、先生
私だってきっとどこか病んでいる
もうとっくにおかしかったと思う
私の心を束縛する貴方が
私の手を離さない貴方が
酷く愛しい
堪らなく恋しい
二人で見つめあいながら、また笑った。
アロイス先生は店を出るまで私の手を握り続けた。




