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26.ネモフィラ 1

 


 アロイス先生に会うのは最後の授業以来だった。

 約束した、最初の週末の朝、先生に会いたくて私は少し早めに家を出た。


 いつもの住宅街までいくと、ポケットに黄金の鍵がはいっていて嬉しくなる。


 鍵をカチリと開けノックをするとドアノブを触る前に扉が開いた。


「ニーナ!」


 腕を掴まれたと同時に強く部屋の中に引き込まれて帽子が落ち、そのまま先生の腕の中にすっぽりと収まった。


「お久しぶりです、アロイス先生」


 先生は笑顔で迎え入れてくれて、ぎゅうっと私を抱き締める。


「ニーナ、会いたかったよ」


 ひとしきり抱き締められたあと、少しだけ顔を離して先生はまた笑った。


「私が買った服、ちゃんと着てくれましたね」

「はい。似合っているかはわかりませんが」

「とても似合ってますよ」


 先生は今日も真っ黒な服を着ていた。

 朝日の中でニコニコと笑う先生はキラキラと紫水晶のように瞳を輝かせて私の名を呼んだ。


「ニーナ、今日も先に仕込みをしましょうか」

「はい、アロイス先生」


 二人でエプロンをつける。先生は真っ黒なカフェエプロン。私はステファニーさん特製の白いフリルエプロンだ。


 今日も先生は手際よく仕込みをする。私は玉ねぎを微塵切りにすると、涙がぽとぽと出てきて相変わらず先生を困らせるだけだった。二人で挽き肉にスパイスを混ぜ込み貯蔵庫にいれて暫く寝かせた。


 一息つくと、先生はアイスティーを入れてくれた。冷たくてレモンの酸味が心地よかった。


「魔法団のお仕事のほうはどうですか?お忙しいですか?」

「少し、遠くまで仕事しにいっています。外国ですね」

「外国······」

「冬になるととても寒い国です。今は夏なのに、咲いていたのは春の花ばかりでした」

「お花、何が綺麗でしたか?」

「ネモフィラです。丘一面が群生地になってました」

「ネモフィラって青い空色のお花ですよね。真ん中が白いやつ」

「そうです。足元から地平線まで続く青い花をみて、貴女を思い出しました」


 真顔でアロイス先生が言うから、少し照れてしまった。


 先生が見つけたネモフィラを私も見てみたかったなと思って、アイスティーの氷をストローでつつくと、先生は「そうだ!」と言って急に椅子を立ちあがった。


「今から一緒に見に行きましょう!」

「えぇっ?!外国にですか?無理ですよ」

「今、あっちの国と行き来している関係で一部の結界を緩めてるんです。私の手形が有れば簡単に通れますから」


 前は急げとばかりに先生は仕度を始める。


「向こうでピクニックをしましょう」


 簡単なサンドイッチをテキパキ作り始めた。私は邪魔にならないように、先生が作り置きしていたアイスティーを水筒に詰めなおしただけだった。


 先生が手を翳すと、青い鍵が床上に現れた。


「ブ······ブルーダンジョン?!」

「だからタンジョンではないと言っているのに」


 先生が鍵を開け、ドアを開くと、そこは一面の青だった。


 青い空、青い花、どこまでもどこまでも続く青。


 ところどころに混じる白が映えて、さらに周りの青い花達を引き立てている。


「ほら、美しい青い花。まるで貴女みたいでしょう?」


 私の髪色は水色だ。それよりだいぶ濃く鮮やかな青だった。どちらかと言うと瞳の色に近い。


「········すごい」

「ふふ、そうでしょう?」


 私はそのまま、何も言わずに丘一面のネモフィラを見ていた。


 なんて綺麗なのだろう。

 なんて鮮やかなのだろう。

 こんなに美しい青の中心は、本当に真っ白で、何物にも汚されず、まっすぐ上を向いている。


 私もこんな風になれるだろうか。

 私にはこんなに仲間も家族もいないけれど

 せめてアロイス先生の傍にたった一つだけでも

 花を咲かせることが出来るだろうか


 流れる涙に気がつかず、私はただ丘の花達を見ていた。



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