第四話 六年前
ラブレス・ラブリを初めて見たのは六年前、《セブンデイズ・シケイダ》の一員として、初めてクエストに参加した日のことだ。
俺たちは隣国の国境に続く街道に出没するゴブリン討伐に向かっていた。
メンバーたちは、まるでピクニックに行くみたいに、馬車の上で酒を飲みながらカードに興じていた。冒険者にとっては当たり前の光景だが、難易度の低いクエストでは、どこのクランも概ねこういう雰囲気だと俺が知るのはもっと後になってからだ。
勝負に負けた悔しがる叫び声や、輪の外からああだこうだとアドバイスする声をよそに、俺は初めて乗る移送用の大型馬車の後部から外の景色を眺めていた。
「おい、新入り! お前も入れよ」
「いや、私は遠慮しておくよ」
「なーに、装備までは取ったりしねえから安心しな!」
「悪いがそんな気分でもないんだ」
へんっ、とそいつは鼻を鳴らした。
「貴族の坊ちゃんはゴブリンごときにビビってるんだとさ!」
どっと、幌の下が弾けるような笑いに包まれる。
図星を突かれた俺は恥ずかしいくらいに狼狽し、必死で否定したが、一度こうなった冒険者たちは存外にしつこい。
「ちゃんとオムツ穿いてきたのかよ?」
爆笑。
「ママに買ってもらったそのレイピアで間違って俺のケツ刺さねえでくれよ!」
爆笑。
ヒーヒーと腹を抱え息も絶えだえに、一人が訊いてきた。
「と、ところでよ、お前、名はなんだよ?」
「そ、そんなこと誰が答えるか! まずは無礼を詫びたまえ!」
誰かが俺のその口調をマネると、再び笑いの渦が起こった。
「おい、お前たちいい加減にしろ! さっきから冗談が過ぎるぞ」
御者台から張りのあるよく通る声が飛んできた。
「そうやって何人辞めていったと思ってるんだ?」
その場が一瞬で静まりかえる。
「アレスは俺が誘ったんだ。そいつをからかうってんなら、俺をからかってるのと同じだ。お前たちわかってやってるのか?」
さっきまでの意気はどこへやら、屈強な男たちが狼狽し始めた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ、レイモンド。少しふざけただけじゃねえか……」
その場にいた全員が、一斉に俺に詫びを入れてきたが、怒りはどうにも収まらなかった。しかし、そこは助け船を出してくれたレイモンドの顔もある。
俺は自分の狭量を反省し、こっちにも非が合ったと伝えた。
「改めて自己紹介させてくれ。私はアレス・アレクセルだ。父はロイヤルフォースの小隊長を務めている。以後、よろしく頼む」
騒ぎの中心にいた男に俺は握手を求めたが、馬車の中はシーンっと水を打ったように静まり返っている。
「お、おい、ま、まじかよ……お、お前、あのアレクセル家の……」
「「恥略家アレックスの息子!!」」
全員が口を揃えて叫ぶと、再び、爆笑が巻き起こった。
俺は意味がわからず、レイモンドの方に目をやった――だが、笑いをこらえていたのか、レイモンドも口元をぴくぴくさせていた。
「なんだお前知らねえのか?」
事態が飲め込めていない俺に、一番騒がしい男が口を開いた。
「お前の親父さんは、戦地で女と逃げ出したんだよ!」
そいつの発言を皮切りに、堰を切ったように父の噂話が飛び出してきた。
「なんでも相手は戦場で客取りしてた女らしいぞ」
「その女の手管ってのがまた見事だったって話だぜ。こいつの親父さんの戦略も形無しだったみてえだな」
「アレクセルっていやあ、もともと軍の参謀の家柄だ。智略家アレクセルっていえば大戦の名軍師だったんだぜ。それが今や恥略家ってわけだ! がはははっ!」
もう収集もつかないほど場は騒然となっていた。
「ばかな! 貴様らそれ以上、それ以上、父上を愚弄すると許さんぞっ!」
怒りにまかせて腰からレイピアを抜いた俺に見かねたのか、馬を他の者に任せてレイモンドが間に入ってきた。
「待て、待ってくれアレス。ただの噂だ。本気にするな」
「いや、まじだって! 戻ってきた軍の奴から――」
次に剣を抜いたのはレイモンドだった。
そのままそいつの喉に突き立てる。
「おい、さっき言ったよな? アレスは俺が勧誘したんだ。それ以上言ったら……」
「わ、わかった。もう言わねえよ」
レイモンドは剣を鞘に収めると、俺の方を向いた。
「アレス、こんなのはただの噂だ。鵜呑みにするなよ」
再び静まり返ったその場に耐えきれなくなった俺は、レイモンドに続いて御者台に身を移そうとした。
その時。
爆音とともに、俺は吹き飛ばされ、街道沿いの草むらに転げ落ちていた。
砂塵と煙と耳鳴り。
周囲の状況はまったく把握できない。
なんとか這いずりながら、その場を離れようとしたが、自分がどこに進んでいるのかもわからなかった。
徐々に煙が晴れ、その向こうで馬車が燃えているのがわかった。
キーンという音が次第に小さくなり、耳が音を拾い始める。
うめき声を上げる者、立ち上がり仲間を呼ぶ者、馬が駆けて行く蹄の音。
俺がどうにか立ち上がった――刹那、ビュンっと風を切る音が耳元でする。前方に目を凝らすと、中空で無数の矢が弧を描いてこっちに落ちてこようとしていた。
「アンタイ・アロー!」
どこからともなく聞こえた声と共に、俺たちの頭上にエメラルド色のシールドが展開される。
全ての矢が突き刺さると、シールドは消失し、矢はばらばらと地面に落ちた。
「アレス! こっちだ」
その声にようやく我を取り戻し、声のした方に這っていった。
身を低くして背の高い草むらに隠れているレイモンドと俺を一番馬鹿にしていた二人が、反対側の草原を睨んでいる。
俺もそっちに目を向けると、
無数のゴブリンの群れ。数にして百匹近くはいる。
しかも、明らかに俺たちが狙っていた普通のゴブリンの群れではない。
ゴブリンジェネラルによって統率された、短剣、弓、槍、魔法隊によって構成されている《ゴブリン・トゥループ》だ。
「……これはやべえ、まじでやべえ……」
馬車の上で俺を馬鹿にした中心人物が、今では恐怖のあまり声が震わせる。もう一人も狼狽を隠さず、早く逃げようとレイモンドにせっつく。
「だめだ……この状況だと転移魔法か飛翔魔法がない限り逃げきれない……」
レイモンドが答える前に、俺は何も考えていないのに言葉が口からついて出た。
「だが、そんな魔法が使えるやつは第一か第二等級にしかいない。なら現状は戦うしかないだろう……レイモンド、魔法は何が使える」
「……初級の火炎魔法なら一通り。後はさっき見せた初級の防御壁だ」
「君たちは?」
「おい、絶対に勝ち目なんてねえ! すぐに逃げようぜ」
「俺も同感だ! 早くしねえと手遅れになるぞ!」
「き、君たち……」
「「「レイモンド」」」
馬車のなかでの気勢を完全に削がれている二人に困惑していると、別の仲間たちが這うほうの体で、こっちにやって来た。
「俺たち以外はだめだ……みんな死んでる」
その事実はそばにいた二人にさらなる恐怖心をもたらしたようだった。
「……だ、だめだ俺たちは先にずらかるぜ!」
レイモンドの制止を振り切り、二人は反対側の草むらに駆け出した。
「馬鹿! 立ち上がるな!」
すぐに複数の火の玉が彼らに向かって放たれ、二人の背中に命中した。
「た、た、助けっ――ぐアアアァァ……」
二人断末魔の叫びが響きわたる。
立ち上がって様子を見ることもできなかった。もし立ち上がったら彼らと同じ道を辿るのは目に見えていた。
「くそっ! 移動しよう、ここだとすぐにばれてしまう」
レイモンドの指示で、俺たちは草むらを這って移動することになった。
俺はふと攻撃を受けた二人の方に目をやったが、彼らの声はもう聞こえなくなっていた。