エピローグ
「それでは、行ってまいります。母上」
「アレス、あなたの立派になった姿をみたら、お父様もさぞお喜びになることでしょう」
「母上もお体には十分お気を付けて。こまごましたことはメリンダさんに頼んでいるので、くれぐれも――」
「それはもう聞きました。あなたは自分の旅の心配をなさい」
母と厚い抱擁を交わし、俺は家を後にした。
「おう、ドラゴンスレイヤー! 帰ったらまた寄ってくれよな」
あれから二か月が経ち、巷で俺は《ドラゴンスレイヤー》と呼ばれている。
「もう行くのかい? あんたがいないとここいらもまた物騒になるねー」
なぜか、あの一件以来、俺が住んでいるエリアでは犯罪が減ったそうだ。
「これはこれは、アレス様。道中のご無事をお祈りしております。もしどこぞでよい品を見つけられた際には、このスミーノの顔を思い出していただけると光栄です」
結局、折れたドラゴンキラーの買い取りは断られたのだが、ドラゴンの表皮というのが超高額で取引されていることを俺は知らなかった。
皆がどうしてもと言うので、俺はその表皮を全部貰うことになった。その代わり、報酬の受け取りは固辞した。
ツインヘッド・ドラゴンの亡骸は、一度はギルドによって回収された。
この城下でドラゴンが討伐されたのは初めてのことで、国を挙げての大騒ぎとなった。しかし、大陸国家連合からの介入があり、《魔獣研究所》という機関が、亡骸を全部よこせと要求してきた。
その横暴さに腹を立てた皆が、ギルド長に掛け合ってくれたおかげで、なんとか表皮と片方の頭だけは戻ってきたというわけだ。
表皮の価値は総額で金二〇〇〇〇枚。
息子の活躍で大軍師アレクセル家の威厳を取り戻した母なら、一人でも女中付きで何不自由なく暮らしていける額である。
俺は《セブンデイズ・シケイダ》を抜けた。
手切れ金とまでは言わないが、レイモンドにもそれなりの額を渡してきた。これで俺がいなくても、しばらく金には困らないだろう。一応、俺のクラン内での役割――『金づる』としての仕事だけは、最後までまっとうすることができたといえよう。
目抜き通りを城やギルドとは反対の方に歩いていくと、馬車の停留所がある。
俺は隣国ジューダスまでの馬車を手配した。もちろん相乗りではなく、柔らかい椅子の付いた特等馬車だ。
馬車の屋根に荷を積んでいると、背中に刺すような視線を感じる。振り向くと、そこに立っていたのは、涼しげな白のワンピースを着たラブレス・ラブリだった。
「君はいつもそうやっていきなり人の前に現れるのかい?」
ラブレスは目が合うとさっと俯いた。
病院で目を覚ましたときに、最初に目に入ったのは、窓から入ってくる風で膨らむカーテンだった。清潔なベッドの上で上半身を起こすと、俺の足元に蹲るようにして、ラブレスは眠っていた。
「……いつもじゃない。アレクセルだか、ら?」
そう言って首を傾げるラブレス。
(いや、俺に訊かれても……。)
「まったく。ほんと変わってるね、君は」
俺は馬車の屋根から飛び降りる。
「……変わってるんじゃない……馬鹿とはよく言われる……」
少し顔を上げ上目がちに俺を見てくる。
ラブレス・ラブリが俺の考えていたような女ではないと思ったのは、病室で彼女を見たときだ。
で、それを確信したのは、自分で切断した方のドラゴンの頭部を持って帰ってきた話をヘキサスから聞いたときだった。
ラブレスはドラゴンの頭に剣を突き刺し、引きずりながらあの狭い山道を下ってきたそうだ。
そんなのは、運搬から換金まで全部ギルドに任せればいいと言う周囲の声には耳を貸さず、
「可愛いから家に飾る」
と言ったらしい。
現在、彼女の住む家の屋根からは、ツンヘッド・ドラゴンの頭蓋の一つが通りを睥睨している。その不気味な異様さから、近隣では引っ越しが相次いでいるのだそうだ。
「――じゃあ、お馬鹿な君にはこれをあげよう」
俺は質から買い戻した《ラミスの耳飾り》を彼女に渡した。
「本来なら知力を三倍にしてくれる代物だよ」
ラブレスは、手の上の耳飾りをじっと見つめてから、また刺すような視線を向けてきた。あの親の仇でも見つめるような冷たい目だ。だがいまは、ぷくっと頬を膨らませているので、その表情はなんともいえないほどに愛嬌がある。
彼女はおもむろに《ラミスの耳飾り》をつけると、耳にかかった髪をかき上げた。
「似合う?」
「あ、ああ、うん。とてもよく。それは我が家では家宝みたいなものだよ。君ほどの人物に持ってもらえれば祖先も喜ぶだろう」
表情のよくわからない娘だが、このとき彼女の顔ははっきりと紅くなった。
「家宝…………なら――これは、結婚」
「え?」
「嬉しい……私もアレク――アレス好き。頭を飾りたいくらい好き」
(あ、頭を……?)
どうやら俺は、何かとんでもない過ちを犯したようだ。
「い、いや、ま、待って。そういうつもりでは――」
俺が言い終わらないうちに、ラブレスは馬車に乗り込んだ。
「一緒に行く」
「なんだって!! だ、だめだよ。君がいないと《キラー・ビー》の連中が黙っちゃいないだろ」
「後でヘグレサスに手紙を書けば大丈夫。パームは応援してくれるはず」
俺は言葉を失った。
近頃、なんとなく彼女の好意には気づいていたが、これはあまりにも無謀すぎる展開だ。
でも――
目抜き通りはがやがやとにぎわい、多くの人々が行きかっている。
パンの焼ける匂い、道具屋から漏れてくる様々な草の匂い、肩をいからせて歩く冒険者たち、そして走り回る子どもたちの笑い声――生まれ育ったこの通りのすべての光景に思い入れがある。
そんななかで、誰よりも美しく強い女性が馬車から俺に手を差し伸べている。
俺は彼女の手を取って馬車に乗り込み、隣り合って腰を下した。
「まずは隣国に向かおう、か。そこで情報収集をして、それから――」
握られたままの手に俺はぎゅっと力を込めた。
「俺の父親を探しにいこう」
「新婚旅行……」
「え……ん?」
「お父さんに結婚のご挨拶……」
今度はラブレスが俺の手をきつく握った。
「気に入られるように鋭意努力する所存」
俺はここ最近ずっと考えていた。
きっとラブレスもまた、俺のあの伝説的な雄姿を目の当たりにして惚れてしまったのだ、と。
自分で言うのも恥ずかしいが、あの偉業からこっち、女性からのアプローチがかなり増えたのだ。
とはいえ。
ここは確認しておく必要がある。神虫クランの副リーダーの口から賞賛の言葉を引き出せば、折れやすい俺の自信の強度も増すというものだ。
「あ、あの。俺の、どこが、そ、その、良いの?」
「顔」
「じゃあ、出しますよー」
御者がそう言うと、馬車が動き出した。
かたかたと揺れる車内で、俺は彼女の手を握りながら、複雑な想いに心を寄せた。
おしまい
拙い文章を最後まで読んでくださってありがとうございました。
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