第十一話 理由
父が逐電したことを知らずにいた子供の俺と母は、ずっとその帰りを待ち続けていた。
次々に、帰還するロイヤルフォースの兵士たちのなかに、父の姿を探し回ったあげく、俺はいつもがっくりと肩を落として帰った。
「お父様はきっと戦地でご活躍なさっているのよ」
母親はいつも毅然としていた。端正な顔立ち、背筋はぴんっと伸び、服装の乱れ一つない。武家から武家に嫁いできた貴族令嬢とはかくあるべしといった女性だった。俺はそれが誇らしかった。
「あなたも成人したら軍に入って陛下のために働くのよ」
自分が将来ロイヤルフォースに入るのは当たり前だと思っていた。自分も父のよなうに立派な軍人になり、家名のために一生を捧げるのだと青二才にしては真っすぐな目標を持っていた。
だが、何年待っても父は帰ってこなかった。
ロイヤルフォースの行動内容は貴族といえど伝えられない。戦地から手紙を出すことも固く禁じられている。旧時代のなごりで、いたずらに国民の不安を煽ることを危惧しているのだ。だから、帰還兵たちも作戦内容や戦地でのことは、たとえ家族であったとしても、話してはならないと戒められている。
母は何度も帰還兵たちに父の安否を確認したが、誰も知らないの一点張りだった。ただ、なかには親切な人もいて、
「もし戦死しているなら王家から通知が来ることになっている。それがないならまだ生きているはずだ」
と教えてくれた。
通知が来ないということは生きている、父はまだ戦場で戦っているという思いは俺と母の支えとなった。
さらに月日が経ち、俺が成人する頃になっても父は帰ってこず、その安否すらわからない日々が続いた。
母は次第に家にこもりがちになり、まっすぐだった背筋が丸みを帯び、老いが全速力で彼女を蝕み始めた。だが、言動だけは常にしゃんとしていた。
「いいですか、あなたのお父様は今も世界のために戦っているのです。あなたもお父様に恥ずかしくない人間にならなくてはだめよ」
母は俺に兵士になれとは言わなくなっていた。
口には出さないが、父のように俺が帰って来なくなったら、母は一人きりになってしまう。きっとそれが怖くなったに違いない。
成人した日に、俺はずっと胸に秘めた思いを母に打ち明けた。
「冒険者になって父上に会ってきます」
ギルドに所属すれば、自由にどこにでも行ける権利が与えられる。それは、たとえ戦地とて例外ではない。
反対されると思っていたが、意外にも母は快諾してくれた。
「お父様には是が非でも一度ご帰宅願いたいわ」
武家貴族というだけで、冒険者ギルドの敷居は一気に下がる。一般人に求められる試験などが免除されるのだ。
俺は登録しに行ったその日に、冒険者になることが出来た。
ギルドから出たところで、一人の男が声をかけてきた。
「君はもう所属するクランを決めたのかい?」
丸く人懐こい目、冒険者らしくない柔らかい物腰。まるで旧知の間柄のように気さくに接してくる。
俺が貴族学校を出て以来、初めてまともに会話を交わした一般市民――レイモンド・レイノルズとの出会いだった。そして俺は、彼の作った《セブンデイズ・シケイダ》に入ったのだ。
戦地から女と逃げ出した男の息子。
最初のクエストで聞かされた噂は当時の俺には、到底信じられるものではなかった。一般市民というのは、愚かな噂を肴に酒を飲む奴ばかりだ。まさに下衆という言葉がお似合いな人種。だから、俺を馬鹿にした奴が目の前で死んでも、同情はするが哀しみはしなかった。
だが、父の良からぬ噂だけは、俺の心の中にずっと暗い影を落としていた。
レイモンドや他のメンバーに相談しようとも考えたが、止めておいた。あのクエストでの俺の働きを認めてくれたダン、ファンネル、リガルたちにも、どうしても言う気にはなれなかった。彼らがまた笑ったらと思うと怖かった。
俺は真相を確かめるべく、城下に伝手を作ることに奔走した。しかし、弱小クランに所属しているだけでは得られる情報は少ない。
俺は自分と自分が所属しているクランの立場を思い知らされたのだ。
そこからは目標が変わった。
父に関する有益な情報を得るために、クランの名を上げることに必死になった。
スキルもなく魔法も使えない、剣技もからっきしの俺が、冒険者として生きていくには、貴族という立場を利用するしかなかった。
仲間には買えないアイテムを買ってやれば、戦闘での死傷率はぐんと下がりクエスト成功率は上がる。そうなれば、自ずとクラン内での俺の立場は良くなる。
他所のクランの奴に金を貸してやれば、俺の――ひいては《セブンデイズ・シケイダ》の評判は上がり、弱小クランだとしても、公然とそれを口に出す奴はいなくなるはずだ。そうすれば、等級の高い冒険者ともコネができ、いずれ父の正しい情報も手に入るだろう。そう考えるようになった。
《セブンデイズ・シケイダ》の金づる、とギルド内の低級冒険者の間で呼ばれているのを、俺は知っている。だが、それがなんだと言うのだ。金を出すということも立派なサポートではないか。そんなことを言うやつなんてのは人を妬んでばかりいるに違いない――ずっとそう考えてやってきたのだ。
次第に情報を得るコツも覚え、あらゆる方面から父の情報を得ることが出来るようになった。結局、苦労して得た情報はすべて、父が女と逃げたという事実を裏付けるものでしかなかった。そして、その事実を拒めるほど、俺はもう純粋ではなくなっていた。粗野な冒険者たちのなかで、貴族らしさは失われ、残ったのは上辺だけの品性という抜け殻だけだった。
俺は酒に酔った勢いで、母に真実を告げたが、彼女はそれを頑なに認めようとしなかった。
「そんなのは嘘に決まっています! 一時であれ、そのようなことを考えたお前を私は恥ずかしく思います」
何度も折を見て言い聞かせたが、母は俺の言葉を聞き入れなかった。
気づいた時には、俺は何の目標もない羽振りだけが良い冒険者に成り下がっていた。続けてきた習慣から抜け出せず、相も変わらず金を出し続け、中身のない評判を得るのに必死だった。
母が家計に疎いのをいいことに、俺は湯水のように散財してきた。見栄のために金を出し続けた――
アレスの父親が所属していたロイヤルフォースの師団は、魔獣討伐隊として、大陸国家連合軍(NATOのようなもの)に組み込まれています。