疑問を持たず
下を見ると、小さな緑生い茂る島が青い海にポツンとあるのが見えた。
「海だな……」
書物で読んだことはあるが
本物を見る機会があるとは思わなかった。
塩の水でどこまでも満たされた深い海か……。
「ああ、そうだ。あの島で一度集合しよう」
隣をゆっくりと落ちていくブラウニーは余裕のある顔で
そう言った。
「地下世界と聞いたが……」
太陽も青空も海もある。
「ああ、先ほども言ったが偽りの世界だ」
「……よくわからんが、間違いなくここが最下層なんだな?」
ブラウニーは苦笑しながら
「間違いない。ここに、我々の目的のものがある。
煉獄から来た子供たちの誰か、恐らくはオクカワ・ユタカか
ジンカンが、スズナカと共にここまで到達して、それを置いていった」
「そうか……」
しばらく落ち続けると
小さな島の浜辺へと俺たちは着地した。
俺がさざ波のの打ち寄せる島の
あまりにも平穏な様子に、驚いていると
先に到着していたサンガルシアが両腕を伸ばしたあとに
身体をストレッチさせながら
「王様、とてつもなく気色悪い世界ですなぁ」
ブラウニーはどこまでも広がる穏やかな海を
見つめながら
「……そうだね。悪意やストレスを排除した
約束された世界と言ったところか」
「……人基準で、ですがなぁ」
彼は苦笑しながら
「あっちだ……」
と砂浜から見える遥かな海の
こちらから見て斜め左の方向を
残った腕を伸ばし、指さした。
「じゃあ、行きましょうか。
せっかく、時短したんや。さっさと済ませましょうや」
彼は助走をつけて、砂浜を駆けだして
そのまま海の上を走りだした。
ブラウニーは片腕を掲げると
「フロート」
と呟いて、再び俺と自分を青い光に包む。
「我々も走ろう。君はもう、自らの足で
はるか先へと行くサンガルシアと共に行ける」
ブラウニーはそう言うと
いきなり音もなく砂浜を走りそして海を駆けていく。
俺も黒い骨だけの足で砂浜を駆けて
そして、海の上を駆けて、行けていた。
骨しか残っていないからか
身体が軽い、そして思ったよりも
海の上を走る速度は遥かに速い。
あっさりとブラウニーに追いつくと
「友よ。君は深い暗闇を吸い、そして幾多の悲しみに触れて
際限なく、強くなるのだ。
それを忘れるな」
と言って、さらに速度を上げ
引き離していった。
俺もさらに、速度を上げて追いかける。
三十分も経たずに
左右に広がる広い大陸が見えてくる。
目の前に聳え立つ数百メートルの岩壁に
すでにサンガルシアは取りついて、かなりの速度で
よじ登っているようだ。
前方を走るブラウニーは次第に海から離れて
宙を駆けだして、高度を上げていく。
「友よ!ターズよ!跳べ!」
俺は全力で走りながら飛ぶと、海から両足が離れ
高度が少し上がった。
さらに、全速力で走る、飛ぶ、走る飛ぶを
幾度も繰り返し
ブラウニーと同じ高度まで上がり
そのまま岩壁の頂上へと着地した。
サンガルシアが憮然とした顔で
「フロートの応用ですな。
一定以上の速度があれば、宙が駆けられるやつや」
彼は継ぎはぎだらけの顔で
涼しげな視線をサンガルシアに向けると
「君が、先に駆けだしたのが、悪いのだよ」
微笑んだ。
岩壁の向こうに広がる草原へと俺たちは
ゆっくりと歩きだす。
遠くには小高い山が見える。
「向かって左手向こうは、大きな街があるようだね。
人に変えられた無数の堕天使たちが
自らに疑問を持たずに、生活しているようだ」
「……女神さまも趣味が良いことで」
サンガルシアは嫌そうな顔をして
そちらへと顔を向ける。
「もう、旧友との再会は良いのかね?
街に寄る時間くらいはありそうだが」
「……俺の友たちはレンシアのように
こんなところに、安住していないはずです。
恐らくは、目覚めて、塔を登り
その中途で囚えられていると思いますわ」
彼はまじめな口調でそう言うと
山の方に向き直り
「山小屋ですな」
「ああ、そうだろう。
スズナカの操心術で偽りの生活を
与えられているのだろう」
急ぐ気配もない二人に
「何で、ここからは歩くんだ?」
俺が尋ねると、ブラウニーは涼し気に
「……多重に魔法での防御結界が張られている。
二人で少しずつ、解除している最中だ」
「そうか……」
俺の目には、草原とその向こうの山しか見えないが
ブラウニーがそう言うならば
そうなのだろうと納得する。
ジリジリと俺たちは、山へと迫っていく。
数時間後。
ところ変わって
北方の都市の宿屋。
外の井戸の近くで
着込んだハーツが大げさにガッツポーズしながら
「よっし、顔洗い、歯磨き終わりー」
隣では、ボサボサの髪のグランディーヌが
シャカシャカと歯ブラシを口に突っ込んで
磨いている。
「あー……楽しいなぁ。
友達との旅、好きな人。
なんて夢のような暮らし!」
グランディーヌがコップの水でうがいして
宿屋の内壁近くに吐き出すと
「……ハーツちゃん、ちょっとホント
大丈夫じゃないよ?」
心配そうに声をかける。
「……うー分かってる……分かってるけど
もうちょっとだけ!
あとちょっとだけでいいから……」
「ハーツちゃんの昨日の話の断片から推測した感じだと
きっと王様、近いうちに本格的に動くだろうし
私たちも、巻き込まれることになるよ?」
「……そっ、それまでにタナベさんと
添い遂げれば……」
グランディーヌはため息を吐いて
「いい?ハーツちゃん。
添い遂げたら、情が深まるんだよ?
他人じゃなくなるの。
二人で逃げるなら今だよ」
「うーううー……でもねぇ……」
ハーツは頭を抱えた後に
サーッ逃げていった。
「はぁ……しょうがないか。
やっぱり、付き合うしかないのかなぁ」
グランディーヌはうな垂れた。
同時刻。
遥か東方の国の廃城の中。
朝日の射しこむ
畳と障子が穴だらけの奥の間で
顔まで般若の面で覆って、刀を両手持ちした
和風の鎧武者とオクカワ・ユタカが対峙していた。
「……邪魔しないで貰えるかな?
無用な殺生はしたくない」
「……」
鎧武者は黙って、瞬時に十メートルほどの距離を詰め
オクカワへと斬りかかる。
彼は残像を残して、数メートル背後へと移動して
そこへとまた正確に踏み込んで、斬撃を一閃してきた
鎧武者の刀をギリギリで避けると
「……ああ、中身がないのか」
と言いながら
その鎧の横っ腹を思いっきり蹴り飛ばした。
そして体勢を崩した武者に向けて
右手を翳すと
「インパット……」
ボソリと呟いた。
次の瞬間には猛烈な衝撃波が
鎧武者の全身を駆け抜け、近くの障子を何枚か
折ってなぎ倒し、外へと駆け抜けていく
そして、ガラガラとその鎧武者が崩れていった。
オクカワはしゃがみ込み
カタカタと指が動く
崩れた中身のない鎧武者の右腕だった部分を手に取ると
「……面白い仕掛けだ。
情念を人から抜いて、鎧に込め
永遠の番人としたのか……」
そう言いながら、装甲を丁寧に外していって
右腕をバラバラに分解すると
広いボロボロの座敷奥に飾られた
龍が描かれた掛け軸へと近寄る。
「……違うな。もっと奥だ」
彼は掛け軸を外すと、壁を押した。
壁は回転して、オクカワはその背後の
闇へと吸い込まれるように消えていく。