騙し合い
青い天井と壁、そして電灯に囲まれた殺風景な光景に逆戻りしたような螺旋状の広い通路を延々と下へと下っていく。
「そろそろ、切れるころだな」
ブラウニーがそう言って、後ろを静かに歩いているサンガルシアへ振り向いた。
俺も釣られて振り返ると、彼は興味なさそうな表情で
「ああ、そうですな。死後は悪魔にしますか?」
「いや、彼は無益な殺生はしていない。帝国兵すらも、防衛するための必要最小限しか殺していない」
「そうかぁ、残念ですなぁ。楽土に上がるんですか、名のある軍人やのになぁ」
「私はずっと褒めているだろう?この大陸でも、有数の名指揮官だと」
「王様にそう言わせるんだから、死期も、悟っているわけですかぁ」
何となく会話の意味が分かってしまって
「スベンか?ブラウニーの力で何かしていたのか?」
彼は継ぎはぎの顔を微笑ませて
「……そうだ。残酷な言い方になるが彼は駒としてどうしても必要だった。なので、煉獄から来た子供たちがオースタニア国境を破った時に瀕死の大怪我をしたスベン司令官に私は、回復魔法をかけた」
「……どういうことだ?ちゃんと治せなかったのか?」
俺が漆黒の頭蓋骨だけの顔を、意味深な表情のブラウニーに向けて尋ねると
「オクカワ・ミノリが体内に埋め込んでいたペンダントについて君は覚えていないかね?」
「ああ、エバーヒールとか言う常時回復する魔法がかけられた厄介な呪物だったな」
よく覚えている。
「スベン司令官には、細胞を一時的に活性化するヒールタールで傷を癒した後、修復不能な幾つかの内臓の代わりに私がエバーヒールをかけていた。それが、そろそろ切れるころだ。残念ながら半永続的な効果を与えられるほどこの身体では、魔力の余裕が無かった」
「……話が違うな。スベン将軍はクソガキどもの襲撃前にお前が手勢と避難させていたと……あっ……」
あのオースタニア人の尊敬を一身に集める軍人の鑑のような男が例え勝てない相手でも逃げるだろうか……。
俺は愕然として、立ち止まった。
「彼は、有能な自分を決して誇らない。そして賢く、誰しもに気を遣う男だ。残された時間で、全ての手筈を整えて今頃、逝ったはずだ」
隣に立ち止まり、微笑むブラウニーに
「……誰が、スベンに重傷を負わせた。その名前を、憶えておきたい」
「……ワタナベとクマダだ。彼らは、二分半で、オースタニア東の防衛線を突き崩し、そしてスベンの砦を急襲した。彼は五分ほどで完全なる敗北を悟ると、部下たちを逃し、自らが盾となり、持ちうる剣技で対抗したが心臓と、肝臓に銃撃を受け、さらにクマダの拳で内臓が幾つか破裂した」
竜騎国に居るクソガキたちか。やはり、全員殺す必要があるようだ。
胸の中から、怒りが湧き出てくるのを抑えながら
「そうか……アンデッドになるのはいつもの如く、拒否されたんだな」
ブラウニーは苦笑して
「皆、死んだ後の名誉や家名に気を遣うのだ、友よ。君は、その点、私とよく似ている。背負っている物は"気持ち"だけだ」
ずっと黙って聞いていたサンガルシアが
「王様、ターズを褒めすぎや。お前もあんま調子にのんなよ」
どこか精気の抜けた様子で俺たちを追い抜いて、先に歩いていく。
同時刻。ジャンバラード城内高層階スベンの居室
書斎のような部屋でテーブルを間に挟んで
正装したルバルナと、月明かりに照らされた軍服姿のスベンが向き合っている。
彼は書類にサインをしてから
「これで、全てかね?」
ルバルナに尋ねた。
「はい。これで司令官の意のままに今後のオースタニア軍は動くはずです。お疲れさまでした」
座ったまま頭を下げたルバルナに
「ふふふ。摂政代理の"上司"であるブラウニー公によろしく言っておいてくれ。かわいい孫と代理王様、そしてオースタニア王国民たちの今後を頼むとね」
「もう一度、お尋ねしますが、わたくしの魔力で、一月ほどエバーヒールを延長させることはできますが……」
ルバルナが感情を消した顔で、静かにそう言うとスベンは快活に笑い
「……あなたたち"高位黒魔術士"たちにも、魔力を使う今後の予定があるのではないのかね?これほどの効果のある魔法だ、延長も容易では無いと思うのだが……」
茶目っ気たっぷりな表情でルバルナに尋ねる。彼女は微笑みながら
「その通りです。回復魔法は、この地上ではほぼ失われた技であり我々"高位黒魔術士"としても本来は不得手な魔法です。わたくしはブラウニー様ほど他者に対して情もございませんので、今後を考えまして、あなた様の戦士としての気遣いをあっさり尊重することといたしますが、本当に宜しいのですか?ご縁のないわたくしが最後の見送りで」
「……隣室で一人で逝くよ。わしは武人として殺生をし過ぎた。逆さの楽土へと落ちる心構えを、一人でしたい」
ルバルナはニコニコと頷いて、静かに去っていった。
スベンは立ち上がると、一人隣室の扉を開けた。
部屋の中には簡素なベッドの上に分厚いカバーの本が一冊置かれていた。
ベッドに腰かけて、それを彼は開く。
少し読み、パタンッと閉じると
「ファルナバル様、わしの人生は正しかったのでしょうか……」
と言って、静かにベッドへと横たわろうとした瞬間コンコンと叩かれた扉に目を向け
「クリスナー、我が孫よ。時間切れじゃよ。騙し合いはわしの勝ちじゃ」
ニカッと笑うと、そのまま口から血を微かに流しながらズルズルと仰向けに上半身をベッドに横たえて、動かなくなった。
「爺ちゃん!鍵を開けてくれ!爺ちゃん!」
という、クリスナーの声と扉を激しく叩きだした音が、室内へと響き渡る。




