サキュエラ
二日間、似たような行程を繰り返して
オースタニアの戦火の跡が真新しい山河を越え
そして、三日目の夕刻には俺たちは帝国へとたどり着いた。
眼前には、完全に無傷の長城が大丘陵の地形をうねりながら
南北何十キロに渡って広がっている。
その壁は裕に二十メートルは超えていて
ムカつく何百人にも及ぶ弓や槍を持った帝国兵たちが
侵略などなかったかのように
その上で、涼しい顔をして警護をしていて
さらに城門まで開け放たれていた。
その光景は、オースタニア人の俺の気持ちを逆なでする。
「……ブラウニー、帝国はオースタニアから
人的損害なしで、撤退したのか」
三匹目の大柄な黒馬の手綱を引いて、通行したい旅人や商人たちが並んでいる
長城の城門に近づきながら言う。
「ああ、そうしておいた。
無辜の民に罪はあるまい?兵たちも民だ」
荷車の上からブラウニーが答えてくる。
「……あの余裕ぶりに、腹が立ってくる」
ブラウニーは笑いながら
「ははは。当然ながら、制圧する過程で
帝都の皇族、貴族や高級士官どもは皆殺しにするよ。
ああ、一部は除いてだがね。
それが、今回の目的でもある」
「どういうことだ?」
聞かされていない。
「"血"が欲しいのだよ。一部のマグリア皇族の」
「……そうか。深くは訊かないでおこう」
間違いなく次の計画への布石だ。
ジェシカは黙って聞いていた。
順番を待ちながら城門を潜り
長城内に設置された関所では
荷車から降りたブラウニーが
帝国の厳つい衛兵長に、一枚の札を見せると
「……失礼いたしました。お通りください」
あっさりと通された。
そのまま丘陵内の帝国への大道を進んでいくと
「尋ねないのかね?この札の意味を」
何も訊かない俺とジェシカに
荷車の上のブラウニーが逆に焦れたように言ってくる。
「魔法の札だろう?」
ブラウニーは首を横に振り
「違う。分かりやすく説明すると
帝国内の悪魔教秘密信者の伯爵の発行した
通行証だ」
「……内通者か?」
ブラウニーはスカーフを下にずらして
継ぎはぎだらけの顔をゆがめて笑う。
「……使い魔だ。私の。
長年、姿を変えさせ、帝国をコントロールさせてきた。
転移者どもがかき回すまでね」
「……そうか」
俺とジェシカは頷いてまた
馬の綱を引きながら歩きだす。
「……本当に君たちは、味気ないな。
もっと疑問に感じてもよいはずではないか?
私の能力や言動に」
ブラウニーが苦笑いしながら荷車の上から言ってくると
ここ数日、殆ど喋らなかったジェシカが
軽く息を吐きながら
「ブラウニー様の真の姿は、相当に高位な大悪魔なのでしょう?
アウバース様がはっきりとは言わないまでも
私にそう何度か、匂わせてきました」
意を決した顔で荷車の上を見上げて言う。
「ふっふふふふ……君たちも人が悪い。
感づいていたならば、そう言えば良いものを」
ブラウニーは実に楽し気に
うねる大丘陵に射し込んだ夕日を見ながら笑う。
「何度も言うが、俺はクソガキどもを駆逐できれば
それ以外のことはどうでもいい。
お前が、悪魔でも天使でも神だろうが知らん」
俺がそう言うと、ジェシカも頷いて
「……私もです。ブラウニー公。
志半ばで倒れても、祖国を滅ぼした悪鬼たちを
滅すお手伝いができれば、思い残すことはありません」
ブラウニーはこちらをチラッと見て軽く鼻で哂い
「欲が多くないのは、良いことだ。
"彼女"に聞かせてやりたいよ」
そう呟いた。
そのまま黒馬に馬車を引かせ
俺たち三人の一行は、灯火で道を照らしながら
広い山道へと入っていく。
月明かりが無いので、ジェシカのために灯火が必要だ。
俺は夜目が効いていて辺りがよく見える。
「ここらは、統治が巧みなので山賊の類は居ない。
安心してまっすぐに進みたまえ」
ブラウニーがそう言った瞬間に
俺たちと荷車と馬の周囲が一斉に山道左右の
山林から飛び出してきた黒衣でフードを目深に被り
火の点いたトーチを持った怪しい集団に囲まれた。
ジェシカが、サッと両手にナイフを持ち
俺が慌てて、灯火を持ったまま
荷車から武器を取り出そうとすると
ブラウニーが手で制してきて
「迎えだ」
と言いながら、俺から灯火を受け取り
それを翳しながら、荷車の上で立ち上がる。
「サキュエラ!!出迎えご苦労!!」
そう、荷車後方でこちらを眺めている
唯一トーチを持っていない小柄な人物に声を上げる。
サッとフードを取ったその人物は
灯火越しでも、はっきりと分かる
この世のものではないような妖しい美しさを持つ
若い女性だった。
彼女は茶色がかった長髪を揺らしながら
口を歪め
「ブランアウニス王……」
と感極まった感じで言うと、いきなり荷車に駆け上って
ブラウニーに抱き着いた。