ビムスの唾液
「だーからーっ!意味わかんねぇって言ってんだろうがよ!」
天井が崩れ落ちていて頭上に青空の広がる洞穴奥深く、流砂の滴り落ちてくる岩盤に囲まれた巨大な天然の玉座のような地形に、どっしりと丸まって座った体長百メートル近くの、七色の斑模様が全身に広がっている異様な雰囲気の竜に、ヤマモトが両手を振り上げ激怒して、必死にタナベに止められている。
その脇には二人の荷物を詰めた布袋が置かれている。
「ちょ、ちょっと待ってよ、リュウ!僕が何とかするから!」
「このレインボージジイ竜がっ!」
ヤマモトはタナベの体越しに、吐き捨てるとプイッと後ろを向いた。
タナベはホッとした顔をしつつ大きく息を吐いて調子を整えた後、異様な巨竜を見上げ
「……ビムス公、もう一度、お聞かせ貰えませんでしょうか?」
寝そべった竜は巨大な右目が真紅、左目が真っ青な両眼を細めると、小柄なタナベを覗き込み、長大な竜の口を少しだけ開き
「……詰まるところ、真の悪とは何かと訊いている。異界から来て圧倒的な暴力を使う主らか?それとも、地を這いながら主らを狙うものか?それとも、それらすべて、嘲笑いながら高みから見下ろす者か?」
タナベは立ったまま深く頭を下げ
「僕らの知能レベルまで、質問の難度を下げて頂いて、ありがとうございます」
そして一度、両眼を閉じ、ポケットの中の銀色の金属を握りしめ、外に出そうとするのを自ら必死に押しとどめながら軽く深呼吸した後
「僕はどれも真の悪だとは思いません。どれも、ただの成り行きに過ぎないからです。全ての生き物や存在は、世界からそういう役割を与えられ全うしているだけです。僕らだって、世の中の流れから要らないと思われたらきっと、あっさり存在を消されるはずです」
ビムスと言われた七色の巨竜は大きく両眼を見開き、そして細め
「そなたは、我ら巨竜に近いな。あの男は暴を貪る冥土の獣だが」
ヤマモトがまた激怒して
「誰がメイドだ!!俺は男だっつうの!せめてウェイターとか!あれ……ウェイターって違うか……とにかく!俺は……」
竜の巨大な鼻先に詰め寄って
何か言おうとするのを、またタナベが小柄な体で必死に抑えて止める。
「りゅ、リュウ!褒められたんだよ!」
「……ほっ、褒めたのか?ならいいか……」
ちょっと得意げな顔になったヤマモトはスッと力を抜いた。
タナベは、詰め寄ったヤマモトの腕を引いて
また元の距離をとらせると、振り向き
「ビムス公、僕らは、獣人の女の子のお父さんを救うため、その唾液が欲しいのです。もし、その資格があるのならば頂きたいのですが……」
跪いて、頭を下げた。ビムスは色違いの両目をグリグリ動かし二人を何度も交互に眺めながら
「……ブラウニーという、黒魔術師を知っているかね?」
ヤマモトが嫌そうな顔で
「あの悪者なら、俺が殺したよ」
そう吐き捨てるとビムスは大きく鼻息を噴いて、二人の服が風圧で揺れる。
「……あの化け物は簡単には死なぬよ。タナベよ……我ら巨竜は、地上の争いに手を出さぬ。竜騎国に肩入れしている飼いならされた阿呆たち以外はな」
ビムスはそこで口を閉じて黙る。
あまりに沈黙が長いので、ヤマモトが文句を言いたそうな顔になったのをタナベが首を横に振って止めると
「……タナベよ。貴様を我が同胞とみなしたから言う。ブラウニーには気を付けろ。そして、遥か高見から貴様らを見下ろしている者たちを信用するでない」
タナベは何か質問したそうな顔をグッと堪えて深く頭を下げた。
すると、ビムスは大きく口を開いて二人に向け、虹色に輝く唾液を大量に吐き出した。
「うわっ……」
光っていて、粘着力を持った唾液からは香しい匂いが広がる。
「これで、貴様らは地上のあらゆる毒物が効かぬ体になった……行くがよい。話し疲れたわ……」
ビムスはそう言うと、両目と口を閉じて沈黙する。
我に返ったタナベが、唖然としているヤマモトに
「リュウ!瓶だ!ありったけの空瓶を出して急いでこのまき散らされた唾液を詰めるんだ!」
「おっ、おおお!サンキュービムスさん!恩に着るぜ!」
ヤマモトは光る唾液だらけの拳を振り上げて感謝を告げると脇の荷物から空瓶を次々に取り出しタナベに渡しだした。
「調子いいんだから……」
タナベは苦笑いしながら、荷物から何本も空瓶を取り出して自分たちの体や辺りにぶちまけられた虹色の唾液を掬い取って、入れていく。




