堕ちた神
「何故、お前と俺が戦わなければならないんだ……戌神!!」
ここは神界にある、魔神の根城。
苦悩を帯びた声で十三番目の神は吼えた。手に持つのは彼の神刀、妖精刀ミケガミ。
この争いのすべてを仕組んだ魔神を倒す。その一歩手間で戌神が壁となり行く道を阻んだ。切っ先を戌神に向けたまま、手が震えていた。
「それは答えることができないの……。でも、貴方が必ず魔神を止めてくれると信じているわ……だから、ごめんなさい」
玉座に座る魔神の厭らしい笑みとは対照的に、戌神は悲しそうな声で自らの神刀を引き抜いて十三番目の神──猫神の腹を突き刺した。
「ぐっ! どうして、い……がみ…………」
自身の最期。この刹那、猫神は戌神の瞳から一筋の光が伝ったのを見逃さなかった。
──お願い、取り戻して……っ!!
微かに聞こえた戌神の声。それから一瞬意識が暗転。何か大事なものを手放してしまったような、そんな気がした。
自分自身が落下しているような浮遊感と、何かに引きつけられる感覚に襲われる。浮遊感が強まると、それに伴って下へ落ちていく。
大いなる流れに沿って流されていて呼吸どころか、口を開けることも、目を開けることもできなかった。
「うっ……っ!」
浮遊感がおさまるとともに、意識は薄れゆく。
重たいものが押し潰れるような音が耳を襲う。半開きになった眼から見えたのは天辺の見えない巨大な滝。流れる渦潮の狭間で、彼の身体はさまよった。
***
「おい! 起きろ!! 大丈夫か!?」
大きな手に揺さぶられている。
だから揺さぶられているというのに妙な安心感があった。
「おい! ……こりゃあ街まで運んでいくしかねぇな」
その男――名を鯛道。スキンヘッドが眩しい。
閉眼したままの少年を肩に担ぎ上げると、そのままスラム街へと足早に進む。街の巡回兵の目をかいくぐって街路の隙間へ。
「ふぅ……なんとか撒けたな。よし、もう大丈夫だぞ」
鯛道は少年の身体を石畳の上に寝かせると、そばにある階段に座り込んだ。
「さて、この子が目を覚ますのを待つとするか。何故あの場所で倒れていたのかも、聞かないといけないしな……」
鯛道は入り組んだ街からも見える滝を見上げた。そして目を斜め下へ。眠ったままの少年の顔はあどけなさを残しつつも、長いまつ毛と目尻の窪みが本物の猫を想起させる。
(なかなか目を覚まさないな……。心臓の鼓動は聴こえるんだが)
またしばらく待つも、一向に目を覚まさなかった。
「あー、もう仕方ねぇな」
鯛道は自分の用心で持ち歩いていた水袋を少年の額上に置く。
「っ……!? は……っ!!」
やや温いが、少年は反射的に目を開けて上体を起こす。ガン、という鈍い音がしてお互いの顔が激突したのだとわかった。
「痛っ、てぇ! せっかく命を助けてやったってのに! まあいい、お前さん……大丈夫か? 今さっきまで、溺れていたんだぞ?」
「…………?」
少年は首を斜めに傾げる。周りを囲むのは平原と河川だけ。当然、迷子などではないだろう。
少年はどこかぼんやりとした様子で、キョロキョロと首を回している。
「それなら、自分の名前は? どこから来たか、言えるか……?」
そんな様子に改めて、鯛道は尋ねた。
「な、名前……? 名前……」
首を斜めにこてんと傾けるだけで、少年は答えることができない。
少年が思い出そうとすると肩が震えてしまう。今も何かに耐えるかのように、歯をぎりりと食いしばっている。
しばらく沈黙が流れ、やがて鯛道が口を開く。
「何かが怖いのか……?」
依然としてガクガクと震えているだけで、少年は何一つ反応をしない。
「な、なま、名前も、思い……出せない」
言葉と、意思疎通は交わせる。でも、恐怖で記憶に鍵がかかっているのかもしれない。
「っ、お前さんは、記憶を失くしてしまったのか……?」
鯛道はそう、誰にでもなく尋ねた。
新年明けてからの、干支ファンタジーとなっております。
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また、次話は今日の12時に更新予定です。