歴史的事実
杉田水脈議員が「女性は嘘をつく」と発言したなどと批判されていましたが、話の流れとしては韓国の慰安婦支援団体が資金流用を隠蔽していた問題についての発言だったようです。
そもそも、従軍慰安婦というのは戦後にできた造語で、戦時中は売春婦、P屋=prostituteと呼ばれていました。
目的は軍人の性病予防と、現地住民への乱暴狼藉を防ぐことでした。
対外戦争では綱紀粛正の評判が高かった日本軍ではありましたが、昭和に入ってから風紀に乱れが発生するようになってから慰安所が設置されるようになります。
慰安所の運営は民間企業で、国や軍隊は慰安婦の健康管理や所在地の管理をすることで関与していました。
特に目を光らせていたのが、慰安婦自身の年齢と境遇や待遇で、騙して連れて来たり、規定年齢未満の者は就業させずに強制送還、慰安所は営業停止などの厳しい処罰を与えていました。
白馬事件では騙した軍人に厳罰を与え、被害者女性に軍が謝罪して賠償金も支払われています。
待遇面でも、衛生管理は当然として、病気の慰安婦は業務停止、軍医による健康診断を義務付けなど、慰安婦は心身共に健康でなければ就業できませんでした。
賃金の未払いや低い賃金も処罰対象で、慰安婦の中には二万円の貯金ができた者もいます。当時の総理大臣の年収が八百円程度ですから、どれだけ破格の待遇であったかが窺えますね。
また基地周辺に慰安所を設置する関係上、機密保持の為に自由行動には制限がありましたが、休日には高級将校らと共にピクニックに出掛けるなど、親睦を深めていたようです。
こうした実態を隠して、慰安婦の待遇が奴隷のようだったと表現するのは嘘つき以外の何物でもありません。
戦後に出版された吉田清治の『私の戦争犯罪』という著作物を信じて韓国に取材に赴いた記者たちは、韓国人からこっぴどく叱られます。
「女子供が無理矢理に連れて行かれる時に、黙って見ている男は朝鮮人にいない。お前たち日本人は朝鮮人をバカにしているのか!」
後に吉田清治は自らの著作物を「フィクションでした」とネタばらししています。
いつまでも世界を騙し続けることはできません。
そもそも、慰安婦の多数は日本人でしたから、当時は同じ国民だった朝鮮人の待遇だけを下げることは処罰対象となり、慰安所閉鎖の可能性もあります。
慰安婦問題で騒いでいるのが、ごく一部である理由は次回解説します。
イアンフ捏造年表 改訂版2.5(2008/9/19)
・1970年8月14日、ソウル新聞が「挺身隊に動員された韓・日の女性はおよそ20万。そのうち韓国の女性は、5~7万名」と報道
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・1973年、大連生まれの元毎日新聞記者 「千田夏光」 が「ジューグンイアンフ」という言葉を創造、「従軍慰安婦」を出版
「『挺身隊』として動員された朝鮮人女性20万人のうち、5~7万人が『イアンフ』にさせられた」と捏造
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・1983年、「吉田清治」 が自著「私の戦争犯罪」にて「済州島でイアンフ狩りをした」と記載
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・1989年、「私の戦争犯罪」ハングル版出版、と同時に 「青柳敦子」 が韓国で訴訟費用は負担しますとビラ配り
驚いた済州島で地元紙「済州新聞」が綿密な取材を敢行、8月14日に『「私の戦争犯罪」は捏造』と報道
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・梨花女子大学英文科教授 「尹貞玉」 が「挺身隊問題」を日本のサヨクと結託研究、
1990年、ハンギョレ新聞に挺身隊とイアンフを混同させたルポを春から連載
8月、「ウリは『挺身隊』だったニダ」と 「金学順」 登場
(ここで韓国による挺身隊とイアンフの混同が確定、「朝鮮人イアンフ20万人キョ-セーレンコー」の元ネタとなる)
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・1991年8月11日、突如 「アサヒシンブン」 が、「元イアンフに聞き取り調査開始」と報道(いわゆる「イアンフ捏造キャンペーン」開始)
記者は「韓国太平洋戦争犠牲者遺族会」理事の娘と結婚していた「植村隆」
「NHK」 が終戦記念日企画としてイアンフ捏造番組を放送(2006年11月4日、池田信夫氏が捏造番組だったとブログで告白)
「青柳敦子」 と 「福島瑞穂」 が連れてきた「元イアンフ」は 「金学順」(東京地裁に提訴、訴状には「親に売られた」と記述)
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・1992年1月11日、 「アサヒシンブン」が「慰安所 軍関与示す資料」と、「吉見義明」の記事を報道。
(内容はというと、軍と警察が違法業者を取り締まるという内容だった)
1月16日 「宮沢喜一」訪韓、何の検証もなしにいきなり謝罪
1月23日、またしても「アサヒシンブン」が、夕刊コラムで 「吉田清治」の「私の戦争犯罪」を紹介
6~7月、正論8月号&諸君7,8月号にて、秦郁彦氏が「吉田清治」の捏造を看破、騒動が急速に沈静化
(が、アサヒシンブン「イアンフ捏造キャンペーン」に韓国内で反日爆発、アサヒを『良心勢力』と呼ぶようになる)
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・1993年、「第一次サハリン裁判」で「吉田清治」偽証、担当弁護士は翌年インドネシアで「元イアンフ2万人募集」をやる「高木健一」 。
「加藤紘一」が「慰安所には軍が関与」とし、8月4日 「河野洋平」が談話発表。
同日、「NHK」教育が捏造番組『50年目の"従軍慰安婦"』を放映。「ナヌムの家」を紹介。
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・1996年2月6日、国連「クマラスワミ報告書」提出、評価基準は最下の"take note"(留意)
中学歴史教科書検定、河野談話をもとに、全ての歴史教科書に「イアンフ」が記述される。
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・1997年1月3日、『朝まで生テレビ!』で「吉見義明」が「強制連行&挺身隊が慰安婦にさせられた例は未確認」と自白。
3月、「アサヒシンブン」が「強制連行がなかったとしても、強制性があったのは明らか」と論点ずらしで「吉田清治」証言否定。
12月15日「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求裁判」口頭弁論で、「吉見義明」が『朝生』での発言を撤回していない状態で「女性に対する性暴力」発言、担当は当時弁護士だった「福島瑞穂」
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・2000年、バウネット&朝鮮総連による「国際戦犯法廷」
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・2001年、「金学順」東京地裁で敗訴(判決前に既に死亡)、控訴&上告、2004年最高裁にて棄却
そして現在に繋がる。
〈参考〉
毎日新聞(夕刊) 1998年2月4日 <憂楽帳>
『ナヌムの家』
「好きでやったんだろう」
「売春婦!」
「うるさい、最後まで見ろ!」
先月14日、東京・中野のBOX東中野で開かれた試写会でとげとげしい、やじが飛んだ。
韓国の元従軍慰安婦たちの現在を追うドキュメンタリー「ナヌムの家・パート2」が上映されていた。
やじっていたのは、客席前方に陣取っていた中年の男性2人組だ。会場は騒然となり、収集がつかなくなった。そのとき、会場にいた元慰安婦の女性がすくっと立ち上がって、身の上話を始めた。
日本軍に連行される前からもつらい暮らしだったこと。父親は酒乱で、よそに女性がいて母親を顧みなかったこと。たまに帰宅すると子供たちに暴力をふるったこと…。
場内は水を打ったように静まりかえった。さて、くだんの男性はというと。なんと、体をがたがたと震わせているではないか。
「もういい、帰るぞ」
そのひとは精いっぱいの強がりを吐いて、会場を出ていった。
友人が「ちょっと感動的でね」と教えてくれた。「ナヌムの家」(パート1、2)の劇場公開は今月14日から。
【佐藤由紀】
http://www.jca.apc.org/usokiji/yuraku.html
↓ ↓ ↓ ↓
毎日新聞(夕刊) 1998年2月5日 <訂正>
4日憂楽帳「ナヌムの家」の記事中、BOX東中野で先月行われた試写会でとげとげしいやじがあったとあるのは、一昨年の別の試写会での出来事でした。先月の試写会は平穏に行われました。また元従軍慰安婦の女性が身の上を語ったとあるのは、映画の中のことでした。確認不足のため関係者にご迷惑をかけたことをおわびします。
http://www.jca.apc.org/usokiji/teisei.html
■映画新聞(1998年8月1日号)
ところが映画の中に「身の上」話なぞ出てこない。訂正でさらに嘘を重ねることに。
「認識不足」という次元ではないにもかかわらず、またウラも取らず、虚報に虚報を重ねるとは報道機関としての体質を問われるところである。
◇まとめ◇
4:名無しさん@12周年 :2011/12/09(金) 20:38:16.94 ID:qSVl4Fev0 [sage]
▼従軍慰安婦問題とは?
1. 韓国の主張 → 「日本は国を挙げて韓国人を誘拐同然に連れ去り売春婦にした!」
2. 証拠の提示 → 「自称・被害者(元売春嬢)の証言」以外「一切」無し
3. その一方で → 「高給で売春嬢の『求人』が行われていた物証」が続々
▼簡単なお話
① そもそも当時は「公娼制度」――つまり現在と違い「売春が職として公認されていた」時代
② 事実、当時は「女衒」と呼ばれる売春の仲介業者(韓国人含む)が「公然と」存在
③ また戦時中は売春嬢の需要が高く「売春婦は非常に高給」
④ そして「カネのため売春婦になる女性」は時代、国を問わず存在
⑤ 実際「現在の韓国」でも売春業は盛況。来日する売春婦も多いが、当然「日本軍の誘拐」ではない
▼少し細かいお話
Ⅰ 従軍慰安婦という言葉を作ったのは実は日本人、千田夏光氏
Ⅱ 曰く、「挺身隊として動員された朝鮮人女性20万人のうち5~7万人が慰安婦にさせられた」
Ⅲ 「挺身隊」とは? → 軍需工場などへ勤労動員された者
しかし、挺身隊員で慰安婦になれと強制された例は「一つも」確認されず
Ⅳ 吉田清治氏(第2の宣伝者)曰く、「私は済州島で慰安婦にするための女性狩りを度々行った」
Ⅴ この証言に対して当時の「現地の新聞」 → 「吉田証言に該当する事実はない」
Ⅵ 日本政府の調査も同様 → 「強制連行は確認されず」 「挺身隊が慰安婦にされた例も確認されず」
Ⅶ ところが「日本の一部マスコミと政治家」が「日韓友好のため!」と裏づけを一切取らず「事実認定」
Ⅷ 「お墨付き」を得た韓国人と 「冤罪」と憤る日本人とで折り合うはずもなく、結果は泥沼
▼客観的事実から導き出される結論
「他の時代や地域と違い当時の韓国人売春婦だけは金目的ではない!」などとは無理がある
「身売り等で意思によらず売春婦になる者がいた」事と混同して「日本の強制徴用!」などと主張するなら、当然「客観的証拠」が必要
──結局のところ、「発端を作った一部日本人」と「元売春婦と韓国政府」が、「カネのため売春婦になる女性(現在の韓国人含む)がいる」という現実に目を背けたまま、「日本軍の誘拐!」という証拠無き自説を押し通すため騒いでいる、という話である。
◇ネタ◇
40:<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :2011/12/10(土) 20:00:31.87 ID:7mnfAEnU
「寒い・・クリスマスイブなのにキムチを買うお金もないわ」
シュボ・・・ニダ子は最後のマッチに火をつけました
すると、炎のむこうから、やらしかった元慰安婦のおばあさんが微笑んでいました。
「ハルモニ・・・」
呼びかけても返事がありません、おばあさんには舌がありませんでした、残念。