最終話 諦めないこと
記念祭の頃には既に吹いていた木枯らしは。終わるな否や紅葉をあっという間に吹き飛ばして秋から冬に季節を切り替える。
せっかくの厚着で体を温めようにも冷気が袴の中に滑り込むせいで何の効果もない。
けど、これが高校生活最後の冬となってしまうのは何とも感慨深いと思う。
だって高校生にとって季節の変化は友人と遊ぶ時の場所も変わってくるから。
春であればどこか遠いところに旅行に行き、夏になれば暑いという理由で海や映画館、水族館へと向かう。
そして秋となれば食べ歩きの旅に出て、冬になれば寒いという理由でまた映画。
こんな楽しい日々は社会人となれば出来る。だけど仮初めの職場の友人とは違い、学生時代の心からの親友と遊ぶ機会はかなり減ってしまう。
さらに転勤をする職業であれば会うことも本当にできないだろう。
私は心から友人と呼べる人は高校にももちろんいるけど、卒業後も彼らと遊べるのかと言われれば多分一人か二人とだけ。
だからこそ一番良かった問い燃える思い出を作りたい。
————。
今日は休日だけど私はチヒロさんと二人で作業していた。
その作業はカマタくんがいた方がすぐ出来るのに何故かチヒロさんは頑固になって自分がやりたいと言って聞かなかったのだ。
ちなみに私はチヒロさんから来なくても大丈夫と言われたけどカマタくんから昨日電話でチヒロさんのために隣にいて欲しいと言われたから来た。
私はモニターと睨めっこするチヒロさんを見る。
案の定では無かったものの、チヒロさんはマウスを意味もなく動かす。
何か詰まっているのか、それとも不在流の保存を忘れたのかのどちらかだろう。
「チヒロさん。ちゃんと保存してね? 保存する前に外付けの記憶媒体は抜いちゃダメだよ?」
「大丈夫ですよ。去年の二の舞はしないので」
チヒロさんは私が言った通りにファイルを保存すると肩を伸ばした。
今チヒロさんがしている作業はチヒロさんが大の苦手としているパソコンを使った作業だ。
私はまだ触れるけど、チヒロさんは大の苦手だ。
私はチヒロさんに寄ると画面を見る。
今している作業は再来週の発表会に向けての発表資料の作成。
発表する内容は私たちがしている放線菌農薬の研究について。この研究は少ない期間だったため、アブラナ科を中心とした研究に移っており、効果については生育に好影響を与えると言うが分かった。
ここまでならいい資料が作れるけど、同じことの繰り返しが一年半もあったため、内容が地味なものだ。
それをチヒロさんが頑張って面白くしようといるけど上手いことできない。
チヒロさんは頭を抱えながら唸り声を出す。
「本当に、私は面白い、すごいと思ってもらうことが苦手です。せっかく三年間皆さんと頑張った研究も、どうしても淡々とした発表となってしまうのです」
「ふーん……」
私はチヒロさんの資料を見る。
チヒロさんが作成した発表内容は一言で表せば、それはかなり丁寧な出来栄えだ。
けど、逆に丁寧に表現しすぎるあまりに少しダラダラとした感じだ。
「チヒロさん。見て思ったんだけどさ、少し短くしてみない? 基本的にしている内容は同じなんだし」
「それも考えたんですがそうしてしまうと発表自体が短くなって——」
チヒロさんは途中で言葉を濁す。
多分チヒロさんなりのこれはみんなとやったことの誇りなんだろう。
だから全てを口に表したい。
私はそんなチヒロさんの覚悟を前にして何もいえなくなってしまった——。
翌朝、登校した後ワラを中庭の中にある人気の少ないベンチに呼ぶと昨日会ったことを相談した。
ワラは話を聞いた後、少し考えてから口を開いた。
「要するにチヒロに引き際を定めてあげたいと言うこと?」
「うん。諦めろとは別で、蛇足となっている部分を切った方がいいって言いたいけど……へ、へへ」
「ここに来てウズメの一眼尻が久しぶりに発動しちゃったんだ」
「まぁ、そう言うことで……」
それから教室に戻り、朝礼を終えて実習やら座学とやらを行った後、放課後を迎えた。
チヒロさんは今日も部室に入った後、すぐにパソコンと睨み合いをしながら資料を作成していた。
私は横目でその光景を見ているけど、目にクマができているのを見て心が痛くなる。
これまでの発表会でのチヒロさんは、発表原稿をあっという間に作成して、口癖も「研究発表なんですから研究内容を正確に話すだけでしょう?」といつもなら言っていた。
だけど今回は特におかしいのだ。
これまでならもう資料やら原稿も出来ているはずなのにその兆候すら見せない。
そんな時チヒロさんが珍しくあーもーと髪をくしゃくしゃにし始めた。
——何度も言うけど普段冷静なあのチヒロさんが髪の毛をくしゃくしゃにしている。
チヒロさんのあの様子を見てか、流石のカマタくんが苦笑する。
「これ、やっぱりパソコンが使えないんか?」
「いや、昨日見たけど操作自体は慣れているんだけどね、なんか発表したいことが多いあまりにまとまりが悪くなってるの」
「ほーん。なるほど。いかにも真面目な理由やな。ミコトはどう思う?」
カマタくんの言葉にワラは課題のレポートをする手を止めると顔を上げた。
「チヒロは多分、変にこだわりを持っている。切り捨てることを諦めと同じって思ってしまっているのを説得した方がいい」
「けど、そうなるとばちこり喧嘩にならへんか?」
カマタくんの言葉にワラは首を横に振る。
「ならないと思う。チヒロは真面目だから論理的に説明すれば理解してくれる」
ワラはそう口にすると席からスッと立ち上がると私たちを見る。
「多分、ごねて喧嘩するけどその時はお願い」
「喧嘩前提かーい……」とカマタくんの呆れる声を聞き流してワラはチヒロさんの元へと歩く。
そしてチヒロさんにボソボソと何か言った後、チヒロさんは嫌な顔をしながらワラの言葉を聞いている。
——ちょっと近づこう。
私は二人に悟られないように近づき聞き耳を立てた。
「チヒロ。発表資料だけど実際に口に出した時の長さ考えてる? 普段だったらそこを意識して作っているのは分かるけど、これは少し長すぎると思う」
「考えてますけど……淡々としたまとまりのない発表なんです。全ての研究も大事なんで全てを入れたいんです」
「——じゃ、他の研究データは質素な感じにしてアブラナ科のところだけを重点的に長くすればいいと思う。この研究は最後はアブラナ科の生育の差の比較だけだったし」
「——まぁ、考えておきます」
チヒロさんは少し頬を膨らませながら少し拗ねたかのような顔でそう口にした。
そんなチヒロさんをワラは自分では無理だと言う感じで肩の力を抜いた。
チヒロさん、もっと素直になればいいのに。
今日もまた同じように何も変わらないまま終わってしまった。
————。
それから次の日、朝学校に来ると、チヒロさんの目は少し赤く腫れていて隈ができている。
これはもう本当に心配だ。
私は椅子をチヒロさんに近づける。
「ねぇ、チヒロさん?」
「——諦めた方がいいんですかね?」
チヒロさんは弱々しいくそう口に出した。
「せっかくの卒業発表なのに、発表する内容が地味。別にそれはいいのですけど成果に関してはかなり無いのです。今はではそれっぽくして誤魔化してきましたけど、最後までこれなのは嫌なんです。せっかくの研究でほぼ成果がないに等しいのなんて……!」
チヒロさんは体を震わせる。
確かに、チヒロさんの言う通りこの研究はこの一年間はほぼ同じことの繰り返しで、成果もないに等しかった。
それは二年生の時の後半も同じで、膨大な研究データがありながらも、確信持って効果があると言えるものは少ない。
アブラナ科も他の科と比べたら効果がある可能性があるぐらいで、まれにアブラナ科以外にもアブラナ科と同等の作用が発生する品種もいたのだ。
その結果、発表会の審査員からもたまに「アブラナ科以外にも効果がああるのではないか?」と言われていた。
けど、気づき始める頃にはそれは季節の関係で育てることが出来ず、そのまま今に至ってしまったのだ。
だからこそ、チヒロさんは膨大な研究データの中から確信を持って声高々に結果と言える情報を探っている。
——きっとそうだ。
「チヒロさんはこの研究は誇りに思っているんでしょ?」
「もちろん誇りです。三年間一緒に頑張ったのですから」
「——なら、みんなで作ろうよ。どうしてチヒロさんは一人でやろうとするの?」
「——研究がここまで進まなかったのは、私のせいだからです。ほら、私って自分のこととなれば周りが見えずに、みんなの意見、あまり聞いてなかったじゃないですか。だからその責任を取りたいんです」
「え、聞いてなかったの?」
「——逆に私が否定しなかったことがありますか?」
「うん。大方?」
「え?」
——これ、むしろチヒロさんに頼ってばっかりだった私たちが逆に悪い感じか。
本当はみんなとやるべきだけど自分一人で我儘にやってしまったと言う思いがあったからこそ一人でやろうとしてしまっている。
無論私も心当たりがないわけではなく、基本チヒロさんが詳しいためこの研究はチヒロさんの考えを主軸にして行い、私たちは新たな提案をしていたのに過ぎない。そう、基本的に頭を縦にしか振らなかったのが彼女を不安にさせてしまっていたのだろう。
私にとっては信頼していたから異論はしなかったけど、それがむしろ彼女を不安にしてしまった。
私は深呼吸をする。
「ねぇ、チヒロさん。やっぱりみんなでやろうよ。最後なんだし」
「——けど」
「それで失敗しても、みんなで頑張って作った発表資料なんだから誰のせいでもないし。むしろ同窓会で話のネタにはなるでしょ?」
「——分かりました。そんなに言うのでしたら皆さんとやりましょう!」
チヒロさんは観念したのか久々に笑みを見せてくれた。
「諦めなければいつか壁を越えられる。ですね」
チヒロさんはそうぽつりと呟いた。
急にどうしたんだろう?
チヒロさんは顔を上げると今までで見た笑顔の中でも、特に爽やかなものを見せてくれた。
「この研究は諦めなかったからこそ、ここまで来たのです。だから最後の壁を乗り越えて最優秀賞を目指しますか」
チヒロさんは決意がこもった瞳を私に向けた。
————。
それからあっという間に時は流れ、二週間後が経過して卒業発表会を迎えた。
その日は珍しく校庭が一面雪化粧となり、それもあってか普段どんなことがあろうとも暖房をつけたりしなかった大講義室は生徒と教師が風邪をひかないように暖房が付けられた。
午後の発表会で食後もあって各々の研究発表を眠気に負けないようにして発表した——。
結果、私たちは最優秀賞を受賞した。
発表内容は急遽添削したおかげか、まとまりが良く、分かり易かったなど好評だった。
発表会が終わった後チヒロさんは疲れたのか控え室がわりの部室で寝てしまった。
ワラもカマタくんも私もこの評価に三年間の努力が報われたことに大満足だ。
それから今ではとっくに冬休みを迎え、こたつでゴロゴロとしている内に鳥が開けてしまった。
年が明けて家族にあけましておめでとうと口にした時、ワラからメールが届いた。
『明日、突然だけど初詣に行こう』
「——」
ちょうど外に出たかった私はすぐにメールを返信した——。
————。
元旦の早朝、動きたく無い体を動かして軽く朝食を食べ、出かける用意をする。
私は少し小綺麗な袴を身に纏った後、髪を綺麗にして体を震わせながら駅まで行き電車に乗る。
今日お参りする神社は学問の神様を祀るところ。
その後最寄りの駅につき、改札に着くとワラが既にいた。
てっきりワラも晴れ着を着るものかと思えば、めっちゃ防寒着を見に纏っている。
まぁ、少し可愛いから良いかも。
「ねぇ、ごめん。まった?」
「別に。大丈夫」
「そう。じゃ、行こっか」
私はワラと二人で歩き出す。
神社はワラの合格祈願……ではない。
二人でチヒロさんの合格祈願のためだ。
チヒロさんの合格結果は今日発表される。チヒロさんとも行きたかったけど緊張のあまり体調を崩してワラと行くこととなった。
神社に到着し、山道を通って本殿に着くと鈴を鳴らして祈りを捧げる。
願い事は口に出してしまえば叶わなくなる。
だから心の内側に入れ続けるのだ
——。
祈りを捧げた後、ワラと境内を少し歩く。
「ねぇ、ワラは家業を継ぐんでしょ?」
「うん。それがどうしたの?」
「不思議だなって。家業を継ぐのなら安雲の実家の近くにある高校でも良かったのに。ここにするなんて」
「——ササがここで働くことになったのと、社会勉強に」
「そうなんだ。あぁ、そうよね。社会勉強」
私は意外なワラの真面目な部分に感銘を受ける。
その時、ワラは私を見ると珍しく少し微笑んだ。
「ウズメは、この農業高校でしたかったことはできた?」
「うん。出来たよ。あとはその出来たことを作品に残すだけかな」
「良いと思う。困れば手伝うから」
「——ありがとう」
この農業高校では何がしたい?
私は最初これを聞かれた時は何も答えられなかった。だけど、この質問のおかげで私はしたいことを見つけては諦めずに最後までやり遂げることが出来たのかもしれない——いや、現にできたのだ。
これから社会に出る上で諦めないといけない部分があるのかもしれないだけの、諦める部分は最終的の超える壁までの道の一つであり、壁に行くための道が無限にあるのなら全ての道を試して仕舞えばいい。
なぜなら諦めなければ本当になりたい自分になれるのだから。
これは人によってはくだらないかもしれないけど、もし夢がない場合や見つけられない場合は探して、達成するまで諦めないで欲しい。
その事を伝える作品に題名をつけるのなら、安直だけどこう付けよう——。
『この農業高校では何がしたい?』
————。
帰りの電車の中、ワラに今考えている作品について話した。
その時ワラは困った顔ながらも素直にこう言った。
「チトセは多分、そこまで考えてないよ」
そう、この言葉自体、チトセ校長の言葉をそのまま使っただけだ。だから怒られても致し方ない。
「——まぁ、良いでしょ。私みたいな子もいるかも知んないし——」
その時、携帯が鳴った。
懐から取り出して画面を開くとチヒロさんから大学に合格したことを知らされた。
本当に諦めないことって重要なんだな。
私はワラと手と繋ぎ、顔を見合わせて笑みを浮かべ合った。
——今のところ私に人生の点数は、百点満点だ。
そう心の奥底で私はキク先輩からの質問に答えたのだった。
これで「この農業高校は何がしたい?」は完結です。
今までありがとうございました!!