プロローグ
白い部屋。黒い机。限りなくシンプルに統一された部屋。
「では、taisyoAIへの移住を希望される思いの丈をぶつけてください」
開口一番、男が私に語りかける。無機質な声が部屋に広がる。
そんなもんか、と私は思った。何しろ初めて人が相手の面接を行うのだ。もっとこう、趣味や習ってきた学問とか細かな質問を投げられるものだと思っていた。
だってこれならまるで……
「ああ、すみません。人間相手の面接は初めてなんでしたね。もっとこう、あれでしょう。まずはお名前と自己アピールを〜みたいな質問が来るんだろうな、と考えていらっしゃったんじゃないでしょうか」
私があまりにマヌケな顔をしていたからだろう、男は少し態度を崩して補足的に説明を始める。
そう、それだ。
私はこくこくと頷く。
「いえ、そういう方結構多いんですよ。せっかくtaisyoAIに来たのに、なんでAI相手の面接とおなじことしなきゃいけないんだーって」
そう、それだ。
私はこくこくと頷く。
「でも残念。これは本当に残念なことなのですが、それだと応募者の本意を測れないことが非常に多いんですね。どうしてもみんなAI相手の面接に慣れきっているから、細かな質問を何度も投げかけられることにイライラしてしまう。その結果自分の本意でない言葉が出てきてしまって、結果本当に言いたかったことが言えない、分からなくなってしまう」
そうなのだ。AI相手の面接の場合、対話をする必要はほとんどない。基本的にこっちのこんなことがしたいというざっくりした思考をぶつけるだけで、勝手にAIが判断をしてしまう。その結果多くの人がコミュニケーションとは言えないような話し方をするようになってしまっているのだが……
「なので、AI相手の面接と同じものが最もいいだろうと私どもは判断しました。質問はシンプルな一つのみです。では、どうぞ」
男は軽く手を私の方に差し出す。さあ、あなたの番ですよと。
どうぞ、か……
簡単にいってくれるな、と思った。今雨降ってますか? と聞くくらいの手軽さじゃないか。
それとも、本当に簡単なのだろうか。思えば、人間相手の面接だからといって私がやったことは、これは人間相手の面接だぞ、と自分に言い聞かせたくらいじゃないか。それを考えれば今聞かれていることはよっぽど易しい?
男はもう何も喋らない。ただ私の顔を見つめるだけだ。
それなら。
「私は、私は……」
あれ、あれ。言葉が出てこない。私は何を言いたかったんだっけ。
心の中で強い思いと、今しがた行なっていた思考が入り混じる。焦りが思いを暗い色で包んで見えなくしていく。
汗が出てきた。思考がぐるぐると止まっている。
「私は、嫌いだった」
なんのことだろう。自分でも分からない。これじゃあまるで今の自分の心を現しているみたいじゃないか。
今の自分が……
「嫌いだった。嫌いだった。空気が嫌いだった。私を見る目が嫌いだった。周りの人間が退化しているようにしか見えなかった。こんな人たちがいる世界に耐えられなかった。
人間ってもっとまともじゃなかったの? 人間ってもっと……生きるってそんなことじゃないのに。
生きるっていうのは自分自身で動いていくことで、何かにいろんなことを委ねきってしまうことじゃなくて、委ねてしまうのならその分何か自分の、人間としてのものを見つけるべきなんじゃないのって」
息を吸う。声が浅い呼吸の上でどんどん汚くなっていく。
「私は見つけた。こんなことになってしまった前の時代を。この眼鏡がそれを教えてくれた。その眼鏡があった店が私のよりどころだった。
そして私はtaisyoAIを見つけた。眼鏡に続く道に見えた。
この世界にいたい。この世界ならもっと自分を、もっと自分が正しいものになるんじゃないかって、そんな気がした」
答えを見つけた、そうなんだ。私はそうなんだ。
私の言いたいことは終わってしまった。
大きく息を吸い、吐く。これ以上に何をいうことがあるんだろう。
「そうですか、それで?」
男の声は宣告だった。私の言葉はまだ不十分だという宣告だった。
「え? どうして? だってAIなら……」
思わず口にしてしまう。だって。
だって、AIだったら言いすぎなくらいだ。こんなに言葉は必要ない。
この男は一体何を求めているのだろう。私は何を伝えたらいいんだろう。
男が一つ頷いた。場の空気が変わる。この時間はもう終わったという雰囲気になる。
待って。だめ。
「もう一つ、もう一つだけ」
もう私は男のことなど見ることができない。ただただ言葉を繋いで時間を取り戻すことに必死になる。
「言わせてください。私はだからこそtaisyoAIに移住したいと考えています。私は今言った思いを胸に、それを軸にして私自身の力で生きていたいんです。だってその中はきっと目が、耳が、鼻が、舌が幸せだから。感覚のほぼ全てを幸せにしてくれる世界でならそれはきっと叶えられます。そして、それが叶えられた暁には、きっと」
正しさが近づいてくる。この思いはAIの向こう側に届く予感があった。
「私が嫌いだった人たちを幸せにしてみせます」
一気に言葉を流しきった衝動で、目から涙が少し溢れ出す。
これが私の心。
興奮が冷めつつある頭で私はぼんやりとそんなことを考えた。
後は男の言葉を待つだけ。言葉が返ってくるのかも分からないが。
ただ、そんなことはもはやどうでもいいのかもしれないな。
溢れた涙が眼鏡の縁につく。小さな一粒なのに、黒縁だからかよく映えていた。