杉村賢人の一生
杉村賢人は“勉強狂いのスギムラケンジン”。他に類を見ない程の好勉家である彼に対して、クラスメイトが陰口を叩く際に用いられる通称である。県でも有数の進学校に進学した賢人であったが、その中でも勉学に対する彼の姿勢は異常であった。
他の生徒の誰よりも早く校門を潜っては、朝のSHRが始まるまで図書室で自習。いや、SHR中も彼は一人黙々と問題集を解き続けていた。
授業が始まると、彼はより完全に他者との間に壁を作る。一般高校の授業は、最早彼にとって必要の無いものであった。授業中は自分で勉強、授業が終わっても勉強。学校祭も体育祭も修学旅行も全て欠席。ここ数年、彼はクラスメイトと会話をした記憶が無い。
帰りのSHRが終わると、彼は学校が閉まるまで図書室に篭る。五人兄弟である彼にとって、自宅は勉強に向いた環境ではなかった。
学校から徒歩五分の所に住んでいる彼は、学校を出ると山手線に乗り込む。
彼が山手線の車両に乗り込んだ時、大抵は席が空いていない。彼は席が空くのをじっと待ち、そして座る。席に着いた彼は鞄から問題集を取り出し、それを解き始める。
――こうして、終電を迎えるまで延々と車両の中で勉強を続け、彼の一日は終わりを告げる。
“とにかく、勉強だけはしっかりやりなさい。そうすれば絶対、将来良い思いが出来る”
彼の母が彼に対して与えた言葉であり、彼がここまで勉学に執着する絶対の理由である。父を早くに亡くし、女手一つで五人の子供を育ててきた母の存在は賢人にとって何より大きく、絶対であった。彼は母の言葉を心から信じ切っていたし、母にとって賢人は自慢の息子であった。
――そして彼は三年生になり、受験の年を迎える。彼は初めて化学と政経の模試を受け、驚愕した。
政経科の問題の中の一つ、文章が正しいかどうかを判断する○×問題。
“領土、領海の上に存在する部分を領空と呼び、宇宙空間までを含む”
彼の中で今まで積み上げてきた物が、音を立てて崩れ落ちた。
『こんな問題を解く為に、俺は今まで勉強してきた訳じゃない――』
彼は机の上の問題に向かいながら、心の中で何度も叫んだ。
そして自分のこれまでの人生を振り返ると、大粒の涙が頬を伝った。
その日、賢人は山手線の車両に飛び込んだ。