レベル51 新生魔王軍混乱す
新生魔王軍の魔将の一人であるノーンはジャガーノーン城を走っていた。
それもかなり焦って。
ノーンは褐色の肌に、一本角の典型的なジャガーノーン系列の魔族である。
ジャガーノーンが身を削って産み出した五体の眷族。
その直系の子孫だ。
ジャガーノーンには五人の娘がいて、それぞれの娘に仕えるために五体の眷族は産み出されたといわれる。
だが、長き時を経るにつれ五人の娘は一人、また一人と世を去り、またある者は隠居したり、旅に出たり、と五女であるジェナンテラを残していなくなってしまった。
五体の眷族の一族も仕える相手がいなくなると、ジャガーノーンの実の娘であらジェナンテラに仕えるしかなく、自然と彼女の周りに生き残った魔族が集まるという状態になっていた。
同じ系列の魔族は、ある程度お互いの状態がわかる能力を有している。
そのため、遠くグランデ王国で工作をしているはずのバレンシの死もノーンは直後に知ることになる。
ちなみに密偵からのバレンシ死去の報告は一ヶ月もかかった。
そして、その状況共有能力によってノーンはまた一人、友人がこの世から居なくなったことを悟った。
その相手は、トラアキア藩王国の藩都を陥落させたナガーンである。
藩王を投獄し、残党を追い払い、ネルザ砦をジャガーノーン城が牽制している現在、トラアキアを救出するような勢力はないはずだった。
ベルスローン軍にしては早すぎる。
スローンベイの海軍騎士隊の仕業にしてもまだ早い。
ベリティスが帝国に寝返ったとしても早い。
しかし、ナガーンが命を落としたことは間違いない。
バン、と大きな音をたてて謁見の間の扉を開ける。
新生魔王軍の魔王である朱天の姫王ジェナンテラ、そして残りの魔将八人もそこにいる。
ちょうどいい。
「ジェナンテラ様、至急お伝えしたいことが!」
「どうしたのじゃ、ノーン」
ジェナンテラ様は優しげな声だ。
「は、実は……!……?」
口を開こうとしたノーンの前にポールアックスが振り下ろされる。
ノーンの顔面と斧の刃の間にに二センチほどしか隙間がない。
「何をする!? ヤヌラス殿!」
ポールアックスを振り下ろしたのは、魔将の一人ヤヌラス。
隣に立つヤヌレスとともに、魔族以外で採用された魔将である。
おそらく、ヤヌラスとヤヌレスは双子であり、どちらも金髪と白い肌、人形のように美しい顔をしていた。
ヤヌラスは金色の鎧をまとい、ポールアックスを持っている。
ヤヌレスは銀色の鎧をまとい、鎧と同じ材質の杖を持っていた。
鎧と武器の違いが無ければ見分けがつかないほど、同じ顔だった。
「今、ヤヌレスが報告をしている。君は少し静かにしていてくれ」
「な!?」
ヤヌラス(金)はポールアックスの刃をたてた。
これ以上邪魔をすると切るという意味だ。
ノーンは身動きできなくなる。
ヤヌレス(銀)はジェナンテラに向かって口を開く。
「ナガーン殿のトラアキア藩都制圧は非常にうまくいっております。恐怖と暴力によって統治された藩都では反抗するものはなく、周辺地域の鎮圧も進みつつあります。ベルスローン帝国はいまだこの事態に気付いておらず、早急にトラアキア全土を制圧すれば十分対抗できるか、と」
うむ、と満足そうにジェナンテラは頷く。
新生魔王軍の旗揚げに丁度よい勝ち戦だと思っているようだ。
ノーンは、青ざめていた。
なんだ、それは?
嘘をつくにもほどがある、と。
ナガーンは死に、トラアキア藩都はおそらく解放された。
ベルスローン帝国は既に鎮圧軍を組織し、すぐにでも出陣するだろう。
よしんば、トラアキア制圧が完了しても、たかだか藩王国一つと帝国全体がぶつかりあったら、あっという間に鎮圧されてしまう。
ノーンはポールアックスを払いのけ立ち上がった。
「ジェナンテラ様、報告にございます! トラアキア藩都のナガーンが死亡いたしました。おそらく、藩都はその相手によって解放されたでしょう。至急奪還軍を編成するべきと具申いたします!」
ノーンの剣幕に、ジェナンテラは驚いたようだった。
しかし、すぐに笑顔に戻りこう言った。
「何を言っているのだ、ノーン。ヤヌレスの報告にあったろう? 万事順調じゃ。なにゆえナガーンが死亡したなどという虚言を申すのだ?」
何を言っているのだ、ジェナンテラ様は!?
「我ら、太祖ジャガーノーン様の系譜に連なる魔族として、その状態を共有する力を持っております。その力にて、ナガーンの死を知ったのでございます!」
「ほう? 妾はそのような力を持っておらぬが。他の者はどうなのじゃ?」
一部の魔将、ノーンと同じくジャガーノーンを祖とする魔族が口を開く。
「確かに、その力は有しております」
なぜか、困惑したような口調だ。
その魔将はそのまま続ける。
「しかし、ナガーンが死んだなどという反応はありませぬ」
「タージル殿!? あれだけはっきりと反応したではないですか!?」
ノーンの言葉にタージルと呼ばれた魔将は首を横にふる。
「何も、反応はない。のう、ノーンよ。一体どうしたのだ?」
見ると、魔将タージルだけではなく、他の者らも怪訝な顔をしている。
まさか、誰も反応してないというのか!?
あれだけのはっきりとした反応だったのに。
「ノーン殿、この場を混乱させ、ジェナンテラ様に虚言を吐くというのはいかなる存念でしょうや?」
後ろから囁くように、けれどもはっきり聞こえる声でヤヌラス(金)はそう言った。
「私は虚言など」
「偽りの奪還軍を組織して、謀反でも企んでいる、とか?」
「いや、ち、違う」
「あなたのような重臣がなぜなのでしょうか」
マズイ、このままでは裏切りの汚名をかぶせられてしまう。
ヤヌラス(金)の声色は、なぜか本当にそうであると思い込ませる力を持っているようだった。
ノーン自身も、うっすら謀反の可能性を探り始める。
いや、違う。
それは私の考えではない。
思考すら操るヤヌラス(金)の言葉に、ノーンは危機感を覚えた。
まさか、ジェナンテラ様も?
「ノーン。妾を裏切るとは、覚悟はできておろうな?」
あれだけ誠心誠意仕えてきたジェナンテラ様がまるで地を這う虫けらを見るような目でノーンを見た。
ノーンは、踵をかえして駆け出した。
ここは逃げるしかない。
ダッと走り、窓を飛び越える。
ここは、かなりの高層階だ。
もちろん無傷ではすまないだろう。
それでもノーンは飛び出した。
ここで裏切り者の汚名をかぶって死ぬよりも、まだやるべきことがある。
ここはおかしい。
あの双子、ヤヌラス(金)とヤヌレス(銀)だけとは限らない。
それを解き明かし、ジェナンテラ様を正気に戻すまで死ぬわけにはいかなかった。
ノーンは窓から飛び降りた。
ノーンがいなくなったあと、ジェナンテラはノーンの捜索と捕縛を命じ、報告会を終了させた。
ヤヌラス(金)とヤヌレス(銀)の二人は連れだって謁見の間を出ていった。
他の魔将もさっさと離れていく。
いつまでも残っていたら、ノーンの二の舞になってしまう。
最後に残っていた魔将は、人間だった。
十二の新生魔王軍の魔将のうち、唯一の人間。
手に武器はもっておらず、かなりの軽装だ。
口許をにやりと歪め、その男はジェナンテラに背を向けながら笑った。
「いやあ、マズイんじゃねえの? ノーンは嘘をついていなかった。ナガーンが死に、トラアキア藩都が解放されたのは事実のようだな。……この城が攻められるのは時間の問題じゃねえのかな」
彼の名はクート。
扱うのは無手流派拳聖新陰流。
ヨート、ロクトの同門である拳聖の弟子である。
高い場所から飛び降りたノーンは、わずかに使える低位の回復魔法で、走れる程度には体を回復させた。
追っ手に捕まるわけにはいかない。
体力の限界まで逃げなければ。
しかし、とノーンは思った。
人間の敵である魔族の自分は、どこに逃げればいいのだろう、と。
前回、魔王様がジャガーノーン城に突入すると言ったな?あれは嘘だ。
大丈夫だ、問題ない。
次回こそ!魔王様、ジャガーノーン城突入!