レベル40 世界は驚きでできている
魔王とヨートが国境を抜けると、どこからか潮のにおいがした。
ここはベルスローン帝国の入り口であり、辺境の終わりでもある。
すでに、国境の外にはキースとメルチ、アグリスが待っている。
「遅いですよ、魔王様」
「すまんの、戦後処理とかいうものがあってな」
内戦の終結とともに、魔王は特佐という戦時役職を返還した。
ベルデナットはまだ残ってほしそうだったが、魔王には目的がある。
まあ、彼女にはひげ男、スターホークもいるし、正規軍のモンマトール将軍もいる。
護衛として偽ロクトのラグレイもいる。
ヴァンドレア卿もアトロール大公についた償いといって、グランデ王国に帰順した。
占い師ギルドも、もとはいえばバレンシを送り込んだことが内戦のきっかけでもあったため、グランデ内政に力を貸すことになった。
死の商人アルナヘインも、表側でも大物商人であるため、内戦で疲弊した経済を立て直すべく尽力している。
内戦は、一度それぞれの立場と役割をしっかりと認識させる効果があった。
決して、戦争を礼賛しているわけではないが悪い面ばかりでもなかったということだ。
アトロールに責任を押し付けることで、王国が一体化したということだ。
まあ、そのアトロールも敗戦の原因はキースの死にあったと思っているため、ある意味怨恨は残らなかった。
もちろん、参加した兵士や戦死者の遺族などは内戦を起こした国を、アトロールをベルデナットを怨むだろうが。
キース、メルチ、アグリスはいち早く戦場を脱出していた。
魔王が終わらせると宣言したら、その通りになるのは間違いない。
キースを死んだことにすれば、会戦も早期に終わるだろうとの読みは当たった。
ついこないだまで、顔をつき合わせていた相手と殺し合いをするというのは職業軍人でも冒険者でもしんどいものがある。
やるなら仕方ないが、やらなくてもいいならやらないというのが参加していた兵士の正直な気持ちだった。
あっという間にアトロールの軍勢は霧散し、終戦にいたった。
その様子は見ていて可哀そうになるくらいだった。
まあ、国外追放になったアトロールが妙に晴れ晴れとした顔をしていたのが印象的だった。
キースたちは戦後の混乱を縫って、国境を抜けていた。
そして、魔王たちが来るのを待っていたのだ。
グランデ王国の北西にある国境を抜けると、そこは海辺だ。
国境の検問所はあるが、普段は開放されている。
そこから先は、対岸まで真っ白な橋がかけられている。
橋を渡り終わると、そこはベルスローン帝国の領土だ。
ようやくグランデ王国でのゴタゴタが終わったのだ。
しかし、緩んだ雰囲気は長くは続かなかった。
橋の終わりは、白い法衣の集団に占拠されていた。
白い色は、光と司法の神バルニサスの色。
つまり、これはバルニサス教会所属の集団ということだ。
良く見ると、法衣には星座の刺繍がしてある。
牡羊の形だ。
これもバルニサスを表す。
そして、グランデ王国近くで活動している星座が刻まれたバルニサス教会の集団。
そう、先の内戦に参加したバルニサス教会星刻派の僧兵団である。
それを眺めるメルチの顔が苦々しげになる。
なぜなら、集団は明らかにメルチを待っていたからだ。
星刻派僧兵団の先頭には、銀の髪を長く伸ばした美しい女性が立っていた。
他と同じ白い星座入りの法衣、手には銀の錫杖。
「あれは、星刻派の指導者”聖女”メレスターレ……あ、やばい」
キースはその女性の名をつぶやき、自分が内戦で死んだことになっていることに気付いた。
「お待ちください」
メレスターレはまったく驚くそぶりも見せずに声をかけてきた。
「余たちがどんな一行か、知った上で呼び止めておるのかな」
「もちろんです。グランデ王国特佐ラスヴェート殿、そちらはその拳であるヨート殿、そして星光国軍師キース殿、星光騎士団団長アグリス殿、そして、メルティリア・グラールホールド」
なぜか、メルチを呼ぶ声だけ冷たく険があるようだった。
いや、なぜメルチの本名を知っている?
キースですら魔王が洩らしたのを聞いていただけだ。
ランアンドソード結成時から、彼女は本名を名乗らなかった。
そういう冒険者は多いし、そういう過去を隠せるから冒険者になるとも言える。
自然と、詳しいプロフィールの聞くのは避けるのが暗黙の了解だった。
「グランデでは声もかけなかったクセに、今さらなんなんです、姉さま」
姉さま!?
メルチの姉?
そういわれてみれば、顔のつくりとか、髪色とか、似ている気もする。
「あちらでは、星刻派の指導者として来たのですから私事にかまけるわけにはいきませんでした。ですが、ここはベルスローン領内、姉として妹のことを心配するのは当然でしょう」
「私は帰らないわ」
「心配せずとも、ベルスローンの教会にはあなたの居場所はありません。ですが、グラールホールド家ではあなたを公爵令嬢として扱う準備はできています」
公爵令嬢!?
いや、待てグラールホールドなんて公爵家あったか?
「なるほど、噂に名高き、ベルスローンの教会公爵グラールホールド家か」
なぜか魔王様が知っているように反応する。
「辺境にも名を知られていることを誇ればいいのでしょうね」
「いや、余が特別なだけだ」
そういえば、キディスの時点でも魔王様はメルチの姓がグラールホールドだと知っていた。
そこから調べたのだろうか。
「さすがはグランデの特佐殿というわけですね」
「その役職は返還したのでな、今はただのラスヴェートだ」
「古言語で黎明ですか」
「……そうか、呼ばぬのだな」
「これでも、ベルスローンで教会の一派を率いる身ですから」
魔王様の名を呼ぶことの影響をメレスターレは知っている?
「それで、メルチをどうするつもりだ?」
「従順ならば、連れて帰るところですが。どうやら、あなたの息がかかっているようですね」
「婚約を申し入れたがな、保留にされた」
「な、ラスヴェート様!?」
「我が妹ながら見る目がない……」
「姉さま!?」
「まあ、いいでしょう。たまたまグランデで見かけたゆえ、挨拶したまでのこと。それよりも、皆様、それなりに名が知れた方、どうぞベルスローンにいらした際には我が家をお訪ねください」
「余はハマリウム産の紅茶が好みでな、用意してもらえると助かる」
「……!……わかりました。ご用意してお待ちしてますわ」
メレスターレはそこで話を終わらせ、近くに係留されていたバルニサス教の専用船に乗り込んで行った。
船はすぐに出発していった。
「あの、魔王様」
「メルチ、面白くなってきたではないか。ベルスローンの大貴族に顔つなぎができた。あの国にはどのような問題があるのだろうな」
「また首突っ込んでかきまぜようとしてますね?」
「心配せずとも、お前を離しはせぬ」
魔王がグラールホールド家訪問に乗り気であることはすぐにわかった。
その交渉材料として、メルチの身柄を引き渡すという可能性もあった。
「な、なら、いいんですけど」
「あのような、余の名も呼ばぬような者らに渡さぬよ」
メレスターレが名前を呼んでくれなくて地味に不満だったようだ。
「私、結構悩んでたんですけど」
「なればそろそろ良い返事がほしいものだ」
「まだ、早いです!」
「キース様? あれが日常ですか?」
アグリスがキースに聞いた。
「はい。あの甘い感じが日常です」
「私もそうした方がよろしいですか?」
「いいえ。アグリスはそのままでいてください」
そうして、一行はベルスローン帝国に入国した。
魔王「ハマリウムは五百年前も上手い紅茶を産出していたのだ」
メルチ「魔王様ってけっこうグルメですよね」
次回!メレスターレとその僧兵団が動く!
明日更新予定です。