レベル137 目覚めのしらせ
「お久しぶりです。“翼将”殿」
影はそう言った。
ジェナンテラはその声に聞き覚えがあった。
「二百年ぶりくらいかしら、“死将”殿」
雨の夜の来訪者は、“死将”にして“鬼”のガランドだった。
先代の魔王国軍事司令官代行である。
“鬼”の平均寿命は三百年ほどらしいが、ガランドはまだ元気だ。
それでも、顔は皺が目立つ。
「玄関で話すのもなんだ。中に入ってくれ」
話している間にも雨の勢いは増していく。
もうすぐどしゃ降りになりそうだ。
「かたじけない」
身を屈めて、ガランドはジェナンテラの家に入った。
「なかなかに心地よき家ですな」
ジェナンテラとアリサの二人暮らしである。
必要最低限のものしか置いてないが、長いこと住んでいるから物は増えつつある。
こういう肌寒い日に欠かせないのが、精霊着火式の暖炉である。
煙もでない優れものだが、燃費が悪い。
ジェナンテラは、朱雀を弱めで呼び出すことで低コストで使用している。
「ありがとう」
ジェナンテラは沸かしていたお湯で紅茶をつくる。
最近、ハマリウムの土壌改良により、五百年前に造られていた美味しいお茶がまた飲めるようになってきていた。
ジェナンテラも、それを取り寄せてストックしている。
紅茶を三人分用意し、それぞれに配る。
「いやあ、暖かいものは嬉しいですな」
「食事は? 簡単なものしかないけど」
買ってきたパンくらいしかない。
「食事は大丈夫。気をつかわせて申し訳ない」
「それで……」
とジェナンテラは椅子に座った。
ガランドの対面である。
「……用件は? あなたがカダ・ムアンを離れるほどの事件?」
ガランドは隠居後にカダ・ムアンの開発に着手した。
おりしも時代は産業革命、乾燥地帯の枯れ森も魔力の恩恵を受け、豊かではないが生き物が暮らせる場所へと変わりつつあった。
ガランドはそこで相談役のようなことをしているらしい。
「二日ほど前です。先代の“闇将”殿がたずねてきたのです」
現在、“闇将”は置かれていない。
前についていたのはベルデナットであり、“闇将”といえば彼女のことを指す。
ただし、先代の、とガランドは言った。
となると、千年前の人魔大戦時代のダークエルフの戦士ファリオスのことになる。
彼女は今、アグリスとメルチが眠る霊廟の守護者をしているはずだった。
「ファリオス様が?」
「ええ。いわく、アグリスとメルチが起きた。全員であの谷の跡へ行こう、と伝えてくれ、と」
「それって……」
アリサが絶句した。
ガランドが頷く。
「そういうことです」
ジェナンテラは頭が真っ白になった。
考えると辛くなるから、考えないようにしていた。
それが、急に目の前に現れたから。
キースに会える。
キースを知らなかった五百年より、キースに会えなかった五百年の方が長くて、辛かった。
いつしか、考えないようにしていた。
「ジェナ姉……大丈夫?」
深く考えすぎて、どうやら周りが見えなくなっていたようだ。
「うん……大丈夫……行こう。すぐに!」
「全然大丈夫じゃなかった!?」
外に出ていこうとしたジェナンテラをアリサが止める。
「なんで止めるの!?」
「もう、夜遅いから!」
「すぐ、というわけではありません。短くて一週間、長くて一月といったところでしょう」
遅くても一月以内で、キースに会える。
「ああ、ジェナ姉が恋する乙女モードになっちゃった」
「すでにフィンマークには伝えてありますし、ノーンにはファリオス様が向かってくれています。五日後をめどに水上都市レヤスに集まることにしておりますので」
「ああ、あそこ今湖になってるんだよね」
亀裂のあったバリレデ・ロス・レヤス、王の渓谷は五百年前に亀裂が閉じた後、ゆっくりと水がたまり湖となった。
周辺諸国から集まった開拓団の拠点が、やがて都市化し水上都市と呼ばれることになる。
「では、私はこれで」
「え? まだ外は雨だよ、ガランドさん」
「実はこの後、神の世界に行ってアルメジオン殿とエルドライン殿、バルニサス様に伝えてくることにしてましたので」
「大変だねえ。ああ、向こうで師匠にあったらよろしく言っといて」
「わかりました」
こうして、ガランドは転移門から神の世界へ渡り、ジェナンテラが正気に戻ったのち、その日は寝た。
翌日、ジェナンテラとアリサは旅支度を整え、水上都市レヤスへ向かった。
現在、キディスからレヤスに行くには自動馬車公社の定期馬車が便利だ。
自走する魔導機械の馬が四輪の車を引く。
高速で街道を走る自動馬車は、キディスからレヤスの間を一日で走り抜ける。
高速の自動馬車の登場以後、世界は急速に狭くなった。
旅、というものが一週間や一月かかるもの、という概念が古くなってしまったのだ。
外国へ一泊二日で行ける時代になったのだ。
その自動馬車に乗り込み、二人は一路レヤスへ。
というほど長旅でもなく、その日のうちにジェナンテラたちは到着した。
キラキラと陽光を受けて湖が輝いているのが馬車の窓から見えた、
「ずっと、思ってましたけど、このレヤスを造った人は神の世界のことを知ってましたよね?」
水上都市と言われるレヤスは人工の浮島がいくつも、湖に浮かんでいる景観が特徴だ。
その様子は、天空にいくつもの浮島が浮かんでいる神の世界に似通っている。
「そうだね……」
「ジェナ姉、聞いてます? 私の話」
「え、あ、うん。聞いてる」
昨日からこんなだ。
まあ、仕方のないことなのだけど。
アリサ自身は、色恋沙汰には縁のない生涯だったと自覚している。
次の女王となった娘のことはもちろん愛していたし、孫も同様だ。
旦那は?
と聞かれると、アザラシはいい人ではあった、と思い出せる。
それなりに強かったし、優しかったし、最終的には父親のボルゾンを超える器量を持っていたとも思える。
夫婦というよりは、めちゃくちゃ気の合う友人だった。
まあ、不幸ではなかったなあ、とアリサは今そう思う。
そういえば、ベルデちゃんは五人も子供がいたが大変だったろうな、といまさら思った。
二人はレヤスにある魔王国大使館に泊まることになった。
魔将位は、魔王国にとって最重要人物の証だ。
至れり尽くせりの大歓迎を受けた。
数日たって、ガランドとアルメジオン、エルドライン、バルニサスが到着した。
それから、フィンマークが。
すぐに、ノーンも到着。
あの雨の夜から一週間がたち、メルチとアグリス、ファリオスもレヤスについた。
「はぁ、疲れた。遠すぎ」
が、魔王の妻の第一声である。
「メルチちゃん、もしかして歩いてきたの?」
「え? そりゃあ……そうでしょ」
「え?」
「え?」
ああ、そうか、とジェナンテラは理解した。
「あれから五百年たっているんですけど」
「ええ、聞いてるわ」
「実は、ものすごく文明が発達してまして」
「?」
「キディスからここまで一日で来れるんだけど……」
「うそ……」
「信じられないよね?」
「全然信じられない……時代進みすぎ……ていうか、ジェナンテラさん、大人っぽくなったよね?」
「まあ、長生きしたからかな」
五百年の間眠り続けたメルチ。
ずっと起きていたジェナンテラとは、大きなジェネレーションギャップがある。
普通の人間であるメルチが魔王様に会うには、それしかなかった。
会いたいだろうな。
私もそうなんだから。
何はともあれ、レヤスに魔将と元魔将と神様が集合した。
魔王たちの帰還の三日前のことである。
次回!再会の時。そして、魔王の長い戦いの一生に終わりの時が訪れる。
明日更新予定です。




