レベル112 魔王軍の行進
「そうか。ハルピュリア族はほとんど……か」
コートリバースの港町から送られたハーフハルピュリアの伝令から、ローレライ島の騒動の顛末を聞いて、キースはため息をついた。
魔王軍の協力者であるハルピュリア族がほぼ壊滅。
それを、引き起こした者は“亀裂”の関係者らしい。
「もう、猶予はないな。帝国との協定を打診するしかない」
タイミングとしてはまだ早い。
もう少しで、アリサとベルデナットが仕上がる。
その時点まで引っ張りたかった。
だが、小勢とはいえハルピュリアという協力者がいなくなった今、魔王軍が健在であると見せつけねば国体まで瓦解しかねない。
「季節は春だというのにな」
ベリティス城の外はもう雪が消え、自然の青さが見えている。
キースの懐かしの森も青々と繁りだしているのだろう。
それでも、キースの心中は凍えそうだ。
これから起こる帝国との交渉、そしてそれ以降を想像するだけで。
自室を出て、城内を歩き出す。
そこかしこで春の気配を感じる。
匂い、風、暖かさ、そのようなものだ。
ベリティス公爵を、謀将を継いで一年しか経っていないのに、キースの世界は激変した。
キディスで冒険者をやっていたなんて夢ではなかろうか、と錯覚するほどだ。
そんな埒もない思考をしている内に、キースは魔王の部屋の前にたどり着く。
「魔王様、起きてらっしゃいますか?」
大声で中に声をかける。
別にそのまま入っても良いと言われてはいるが、以前寝惚けたメルチが半裸の状態で部屋にいたのを知っているので迂闊に入るのは躊躇われる。
「起きておるぞ」
もう、キースは朝食を済ませている。
しばらくすれば執務の時間だ。
起きてないほうがおかしい。
「入っていいですか?」
「許可はいらぬ、と言うたであろう?」
「言い方を変えます。ちゃんと他人が入れる状態の部屋なんでしょうね?」
「……うむ……キースならば問題ないと……?……ダメか?……ちと待つが良い」
魔王から部屋の片付けが終わったから入ってもよい、と言われたのはたっぷり十五分後だった。
魔王がハマリウムから持ってきたという紅茶を飲みながら、ハルピュリア族のことを話す。
昔の最高級ハマリウム紅茶に比べると三等くらい格落ちする味らしいが、別にこだわらないキースには美味しかった。
ハマリウムには、グラールホールド家の次男であるカールという青年が太守として派遣されたという。
メルチにとって兄にあたるというが、彼女からは良くも悪くもない評価を下されているらしい。
そのメルチは、当然のように魔王の隣に座って紅茶を飲んでいる。
「デルフィナの一族はもうおらぬのか。さびしいことよ」
その顔は本当に淋しげだ。
ベリティスに、ヒュプノス、ラインディアモントと再会したばかりの仲間が次々に去っていく気持ちは、キースにはよくわからない。
「残っているハルピュリアは魔王軍に出向している十数名とフィナール、それと近隣の町に住んでいたハーフくらいですね」
「それで。謀将殿は何を企んでおるのかな?」
悪巧みをしていそうな、悪い顔で魔王はキースを見る。
「誰かの助言のおかげで、ローレライ島に行かなかったことで時間の余裕ができましたからね。かねてからの服案を実行しようか、と」
「ほほお。その誰かと言うのも良い助言をしたものだ」
「ええ、本当に……まあ、冗談はさておき」
「冗談じゃったのか……?」
「普通に冗談でしょう」
皮肉が通じない魔王に、突っ込みを入れるメルチ。
「魔王様にはベルスローン帝国の帝都に赴いていただき、帝国皇帝と人類魔族の終戦協定を結んできていただきたく存じます」
魔王はピクリと片眉を動かす。
ちょっと言い方が気に食わないときの癖だ。
「我らが膝を屈するのか?」
「実を取る、という言い方はお好きではないでしょうね」
「余の事をそれほどわかっておるなら、どうにかならぬか?」
面子の問題だ。
五百年に渡って敵対してきた人類と魔族、それが戦うのを止めるとなればどちらが頭を下げるのか、という話になる。
勝った負けたの話でないのが、ややこしい。
「それじゃあ、帝国相手に一戦しますか? まあ、こちらは魔将全員を前線に出して各藩王国を潰し、魔王様が帝都を蹂躙すれば十年程度で勝てるでしょう」
帝国という人類最大の国家を相手に、キースは勝てるという。
「じゃが、それでは」
「ええ。その十年の間に人も、物も、金も、消費しつくして例の亀裂の神との戦いに大きな悪影響を与えるでしょう」
「後々のために、頭を下げろというのだな?」
キースは頷いた。
主君に頭を下げろ、という部下。
普通なら良くて謹慎、最悪処刑もありえる状況だが、魔王はその点、賢明だった。
「ラス様」
メルチが声をかけると、魔王は首を縦に振った。
「よかろう。この黎明の魔王が下手に出てやろうではないか」
キースはほっと胸をなでおろした。
魔王の説得はあまり問題ではない。
物事の理非がわかるこの魔王は、ちゃんと理を説けば納得してくれる。
問題は。
「キース。ラス様に恥をかかせないように。わかっているわよね?」
魔王の妻であり、人類最高レベルの神官であり、キースの仲間のメルチだった。
魔王への忠誠がおそらくマックスを振り切っている彼女は、魔王への誹謗中傷におそらく全力で対処する。
魔王を軽んじたり、侮ったりするだけで死亡確定。
狂信者スレスレである。
かろうじて、キースは共に旅した仲間であり、謀将であるからぞんざいな口をきいてもたしなめられるだけだが。
「もちろん」
とだけ、キースは答えた。
春。
新たに世襲した貴族や、新任の代官などが帝都へ赴き、挨拶をするこの季節。
ベルスローン帝国はいまだかつてない大軍勢を引き連れた魔王の訪問にわき立っていた。
先頭は”鋼将”ノーンが率いる魔王騎軍。
鋼鉄の馬鎧を装着した重装騎馬軍団である。
ハルピュリアの生き残りも、これに所属し空中を飛びながら行軍している。
その次に混成魔軍団。
率いるのは”鬼”のガランド。
軍団員はオーガやゴブリンなどの鬼族が多いが、先代軍団長のダークエルフに鍛えられた屈強な人間も所属している。
そして続くのが魔王軍親衛隊、と魔王本人である。
白い衣装に様々な宝玉の装飾を身に付け、腰にはベルへイムの遺産たるドーンブリンガーを佩いている。
人類滅亡を企む恐怖と破壊の魔王、というよりは異国の王子といった風貌である。
親衛隊はメルチが率いている、その構成員の詳細は彼女しか知らない。
いろんなところからスカウトしてきた神官らしい。
”夜将”フィンマークとナイトハウンド達もこの軍団の所属である。
続くのがベリティス公爵軍。
率いるのは”謀将”キース・ベリティス。
ローレライ島から帰還したジェナンテラ、フィナール、ケルディ、そしてもう一人の幕僚である
グレーターゴブリンロードのイグニッシ、さらには魔王付き文官頭のサバラもこの位置にいる。
その後からアリサ・キディスのキディス王国軍、ベルデナット率いるグランデ王国軍が続き、殿軍を”影将”アグリス率いる沈黙夜影軍が務める。
総兵力は四万程度ながらも、全力を出せばベルスローン帝国をも滅亡させうる魔王軍の全貌である。
ベルスローンの都、その中心である白帝城の前に整列した魔王軍。
そこから、魔王ラスヴェートが前へ歩き始め、魔王の妻メルチ、”謀将”キース、”翼将”ジェナンテラ、”鋼将”ノーン、”夜将”フィンマーク、”影将”アグリスが続き、アリサ、ベルデナットという属国の女王二人、最後にキースの幕僚というか魔王国の文官達が続いた。
これが、人類と魔族の終戦協定に臨む魔王軍の使節団である。
次回!魔王と皇帝の協定への話し合いがはじまる。
そして、その裏で起こる戦う運命の二人の決闘!
明日更新予定です。