レベル105 朱天の挑戦ー黒犬の目よりー
フィンマーク。
それが彼の個体名だ。
種族はナイトハウンド。
夜を駆ける黒い犬だ。
燃えるような赤い目、子牛ほどもある体躯、それが種族の特徴だ。
実を言えば、ナイトハウンドには個というものは存在しない。
全ての猟犬の精神は共有されており、ナイトハウンドという一つの存在が複数の黒い犬の状態をとっていると言う方が正しい。
そして、その肉体ですらも半ば精霊のようなもので荒野を駆けたか、と思えば日陰で寝ていたり神出鬼没なのだ。
そのナイトハウンド種の種族的英雄、いや英雄たらんと生み出されたのがクランハウンドという個体だ。
”夜将”とうたわれた彼は、全ナイトハウンドを統べる絶対者である。
ナイトハウンドの意思そのものと言ってもいい。
だが、その意思は”勇者”によって切り裂かれた。
勇者ハヤト。
ベルへイム軍と魔王軍の熾烈な戦いの最中、”魔将”ジャガーノーンの元へ向かおうとする勇者をクランハウンドは捕捉した。
ダークエルフの”闇将”ファリオスを退けたその実力は本物で、クランハウンドもまたその凶刃に倒れた。
死んだクランハウンドの意思は、全てのナイトハウンド種に恐慌をもたらし、黒き猟犬は撤退した。
敗走と言い換えてもいい。
それは屈辱だった。
種族の英雄の敗北。
その死に伴う無様な敗走。
二度とそんなことをしてはならない。
強靭な意思を持って、ナイトハウンドの共有された精神は、新たな英雄の意思を創造するべく、深く沈思黙考した。
数百年が過ぎて、それは生まれた。
折れぬ意思。
頑健な肉体。
複数の言語を駆使する頭脳。
スキルを多数使用できる魔法野。
ナイトハウンド種の創造以来の最高傑作、フィンマークの誕生である。
その最高傑作をして、今代の魔将の基準がおかしい。
旧魔王軍ならほぼ確実に魔将になれているはずのフィンマークはいまだ、混成魔軍団の副軍団長の地位に甘んじている。
「行け、朱雀! 精霊スキル”バーストストリーム”」
目の前の魔族の少女、にしか見えない女性が呼び出した高位精霊”朱雀”から炎の竜巻を放つ。
全力を出せば上位存在である神にすらダメージを与えうる技だ。
「我が右前足に炎を、左前足に水を、右後ろ足に風を、左後ろ足に地を踏みしめ、口腔よりは絶海の凪”ヴィントシュテレ”」
フィンマークの口から青い魔法陣が展開される、それはバーストストリームの炎を受け止め、反属性である水の力で無効化していく。
結果、バーストストリームは霧消する。
「なかなかやるのう、フィンマーク」
「ジェナンテラ殿の炎も見事」
ジェナンテラとフィンマークは秘密の特訓をしていた。
ジェナンテラは自身の精霊スキルの鍛錬を、フィンマークは自身の特殊なスキル使用方法であるヘンバイの研鑽を積むために。
鬼のガランドだと、圧倒的な力で訓練にもならないし、二人の女王は傷つけたら面倒だし、ゴブリンのイグニッシは修行と称して放置プレイをされそうな気がする。
二時間ほどみっしり訓練をして、一人と一匹は訓練場の床に寝転がった。
冷たい床が火照った体にちょうど良い。
四属性を四肢に込め踏みしめることで、活性化した魔力が口腔内に宿り、スキルとして放たれる。
これがヘンバイの基本的な情報だが、これはフィンマークだけが使える技術である。
ナイトハウンドは元来、炎の足跡を残すといわれており、その通り足の裏に炎を宿している。
ヘンバイはその効果を炎以外に拡張したものになる。
四属性の組み合わせ、込める力の量など発現する効果は覚えきれぬほどであり、フィンマークも他のナイトハウンドの精神の記憶領域を間借りすることで、ようやく扱えている。
「のう、精霊スキルを極限まで極めるとどうなるか、知っておるか?」
見かけによらぬ古風な話し方をするジェナンテラが、五百歳以上だということはクランハウンド時代の記憶も一部持っているから知っていた。
五百年前はもっと張り詰めたような雰囲気だったが、この時代ではうら若き乙女のように表情がコロコロ変わる。
おそらくは彼女の背の君の存在ゆえだろうが。
「さて、それはよくわかりませぬな。我らナイトハウンドも精霊のようなものではありまするが」
「妾もなよくわからぬが、朱雀と共にあることでもう一段、何かを上ることができそうな気がするのじゃ」
精霊スキルは、神未満の霊的存在の精霊と契約することでその力をスキルとして放つことだが、基本的に一種類の精霊からは一つのスキルしか扱わせてもらえない。
故に、高位の精霊使いの系統は契約した精霊の数を増やすことに腐心することになる。
五百年前の英雄の一人である”霊道士”が八つの精霊を同時行使したというのが最高記録のようだ。
だが、ジェナンテラの考えは違う。
一つの精霊との結びつきを高め、その精霊の全てを引き出すことを目標としている。
いまだ、誰も上ったことのない道だ。
フィンマークはそれを応援したくなっていることに気付いた。
魔王が帰還してしばらくして、ジェナンテラは精霊”朱雀”との結びつきを深めるとフィンマークに言ってきた。
「もう少しでつかめそうな気がするのじゃ」
「我は止めませぬが、もし暴走すれば抑えきれぬ可能性はありまするぞ」
神未満とはいえ、精霊もまたこの世界の根源に近しいモノ。
うかつに扱えばどうなるか、誰にもわからない。
「その時は、キースが止めてくれる」
「信頼しておるのですな」
「フィンマークはそういう相手はおらぬのか?」
「ナイトハウンドは単性なゆえ、番いは求めませぬ、それに死ねば同じ存在として再生します。まあ、我はまだ死んだことはありませぬが」
「それも、なかなか面白いのう」
しかし、何事にも例外はある。
魂ごと切り裂かれたクランハウンドのように、存在が失われてしまうことだってある。
そして、ジェナンテラは朱雀との交信を始めた。
よく探れば、いくつもの気配が訓練場の周囲にある。
魔王、謀将、魔王騎軍の軍団長の魔族、心配性は魔王軍の特徴らしい。
「我が右前足に水、左前足に水、右後ろ足に水、左後ろ足に水、我が口腔には四海の霊渦が波立ちぬ”マールシュトローム”」
フィンマークは四肢に込めた水属性の魔力を最大限に踏みしめ、全てを飲み込む大渦を発生させた。
全力状態の朱雀とて押さえ込めるだろう。
「妾の命に応じよ”朱雀”、炎の翼よ」
薄暗い訓練場が、真っ赤な炎に照らされる。
朱雀が顕現している。
だがいつもと様子が違う。
朱雀は羽を震わせ、悶えている。
交信しているジェナンテラは虚ろな顔をしている。
意識がないのか?
朱雀が振動し、物質ではない体から光が漏れ出す。
それは、白。
真っ赤な朱雀の体が、白い光に侵食されていく。
「まずいぞ、霊が抑えきれずにマイナス位相へ落ちるぞ」
こらえきれなかったのだろう魔王が姿を現す。
それほどまずい事態か。
その時、白熱した光が視界を埋める。
ついに朱雀が飲み込まれたのだ。
「放たれり、大渦”マールシュトローム”」
フィンマークはジェナンテラが限界と判断、待機していた大渦を放つ。
白い光にじゅうじゅうと蒸発しながらも、大渦は朱雀にまとわりつき拘束する。
しかし、大渦は一瞬で蒸発し、光源たる朱雀は翼を広げた。
いや、もう朱雀ではない。
召喚者のコントロールを離れ、霊がマイナス位相に落ちたため、既に変化してしまったのだ。
いまや目の前にいるのは、火葬の鳥王ジャターユである。
「我が水属性最大出力のマールシュトロームが、消し飛ぶとは。げに面白き」
フィンマークはその牙を剥き出しにして笑った。
次回! 暴走した朱雀、いやジャターユと魔王軍が対峙する!
明日更新予定です。