レベル104 若虎の選択
雪の上でいくら修練をしても、強くなった気はしなかった。
それどころか、もっと目標との距離が拡がってしまった気がする。
不意にそんな思いにとらわれて虎人の若者ベナレスは力を抜いて雪原に倒れこんだ。
背の毛皮を越えてくる雪の冷たさが火照った体に心地よい。
天に目をやれば青い空がどこまでも広がっている。
ちっぽけな自分を自覚する。
次の代の族長候補の一人として、ベナレスは己を強いと思っていた。
魔王軍に入って、その自信は呆気なく打ち砕かれ、ベナレスはその他大勢という立場になった。
ここでは族長候補という肩書きはなんの役にも立たず、ベナレスより強い奴はゴロゴロいた。
それだけだ。
ベナレスは混成魔軍団に入隊すらできず、遠征にも行けず、ずっとこのベリティス領にいた。
「ご老公が聞いたら、さぞ落胆されるだろうな」
先代の族長であり、虎人の英雄でもある“獣将”カレガント。
ベナレスの器を信じ、魔王軍に入ることを許可してくれた。
種族の英雄に、ベナレスは簡単に魔将になると宣言した。
それがどれほどのことか、知りもせずに。
どうやら、魔将となるにはとてつもなく高いステータスか、そうでなくても他を圧倒する力が必要なようなのだ。
人間よりも強い、程度では魔将どころか混成魔軍団にも入れない。
「もう、諦めるか……?」
諦めて、故郷に帰った方がよいのではないか?
と、頭の片隅にそんな考えがよぎる。
「何を、諦めるんです?」
声をかけてきたのは、人間の若いオスだ。
どうも、人間という種族の見分けがつかない。
若いか、老いているか。
オスかメスか。
あとは体毛の量とか、筋肉の付き具合などでしか、判断できない。
その判断方法によると、この若いオスとは初対面だ。
しかし、注意を払っていなかったとはいえ、簡単に接近された。
この人間何者だ?
「ああ、すいません。勝手に話しかけて。訓練か何かですか? ずいぶん長く動かれていますね?」
確かに雪原には縦横無尽に、ベナレスの足跡が残っている。
これだけ見れば、長い時間活動していたように見えるだろう。
「いやあ、それにしても獣人というのは……こう……憧れとわずかに恐怖かな? そんな気分になりますね」
恐怖はわかるが、憧れ?
なんだそれは?
「ああ、自己紹介もまだでしたね。私はサバラ・ヨル・ヒノス。ハマリウム出身で、魔王様に連れてこられました」
ベナレスはサバラと名乗った人間を観察した。
魔王様に連れてこられた、つまり彼はなにがしかの才覚があり、それが魔王の目に留まったということだ。
それが肉体的な強さでないことは、一目でわかった。
何というか脂肪が多いといえばいいのか。
人食いの習性は虎人にはないが、もし食うとなると食べ飽きる系の肉だろうか。
いずれにしろ、戦う者ではない。
であれば、魔法使いであろうか。
ベナレスの故郷にも、精霊使いの系統である“シャーマン”という職を持つ者がいた。
肉体によらず、スキルによって戦う系統の……というわけでもなさそうだ。
どうも、戦いに関して目の前のオスは標準以下のようだ。
では一体何が?
「って、あれ? 話通じてます? もしかして言語が違うとか?」
「いや、すまない。お前のことを観察していたのだ」
「私を観察? ですか。いやあ、それにしても虎の頭から器用に言葉が出るのですね」
「妙なことをいう人間だ」
虎の頭から器用に言葉が出る?
ベナレスが気にしたこともないことだ。
基本的に虎人は、二足歩行する虎だ。
虎から進化したのか、最初からそうだったのかは知らない。
そういうものだ、としか思っていなかった。
「もし、虎から進化したのなら、もっと別な言語、あるいは咆哮などでコミュニケーションを取るようになっても良いものなのに」
「どうでもよいだろう。ここに俺とお前がいて話ができるのだから」
「それもそうですね」
「俺はベナレス。虎人の戦士だ」
ベナレスのサバラはしばらく、話をした。
南の乾いた地ハマリウムの人間のオスと、湿って暑い密林からやってきた虎人のオス。
二足歩行であるくらいしか共通点のない二人だったが妙に気が合った。
「ベナレス君が一兵卒なのは、何か目的があるのでしょう」
「目的? 俺が弱いということの他にか?」
「え? 弱いということはないでしょう」
「弱いさ。人間と侮っていた“謀将”に敗れ、混成魔軍団にも入れず、遠征では留守居だ」
「まあ、本当は自分で気付くべきなんでしょうけど。私の見たところ、“謀将”キース、あれは人の中の人外、新たな魔族とでも呼ぶべき存在ですよ」
「人の中の人外? 新たな魔族?」
「魔王様の復活直後からお側に仕えているわけでしょう? その人となりまでは知りませんが、あの魔王様についていけるのでしたら、それはもうただの人間じゃあない。“謀将”殿を人間の基準としてはいけませんよ」
「そうなのか……?」
ベナレスがカレガントと共に、先代の“謀将”のもとへ行った時に、はじめてキースと会った。
十倍以上の数の野盗と交戦していた時だ。
そう、よく考えればあの時からおかしかった。
十倍の戦力差は勝てる勝てないでは論じられない。
生きるか死ぬかでもない。
ほぼ死ぬが奇跡があるかないか、だ。
そして、キースは“獣将”の参戦という奇跡を引き当てた。
身体能力ではベナレスの方が上回っていた。
現に、その戦いではベナレス一人で百人以上の野盗を打ち取っているのだから。
しかし。
「レベル80を超えているそうですよ」
“謀将”キースのレベルだ。
ベナレスは唖然とした。
あの時のキースとベナレスの身体能力の差は、種族的な差だ。
人間は弱い種族であり、獣人ことに虎人は強い種族だ。
その差があの時の差で、それをベナレスが誇ったからカレガントに叱責されたことも今では理解できる。
だが、レベル80超え?
それこそ、旧魔王軍の魔将に匹敵する実力ではないか。
勝てるわけがない。
追い付けるわけがない。
どうやったらそんな高レベルまで上れるのかわからない。
頭を抱えたベナレスに、サバラは言った。
「ですからね。あの方を基準にしてはいけないってことですよ。だいたい混成魔軍団もおかしい軍団ですよ」
「おかしい軍団?」
「今は変わったみたいですけど軍団長が“闇将”、構成員も魔将候補やら、なんやらっていう化け物ばかりです。聞いたことがありませんよ、一年やそこらで二つの国を落として併合するなんて」
「それは、確かに……いや、だがそれは“謀将”殿や混成魔軍団が桁外れなだけで、俺が弱くないという証明にはならない」
「なかなか頑固ですね」
「俺はまだまだ強くならなければならない」
「目標が高いのはいいことですけどね。それじゃあ、こう考えますか。……あなたには二つの道がある」
「なんだ急に」
「一つは最強の道、武、暴、力、それらを極める道です。もう一つは平均の道、力だけではなく、魔法、戦略、謀略全てを治める道。どちらも強さへと至る道です」
「決まっている最強だ」
「そう、あなたは今、それを目指している。しかし、行き詰まってもいる。もっと強い者が立ちはだかっているために」
魔王様、謀将、混成魔軍団、魔将候補、ベナレスの前には数多くのもっと強い奴がいる。
「全てを超えていく!」
「のは不可能です」
ベナレスの宣言を折りにくるサバラだ。
「おい」
「最強の道は果て無き修羅の道、強さを追い求め、強きに勝ったとてまた別の強者があなたの背を追う。最強とは儚い幻です」
「知ったようなことを言う」
「まあ、受け売りですよ」
「最強の道は選ぶな、と言いたいのか?」
「平均の道、色々なことを学ぶのは楽しいですよ、ということです」
ベナレスは少しだけ、興味がわいてきた。
魔法、戦略、謀略。
単純な力だけではない、強さ。
目の前で笑う人間のオス、いやサバラ。
「いいだろう。お前の示した道に乗ってやろう。それが誰の差し金だろうとな」
ベナレスは笑って立ち上がった。
「はは、なんのことやら」
孫思いの老虎からの依頼のことは伏せて、それでもサバラはこの若者と友情を結びたいと思った。
次回、足踏みをしている人はまだまだいる。彼、彼女らの歩む先は!
明日更新予定です。