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3Hの疑惑

 白い煙の中から,ジュージューという食欲をそそる音が聞こえてくる。


 個室の焼肉屋で鉄板を囲んでいるのは,隣に並んで座っている火焚と星科,そしてその正面の席に座った山瀬の3人である。

 


 なお,灰田那月を殺した犯人は,この部屋の中にいる。




「わあ,美味しそう」


 女子大生らしいゆるふわ系の白いファッションに身を包んだ星科が,元々大きな目をさらに大きくさせる。



「美味しいに決まってるじゃん。芽美,お肉の値段見た?」


 火焚が,淡々と,しかし,ほどよいタイミングで次々と肉をひっくり返していく。

 火焚のファッションは星科と対照的に,黒を基調としたボーイッシュなものだ。



「え? 見てない…見るの怖くない? 絵栗は見たの?」


「もちろん。値段をちゃんと確かめるのが,奢ってもらう側としての礼儀じゃない?」


「そうかな?」


 女性陣2人の目が,メニューの冊子を眺めていた山瀬の方に一斉に向く。



「山瀬さん,本当に今日は奢ってもらっていいんですか?」


 星科の声に反応した山瀬が,メニューを閉じ,テーブルの隅に置く。



「もちろん。今日は2人の祝勝会だからね。星科さん総合2位,火焚さん総合1位おめでとう」


 山瀬の祝辞に,星科と火焚が恐縮そうに頭を下げる。



「2人とも圧巻の演技だったよ。3位以下とは次元が違っていたし,どっちが1位になってもおかしくなかった」


 山瀬の声からは,興奮の色が明らかに滲み出ている。

 山瀬は,世相通信でフィギュアスケートを担当するずっと前から,いわゆるフィギュアスケートヲタクだった。



「誰かさんがカッコつけてジャンプをミスるから」


 火焚がトングの持ち手側で星科を突く。

 ショートプログラムで1位だった星科は,フリープログラムで果敢にもトリプルアクセル,ダブルトゥループのコンビネーションジャンプに挑戦し,転倒していたのである。



「あはは。まあ,あれはドンマイだよね」


「全く,これだからアイドルちゃんは困っちゃうんだよね。勝負よりもファンサービスを優先しちゃうからさ」


 山瀬は目の前の2人のやりとりを微笑ましそうに見ていた。

 山瀬は,星科のコンビネーションジャンプが,灰田那月との勝負としてなされたことを知っているはずだが,そのことを口には出さなかった。



「というか,いくら俺の奢りだからといって,まさか2人が俺の食事の誘いに乗っかってくれるとは思ってもみなかったよ」


「どうしてですか?」


 星科が,演技ではない,キョトンとした顔をする。



「2人は俺に怒ってるかな,と思ってたからさ。この前の件で」


「別に平気だよ。下着の話はさておき,私がいくつか変なことを記者に言っちゃったことは事実だし,それに,私があの酷い記事をそのまま放置していたことも事実だから」


 火焚がカルビを頬張りながら言う。



「山瀬さんが,那月の所在を知る手掛かりとして,『疑惑』を晴らしたい,と思う気持ちも分かりますしね」


 星科は相変わらずの行儀の良さで,山瀬と話すときは,いちいち箸を置いていた。



「そう言ってもらえるとありがたい」


「それに,山瀬さん,私たちは山瀬さんと那月の話をしたいの」


 火焚がテーブルに身を乗り出す。



「山瀬さん,那月とはいつから付き合ってるの?」


「…え?」


「それくらい答えてよ。いつも,私たちが山瀬さんの質問に答えるばっかりで不平等じゃん」


「いや,記者ってそういう仕事だからさ」


「答えてよ」


 火焚の矢継ぎ早の追及に,ついに山瀬が折れる。



「…1年くらい前かな」


「へえ,私,全然気付かなかった」


「誰にも言ってなかったからな」


 生前の灰田那月は日本を代表するトップアスリートだった。男女交際の事実が世間に知られれば,ワイドショーや週刊誌が放っておいてはくれない。そうすればスケートにも支障が出かねないと,山瀬は,交際の事実を周囲にひた隠しにしていた。

 


「俺が那月と付き合ってるって聞いたとき,率直にどう思った?」


 質問される側に回ることがよほど嫌なのか,山瀬はいつものように質問側に回る。



「うーん…。嬉しかった…かな?」


「私も同じです。嬉しかったです」


「どうして?」


 異口同音の2人に対して,山瀬がすかさず理由を問う。

 しばらく考え込んだ後,火焚が真顔で答える。



「那月って,プライベートがないからさ」


「プライベートがない?」


「そう。もちろん,私や芽美だって,生涯をスケートに費やしているから,普通の女の子と比べたら,圧倒的にプライベートな時間がない。でも,那月は私たちと比べても異常だった。人一倍練習をして,その上で息抜きの時間までスケートをしてるって感じ。芽美,そうだよね?」

 

 火焚に同意を求められた星科は大きく頷いた。



「そうですね。那月はフィギュアスケートにしか興味がない,って感じでした。友達も,私と絵栗以外にはいなそうですし。那月が中学に上がるくらいまではそんなこともなくて,普通の女の子だったんですけど」


「そうそう。那月,急変したよね」


「那月が急変したきっかけについて何か心当たりはあるの?」


 山瀬の質問に,火焚が即答した。



「両親の離婚。那月のパパとママが離婚して,那月はママに引き取られたんだけど,那月って元々パパっ子だったの。那月の練習に付き合ったり,那月の試合を見に来てたのもいつも那月のパパだった。これは私の勝手な想像なんだけど,那月の両親が離婚するまで,那月はパパを喜ばせるためにスケートをやってたと思うの」


「私もそう思います」


 火焚の推測に,星科が同意する。



「だから,お父さんを失ってしまったことは,那月にとってすごくショックだったと思うんです。現に,それ以来,那月が笑う回数はめっきり減りました。その代わり,まるで現実から目を背けるように,那月は今まで以上にフィギュアスケートに打ち込むようになったんです」


「…そうだったのか。那月の両親が離婚していることは知っていたが,それ以上のことは知らなかった」


 山瀬が沈んだ声を出す。



「話を戻すと,だから,私たちは,那月がプライベートで彼氏を作った,ということが嬉しいの。那月には,プライベートでもちゃんと幸せを掴んで欲しいからね」


 火焚が,すっかり沈んだ場の空気を和ませようと,笑顔を見せる。

 しかし,山瀬は,火焚のムードメイクには乗っからなかった。

 


「ただ,那月にはそれが叶わなかったわけだ」


「え?」


「実は,俺は,那月はすでに自殺をした可能性が高い,って思ってる」


「自殺…」


 星科が手で口を覆う。



「実をいうと,俺が,火焚さんの暴露記事や,星科さんの密会写真の真相を暴こうとしたのは,2人の那月に対する悪意が,那月の自殺の引き金になったんじゃないかと疑っていたからなんだ。さっき,星科さんが,那月には,2人以外に友達はいなかった,と言ってただろ。ジュニア時代からの親友である2人に悪意を向けられたことを苦にし,那月は自殺をした…」


 火焚がテーブルを叩く。金網やトングが耳障りな金属音を立てる。



「山瀬さん,変なこと言うのはやめて! 私や芽美のせいで那月が死んだだなんて,そんなの気分が悪いわ!」


 星科の色白の手が,立ち上がって山瀬の胸倉を掴み掛かりに行きそうな雰囲気の火焚を,慌てて押さえる。



「絵栗,落ち着いて! もうすでに絵栗の暴露記事や私の密会写真に対する『疑惑』はある程度晴れたはずよ! 山瀬さん,そうですよね?」


「ああ。それについてはな」


 「ただし」と山瀬は続ける。



「まだ大きな『疑惑』が君たち2人に残っている」


「…何よ? 『疑惑』って?」


 火焚が眉をひそめる。



「俺は那月から聞いてるんだ。那月はここ1年くらいの間,君たち2人から無視をされていた。君たちから那月に話しかけることはなく,那月から話しかけられても,君たちはそれを無視していた。プライベートで2人で出掛けるときも,あえて那月を誘わなかった。そうだろ?」


 山瀬の問いに対し,火焚も星科も俯いて黙ってしまった。

 反論できないということは,事実を認めているに等しい。



「どうしてそんなことをしたんだ? さっき,那月にプライベートで幸せを掴んで欲しいと言っていたのは真っ赤な嘘か? 君たち2人はやっぱり那月のことを嫌っていて,那月に悪意を持っていたんじゃないのか? 那月を『殺し』たのは,やっぱり君たち2人なんじゃないか?」


「違います! そんなことありえません!」


 火焚が再びテーブルを叩こうとするのを,星科が制止する。



「じゃあ,どうして那月をシカトしたんだ? その理由を教えてくれよ」


「それは…その…」


 何を言いかけたものの,火焚が口籠る。



「絵栗,もう言っちゃおうよ。こんなことになっちゃったんだから,もう隠す意味ないよ」


 星科が火焚のジャケットの袖を掴み,揺らす。

 火焚が頷くのを待って,星科がゆっくりと山瀬の方を向く。



「お答えします。私たちが那月を無視していたのにはちゃんとした理由があります。それは-」


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