久原奎介の傲慢
「基本的に同業者からの取材は受けないって決めてるんだがな」
そう言いながら,金髪の男が,山瀬に対して名刺を差し出す。頭頂部は黒くなっており,ビリビリに破れたダメージジーンズとも併せ見ても,清潔感のない男である。
山瀬は受け取った名刺を,机に置かれた自らの名刺入れの上に置く。
なお,山瀬の名刺はすでに渡してあった。
会合場所は、新宿区にある某チェーンの喫茶店である。
個室ではないが,席と席の間隔が大きく離れている。落ち着いて話したいとき,山瀬はこの喫茶店をよく使っていた。
「だが,ただの記者ではなく,灰田那月の恋人となれば話は別だ。突如姿をくらませた氷上の女王には,実は彼氏がいて,その彼氏が灰田の行方を探している…いいねえ。金になりそうな記事が書けそうだ」
「久原さん,記事にすることは別に構いません。ただし,事前に電話で話した通り,俺の質問に正直に答えることが条件です」
「そんなことは分かってるよ」
週刊誌「アン・オンリー・ファクト」の記者である久原奎介は,ヤニで黄色く変色した歯を見せて笑った。
「俺が久原さんに訊きたいのは,この記事についてです」
山瀬がカバンから取り出した雑誌の表紙を見て,久原は納得した表情を見せる。
「ああ,やっぱりそれか。『火焚絵栗が語るリンク裏の3H』。そそるタイトルだろ。俺の最大の自信作の一つだ」
「自信作? まるでご自身が創作されたかのような物言いですね。私は,記者の仕事は,淡々と事実のみを報じることだと考えているのですが」
久原は,カッカっと乾いた声で笑った。
「やっぱり大手通信社の記者様には敵わねえな。生憎,こっちはそんな綺麗な水の中で住んでねえんだよ」
「つまり,この火焚絵栗のインタビュー記事には,久原さんが捏造した事実が含まれているという意味ですか?」
「大手通信社の記者様には分からねえかもしれねえが,三流ゴシップ誌であるウチの雑誌のタイトルの意味は知ってるか?」
久原が,机の上に置かれた雑誌を指差す。
「アン・オンリー・ファクト…英語はあまり得意じゃないんですが,ただの事実,もしくは,事実だけ,とかそんな意味ですか?」
チッチッチ,と久原は舌を鳴らした。
「違うね。最初の『アン』は,単数形の『an』じゃなくて,否定の『un』という説が濃厚だ。事実だけじゃない,って意味だな」
自らが記者を務める雑誌を風刺しながら,久原は豪快に笑った。
「事実だけじゃない,っていうことは,当然,一定程度事実も含まれているということですよね?」
「火焚絵栗は実在する」
「それだけですか?」
「いいや,もちろん,実際に火焚にインタビューをし,そこで聞けた面白い事実を素材にはしてるさ」
久原は,自らが書いた「火焚絵栗が語るリンク裏の3H」を読みながら回想する。
「フィギュアスケートの選手は育ちはいいから,あんまり下品な話は聞けないと予想していたが,案外そうでもなかったんだよな。育ちが良い子っていうのは,素直だから,知ってることをなんでもガンガン喋ってくれる」
「…たとえば,下着の色とかですか?」
久原は口に含んでいたコーヒーを,カップの中に吹き出した。
「あはは。なるほどな。彼氏なら気になるよな。好きな女がダサい下着を履いてることがバレるのは嫌だもんな」
「そういう意味じゃないです。下着の色は,本来,那月と着替えをともにしている火焚しか知りえない情報です。俺が知りたいのは,火焚が,憎しみをもって,那月の下着の色の情報を漏らしたかどうかです。いくら素直だとはいえ,何かしらの悪感情がなければ,さすがに下着の色までは漏らさないでしょう」
「そうとも限らないぜ」
「いや,火焚はそこまで馬鹿じゃありません」
「そこじゃねえ。俺がそうとも限らない,と言ったのは,あんたが『火焚しか知りえない情報』と言った点についてだ」
久原はスマホを操作すると,画面を山瀬に対して見せた。
「これはなんですか? ネット掲示板ですか?」
山瀬が問う。
「ああ,そうだ。書き込みの日付を見てくれ」
「…一昨年ですね」
「そうだ。俺が『火焚絵栗が語るリンク裏の3H』の記事を書く1年前だ」
「これは…」
書き込みの中身を読んだ山瀬が,言葉を失う。
「見ての通りだ。名無しユーザーの書き込みで,灰田の下着の色がベージュであることが書き込まれてる」
「それだけじゃねえ」と久原は言葉を継ぐ。
「火焚が勝負下着として赤い下着を履いていること,星科が常に白い下着を着用していることまでも書かれている」
「…そうですね」
「この名無しユーザーの書いていることが事実だとしたら,この名無しユーザーは一体何者だろうな? 3Hの活躍に嫉妬する別の選手か,それともコーチ等の関係者か,それとも更衣室を盗撮することに成功した変態さんか。少なくとも,火焚や星科が掲示板にこんなことを書くわけねえよな。それが真実かどうかに関係なく,下着の色を公表すれば,自分の名誉を大きく損ねちまう」
「…ちょっと待てください。久原さんはこのネット掲示板の書き込みを元に,雑誌に,那月の下着のことを書いたということですか?」
久原は大きく頷いた。
「こういう破廉恥系のネタは,虚偽を書いたとしても,案外そんなに訴訟を起こされないんだよ。訴訟なんか起こして,紛争が世間に注目される方が,タレントにとってダメージだからな。だから,灰田からも火焚からも異議は出ないと確信してた」
「最低ですね」
山瀬はふんだくるようにして週刊誌を掴み取ると,乱雑にビジネスバッグの中に詰め込んだ。
なお,火焚の勝負下着が赤色であること,星科が常に白い下着を履いていることは,紛れもない真実である。