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偽悪的な彼女  作者: 作家椿
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第七話 真相、懺悔

 自室で思索に耽っていると……いや、思い出に浸っていると、外から、ヤヨイの物とおぼしき朗らかな笑い声が聞こえてきた。、

「あら、ヤヨイ。早かったのね」」

 私は自室のドアを開け、彼女を招き入れる。

「手土産、王冠屋しかなかったけど、構わないよね」

 この町にある洋菓子屋の名前を出しながら、ヤヨイは笑う。

「奥山さんは笑って、そんなもの必要ない、なんて言ってたけど、やっぱいい年した大人だからね」

「そんなことより、早く中に入りなさいよ」

 彼女の笑いに中てられたのか、私まで笑顔になりながら、彼女が早く私の部屋に入るように急かす。

「ソファもあるから、ちゃんと二人座れるわよ」

「一人部屋なのにソファまであんのかよ。流石、リリウムの部屋だね」

 彼女の笑みに、少しだけ寂しそうな物が混じった。私は、敢えて彼女の瞳を見なかった。それが語る雄弁な何かを感じ取るのが、あるいは怖かったのかも知れない。

「確か、聞いた話では270平方フィートもあるのよね、この部屋」

 本棚と資料机、ベッド、それからソファとコーヒーデスクが置いてある部屋に、彼女を招き入れる。

「メートルだとどれくらいかしら。25だか30くらいだと思うんだけど」

「確かに広い部屋だわ。うらやましいね」

 ソファにどっかと腰掛けながら、なおもヤヨイは笑っていた。

「私のアパートなんて、全部でこれくらいだ」

「すぐに奥山氏がヤヨイの分のカップと王冠屋、持ってくると思うわ。内緒話はその後ね」

「あいよ」

 言って、ヤヨイはジーンズのポケットからたっぷりとジョイントの詰まったシガレットバンドを取り出し、一本咥えると火を付けた。

 私もつられて、ソファの隣に座ると、ロスマンズに火を付けた。コーヒーデスクにはすでに灰皿とコーヒーポットが置いてあるが、カップは一人分だけで、そこにはもうすでに私の分が入っている。私は遠慮なくそれを飲みながら、煙草を吸った。

「あ、ずるいぞ、フェリシティ」

 私が一人で珈琲を飲み始めたことに、ヤヨイがささやかな抗議の声を上げた。

「せめて私のカップが来るまで……」

 そこまで言ったところで、部屋のドアがノックされた。

「ヤヨイさんのカップと、それからデニッシュ、お持ちしました」

 私がドアを開けると、優しげな微笑をたたえた奥山氏が、逆さまにしたカップと王冠屋のディニッシュが乗った皿を載せたお盆を手に立っていた。

「ヤヨイ、お目当ての物が来たわよ」

 冗談めかして、中の彼女にそう言ってから、奥山氏を通す。

「失礼しますね」

 部屋の中に入った奥山氏は、慣れた調子でカップと皿を、コーヒーデスクの上にある空きスペースに乗せる。

「珈琲のおかわりがご入り用なら、いつでも声をかけてくださいね。ヤヨイさん、お昼は食べて行かれますか?」

 ジョイントを灰皿に置いて、しばらく思案げにしていたヤヨイは、

「じゃあ、頂くことにします」

 と素直に答えた。

「では、簡単な物でよろしければ、ご用意しますから。失礼しますね」

 そう言うと、わざわざ一礼してから(当然私相手にはしないことだ)、奥山氏は部屋から去って行った。

「滅多にお客さんなんて来ないからね、一応お客様用にマイセンを用意してるんだけど、今までほとんど使われたことはないわ。なんなら、そのカップ、ヤヨイ専用にする?」

 ソファに戻り、再び煙草を口にし、なんとなくカップの自慢を始めた。

「げ、マイセンかよ。上品な青だと思ったら。そんなのあたしには無理」

 カップに珈琲を注ぎながら、ヤヨイは顔をしかめた。

「割りでもしたら大変、って?」

「そう、そういうこと。私にはマイセンは煙草だけで十分」

「それ、マイルドセブンじゃないの」

 私は少しだけ呆れ、しかし彼女の冗談にはやはり少しばかり唇を歪め、珈琲を一口飲み、ロスマンズも一口吸った。

「それに、あなた、ジョイント吸わないときはゴロワーズを吸っていたと思うけれど」

「最近変えたんだよ」

 言って、彼女はハンドバッグから煙草の箱を取り出した。しかしそれは、マイルドセブンの白い箱ではなく、確かにゴロワーズの青い箱だった。

「やっぱりゴロワーズじゃないの」

「おかしいな、マイセンを買ったと思ったんだけど」

 ジョイントを片手に、しげしげとその箱を見つめてみせるヤヨイ。私はこの冗談の連発に、どこか懐かしい物を感じた。そうだ、あの寮での生活。食事のために食堂に会する時、いつもヤヨイは冗談を飛ばしては、私たちを笑わせ、そして寮母のシスターの眉をしかめさせていたものだった。

 ヤヨイはにやりと笑うと、ジョイントを灰皿に置き、

「さて、本題に入ろうか」

 すぐに真剣な表情になった。

「これでも、伝えて良い物か、随分悩んだんだよ。だけどね、フェリシティ、あんたにはやっぱり伝えておくべきだと思ったんだ」

 灰皿からジョイントを手に取り、一口吹かす。ゆらゆらと振って見せ、

「こいつでアッパーになってなきゃ受け止めきれない現実さ。いつだったかあんたに、関わるなって言った女いるだろ、覚えてる?」

「あの幸せそうな彼女?」

 薄ぼんやりと、あのバーの隅で、表情をなくし、クスリでハイを維持しているという、髪を染めた女のことが浮かぶ。

「そう、あいつ。あいつさ……何を隠そう、あんたもよく知ってる女なんだ。今じゃヤクで変わり果てちまったけど、あいつ、井畑夏美だ」

「え……?」

 私は驚きを隠せなかった。余りに変わり果て、全く気付かなかったからだ。ヘロインのことは、私も多少なりとも知っていた。別名ドラッグの女王。極めて強い中毒性と、異様な多幸感で知られる麻薬。その中毒患者に……他ならぬ井畑夏美が? 彼女に、リリウムに、日本での「居場所」というものを作り上げた、偉大なる彼女が?

 私はヤヨイの瞳をじっと見つめる。ヤヨイもまた、私の瞳を見つめ返してくる。私の瞳でなくとも、嘘をついているのであれば、たじろいだり、目を背けたりする物だ。それがないということは……。

「今じゃヤクを手に入れるために売春までやるレベルまで変わり果てちまった。ヘロインの副作用でガリガリに痩せちまってさ。だけど、あいつは正真正銘、夏美なんだよ」

 私の瞳を見つめたまま、言い聞かせるように、ヤヨイは言った。

「もうあんたのこともろくに覚えてないだろうな。常にぶっ飛んでるんだから。だからこそ、あたしは関わるなって言ったんだ」

「そう」

 短くそう答え、私は燃え尽きそうになっているロスマンズを一口吸い、灰皿に押しつけて火を消し、珈琲を一口飲んだ。

 まさか彼女が……。いや、薬物中毒になっていること自体、それはお互い様だ。私とてLSDの助けがなければ、リリウムがいない現実を受け止めきれない。ヤヨイもまた、大麻に手を出さざるを得なかった。だが、まさか。何故、あの手記ではあれだけ明るくリリウムを照らし続けた夏美までもが、ドラッグに、それも女王と呼ばれるほどの物に手を出してしまったのだろう。

「最初はあたしも止めたんだ。こう言ったんだよ、あたしがマリファナやってるのを見て。自分にも強烈なのを頂戴って。必死な目でさ。ホントはあたしと同じマリファナで我慢させるつもりだった。こいつなら副作用もたいしたことないからね。だけど与えてみても、ダメ、もっと強烈なの頂戴、ってさ。耐えられないって」

 私は、ただ、こくりと頷いた。それだけしか、出来なかった。

「マリファナダメ、コカインもダメ、LSDもダメ。そうすりゃ、ヘロインしか無理だろう、ってね」

 私は暗澹たる気持ちになった。私がLSDを選んだ理由は定かではない。もう忘れてしまった。だが、リリウムの友人であるという共通項を持つ人間は、全て違法薬物の魔の手から逃れられない宿命を背負ってしまっている……。まるで、リリウムが、私が彼女を呪えなかったかわりに、呪いそのものになってしまったかのように。

 ヤヨイを責める気にはなれなかった。私とてLSDによって救われている。ならば、ヘロインでも夏美が救われているはずだからだ。

 救いが裏返った呪いを、私たち三人は受けている……そんなことが、頭から離れなくなった。

 全ては、私がリリウムを救えなかったからこそ生まれた悲劇なのではないか……そしてこれは誰にも話していないことだが、私はすでに相当量のLSDを学内にばらまいている。呪いが、新たな呪いを生んでいるような物だった。

「ショックだったかな、やっぱり」

 ヤヨイは、ぽりぽりと頭を掻きながら、今度はゴロワーズに火を付けた。

「そりゃあね。あなたが来るまで、ちょうどリリウムの葬儀の時のことを思い出していたから、余計に」

 リリウムの葬儀。井畑夏美との唯一のはずだった接点。「あなたがフェリシティ?」ヤヨイの隣から、涙声で訊ねてくる彼女。こくりと頷く私。そして三人で、泣き続けた。

 私もつられてロスマンズに火を付け、ふぅ、と短く煙を吐き出しながら、そして頭を振りながら、ヤヨイの問いに答える。悪夢めいた現実。三人の内一人は無事だと思っていたのに。

「だからあんなに関わるなと強調した訳ね?」

「そうなるかな」

 ふぅ、と今度はヤヨイが煙を吐き出した。

「あんたに悟られるのが怖かったのかもね、あたしも。あんたの魔法の目に」

 私の目、私の瞳。相手のWantを感じ取ることの出来る瞳。この場合、魔法ではなく呪いの目と呼ぶべきなのかも知れない。何故なら……楽になるだけなら、きっとヘロインの方がLSDより的確な作用を与えただろう、そう考えてしまう自分がいて、その自分は、当然のごとく、生徒達にそれをばらまこうとしているからだった。気に入った人間を片端から違法薬物の魔の手へと誘う、呪いの瞳。

「奥山さんに聞かれるのが嫌な理由も、これで分かった?」

 私は、ただゆっくりと頷いた。言葉が口から出てこなかった。煙草を手に取り、一口、二口と吸い、空になってしまっていたカップに珈琲のおかわりを注いで一口飲んだ。

 あの手記に寄れば、自分は「笑いとお菓子で出来ている」と名乗った少女。彼女までもが……。

 脳裏の少女達に問う。これは正しいのか、と。正しく行われるべくして、正しくある出来事なのか、と。

 だが彼女たちは何も言わない。ただひっそりと、無言の祈りを血染めのマリア像に向かって捧げている。

「なんだか割と平気そうね、ヤヨイは」

 少女達が答えない代わりに、私は口を開き、何度かぱくぱくとしていた。そしてようやく出てきた言葉は、そんな軽口だった。

「私の目は、なんて言ってる?」

「夏美を救いたかっただけだ、って言ってるわ」

 そう、ただそれだけだった。私が一番最初にLSDを与えた人物、木村朱音が救われた時、心底安心したのと同じように。

「ああ、その通り。あたしは救いたかっただけなんだ。あんたも、私も、夏美も。例えどんな手を使ってでも。それが偽悪なのは分かってる。偽善ですらない、悪でもない、偽悪だっていうことは。だけどあたしにはそれ以外手がなかった。幸いあの店なら違法薬物はいくらでも手に入った。だからあんた達にばらまいた。救いたかったから、ただそれだけなんだ」

「それは誰に向かっての懺悔なのかしら」

 煙草を一口吸う。味がする……さっきはしなかったのに。

「神様は、きっとこんなあたしは救ってくれない。だからあんたに対してだろうね」

 言って、ははは、と、寂しそうに、苦しそうに、空虚にヤヨイは笑った。

 大丈夫だ、と私は言いたかった。偽悪的な彼女もまた、神はお救いになる、と。だがそんなことは口には何故か出せず、代わりに、

「私はシスターじゃないのよ。懺悔をされても、困るだけだわ」

 そんな軽口が、誤魔化すように口から滑り出た。口元には、自分でも明らかにそうであると分かる空虚な笑みが浮かべられていた。

 まるで停車したままの列車だ、何故かそんな事が脳裏に浮かんだ。私たちの時間は、リリウムが自殺を選んだあの日から、1マイルも前に進んでいないのだ、と。あまりにもその出来事が重くのしかかり、列車は前に進めずにいるのだ、と。

 だがそれで、少なくとも私は構わなかった。耐えられれば、それでいい、と。

 停車したままの列車には、空調も、食堂車も、薬局もある。

「救いたかっただけなんだ、本当に。あんたも夏美も、本当に辛そうだった」

 笑みの空虚さを濃くしながら、ヤヨイは言った。

「大丈夫よ」

 私は、隣に座る彼女の肩を、そっと抱き寄せた。

「私も、きっと夏美も、救われてるわ」

「そうか、それなら良いんだ」

 つ、と、ヤヨイの瞳から一筋の涙がこぼれた。

 彼女の懺悔は、きっとリリウムに対してだろう……そう頭の中に、私は残した。


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