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偽悪的な彼女  作者: 作家椿
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第六話 副作用

 ロスマンズをふかしながら、奥山氏の珈琲を飲んでいると、私の脳にあれだけこびりつき、頭の中を独占していた「?」は段々と影を潜めていき、濃厚な煙草の煙と、濃厚な珈琲の香りが、まるで脳を浄化するようだった。

 そういえば、この香りも、この味も、随分長い間、どこかに置き忘れていたような気がする。どこか遠くに忘れて、今、ようやく再び手に入ったものなのだ、という感覚が。

 どこか、懐かしくさえ、あった。それほどまでに、この煙とこの珈琲は、愛おしいものだった。

 奥山氏の言葉を信じるのであれば、私は唸り、叫びながら、延々と「何故」を繰り返していた事になる。それも、おそらくは英語で。客観的にそれを判断するなら、明かな中毒症状とバッドトリップ……LSDも、そろそろやめるべき時が来たのかも知れない。

 しかし、そうなってしまったとして、私は、この現実のつらさに、耐えられる気がしなかった。リリウムがいないこの現実は、どこまでも味気なく、どこまでも灰色だ。かりそめながらも色を付けてくれる、味を付けてくれるクスリを、今、易々と手放すには、私には色々と無理がありすぎた。

 しかし、それでも。

 私はカレンダーを確認し、今日が水曜日で、ヤヨイがオフの曜日であることを見て取る。久しぶりに彼女と珈琲を飲もう、そう思い、煙草を吸い終えてから部屋を出、リビングへ向かった(この家にはそこにしか電話がなかった)。

「あら、先ほどより随分顔色が良くなっていますね」

 リビングの隣、ダイニングのテレビをかけっぱなしにしながら掃除をしていた奥山氏が、私に気付いて顔を上げた。

「珈琲の魔法が効いたんです。今日、人を呼んでも?」

「ええ、勿論です。ご友人ですか?」

 友人には違いはないだろうが……どんなたぐいの友人であれば、違法薬物をシェアしたりするものだろうか、と私は脳裏で自嘲する。リビングの奥、電話機が据え付けられている場所に立つ。ちらちらと奥山氏の様子が目に入る。電話の受話器を上げ、ぽち、ぽち、と番号のボタンを押す。

「そんなところです。午前中からでも構いませんか?」

「ええ」

 二度、三度、とコール音が鳴り、四度目で、彼女が電話口に、寝起きとおぼしい不機嫌そうな声を響かせた。

『もしもし? どちら様?』

「私よ」

『私様なんて、知り合いにはいないねぇ』

 私の声ですぐさま覚醒したのだろう、ヤヨイはそんな冗談を飛ばした。

「そう、フェリシティサマよ。早速本題に入るけど、ヤヨイ、今日うちに来ない?」

 奥山氏の顔が驚きに染まる。当然だろう、リリウムの無二の親友だった女を、他でもないここに呼びたいと……彼女が死んでいった場所に呼びたいと言っているのだから。

『あんたの所って、学校はどうしたのよ?』

「体調が優れなくてね、臨時休業って所。だけどすぐによくなっちゃったのよ。それで、手持ち無沙汰に時間がお余り、なのよ」

『都合の良い体調だこと。あたしは、休日は一日寝ることにしてるんだけど、まぁ他ならぬフェリシティの事だし、何よりあんたに伝えておかなきゃならないことがあるしね』

「ふぅん」

 軽く受け流したが、しかし、気になることが一つ出来て良かった、私は何故かそう思った。

『けど、あんたの家ってのは、ちょっとご免被りたいかなぁ』

「やっぱり、あの事があるから?」

『ううん、そうじゃなくて、奥山さんにバレたらまずいからさ、あんたに伝えたいことって』

 良かった、ヤヨイもまた、彼女の死を乗り越えられている……そう感じると同時に、奥山氏にまで秘密にして、つまり、私だけに伝えたいこととは何だろう、と、その興味は更に強くなった。

「残念、奥山氏の珈琲を、あなたにも飲んで欲しかったのに」

『分かった、分かったよ、あんたの所に行く。他ならぬフェリシティの言うことだし、素直に従うよ。ただしあんたの部屋からは一歩も出ない。良いね?』

「いいわよ、それくらい」

『あんがと。じゃあ今から向かうから、大体30分くらいかな』

「待ってるわね」

『はいよ』

 がちゃり、と受話器が置かれた音が聞こえ、その後は無機質な電子音が鳴った。私も受話器を置き、奥山氏の方を見る。

「西野さんを呼ばれるんですね。誰かと思いました。確かお住まいは岡本の方でしたよね」

 柔和に微笑しながら、奥山氏はヤヨイの事を話題に出した。しかし、瞳の奥には、寂しさ、いや、悲しみが彩りを失って光っていた。

 きっと奥山氏にとっては、私のことも含めて……リリウムに関わる全てに、悲しみが添えられてしかるべき事なのだろう、私はそう解釈し、明るく、

「今は都心近くにアパートを借りているそうです。中山手の方だと聞いていますが」

「なら、この近くなのですね。何分ほどでお越しになると?」

「30分ほど、と言っていました」

 テーブルの布巾がけを終えた奥山氏は、次いでモップを手に取り、

「すぐにおいでになるのですから、こちらはやめておきます」

 と、手早くそれを片付けた。




 私と奥山氏が初めて出会ったのは、当然、リリウムが自殺を選んだ当日ということになる。何かに突き動かされるように、私は何度も道行く人に道を尋ね、急いで、急いでこのアパートへやってきた。アパートの呼び出しは英国とは勝手が違い、直接玄関に出向くというものだったが、それもすぐに『そういうものなのだ』と自分に言い聞かせて階段を上り、ブザーを鳴らした。

 私には予感があった。彼女が助けを求めているという予感が。

 そして、何か事を起こすのであれば、私の目の前であろう、という予感が。

 そして、それは実際に起きてしまった。起きてはならぬ事が、現実に起きてしまった。

 私は、部屋に着くが早いか、奥山氏への挨拶もそこそこに、リリウムがどの部屋で寝起きしているのかだけを聞き、その部屋の扉を何度も叩いた。

 何度も叩いているうちに、部屋の中から、くぐもった声が聞こえた。

 私は扉を開けた。

 リリウムが、己の首に、刃を突き立てていた。

 ひゅうひゅうと口からは息が漏れるだけで、言葉らしい言葉、声らしい声は聞こえず、それでも、彼女は必死に私に何かを伝えようとしていた。

 ”ごめんね、フェアリィ”

 ”約束を破って、ごめんね”

 ”こんな私を、どうか救ってください……魂だけで、構わないから”

 ”どうか、私を救ってください……”

 そして、彼女は事切れた。血だまりの中、どさりと体がくずおれた。

 奥山氏は悲鳴を上げ、救急車を、救急車を、と何度も叫んでいた。

 私は、黙って首を振るしか出来なかった。

 数日の後、葬儀の日取りが決まり、私は浜坂家の人間がしつらえさせた喪服に身を包み、参列した。喪服など、私の荷物に入っていようはずがなかった。

 旧知の仲だったヤヨイ、そしてこの日本でリリウムと同じクラスだった少年少女達が、町中の教会に集い、みな一様に、沈んだ顔をし、そして二人、いや三人、延々と泣いていた少女がいた。

 ヤヨイと、あの手記に登場する井畑夏美、そして私。

 彼女を知り、彼女の気高さに魅了されていた私たちは、もう彼女がいない、彼女がいなくなってしまったという事実に、それも自らいなくなってしまったという現実に、ただただ、泣くことしか出来なかった。

 私が遺書を発見したのは、葬儀が終わり、埋葬が済み、それでもなお私がこの国、この町にいることを選択した事をリリウムの両親に告げた後のことだった。リリウムの両親が、ならば、ということで今住んでいる(つまりリリウムも住んでいた、ということだ)アパートに住まうことを勧め、それならば私も、と、リリウムが死を選んだ部屋で暮らすことを決めた後になって、ようやく、机の上にある分厚い封筒を見つけたのだ。

 その内容について、改めて語る必要もないだろう。ただただ一人の男を思い続け、思いが強すぎたが故に、その男を殺めてしまう……ただそれだけの内容だ。そして最後に、こう記されていた。「フェアリィ、どうか私を呪ってください」と。

 だから私は、妖精であることを捨てた。救うことも呪うことも出来なかった私なのだから、妖精である必要は、もうどこにもなかった。ただの赤い女になろうと固く誓った。

 だが、彼女がいないという現実には、耐えられそうもなかった。だから違法薬物の力を借りることにした。いつからクスリをやり始めたのかは覚えていない。何故ヤヨイから仕入れるようになったのかも。気がつけばここに一人重篤な中毒者が出来上がっていた……それだけだ。


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