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偽悪的な彼女  作者: 作家椿
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言霊、マントラ

 何故、裁きが下ると感じたかは分からない。ただ漠然とそう感じた。それは祭壇の少女達に授けられた預言を、私が傍受していたのかも知れないし、単に、様々な状況から、私がそういう直感を得ていただけなのかも知れない。

 いや、後者であることに違いはないだろう。私は、この、”良家のお嬢様”を量産するための施設とでも言うべき、花園とでも言うべき学校内に、大量のLSDをばらまいたのだから。私は、木村朱音には、相手を見定めるように断りは入れた。私もまた、その人間がクスリを必要としているものと判断した。だが……私がリリウムを最後まで救えなかったように、これがもし呪いだとしたら? 単純に、ごく単純に考えれば、薬物汚染という悪を、私は一人で背負っている。これが呪いではない理由を作る方が、難しいように、私には感ぜられる。

 日本には、言霊という概念があるという。それはある種、ブディズムのモージョーであるマントラめいた概念で、口に出した言葉には魂めいたものが宿り、言葉その物が力を持つのだというものだ。私は、このクスリは助けてくれる、とは言った。だが、救ってくれるとは言っていない。それがもし、言葉ではなく言霊となり、マントラと同じように呪いを生むのだとしたら。彼女たちが、真の絶望を……己への断罪を望むとしたら。それを助けてしまうのだとしたら。

 だが、もう賽は振られたのだ。出目がどうあれ、私は悪になるという賽が振られたのだ。

 私はその日も、夜明け前の朝靄の中、薬効がもたらす少女達の祈りを俯瞰していた。

 少女達のうちの、誰かが言った。「時と贄は、十分に満ちた」と。

 周りの少女達が繰り返した。「贄は満ちた」「時は十分に」「その時は来た」と。

 昨夜から頭の中にあったことがら……私は捌かれるのだ、という思いは、確信へと変わった。少女達はいつも正しいのだから。リリウムのための祈りを捧げている少女達が、間違っている理由など、どこにもない。私は、この賽の目を恨まない。ただ受け入れる。白百合の彼女(リリウム)がそうしたように、ただ肯定する。罪には、罰が与えられるだろう。それは当然のことだ、私は、甘んじて、受ける。

 脳路の幻影が薄れていく。幻影は幻聴だけを残滓にして、緩やかに脳の奥へと消えていく。奥山氏の珈琲を。リリウムの愛した珈琲を。

 そういえば、最近更に、甘いものを甘いと感じなくなっている。少女達の悩みは暗く、重いものだった。私はそれを咀嚼しているも同義だ。疲れ果て、味覚が鈍感になっていたとしても、なんら不思議はない。疲労は、真っ先に甘さを奪うものだ。

「またお砂糖が増えていますよ」そんな奥山氏の言葉で、そのことに気付く。

 私は「疲れているんです」と曖昧に微笑し、その場を濁した。また? どういうことだろう。よく分からない。確かに最近は珈琲だけではなくケーキのたぐいまで甘く感じなくなっている。だが、また、とはなんだろう? いや、いい。だが私は今為すべき事がある。すべきことがある。悪に飲まれようと、悪にまみれようと。

 私は、これ以上の記憶についての話題を避けるため、早々に朝食を切り上げ、自室にこもった。ちらり、と幻影が見える。少女達の幻影が。だが、彼女たちはしんと静まりかえり、もう何も言っていない。それがかえって不気味でもあり、同時に、これから起きるであろう、私への断罪の苛烈さを物語っているように感じた……私は正直に言おう。こう感じてしまったことで、私はある種の安堵を覚えてしまった、と。薬物汚染の源泉たる私に、どれだけ苛烈な罰が下ろうと、それは安堵たり得るのだ、と。

 しかし、何故記憶についての話題を、私は避けたかったのだろうか。単に忘れているだけ、だろうに、何故そのことについて言及される事が、楽しいはずの奥山氏との食事を早々に切り上げるための理由たり得たのだろうか? リリウムの愛した珈琲を、リリウムが愛した人間と共に飲むことを、避けるべき理由になってしまったのだろうか?

 いや、そもそも、何故記憶のことだと、私は断言出来るのだろうか? 私は奥山氏から、単に砂糖の量を指摘されただけだ。それを何故、記憶のことだと、私は直感してしまったのだろう? 疲労のことではなく?

 そこで、はっと気付いた。私は奥山氏を、私の監視役だと感じ始めていることに。

 ……奥山氏に対しての隠し事が、私には多すぎるのだ。幻覚剤を常用していること。あまつさえそれを、学内で目星を付けた人間にばらまいていること。

 そもそも、幻覚剤をやるようになった理由すら、定かではない……主幹としての記憶が、そこここで抜け落ちている気がする。気がするだけで、本当に抜けているかは、分からない。だが確実に……幻覚剤をやり始めた理由が、分からなくなっている。

 私は、一体、奥山氏に対し、何を感じているのだろう?

 とっさに思いつくのは罪悪感だ。だが何かが違う気がする。微細な何かが。

 それとも、彼女に、幸福な彼女を与えられないこと……やはりこれも罪の意識に近いが……その懺悔めいた感情だろうか。

 いや、そもそも何故、私は彼女に幸福であって欲しいと願うようになったのだろう?

 私の願いは一つだ。リリウムが安らかに天国で眠れること。それと奥山氏の幸福をつなぐものは、なんだろう?

 いや、他者の幸福を願うこと、これは何も問題のない行為だろう。それは分かるのだが、何故、切望、と言っても差し支えないレベルで、私はそれを望んでいたのだろう? 違法薬物の力を借りてまで?

 ……借りて?

 何故、借りることになるのだろう? LSDと奥山氏を繋ぐものなど、それこそ本当にないはずだ。奥山氏は、リリウムのメイドでもあった。だから私は、奥山氏の幸福が、リリウムの魂の安寧に繋がると考えたのだろう……確信は持てないが。しかし、何故クスリの力を「借りて」と私は……?

「ヘンダーソンさん?」

 コンコン、とドアが遠慮がちにノックされ、続いて、更に消え入りそうな程、何かに怯えているとでも言えそうな奥山氏の声が聞こえた。

「あ、はい」

 私は、いつの間にかボサボサになってしまっていた髪の毛を整え、部屋のドアを開ける。

「やっぱり、すごい青い顔……」

 心配そうに、奥山氏は言う。私は彼女の言葉を図りかね、首をかしげ、彼女の瞳を見つめた。

「先ほどから、すごい声で唸ってらしたから、心配で……。珈琲をお持ちしたんですが、それよりも、心配で溜まらなくなってしまいまして」

「唸る? 私が?」

 純粋に疑問に思い、私はオウム返しに問い返す。

「はい。叫ぶような……低い声で」

 まるで心当たりがない。しかし、言われてみると、確かに喉に微かな違和感がある。

「今日は、学校はお休みになった方がよろしそうですね?」

 心底心配そうな顔で、彼女は私を気遣う言葉を言う。私は素直にそれに従うことにした。

「はい、今日は……疲れすぎて酷いことになってるのでしょう。断りの電話は、任せます」

「あの、珈琲は?」

「ああ、そちらはいただきます」

 いつしか、自覚できるほどに憔悴した自分の顔に、なんとか笑顔を浮かべ、私は珈琲が入ったポットを受け取った。

「これがないと、元気になるものもなれませんから

「そう、ですか」

 どこか後ろ暗さを感じさせる笑みを、奥山氏は浮かべた。瞳を伺う。私のことが純粋に心配なのだ、と瞳は語っていた。

「珈琲、ありがとうございます。叫び声のことは気になりますが、私は大丈夫」

 無理、というものを極力排除しながら、私も微笑を浮かべる。憔悴を、できるだけ自分の外側に排除しながら。

「唸り声は私の気のせいかも知れませんが、本当に、お顔も真っ青ですから。……では、私は電話をかけてきますね。お辛いようでしたら、病院に」

「はい、分かっています。電話、お願いします」

 病院になど行けようはずがない……そう脳裏に残して、私は扉を閉めた。



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