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偽悪的な彼女  作者: 作家椿
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第四話 己への疑心、その回答

私は、これで正しかったのだろうか。

 翌朝、私は努めて木村嬢を探しながら、電車に揺られた。ちらちらと辺りを見回していると、彼女は、どこか晴れがましい表情で、車中から外を見ていた。私と彼女の間には若干の距離があったが(つまりそれなりに間に人がいるということを意味する)、私は彼女を呼び、隣に立った。

「どうだった? 昨夜は」

 彼女は、救われた、というような笑みを浮かべた。脳裏の声に耳を傾けても、昨日のような渦巻く叫びはなく、少女達はひっそりとしていた。彼女の瞳もまた、昨日の深い闇がまるで嘘であったかのように、澄み渡っていた。

「ちょっと変な感じの事を見ましたけど……ああ、これが私の望みなんだなって分かったら、すっきりしました」

 列車が減速する。駅へと入る。私たちは、その他大勢と共に、駅のホームへと降り立つ。私は自然と足が喫煙所へと向くが、木村嬢もまたその後ろに付いてきた。ホームの端、柵の上で、茶色い小鳥たちが盛んにさえずっていた。

 朝のこの時間では、喫煙所の辺りは、通学専用のような趣のあるこの駅では、人影はあまりない。それを良いことに、私は単刀直入に、ものを尋ねることにした。

 煙を吸い、吐き、

「どんなものが見えたの? あのお薬で?」

「私が、死んじゃう夢」

 微笑をたたえながら、彼女は言った。私は、良かった、と、深い安堵を覚えた。

「私が自殺しちゃう夢です。祭壇みたいなところで、いろんな人に見守られながら。そしたら、ああ、こうやって死んでいくことが私の望みなんだなって分かって、それから、死んでいくときだって一人じゃないんだっていうのも分かって……本当に、すっきりしました」

「それは良かったわ」

 私も、自然と微笑を浮かべていた。彼女の瞳が、何かを望んでいることを語っていた。それに対する安堵は、とても深いものだった。私は間違っていなかった……いや、正しく間違うことが出来た、と。

「それで、あのお薬は、まだいるのかしら。あなたにとって、まだ必要かしら、その夢は?」

「私には、もう必要ないです。ただ、お願いがあります」

「何かしら」

 とんとん、と灰を落としながら、私は気楽に尋ね返す。木村嬢は、清廉な笑みを浮かべながら、

「私と同じように悩んでる人……きっといると思うんです。その人達にも、この夢を見せてあげたい」

 私はぎくりとした。こうなることは分かっていたはずなのに。少女達の祈りと、少女達の予言は、私にそう告げていた。彼女は清廉な少女だ。このクスリが真実を見せると信じて疑わない。私もそれを疑ったことはない。しかし……そもそもにおいて、このクスリは、違法なものだ。

 だが、それが真に望まれる人間の手に渡るのであれば。その罪を、薬物汚染の罪を、私一人が被れば済むのであれば。

 私は、リリウムの、あの微笑が見たくなった。私というちっぽけな存在を、ただ肯定してくれる、あの笑みを。正しさも間違いも、ただ肯定してくれるということが、どれだけ希有な特質だったか。

 私は、リリウムがそうしたように、彼女を肯定することにした。……それを望めない人間に、それを望めるようにする……その助けに、このクスリはなれるのだから。

「いいわよ。来週あげるといった二錠は、今あげるから……ただし、誰に渡したかは、先生にきちんと言いなさい。それから、一人にあげるのは一錠だけというのを、必ず守りなさい」

 言いながら、私はピルケースから幻覚剤を二錠取り出し、ティッシュペーパーにくるんだ。心がじくじくと痛んだ。しかし私はその痛みを、罪故の痛みを無視し、悪に徹することにした。

「分かりました」

 木村嬢は、上品な笑みで、私の言葉と忠告、そして肝心の幻覚剤を受け取った。

「それでは、また後で……放課後に」

 言い残して、木村嬢は学校へ向かっていった。

 ああ、私は踏み出してしまった。この学園に、違法な幻覚剤が蔓延する原因になってしまった。感染源になってしまった。だが、これでいい。これでいいのだ。自分に繰り返し言い聞かせる。これでいい、これでいいのだ、と。


 脳裏の少女達は、結局私に対し、良いだとか、悪いだとか、そういうことは一切言わなかった。ただ、贄のための贄、祈りのための祈りを、と繰り返すだけだった。彼女たちの世界は閉じている。私が干渉することも出来ないし、私に干渉することもない。その幻覚を見ている私が、勝手に振り回されているだけに過ぎない。

 しかし、それでも救われる物はある。救われる人はいる。その救いのために、私が悪を背負うことになるのであれば、私は喜んでそれを背負う。

 そして、木村朱音が救われたことにより、私もまた、少し救われたのかも知れない。授業でも、私はできるだけ分かりやすく、というのをモットーに、ジョークを交えながらというのを通例としているのだが、たとえばJointの使い方に「大麻の隠語」とわざわざ教える程度まで、心に余裕が出来ていた。

「つなぐ、っていう意味だけじゃなくて、大麻っていう意味もあるのよ。英語って奇妙よね」

 私がそう言うと、生徒のみんなは大笑いしてくれ、

「なら、先生と繋がってたら、いつか大麻やられちゃう訳ですか?」

 などと、更に冗談を重ねる生徒がいて、

「葉っぱは趣味じゃないのよね」

 と更に冗談を返すことも、私には出来た。

「葉っぱって、慣れた言い方で気持ち悪い」

 等と軽口を叩く生徒がいるのも、幸いなことだった。私はつつがなく授業を終え、職員室でロスマンズを吹かす。

「いや、ヘンダーソン先生は中々見事ですね」

 教頭先生が、煙草を吹かしている私の横に座る。

「何のことでしょう?」

 木村嬢の事だと分かっていながらも、一応の礼儀として、私は返す。教頭先生は、朗らかに、

「第二ブロックの木村さんのことですよ。あれだけ深く悩んでいたのに、まるでツキモノガオチタみたいに」

「つきもの?」

 聞き慣れぬ単語が耳に入り、私は更に聞き返してしまう。

「ああ、えっと……悩みがなくなってしまったかのようだ、と言っただけです、失礼、先生はまだ日本に来て日が浅いんでしたね。流暢に話されるから、偶に忘れてしまいます」

「いえ、こちらこそ」

 煙草を灰皿に置く。

「まだまだ勉強不足だと言うことが分かりました」

 悩みが消えた、とは中々皮肉な物言いだと思う。実際に、彼女の悩みは、幻覚の中で彼女が死ぬことにより、消えたも同然なのだから。幻覚の中で彼女が死ぬことで、悩みもまた、死んだのだ。

「後で、そのつきものという事柄について調べておきます」

 私は努めてまじめに、そう続けた。わざわざ私に悩める少女を紹介したことを、教頭先生は、少なからず後ろめたく思っている様子だった。ならば、私は、職務を忠実にこなしただけだ、ということを示さねばならない。……実際は、非合法薬物の助けを借りて、悩みを本当に消しただけだ。口には出せないが……。

 私はそれとなく時計を見た。まだ木村朱音との待ち合わせまでには、時間に余裕がある。

「早速、今から調べてきます。図書室で」

 立ち上がろうとする私を、教頭先生は大げさな身振りで止めた。

「私の国語辞典を貸しますよ」

 彼女の言葉に、あなたには貸しがあるから、というルビが振ってあるように感じた。

 

それから数日の間、私は、木村嬢から、悩める少女達を教えてもらい、その中から、クスリを与えるべき人物について、助言を交わす、そんな日々が続いた。

 そして、数人の少女達に、与えるべきだ、という結論に達した。

 第一ブロック第二段階、藤堂(とうどう)(かえで)

 第一ブロック第二段階、()(とう)静流(しずる)

 第二ブロック第一段階、(とき)(とう)(きよう)()

 第二ブロック第二段階、真田(さなだ)(きよ)()

 そして木村朱音に、もう一錠。

 時は、来た。私の悪への審判が下るときが。


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