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勅使河原華蓮の編集後記  作者: 成希奎寧
麗爛新聞 四月号
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麗爛新聞 四月号 五面

「天音君。ハンカチ、返してもらえるかな?」


長かった様な、短かった様な追憶の果てに辿り着いたのは、黄昏に包まれた新聞部の部室――つまり、現在だった。


澄み渡る空の様な蒼い瞳がボクをしっかりと見据えている。


そこに宿る意思は、ただの拒絶だけじゃ無い。


「ここで――終わりにしようよ。私なんかを想い続けても……それは無駄な時間になってしまうから」


何故かわかってしまう、思いやりの込められた願いの様な――悲痛な叫び。


今この場に居る彼女――いや、そこに居るのはきっと『彼』なのだろう――が、過去の自分の姿と、重なっていたのかもしれない。


差し伸べた手の理由は、関係を断ち切る為じゃない。


かつてボクが涙を流した時にしてもらった様に、引いてくれる手を待ち望んでいるのだろう。


でもきっとその手を引けるのは――花前先輩の様に、近しい人。


ボクでは――。






かちり。




時を刻む秒針が、やけに大きく聞こえた。


――本当に、そうだろうか。


ボクの動き出した時間を、確かに感じさせるかの様に。


――あの絹糸勇士に似た雰囲気を持つ先輩が、何もしていないとは思えない。


新聞部の部室前に張られた偽りの真実は、間接的に現実を叩きつける挑戦状。


――そしてあの人は、こう言っていたハズだ。


『華蓮はちょっと、記事を書くにはロマンチスト過ぎるんだ』


『幻想的なのは外見だけで十分だよね』


探していたんだ。


――身体と言う現実を超えて、夢の中に居る『彼女』の手を引く人を。


自分では出来なかった事を、友達にやってあげられる人を。




ボクがかつて経験して、今まで想いを閉じ込めていた出来事。


全ては、過去に置き忘れた夢物語でしかない、ただの気の迷いの記憶だとしても。


それでも現実が許さなかったあの想いを、忘れるハズが無い。


感情が風化して、関係をこじらせて、偽りの中で生まれた友情だとしても。


それが必要無いなんて、絶対に思わない。


『友だちになって欲しいんだ』


……今思えば、なんとも厚かましく、空気の読めていない自己本位な事を言ったモノだ。


ボクと近くに居る限り、彼は虚飾を貫き通す苦痛を味わい続けると、本能的に分かっていたハズなのに。


――きっと、他にどうすればいいか分からなかっただけなのに。


勇士に抱いた安らぎが、好きと言う気持ちなのか、分からなかっただけなのに。


でも今ようやく、分かった気がする。


彼の告白は嘘だったけれど、愛情は本当だった事。


重厚で、硬派で、人の話を親身に聞くのが――絹糸勇士と言う男なのだ。


一年以上の自分の時間を棒に振ってまで、出来た友人の為に尽くした、義理堅い男。


彼に抱く想いは、きっと――。





「――勅使河原先輩。やっぱりこのハンカチ、もう少しだけ貸して頂けませんか?」


覚悟を決めて、ボクは言葉を紡ぐ。


時が刻まれ続ける部室は、少し暗くなり始めていた。


その中でボクは、答えを先延ばしにする問いをする。


「……それは、なんで?」


「やり残した事があるんです。でも、それはきっと、とても辛いので……勇気が欲しいんです。先輩に、支えになって欲しいんです」


勅使河原先輩の瞳が、一瞬揺らいだ。


彼にも――違う、あくまで目の前にいる彼女にも――向き合わなければいけない何かがあるのだろうか。


だとすれば、その時に支えになれるのは――。


「辛いなら……忘れても、いいんじゃないかな……? きっと誰も……咎めたりしないよ」


それは、勅使河原華蓮の悲鳴だと、ハッキリ分かった。


赦しと言う名の諦めが、彼女の中に生まれ始めている。


――迷っている暇は、無いらしい。


「それが、忘れるワケにもいかないんです。ここに来るまで、たくさん世話になったので」


「……そっか。強いんだね――私とは違って」


勅使河原先輩は小さく、それだけ呟いた。




「……待っていて下さい」


「……え?」


ボクの口から自然と出た、そんな言葉。勅使河原先輩は暗む黄昏の中で、きょとんとする。


「……ハンカチです。ちゃんと、返しますから」


勿論、それだけではないけれど。


そんな想いが、伝わったのだろうか。勅使河原先輩は、戸惑いながらも、ゆっくりと首を縦に振った。


「……うん……そこまで言うなら……私は、貴方を待ってます」


「ありがとうございます。それじゃボク、そろそろ帰りますね。では先輩――また明日」


「……また、明日」


その言葉を最後に、ボクは新聞部の部室を後にした。


携帯を取り出し、手早くメールを打ちながら駐輪場を経由して家路につく。


嵌め直したチェーンは空回りする事なく、ボクの前に進もうとする足の動きについて来てくれている。


無論直ったのは、自転車の駆動部分だけでは無く――原動力も、かっちりと噛み合っているからなのかもしれないが。


現在を駆ける――過去の因縁を断ち切り、未来へ進む為に。



良い記憶と悪い記憶。後者の方が頭に残りやすいのだと言う。


何度も何度も、その事を思い出して、心に傷を付けて行くから。


そんな消せない過去の痛みを、忘れる事が出来ないなら、せめて。




残るのが辛い思い出だとしても、そこに良かった面があった事を、忘れたくない。




別れの裏側に、旅立ちと言うポジティブなイメージを見出したのはきっと、その気持ちの裏返しで。


勅使河原華蓮の心の傷が生んだ、優しい願いだった。


誰かが告白されて、誰かが振られると言う事。


それは勿論振られた方にも、そして振った方にも、辛い思い出なのだと思う。


でも、銀色の貴方が言った通りでもある。


とても、嬉しかった――良い面だって間違いなくあったと、ボクも知っていた。


彼と一緒に居れば居る程、心の傷が痛む程に、切なくて苦い記憶。


けれど、一生忘れる事のない、大切な思い出なのだから。




――喫茶 まほろば――


「とまあ、そんな感じで俺はアイツに振られたってワケです。まさか、男だとは思ってませんでしたけど」


苦々しい思い出、としか言い様がない過去の出来事を語った割に、どこか清々しそうな顔をして絹糸勇士はカフェラテを啜った。


「成る程ねえ……確かにあの子が女の子の格好してたら、女装だって絶対に疑わないだろうし」


そもそも男子の制服を着ているのが仮装にしか見えないし、とあたしは思ったままを口にした。


己の親友、勅使河原華蓮程の長さではないが、男子にしてはかなりの長髪だったと思う。髪を後頭部で結んでいてもなお、垂れ下がる程の長さなのだから。


(そう言えば、華蓮が朝会った時に嬉しそうにしてたけど……自分に似た部分を持った男の子を見付けたからなのか……)


無論、それだけではないだろうけど。現実を打ち破って心に踏み入った彼に、様々な可能性を抱くのは分かる気がする。


しかし、何かが頭に引っかかっている。果たして現実は本当に、打ち破られていただろうか。


(違うよな、あたしがあの『現実』を張った扉は確か……打ち破られたりしてなかった……)


『佐奈? 帰って来たなら準備手伝ってよ~』


夢想へと続く門戸は――開かれていたハズだ。何も知らない、その牙城の城主によって。


無意識に、待ちきれなくなって出て来たんじゃないか。あたしが外で『誰か』と話しているのを聞いて。


運命と言う名の――偶然の積み重なりをいつも通り夢に見て、飛び出したんだろう?


「本当に……手のかかるお姫様だよ、アンタは」


「……先輩?」


過去の『武勇伝』を聞いて、今自分の目の前で不思議そうな顔をしている少年に、どこか自分を重ねていた。


主上に忠誠を誓い、痛みに耐えて剣を振るう。


さながら我等は、和洋に座する騎士だった。あたしは可憐に咲き誇る花を守る様な、言わば門前に当たる高嶺の崖。


手が届かないのは、当然だ。その行く手を阻んだのは、岸壁そのもの――己自身だったのだから。





「……はあ」


きっと――長話を聞いて、疲れただけだ。でなければ、この溜め息の説明が付かないだろう。


「……先輩も、色々ありそうですね」


「他でもない君がそう思うか――なら、きっとそうなのかもしれないね」


「互いに……大変ですよね」


「ああ……全くだ」


心の内を曝け出す様に、あたしは同情に甘んじた。


勅使河原華蓮と言う名の姫を守り続けても――『彼に』手が届く事は無いのに、何故こうも心身を削っているのか。


そう、思わざるを得ない。


だと言うにも関わらず、全く後悔をしていない所も理解し難いのだ。


この理不尽な感情を示す言葉を――あたしは一つしか知らなかったのに。


彼等のおかげで、わかってしまった。


それはきっと恋ではない。親愛と言う、性別の宿命付られた溝を超えてしまった――固い絆。


――完敗だ、絹糸勇士。


あたしはすでに投降した城主にならい、一度刀を置く事にした。


先程まで勝利の美酒だったハズの淡い黄色の液体は、いつの間にか敗者の舐める辛酸になっている。


口にすると――当然の様に甘ったるい。恐らく、彼には勝利した気がないからなのだろう。


きっと、ありのままを語っただけ。盤上の決闘を文字通りひっくり返す程の――ただの事実を、語っただけだった。


こんな爽やかな苦汁だったら、たまに味わうのも悪くない。そんな気がした、過去を振り返る時間だった。





「校則でうなじが隠れない様に規定されてるのを、ショートポニーにして回避してるのが翼らしいんですけどね」


「そっか、そう言えばそんな校則あったな……華蓮と居ると、一般常識が薄れて行くから困る」


「……え? なんでそこで部長さんの話が出て来るんですか?」


「……さあね」


わざとなのか、そうでないのか。彼の判別に困った様子に、あたしは首を振ってはぐらかした。


「絹糸君、色々と申し訳なかったね」


自然と出たその謝罪に、様々な無礼を詫びる気持ちを込めたつもりだった。敗軍の将が務めるのは、戦後の生活の確保だろう。


「……分かってますよ。貴方が真剣に俺達の事を知ろうとしていたからこそ、本性を知る為に煽っていた事なんて」


ただ――彼が言う程に真摯な気持ちでは無かったと思う。結局は、自分の欲求を満たす為に行動したに過ぎないのだから。


自分がエゴだと自覚していても、貫き通したいモノがある。その態度に美点を見出す、良い意味での『少年の視点』が生んだ偶像が映っていたのかもしれない。


どうしようもなくガキっぽくて、どうしようもなく――羨ましかった。


その羨望を感じた直後、低い振動音が聞こえる。学生が良く耳にする――或いは身体に感じる、布越しのバイブレーション。


あたしのモノでは無い――となれば必然的に目が向く近場に居る彼が、それに応えるかの様に携帯を取り出した。


了承を得る必要は無い、と目で語る。少年はそれを察知したのか、迷わずに携帯を開いて画面を凝視した。


そのまま素早く何事かを盤面に打ち込み、携帯をしまいながらいそいそと帰り支度を始めた。




「すみません、急用が出来ました……佐奈先輩。今日は俺のつまらない話を聞いて頂いて、ありがとうございました」


「いやなに、無理矢理語らせて悪かったと謝るのはこっちの方だよ。礼を言われる筋合いなんて、どこにもないさ」


「先輩の言う通りでした――俺はもう、十分時の流れの中で、足を休めました。これからは、歩き出さないと」


「君の過去を知らないあたしが言った戯言……ずっと、戦って来た者の台詞とは思えないね」


あたしの言葉に、彼は肩を竦めて――生真面目で、真剣な眼差しでこう言った。


「今まではきっと、流れに逆らい続ける努力をして来たんです。怖くて――失いたくなくて。でも、いつまでもこのままで良いとは思っていませんでしたから」


本当の意味で向き合う為に。彼が続けた言葉に、強い信念を感じた。


「……そうか。過去に置いて来た痛みと向き合う覚悟は、決まったみたいだね」


「それは、元より。決まったのは――友達を失う覚悟ですから」


そう言って、絹糸勇士は席を立った。あたしの支払分も記されている伝票を持って。


その勇ましい背中を見届け、あたしは深いため息を吐いた。


「……あれは、誰でも頼りたくなっちゃうだろうなあ。でも――あの子は……」


あの広い背中の温もりを捨て去るのは――どれ程の覚悟なんだろう。


途方も無い軌跡の果てに見ゆるその答えは、いつかどちらかが聞かせてくれるだろうか。


親友の悪癖が伝染ったと頭を振って、あたしは柔らかな背もたれに身体を沈めながら、ゆっくりと目を閉じたのだった。







少し冷えはじめた帰り道の最中、ふと思った事があった。


人の好意を感じ取れる程の人が、例え恋愛感情を醸し出していなかったとしても、ハンカチを貸したりするだろうか。


新たな誤解の種を撒き、自分の苦痛を生んでしまう可能性を孕んだ、非合理的な行為でしかないハズだ。


なのに、何故あの人はそんな事をボクに――?


『華蓮はちょっと、記事を書くにはロマンチスト過ぎるんだ』


耳の奥に残った言葉を思い出し、ポケットに手を入れた。そのまま、手触りの良いハンカチの存在を確かめる。


これは言うなれば――0時を迎え、城から走り去るシンデレラが残した、ガラスの靴なのかもしれない。


とは言っても物語の中の少女程、殊勝な心構えではないだろうけど。


王子が拾い、持主を探す事を見据えて置き去りにした自らの痕跡。


傷付きたくなくて、傷付いて欲しくなくて。


報われたくて、報いたくて。


痛い程よく分かる、願いと欲望が入り混ざったそれは――決して万物を魅了する様な黄金の輝きを秘めてなんていないけれど。


ただ、そこに価値を見出す者に圧倒的な魅惑を振り撒く、微かな白銀の光が確かにある。


ポケットの中に輝くそれをしっかりと握りしめて、かつての感覚を思い出す。


彼が引いてくれた手は――いや、引き続けてくれた手は――『彼女』を連れ出す為に、ここまで来たのだと、はっきり分かった気がした。




まほろばを後にし、一度家に帰ってから呼び出された場所に直行する。


忘れる事の無い思い出を掘り返してから――アイツとの心の距離が、どんどん近付いているみたいだった。


親友として、あれだけ近くに居たのに狭まらなかった隙間が……離れているのに近付いて行く様な、そんな感覚。


薄着で出歩くにはまだ肌寒い、春の夜。俺はかつて全てを捨てると誓った場所――椿縄学園へとやって来ていた。


校舎の裏手に破れた金網があるのは一部の生徒の間で噂になっているものの、直されるに至っていないらしい。


隙間をくぐり抜け、部室棟の裏――あのベンチへと向かった。


自分を呼び出した相手を待っているか――そう考えて、指定の時間よりも早く来たハズだ。


だと言うのに、ベンチには誰かが腰掛けている。


「お久しぶり、絹糸君」


そう言った彼女は、慣れた手付きでスカートについた土埃を払う。


「……なんで、貴方がここに?」


そこにあった人影は、ここに居るハズの無い人間――椿縄学園の元生徒会長・拝島日和(はいじまひより)のモノだった。




「……貴方は、いつもここに来ていましたからね。それこそ嫌な事があった時は、絶対に」


だから、ここに居ればいずれ会えると思っていました。会長は少しくたびれた様に、そしてそれ以上に安心した様に口にした。


「ずっと……ここに来ていたって言うんですか? 途中で生徒会を辞める様な、最低な奴の為に?」


「流石に、毎日ではないですけどね。暇を見て、たまに来ていた程度です」


「……そうですか」


一瞬の沈黙。その間を埋める様に、照明に明かりが灯った。


美しく長い黒髪が照らされ、煌めく。ずっと前に――置いて来たハズの感情が再び自分に戻って来た様だった。


「会長は、相変わらずお美しいですね。長い月日が経ってると言うのに」


「貴方は――変わりましたね。昔の貴方は、決してそんな事を言わなかった――言っては、くれなかったですから」


私はもう会長でも実行委員長でもないですから、とたしなめられ、俺は小さく笑った。


本当に時が止まっていたみたいだと、強く感じた。




「聞きたい事が、あるんです」


「……分かってます」


内容なんて、問われなくても分かる。


俺が何もかもを捨てる覚悟を決めて――本当に失ってしまった、あの日の事。


しかし、何を問われても――答える事など決まっているのだが。


「あの時――立ち会ってしまった」


「本気でしたよ。色々な意味で」


だから、語らせるまでもない。


つけなければならなかった決着を、今ここで。


これ以上は、どちらの為にもならないのだから。




「……い、言わされているだけですよね? あの貴方を不真面目な道へと手引きしたあの女装男に……!!」


「……はあ」


彼女から溢れる剥き出しの敵意は、俺へと向いていない。


やはりと言うか、なんと言うべきか。


許されるなら、先程の溜め息に抱える憂いの全てを込めて、吐き出したかった。


だが、そうはいかないのだ。俺が選んだ道から――逃げたくない思いの方が強いから。


誰かの言う事ばかりを聞いて生きて来た。そんな俺が初めて、何かをしてあげたいと願った『友達』の為に。


「アイツは、絶対にそんな事言いませんよ。例えそうだとしても俺は――」


どうか、恨む相手を間違えないで欲しい。


天音翼は、貴方が思っている様な奴ではない。


確かに俺も最初は女の子だと思って、色々頑張って、苦痛に耐えなきゃいけない状況になってしまったけど。


ただ、一緒に居る内に、いつの間にか掛け替えのないモノになっていて。


そんな自分の殻を破るきっかけをくれた俺の――大切な友達なんだ。


だから。


「――どんな事をしても、どんな事をされても……アイツの友達だって言いたいし、言って欲しいですから!!」


あの時からずっと俺は――この拙くて純粋な言葉を、伝えたかっただけだった。



「……だ、そうですよ。もう十分なのではないですか?」


彼女が放ったその言葉の意味が一瞬わからなかったが、すぐに理解出来てしまった。


部室棟の陰から出て来た、フリルをふんだんに使用したゴシックドレス姿を目にした瞬間に。


例え暗がりだろうと、見間違えるハズが無い。


その姿は、この一年半の間、瞼の裏に焼き付いて離れなかった――夢の中の少女なのだから。


純粋に美しいワケじゃなくても、幻想の中だけで生きている存在だとしても、たまたま目に触れただけでも。


恩人なのだ、彼は――彼女は――天音翼と言う人間は。


性別なんてどうでもいい。そんな風に思える程、心惹かれる人間が居ると教えてくれた。


「……アマネさん――翼っ!!」


申し訳なさそうに明かりの元に歩いて来た親友に駆け寄って――抱き締めた。


親友の関係を失うと、覚悟を決めていたのに、身体が翼を求めて止まなかった。


「……絹糸君。ううん――勇士……!!」


翼の大きくない手が、俺の制服の背を握る。弱く――けれどもあの時に感じたそれと同じ様に――強い意志を感じた。


「「今まで、ごめん」」


時を置き去りにしたこの場所で、合い言葉を互いに口にする。


それからたくさん――一口には語り切れない程に――語り合って。


やっと、あの時から前に進める気がした。




――――――


――――


――





「――ってな感じでさ、あの眼鏡の子がなかなかやり手でね……って華蓮、聞いてる?」


「あ、うん。聞いてる聞いてる」


佐奈の話を上の空で聞き流しながら、私は待っていた。


いつも通り、夢に見ていた事が起こらないかな、と。


あの運命的な出会いをして以降、私の心に触れようとする人は現れなかった。


まあそれもいつも通りの事で、また現実に打ちひしがれるまでがワンセットの、終わらない悪夢。


けれど今は――確かな予感があるのだ。


諦めかけた『私』を、王子様はきっと迎えに来てくれる。


物語の様に、颯爽と――は、現れてくれないかもしれないけれど。


それでも。


――コンコン。


部室内に響き渡る、夢と現実を隔てる扉を叩く音。


「珍しいな、来客なんて……っておい華蓮っ!!」


相手を確かめるまでもなかった。


扉に駆け寄り、訪れた相手を招き入れる。


少しだけ空いた隙間から、託した鍵と、もう一枚の紙を覗かせて――その人はこう言った。


「入部希望なんですけど……まだ間に合いますか?」


麗爛新聞 四月号 五面 終

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